チラシの裏にでも書く。

小人閑居にして為す不善。


テーマ:
【1】

宇宙が地球を中心にして回っていた時代。
夜空に輝く星には2種類あると、昔の人は気づいた。

一つは、大きなスクリーンに張り付いているかのように動く星。
もう一つは、そのスクリーンとは独立して動く星。

前者を「恒星」と呼び、後者を「惑星」と呼んだ。



【2】

目に見える惑星は7つあった。

西洋では、神話になぞらえて神様の名前をつけた。

 [Luna・Mars・Mercury・Jupiter・Venus・Saturn・Sol]

東洋では、五行に絡めて名前をつけた。

 [月・火星・水星・木星・金星・土星・太陽]



【3】

天動説の時代において、
一番近い惑星は月であり、一番遠い惑星は土星であった。

 地球・[月・水星・金星・太陽・火星・木星・土星]

一番遠い土星から順番に、
一時間ずつ地球を支配してもらうことにした。

さらに一日の始まりを支配した惑星には、
その日をまるごと支配してもらうことにした。



【4】

するとどうなるか。

24時間を7つの惑星が担当すると3時間余る為、
支配日は2つ飛ばしで担当することになる。

 [土曜・日曜・月曜・火曜・水曜・木曜・金曜]

こうしてお馴染みの「七曜」が、古代バビロニアにおいて完成した。

なるほどそうだったのか。

(引用元:http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0001.htm)



【5】

ちなみに天王星・海王星・冥王星が見つかったのは
ガリレオが初めて天体望遠鏡を空に向けてから100年後以降の、
ごく最近の話。

土星よりも更に外側を回っているこれら遠方の星々が
近代まで発見に至らなかったのも無理はない。



【6】

ただしこれら3つの惑星が
全て肉眼で視認不可能かというと、そうではない。

人間の目で捉えられる限界は6~7等級までであるのに対して
最高で5.6等級まで輝ける星、それは天王星である。

(引用元:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q106852855)

つまり天王星が発見できなかったのはたまたまであり、
上述の7惑星にエントリーしている可能性は十分にあった訳だ。



【7】

もし古代人が天王星を発見できていたらどうなっていたか。
そこには「恐ろしい別の未来」が潜んでいた。



【8】

仮に古代バビロニアが
土星より遠くに天王星を認識していたとしよう。

 地球・[月・水星・金星・太陽・火星・木星・土星・天王星(←New!)]

一番遠い天王星から順番に、
一時間ずつ地球を支配してもらうことにする。

さらに一日の始まりを支配した惑星には、
その日をまるごと支配してもらうことにする。



【9】

するとどうなるか。

24時間を8つの惑星が担当すると割り切れてしまう為、
支配日は永遠に天王星が担当することになる。

 [天曜・天曜・天曜・天曜・天曜・天曜・天曜・天曜…]

こうして恐怖の「八曜」が、古代バビロニアにおいて完成する。

なるほどなんてこった。

平日が一日増えるどころか、日曜が永遠に来ない。



【結論】

天王星を発見しそうな古代人を見かけたら、躊躇うことなくドロップキック。


-------------------------------------------------------------


【後書き】

「惑星」つながりで
The Planets/G.Holstより、Jupiter(平原綾香Ver.)。




ガリレオが木星に天体望遠鏡を向け、
地球以外にも衛星をもつ星が存在することを証明してから
地動説の信憑性が高まり、近代天文学が始まった。

最新の天文学では、
その衛星の中の一つに生命の可能性を見出すまで来ている。

木星にはロマンがありますな。





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今日生まれた赤ちゃんは全員、「70億人目の赤ちゃん」ということになるらしい。

