このところ、友人の親御さんだったり、友人だったり、知っている人がたくさん亡くなりました。

 

この10年でいうと、私自身は、原家族だった母、祖母、弟をなくして実家を片付けたり、恩人が亡くなったり、子どもを流産したり死産したりしたので、人に死に慣れてしまった感じがあります。

 

現世で会えないことはとても寂しいのだけれど、みんなで隣の部屋に先に行かれたような。私もこっちの部屋での仕事が終わったら、そっちに行くよ、みたいな。あまり喪失感というのを感じなくなってしまった気がします。さすがに、息子に何かあったら、その時は全く違う精神だと思うのだけれど。

 

こっちの部屋では、もう少し子どもを育てて、できたら子どもの子どもの世話を手伝って、困っている子どもたちを励ましたり、お正月にお雑煮を作ったりしたいと思っています。そういうことを一通りやり終わったころに、隣の部屋にいけたらいいな、と思っています。

 

そんな風に思っていると、人生折り返したんだなぁ、と思います。このブログを書き始めた30代のころは、そんなこと思いもしなかったのだけれど。

ジャニーズ事務所の問題、4月12日に元ジュニアのカウアン・オカモトさんが外国人記者クラブで会見を開いたことで、NHKなどのメディアも少しではあるけれど報道をし始めました。(バッシングへの火消し的な感じかもしれないのだけれど)

 

私は10年くらい前から子どもの支援に関わり始めたのですが、過去にジャニーズが児童虐待をしてきたことを知っていたのに、この問題と現実的な子どもの権利とをつなげて考えることをしなかった自分に腹が立ちます。

 

1988年の北公次さんによる「光GENJIへ」騒動や、2002年の文春との名誉毀損裁判を経て、さすがに文春裁判以降はなくなっているだろうと想像していたのですが、つい最近まで虐待が続いていたことを知り、驚きました。1988年以降、2002年以降、何人の子どもがジャニー喜多川の性虐待を受けてきたのでしょうか。

裁判所が認定したジャニー喜多川による少年への「淫行行為」 |みどり共同法律事務所裁判所が認定したジャニー喜多川による少年への「淫行行為」 |コラム・弁護士|みどり共同法律事務所|社会経験豊か、人間味あふwww.midori-lo.com

 

さらにさらに、ジャニーズには、総務省の事務次官を務めた人の息子まで在籍しているし、この事務次官が一連の性虐待と人権侵害に対する報道を知らないわけがないし、その息子はニュースキャスターとしても活躍しているのだけれど、彼だけ特別扱いだったのでしょうか。

 

芸能界やショービジネスにこういったことがつきものなのは世界共通なんだと思います。でも、今回のそれで大問題なのは、虐待されているのが子どもだ、ということです。

子どもへの人権侵害は、世界ではものすごくセンシティブなトピックです。メディアだけでなく、国の権力層も知っていたはずの児童への性虐待を、国家総動員でスルーしてきたことが世界に知られてしまいました。私も知っていたけれど、スルーしてきました。

 

子どもへの人権侵害に対して、経済的な利益や大人の事情を優先して無視するメディア、権力層。海外では人権侵害している企業に対しては、すぐに大規模な不買運動が起こるので、そんな日本の企業とは恐ろしくてビジネスできません。ジャニーズ問題を契機に、日本への信頼を取り戻すため、日本の経済を守るために、子どもの権利擁護を宣言して、確立しなければならないと思います。

 

ジャニーズ問題は、日本の子どもへの人権侵害を表すシンボルみたいな事件で、低年齢アイドル、いじめ、痴漢、教育格差、子どもの貧困、パパ活、ヤングケアラー、望まない妊娠、教育虐待、それからこの間の壱岐島の里山留学での虐待疑惑など・・・社会や大人は助けてくれないという無力感が、日本中の子どもたちを覆っています。

 

4月から施行されたこども基本法とこども家庭庁は、そういった子どもへの人権侵害に対応が迫られています。いま必要なのは、上に示したような渦中にいる子どもたちが、秘密を守ってもらい、安心して被害を訴えらることができる子どもコミッショナー、子どもオンブズマンの存在です。

 

いまこそ、こどもコミッショナー、こどもオンブズマンの設置への議論を加速させて、こども家庭庁、こども基本法が力を発揮する時なんだと思います。いま動かなくていつ動くんだ。

 

 

ノー勉で進級した息子ですが、

去年の3月から完全個別の塾に通い始め、週4-5で勉強するようになりました。

まわりの様子から、受験を意識しはじめたようでした。


勉強を始めてみると、実は英語はよく理解していることがわかり、英検を受けると6月には3級合格。それがよいきっかけになり、ますます意慾がわいてきたようでした。


とはいえ、相変わらず学校の学力試験は0-7-13-15-20的な。英語は平均を超えてきましたが。

でも、模試も偏差値は10月まで判定不可で数字がでませんでした。


夏すぎまで進学は半分あきらめて、調理の専門学校を中心に学校見学。通信の資料も10校近く取り寄せていました。


10月に入り、普通高校を見学すると、息子の心に火がついたようでした。こっちで普通の高校生活を送りたいと。行きたい都立を見つけて、塾の先生に報告。いきなりスイッチオン笑。


しばらく頑張っていたのですが、学校での面談で「無理」的なことを言われて💢、ふたたび意気消沈。

またいくつか見学にいくと、とある私立学校を気に入り、第一志望、一般受験にすることに。


で、担任に言うと、

「行ける私立に併願しておいてほしい」。。


あの内申で行ける私立は2-3つだけ。

親的にはあまり気持ちが向かず、一般受験だけでがんばることになりました。


で、結果。

第一志望にしていた私立に受かりました。

0点ばかりだった学力も、試験では本人曰く80点は取れた、と。


この半年のがんばりが報われてほんとによかった。

と、同時に、もっと早くに完全個別で良い先生に会えていたら、もっと行きたい学校選べたと、親として申し訳なさもありつつ、それが公教育ではおきざりにされてしまったことに、悲しみを感じつつ。


息子にはとても良い学校に入れたと思います。

成功体験て、ほんとすごくて、高校入ったら英検数検がんばって、理系の大学に行きたいと。


君の未来はこれから。

たのしみだね。おめでとう。


あの小1プロブレムから始まった義務教育の9年間。

思い出すと涙がでることもあるけれど、笑って卒業できそうです^_^