12月に映画deダイアログ「この世界の片隅に」を観たモヤモヤを語る会」

を開催しました。

 

この記事には多くのネタバレを含みます。

さらに多くの否定的意見も含んでいるので、作品鑑賞の際の感動が薄れる恐れがあります。

ぜひ映画と漫画の両方を観てから記事をお読みいただくことをおすすめします。

 

また、この記事の目的は、作品の価値を云々するものではなく

作品をきっかけにして、

私の中にある問題意識や好みや芯のようなものを掘り下げて探り当てて明らかにする

個人的な営みです。

気分を害された方は、ごめんなさい。そっと閉じるボタンを押してください。

 

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モヤモヤを語ろう、という会は

こんな呼びかけ文でした。

これにより集まった女性4名でたっぷり2時間語り合い、

かなりのモヤモヤを言語化できたものの

なかなか文章にすることができないまま

年をまたいで、いまようやく取り掛かります。

 

いつも映画deダイアログでは最後に「この映画を一言でいうと?」という問いかけをします。

 

今回出てきたのは

 

「無邪気な改ざん」

 

「不幸な誤解」

 

「戦争プロモーションビデオ」

 

という、

モヤモヤのありようを見事にあらわしたフレーズが出てきました。

(並べるとあらためてすごいインパクトだ)

 

私は宿題にさせてもらって、この記事タイトルの

 

「絶望、受容、美しく後味の悪い夢」

 

としました。長い。歯切れ悪い。

 

 

上記3フレーズを出した参加者の方々も、

付け加えるならもっと肯定的な部分も盛り込まれることと思います。

 

私たち全員、この映画をいいと思う部分もあったからです。(たぶん、全員)

ただ、私はネットやTVでの評価があまりにいい方にばかり偏っている気がして

どこにも私の気持ちを言ってくれてるものがない、というところから

じゃあ自分たちでやってみようと試みた会でした。

 

その後友人のせいこさんが果敢に文章化に取り組んでくれました。

(私のために取り組んでくれたわけではなかろうとは思いますが、

私の気分としては書いてくれた、と歓迎しているわけです)

 

せいこさんのブログ記事:「映画『この世界の片隅に』の違和感」

「映画『この世界の片隅に』その他の感想」

 

この2本を読むとほぼほぼ私の気持ちは満足した気になるのだけれど

それではいかん。借り物でない自分の表現を試みます。

 

ちなみに語る会の前に、私は友人tsukasaさんのこのブログ記事を手掛かりに

自分の思考の井戸へ潜っていきました。

tsukasaさんの記事:「どこにでも宿る愛」

 

どこにでも宿る愛って、すずさんが晴美さんと種を蒔いた小松菜みたいだな。
あの雨どいの小松菜はあのあと芽吹いたのだろうか。

 

せいこさん、tsukasaさんのお二人が書いているように、私の違和感の大きなもののひとつは

「すずさんの無力化・純粋化・美化」にある。ここから書き始めます。

 

作中で周作が

「すずさんはこまいのう」

と、すずさんを愛おしむセリフが出てくる。

 

こまくて一生懸命で健気だけど悲壮でなくほんわかしたすずさん。

 

こんな、単純化された人物像が、私が映画ですずさんに持った感想だった。

どうにも、感情移入しにくいのだ。

(むしろ義姉けいこの目線になってしまう)

 

でも、周作の愛も本当の正直なところだと思う。

 

そのずれが気持ち悪い。

 

そしてあろうことか、漫画作品かなり重要な「暴力で従えとったいうことかね」

というセリフが

「大豆や米」の話にすり替えられている・・・これには本当に怒りを覚えた。

この改変について監督は、こちらのインタビューでこう語っている。

 

(引用)
庶民は「アメリカのほうが科学力や物量に優れていて、単純にそれで負けた」と思っていて、実は「正義」とかっていう言葉は入ってきようがない。まだ、きちんとした認識が生まれていないんです。なので、すずさんが生活者視点でそういった意識に近いことを気づくとしたら、どういった言葉になるのか? と考えて、セリフを変えています。
(引用ここまで)