定期的に集計してる推移値の進捗度から見て

70億人目を跨ぐ日が今日だ、という意味なんだろうけども。


今回のニュースを通じて「世界人口白書 」なるものが一般公開されていることに

遅ればせながら気づいた。

早速要点をグラフ化してみたのが下の図。


チラシの裏にでも書く。-70億。


人口爆発とはよく言ったもんだと、改めて思う。

1800年間も10億人以下だったのが、ここ200年ちょいで7倍。60億人も増員。

しかもその大半がここ50年の成果。

いまだかつて地球にこれだけの人類が存在したことはない、

という最高記録が日々塗り替えられている。1年たてば1億人増える勢いだ。

人類が文明を持ってから5000年に及ぶの歴史の中で、これほどわかりやすく劇的な特性値も無いだろう。


地球にあるものは基本的に有限だ。

例えば土地の広さだったり、飲み水の量だったり、植物の総数だったりする。

特に植物は太陽光をエネルギーに変換する唯一の生産者であり、

それらを食べることで人類は生きることができ、

それらを燃やすことで文明的な生活を送ることができる。

これらが有限であるということは、つまり許容限界が存在する、ということだ。



それが一体、何十億人なのか、何百億人なのか。

それはわからないがグラフを見る限り、そう遠くない未来であることが想像できる。


そのとき何が起きるか。こっちは正直、想像したくない。



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ここ最近で人工衛星落下のニュースが2件も挙がった。


低空飛行している人工衛星は

大気圏の影響を受けて減速するのでいつかは必ず落ちるものであり、

しかも大気圏の状態は太陽からの紫外線量などでも右往左往するらしく、

それが落下時期やポイントを曖昧にするという

もうどーにでもなーれ(´・ω・`)な状態になっている。


それにしても何で立て続けに2件も、とか思ってたら、

「宇宙ゴミなんてニュースで取り上げられなくても一日一個くらいは落ちてるぜ」と、

NASAさん said。



周回軌道に乗せるまでは全力投球で、最終的には無制御自由落下っていうのも乱暴な話だが、

人間が社会的に何かを作るときに数十年後のことなんて大抵考慮されていないのは

使用済み核燃料の後処理問題だったり、年金制度のシワ寄せ問題だったりと、

日本でも垣間見える話だったりする。


そりゃそうよ、以降数十年分の責任を背負いながら何かを成してくれる

律儀な権力機関なんて、どこの国だって作れっこない。

トラブったら、その時の担当者が何とかすればいいという発想。

トラブルまでの決まり文句は、「確率、何万分の一」。

特にこの辺は、2011年の日本を生きてみてより実感できた。



人間が関わってる以上、技術的な設計物も、制度的な設計物も、「完全な安全」はない。

仮にその「完全な安全」が破綻しても、偉い人達はそれを教えてもくれない。





チラシの裏にでも書く。-続々とスタンバってるよ。

(宇宙ゴミ、主なものだけでも約18000個らしい)


引用元:

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20110912001&expand#title







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厚生労働省が公開している人口統計の中には

「死亡率」に関するデータが存在する。


各年齢階層の人口の死亡率が

「10万人中、何人」という形式で表記されており、

不謹慎ではあるがやはり高齢階層ほど死亡率が高くなっている。



2009年度においては、

「25~29歳男性」の死亡率は「10万人中、63.7人」であるそうだ。


①まずこれを 【年間死亡率:0.0637%】 と言い換える。

②次にこれを 【年間生存率:99.9363%】 と言い換える。

③1年間は365日なので、365乗根を考えると 【一日生存率:99.99983%】 であり、

④裏を返して 【明日死ぬ確率:0.000175%】 と求めることができる。

  これは 【およそ57万分の1】 に相当する。



つまり26歳の俺が明日死ぬ確率、【57万分の1】。なるほど結構しぶとい。





⑤ちなみに麻雀牌136枚から無作為に14枚引いて和了形になる、

  つまり「天和で和了る確率」は 【およそ33万分の1】 であるとのこと。



★結論


俺が明日、

「こいつ…ッ、天和和了ったまま死んでる…ッ」状態になる確率は 【1880億分の1】

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【0】

沼男さんの話

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%9E%E3%83%B3



「我思う、ゆえに我在り」とかいう言葉がある。


誰が言ったかは別にいい。というかよく知らない。

いずれにしろ、「自分は何で自分なの?」と似たような

禅問答はずっと昔から続いているようで。


よくSFなんかで、

生物と機械のボーダーラインを超えたロボットなどを指して

「自我に目覚めた」とかいう表現をする。


これを受ければ、生物は「自我」に目覚めている存在ということになる。



【1】

まず始めに、「自我」という言葉を定義する。

ここで言う「自我」とは、以下の特徴を備える概念であるとする。
(宗教的・心霊的な解釈は、ひとまずしないものとします。)


