2014年04月10日(木) 00時01分15秒

“進化”とは「進んで化ける」と書く。

テーマ:専属カメラマン☆チャーリーの寄稿ブログ
毎週木曜日“専属カメラマン☆チャーリーの寄稿ブログ”の回がやってまいりました。
どうぞ。
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ローゼンタール
※ローゼンタール“魔笛”シリーズ限定品。舞台監督秘蔵の品。

この曲が歌えるようになったら結構やかましいよ。 by 舞台監督

そんな本日のBGMは 魔笛(Die Zauberflöte)Aria by ヴォルフガング・アマデウス・ モーツァルト

ルチアーノショー10Fダイニングでもお馴染みのこの曲は、横断歩道で口ずさむには若干スケール感がありすぎる。

“進化”とは「進んで化ける」と書く。
これは、時間は過去から未来へ向かうのか、未来から過去へ流れているのかという問いに、いくらかのヒントを与えてくれる。
“時”の認識から「思想」(宗教)と「現実」(科学)を照合する。

「進む」とは、現在座標から進行方向に向かって移動することであり、進んで化けるとは、数歩先に躍り出て、化けて現れることと言える。先回りして仕込んでおくようなイメージだ。よって“出発地点”は同じだった(または常に同じだ)。

横並びの「現在」から、全力で走り、人よりも何歩か前に出る=多かれ少なかれ“未来”へリードする。そこで“変身”すなわち化けるのである。そして追いついた人がその化け物を見た時に、「進化した姿」「未知との遭遇」と感じるのである。

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子供の頃見た仮面ライダーやウルトラマンも、普段は普通の生活をしていて、悪党を見かけると、急いで走ってどこかに行って、変身して戻ってきていた。何かそれに似ている。
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「進化」する人は、現在から未来へ走る。よって時間は過去から未来へ向かっている(ように見える)。
しかし、「進化した人」に遭遇するその他の人達は、未来から進化した人が訪れたように受け止める。よって時間は未来から過去へ流れている(ように見える)。

“先駆者”とはまさしく「未来を切り開く」人達だ。
先駆者によって、パソコンも携帯電話も生み出されていなかったら、時の流れはもっと緩やかなものに違いない。Facebookもこのブログもその基盤の上にあるのだし、アナログな「チラシ」にこんな長文を発信し続けるようとは考えなかっただろうと思う。

新しいMacBookPro
エイプリルフールより。

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「アキレスと亀のパラドックス」というものがある。
「走ることの最も遅いものですら最も速いものによって決して追い着かれないであろう。なぜなら、追うものは、追い着く以前に、逃げるものが走りはじめた点に着かなければならず、したがって、より遅いものは常にいくらかずつ先んじていなければならないからである、という議論である。」アリストテレス『自然学』
Wikipediaより

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「予知能力」も同じ原理のように思える。
チェスや将棋の名人が何百手先を読むという思考のように、「想定」を組み立てていくうちに、近い将来訪れるであろういわゆる「未来」が見えてくる。
そして先に「こうだ」と結論づけることで、周囲は実際にそうなることを後から見て、予知能力だと感じる。

多くの感覚は、比較の対象物との差異で変化を感じ取っているため、常に何かと照らし合わせた感覚値=相対値だ。
熱いか冷たいかも、自分の体温によって感じ方は違うし、おもしろいかおもしろくないかも、その時の心境という基準値によって大きく左右される。

常に“絶対値”で物事を評価している人は少ない。
「冷静になれない」という事象も同じくだ。
人ごとなら冷静に判断できても、自分のことになると冷静に判断できなくなるのは、自分が苦しいか苦しくないかのように、相対値で判断しているからだ。

自分が今どこにいるかという相対的(主観的)な見方だと、0地点にいる人にとって5地点は遠いが-5地点も等距離に見える。4地点にいる人から見ると5地点は近いが、-5地点は、0地点にいる人よりも遠く見える。-5地点から見ると4地点と5地点の人は大差なく見える。そして近いと「お隣さん」のような感覚を持つこともある。
しかし絶対値(客観的)では、座標-5、0、4,5とただの数値でしかなく、そもそもどれがいい悪いもない場合は、近いか遠いかは重要でない上、隣合うものよりも、かけ離れたところに同類が存在(点在)するかもしれない。

アガタ
※ショーダンサーのアガタ。

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時計の秒針は、心拍数が早い時は長く感じられ、遅い時には短く感じられるという。完全に相対値だ。
非常に主観的であり、自分勝手でもあり、オレサマルールだ。
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「日本人」という人種の括りも同じだ。
日本人だから近しいかと言えば、言語や宗教、通貨など共通する点は多いが、もしかすると海の向こうにいるまだ見ぬ誰かの方が、もっと本質的に似ているかもしれない。
そもそも人口比で言えば、世界70億人から探すのと、日本1億2760万人の中から探すのでは、「可能性」に54.8倍もの開きがある。

「運命の人」という考え方にも言える。
多くの日本人は日本人と結ばれ、その相手を運命の人だと信じる(そうであってもなくても)割合が多いが、「運命の人」がなぜ同じ日本人だと想定しているのかの根拠を問われると、54.8倍もの人口を無視した「極めて狭い」選択であることが自ずと見えてくる。
なおかつ人生で出会う人は平均的に4,000人ほどと言われているので、わずか1/4,000の確率を「運命」と名付けるのであれば、1/160万のtoto当選は何と呼ぶのだろうか。
それを「奇跡」と呼ぶなら奇跡>運命ということになる。
ではtoto1等当選>運命の人ということだろうか(笑)。

人間の習慣的思考を根底から見つめ直すと、こういった多くの矛盾が見えてくる。時としてそれが“欠陥”となり進化を妨げる。

宇宙には右とか左、上とか下とか、前とか後ろという概念がない。
そもそも取り決めがない。
共通言語さえもないのだから、何月何日の時点で太陽に向かって右側(人間で言う)を「右」と定めるというところから始めなくてはならない。といいつつ「何月何日」もない。

方向感がないのだから進んでいるのかバックしているのかもわからない。

そんな「無限の自由」が提供されているからこそ、無限の可能性が生まれてくるのではないか。
地球という存在もまたその1つである。

しかしいつしか人間は、人間レベルのルールを作ってしまい、自らを制約・制限し、ひいては向かうべき方向性を見失ってしまっているかのように見える。

ローゼンタール魔笛
※ソーサーが上方に向かって反っていない。ローゼンタールが誇る技術である。

自由と無秩序は違う。
寸分狂わず刻み続ける惑星の軌道のように、絶対秩序(それこそが“神”かもしれない)が存在するからこそ、その絶対性に対する自信の表れが我々の元へ“自由”となってもたらされるのである。

そう。
絶対ルールの見返りが自由である。

πに魅せられて以来、日に日に大宇宙の偉大さにひざまずかんばかりの想いが込み上げてくる。
感謝しても感謝しきれないし、無論何かを返すこともできるわけもなく。
むしろ生きているだけでも天への借金を積み上げていっているのではないかと己の小ささを思い知る
与えられたものはそれ相当のものを返して相殺であり、一部でも返せなければそれは明らかな“借り”である。

そう思うと早速“来世”の心配をしているチャーリーであります。

物思いにふけるなら言うまでもなく最もふさわしい場所で。

ルチアーノショーは、いつだって“愛”という名の魔法をかけてくれる。
ロマンに酔いたくなったらルチアーノショーへ。

Photographer: Charlie

カリフォルニア・バイザグラス・キャンペーン実施中。
期間中、6種類のカリフォルニアワインがバイザグラスでお楽しみいただけます。

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