 

これを読んで私は怒りでめまいがした。

「庶民の意識調査」にすずさんを寄せるな!と。

意識調査には表れない気持ち、だとか

多数がそうであってもすずさん個人の中には、ずっと彼女自身を支えてきた誠実さや、

正義でなければ国への信頼があった。そして、日々さらされる危険の中で「暴力」への憎しみがあった。

それで十分原作のセリフを言わせてあげられると思うのだ。

単行本三冊分の連載の中で積み上げてきた日常の上に、この大事な慟哭のシーンがあるのに、

「台所の話」にしてしまわれた、と私は感じたのだ。

究極の無力化だし、一言でいうと「バカにしてる」と。

 

しかし、監督はすずさんをバカにしてるわけでも軽くみているわけでもない。

むしろ愛しているし、

すずさんの存在感を、とにかく出そうとしていたのだ。

ただそこには、大きなズレがある。

 

このインタビュー記事を読んでわかった。

 

監督:存在感とは。背景とのマッチング、動作、体のつくり、など「実体」に集中している。

 

私:生々しい感情、多面的・立体的に描かれる性格、思想、生理的な感覚、生命力がなければ人としての存在感を感じられない。「実体以外のもの」に集中している。

 

だから漫画作品にちりばめられた独白がガンガン削り取られ

出来事の背景が描かれていないエピソードは忠実に再現され

映画だけを観ているとそのスピードでついていけなくなる。

 

そして、映画を観終わってすぐに私が一緒に観た夫に言った言葉は

「男が二人とも魅力がない!」でした。

 

そう、私のモヤモヤの一番大きいところはそこかもしれない。

主人公すずから人間味が抜けちゃってるだけじゃなく

周作・水原のどちらも魅力が感じられないまま距離だけがやたら近い。

 

もうなんか両手を突っ張って拒否したいくらいの嫌悪感。

 

水原への想い、つきあいの重さがみえないのに、

夫からは玄関の鍵を閉められ「え?なに?なに?」と混乱してるうちに

 

「うちはこんな日を待っとった気がする」

って

ええええええええ~~~~!!!!

 

ありえん。

 

今でも気持ち悪さがよみがえる。

 

でも、想像するだにさらに鳥肌が立つのだけど

 

このくらい、オトコノコから観たオンナノコの気持ち、というのは

不可解なんじゃなかろうか、ということだ。

 

なんかわかんないけどYESだった。

なんかわかんないけどNOだったからまた次回トライしよう。

 

こんな感じで法則性がわりと無視されているのかもしれない(!)

 

だから押しの一手とかが可能なのかもしれない。(怖)

だから1回で心折れて草食になっていったり。(泣)

 

少年漫画はセリフと動作と事件で構成されるが

少女漫画はモノローグや心理描写がやたら多い、のもそういうことか。

 

YESにもNOにも理由や背景があり、気持ちというのは常に変動していて関係性というのはその理解・調整の積み重ねであるのに。

 

ということに、私は絶望し

いったん絶望したうえで、この違いを受容してみる。

 

そういえば、夫婦問題のカウンセリングの核は違いをどれだけ認められるか、

違う相手を尊重できるか、にある。

 

こんなに違和感のある作品を

全力で善意で好意で愛でもって作られていることは、本当によくわかる。

 

一緒に働いた制作の人も

クラウドファンディングで応援しながら心待ちにしていた人も。

何度も映画館へ足を運んでいる人も。

 

私が思う形で、思う部分が尊重されていなくても

そこに確実に愛はあり

できた作品も、素晴らしい作品であることに私も異存ない。

 

次の記事で、私が感じた素晴らしさと、あともう一点の気持ち悪さについて書いてみようと思う。(まだあるんかい)


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