①「自我」はひとりひとりに固有に宿る自己意識である。
②「自我」は宿り主の五感を通じて世界を認識できる。
③「自我」は宿り主の体を自由に操作できる。
④自分の「自我」と他人の「自我」は別のものであり、

 前述の②③を共有できない。


次に、ある一つの装置を考える。

その装置とは、俗に言う「テレポーテーションの為の装置」であり、
転送元にいる人間の体を原子・分子レベルで分解し、

転送先で再構成させる原理であるとする。
転送先には、構成材料となる原子・分子が十分に存在し、

その構成再現率は100%であるとする。


この時、転送先の体には、

転送元の体に宿っていた「自我」も転送されるだろうか?




この問いに対し、多くの人はどう答えるだろうか。
自分ならば「No」と答える。



【2】

まず感覚的に言って、

「体を原子・分子レベルで分解」が引っかかる訳で。
ここで話を終えてしまえば、

この装置は「ただの殺人兵器」でしかなくなる。
当然、「自我」もそこで途絶えると考えるのが妥当なところ。
(そこで本当に途絶えたかどうか、の議論は他に譲るとして)


更に言えば、この思考実験ではテレポーテーションの体裁を保つために
転送元の体を分解してみたが、本当はそんな必要も無い。
「転送元の人間の体の原子・分子構成をスキャンして解読し、

転送先で再構成させる装置」でもいい。

つまりは「人間コピー機」と言ったところか。


この時、転送先(コピー先)の人間は、

脳細胞の数から神経の連絡構造に至るまでの全てが同一なので
記憶の中身や思考の判断基準さえ一緒なのかもしれないが、

定義①④を考慮すれば「自我」は別のものと考えられなくもない。


とか何とかごちゃごちゃ書くと
まるで「自我」は「原子の構成」ではなくて

「原子の構成要素そのもの」に依存する様な感じがしてくる。

転送元の原子と転送先の原子とでは、種類は同じでもモノとして違うだろう、という考え方。



【3】
ところがこの仮説にそったとすると、どうにも説明がつかなくなる現象が

人間に限らず、生物の体には起きている。

それは「新陳代謝」。


生物の細胞は「新陳代謝」によって、

古いものから新しいものに入れ替わっている。
部位によって周期は異なるが、ある文章には

「5~7年周期で人間の体のほとんどの細胞が入れ替わる」とある。

細胞レベルでこの周期なのだから、

原子・分子レベルではもっと激しいのだろう。

考えてみれば、生物はたいてい呼吸していて、

常に二酸化炭素を吐いている。
その炭素の元を問えば、それは体内の有機物に他ならない。


つまりは人間の体を構成する原子・分子は、

数も種類も滞留年数も常に流動的にであり、

今、自分自身を構成している原子・分子は、

数年後にはほとんど存在していないのである。

時間軸上で断片的に比較すれば、

前述のテレポーテーション装置がやっていることと何ら変わりない。



【4】
「構成」にも依存していない。
「要素」にも依存していない。
では一体、「自我」とは何に依存する存在なのか。


ここまででも十分強引だが、
ここから先は更に超絶ハンドリングで乱暴に論展開する。



【5】

どうするか。

とりあえず、「自我」の定義に注目する。

「自我は人間ひとりひとりに固有に存在する」ということは。
つまり、「自我」は数えられると言うことである。

数えられるのは何故か。離散的だからだ。
これは感覚的に言っても納得しやすい。

100人いれば、100の「自我」がある。当然だ。

離散的ということはどういうことだ。

そう、「自我」はある種の「粒子」ととらえられるだろう。


この辺からもう、話が怪しくなってくる。でも続ける。


「自我」に「粒子」としての特徴があるのはわかった。皆まで言うな。
じゃあ逆はどうだ。

「粒子」の逆と言ったらそうだ「波」だ。

「自我」の「波動性」だ。

「波動性」って何だ。
例えば「音」は「波」だ。

「音波」の媒介は空気だ。
「音波」は時間が進むにつれて移動する。
でも空気がそのまま移動して「音波」を運んでくる訳じゃない。
媒介である空気は「音波」を伝えるだけの働きを持つ。
「音波」はエネルギーだ。つまり「波」とはエネルギーの伝わりのことだ。
「波」によるエネルギーの伝わりは媒介の追従移動を意味しない。


続ける続ける。


「自我」をエネルギーと考え、「波動性」について考えよう。
「自我」の媒介は何だ。肉体だ。つまり原子・分子だ。
「自我」は時間が進むにつれて移動する。ゆりかごから墓場までだ。
でも原子・分子がそのまま移動して「自我」を運んでくる訳じゃない。
媒介である原子・分子は「自我」を伝えるだけの働きを持つ。
「波」である「自我」の伝わりは、

媒介である原子・分子の追従移動を意味しない。


これでどうだろう。
つまり「自我」は「粒子と波動の二重性」を持つと言う量子力学風の仮説。


問題提起から帰結に至るまで、

終始めちゃくちゃな駄文で進めてきたが、
案外捨てたものでもなく、

「テレポ問題」と「新陳代謝問題」を同時に、こじつけ解決できる。



【6】
まず冒頭の「テレポ問題」。


転送先の原子・分子に「自我」を伝えたい訳だが
「波」を伝えるためには媒介が離散的であってはならない。
糸がつながっていない糸電話のようなものである。
この装置では転送元の体の分解と、

転送先の体の再構成に連続性が無く、
離散的なので「自我」は伝わらないと片付けられる。



【7】

次に「新陳代謝問題」。


ここでの問題は、

過去と未来で物質そのものが完全に入れ替わっちゃったけど
じゃあ「自我」は何に依存してんのよ、ってな話な訳だけども、
「自我」は「波」でもあると仮定してしまったので、
原子・分子は媒介として「自我」を保持・伝達できれば、

他の原子・分子と入れ替わっていてもかまわない。
時間軸では連続性が保たれており、「波動性」で片がつく。



【8】
今回のお題は、

この「新陳代謝で体がまるごと入れ替わる」という

事実をじっくり考えたときに、
じゃあ今世界を認識しているこの自己意識はどうなっちゃうのよ、

という疑問符からスタートしている。


冒頭の沼男さんにもあるように、

世の中には似たようなことを考えてる人がいっぱいいるようで。




【9】

結論。

生物って不思議ね。



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遡る事、もう5年も前の話。
童謡「森のくまさん」の歌詞に関して難癖をつけたことがある。



①ある日 森の中 くまさんに出会った
 花咲く森の道 くまさんに出会った


②くまさんの言うことにゃ 「お嬢さん、お逃げなさい」
 スタコラサッサッサノサ スタコラサッサッサノサ


③ところが くまさんがあとからついてくる
 トコトコトコトコト トコトコトコトコト


④お嬢さん お待ちなさい ちょっと落し物
 白い貝殻の小さなイヤリング


⑤あら くまさんありがとう お礼に歌いましょう
 ララララララララ ララララララララ



その意味を深く考えれば考えるほど理解不能なので、感情移入しながら歌える人はそういないだろう。
最後のラララなんて、正直不気味ですらある。



作詞した人は相当イっちゃってる人なんだな、

と割り切って生きてきたが、
今日になって初めて、この歌詞が"和訳されたもの"であることを知る。



Wikipediaによれば、
原曲を「The Bear Song」とするアメリカ民謡が、
馬場祥弘によって和訳・アレンジされて広まったもの、とある。




では本場の歌詞とは、一体どんな内容なのだろうか?

お馴染みのタイミングに乗せて表記するとこうだ。【三宅忠明:訳】





①ある日 森の中 くまさんに出会った
  The other day, I met a bear. Out in the wood, away out there.
  【ある日、くまさんに会いました、むこうの森の中で。】


 花咲く森の道 くまさんに出会った
  The other day, I met a bear. Out in the wood, away out there.
  【ある日、くまさんに会いました、むこうの森の中で。】


②くまさんの言うことにゃ 「お嬢さん、お逃げなさい」
  He looked at me, I looked at him. He sized me up, I sized up him.
  【くまさんとわたしは目があって、たがいの大きさを測りあいました。】


 スタコラサッサッサノサ スタコラサッサッサノサ
  He looked at me, I looked at him. He sized me up, I sized up him.
  【くまさんとわたしは目があって、たがいの大きさを測りあいました。】


③ところが くまさんがあとからついてくる
  He said to me, why don't you run? I see you ain't got any gun.
  【くまさんが言いました、「逃げなよ、銃がないのなら。」】

 トコトコトコトコト トコトコトコトコト
  He said to me, why don't you run? I see you ain't got any gun.
  【くまさんが言いました、「逃げなよ、銃がないのなら。」】


④お嬢さん お待ちなさい ちょっと落し物
  I said to him, that's good idea. C'mon now feet, let's up and flee.
  【そうね、そうするわ、一生懸命にげるわよ。】

 白い貝殻の小さなイヤリング
  I said to him, that's good idea. C'mon now feet, let's up and flee.
  【そうね、そうするわ、一生懸命にげるわよ。】


⑤あら くまさんありがとう お礼に歌いましょう
  And so I ran away from there. But right behind me was that bear.
  【私は一生懸命駆けました、でもくまさんはいつも後ろにいたのです。】

 ララララララララ ララララララララ
  And so I ran away from there. But right behind me was that bear.
  【私は一生懸命駆けました、でもくまさんはいつも後ろにいたのです。】






以上から導き出される結論。


[1] 本場の歌詞は超怖い。

[2] 白い貝殻のくだりは、馬場祥弘さんの優しさ。










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「グリコ」「チョコレート」「パイナップル」

といえば、誰もが一度は階段で遊んだことがあるんではなかろうか。



「グー」で勝てば「グリコ」で3歩、

「チョキ」で勝てば「チョコレート」で6歩、

「パー」で勝てば「パイナップル」で6歩進めるというわけ。




ところで、もう既にお気づきの方も多いと思われるが、

このゲームでは「グー」が不憫な扱いを受けている。何せ「グー」で勝っても、他の手で勝った時に比べて半分しか進めないからだ。



では「グー」を出さなければいいかというと、そうでもない。



「グー」を出さないじゃんけんとは、つまり「チョキ」と「パー」。

確実に6歩進みたいのであれば、「チョキ」を出したくなるのが普通だ。

つまり「チョキ」とは6歩進みたいという気持ちが全面に出ている手だといえる。


しかし当然ながら、この6歩進める「チョキ」は、3歩しか進めない「グー」に勝つことはできない。つまり「グー」とは自分の足を犠牲にしても相手を進ませないという気持ちが全面に出ている、「チョキ」とは対極の手である。


そしてこの相手の足をそぐ「グー」に対抗できるのは、6歩進めるけど「チョキ」には勝てない「パー」。つまり確実に6歩進みたいという気持ちは「チョキ」に比べると弱い分、「グー」に対しては強い、ひねくれた手である。




こう考えると負けたときの悔しさも、

本来はそれぞれ違ってくるのがわかる。



まず「チョキ」をだして「グー」に負けた場合。

これはそれほどショックでない。なぜなら「グー」の勝利は他の手の勝利に比べて半分の価値しかない、安い手だからだ。


次に「パー」を出して「チョキ」に負けた場合。

これはむしろ負けて当然。確実に6歩進みたければ「チョキ」を出すくらいの気概を見せろと。


一番悔しいのは「グー」を出して「パー」に負けた場合。

自分の足を犠牲にしてまで相手の「チョキ」を潰しにいった、いわば捨て身の攻撃をするりとかわされ、相手は脱兎のごとく6歩遠ざかるという、踏んだりけったりの状況に陥る。





と、このように駆け引きが生まれるようにできているんじゃないかと思ったりもしたけど、こんなこと考えながら階段でじゃんけんしている小学生は嫌だなちょっと。




「グリコ」が「グリコーゲン」でないのには理由がある、と。




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最近はアメリカ産の牛肉も普通に店に入ってくるようになってきた。

このご時世なのでもちろん産地表示は欠かせないが。


やっぱ食べてみると今までのオーストラリア産の奴に比べて

微妙に味が違う気がしないでもない。不思議なもんです。



味を決める要因。

「何を食わせて育てたか。」

これで肉の味は結構左右されるらしい。

栄養満点の穀物ですくすく育てた奴はおいしいとかいう奴。

これはわりと皆知ってる。


ただ、店長が言うには、

実際のところ、良い飼料を食べさせ始めるのは

出荷される一定期間前からなんだそうで。

それまでは普通の草で育てることが多いらしい。







~とある牧場での、とある井戸端会議~



牛A「今日の飯、

 無駄に豪勢だったけど、

 何かあったの?」



牛B「( ゚д゚)!!」

牛C「( ゚д゚)!!」

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部屋の掃除をしていたら、古の呪文が記された古文書がみつかった。








ふっかつのじゅもん。


そう、ふっかつのじゅもん。DQ2でお馴染みのパスワード。


初期のファミコンのゲームにはセーブ機能なんてなく、少年たちの繰り広げたその日の冒険は、彼らのメモ帳に記録されていた。黒板の板書はとらなくとも、ふっかつのじゅもんは一字一句正確に写し取る時代。

それが幕末。


でもよく見たら数字混じってるわ。ドラクエじゃないなこれ。

とはいえ何かのふっかつのじゅもんであることには間違いない。

肝心の何かがわからないから復活はさせてあげられないが。




ところで明日は内定式ならぬ内定者懇親会な構えです。

様々な冒険の書を潜り抜けてきた私めも、

とうとう来年からは職に就くことになるわけで。


でもこんなキャッチMAXお猿さん以上人間様未満

社会に出て良いんだろうか。

むしろリセットボタンで色々やり直したいんだけど、俺は生まれてこのかたセーブをしたことがないのでもう一回オープニングに戻るのは嫌だな。というか、人生にリセットボタンなんかないよね。

二度と入らない電源スイッチならあるけど。



ところで昨今では7・5・3とか言いまして、中卒で7割・高卒で5割・大卒で3割が(確か)3年以内にやめてしまうそうな。自分なりには必死で頑張るつもりではいるものの、自分がその3割に入らない保証も絶対的な自信もあるわけではない。


もしクビになっちゃったらどうするかな。

転職するとすると、


だぶーんの奇妙な転職。



うーん、ニートにだけはなるまい。何とかせねば。

このままLv.30まで粘って魔法使いになるか。

もしくは「ニートという名の20歳を過ぎた遊び人です」

と言い張って賢者にしてもらうか。










へんじがない。ただのしかばねのようだ。




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バイト先で、月末にお坊さんとボランティアの方々の団体の予約が入っている。



( ゜д゜)



前にトリビアでも「お坊さんが好きな焼肉ランキング」やってたけど、いやーでもよく食べにこれるよなぁ焼肉屋に。

何でも代表の人がお坊さんで、あとは一般の人らしい。実際にはその人は焼肉に手をつけないのかもしんないんだけど、でもなぁ。


うちの店は、実はお客さんの2割くらいが外国の人で、その中にはイスラムを信仰する人たちもごく稀にいたりする。その人たちは慣れない日本語で豚肉はどれなのかをしっかり確認する(イスラム教では豚肉はNG)。誰が見てるわけでもないのに自分の持つ信仰にはすごく忠実。


別にどの宗教が良い悪いをいってるわけじゃなくて、やっぱり人間だもの、焼肉食べたくなる気持ちはよくわかるし、実際には食べてるんだろうし、食べたからといってどうなる訳でもない。お坊さんが焼肉を食べること自体は無理ないことだと思うけど、「お坊さん」として看板を下げて仕事をしてお金をもらってる以上はお坊さん名義で焼肉店に予約はしないで欲しい感じがするなぁ。

次回はお忍びでご来店下さい。お待ちしております。




ちなみに自分は、もみだれカルビが大好きです。よく食べます。

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