2014年02月13日(木) 00時01分15秒

“時”の概念と、確率論の“収束”は似ていないか。

テーマ:専属カメラマン☆チャーリーの寄稿ブログ
毎週木曜日“専属カメラマン☆チャーリーの寄稿ブログ”の回がやってまいりました。
どうぞ。
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ソチ・オリンピック・コイン1
※ソチ・オリンピック2014記念コイン

前回書き切れなかったところから行きたい。

※1 確率論で言う“収束”の受け止め方の違いに似ている。
前号:“時”の認識から「思想」(宗教)と「現実」(科学)を照合する。より。


6分の1の確率で当たるサイコロを5回振り、5回とも外れた場合、6回目は「間違いなく当たる」と考えるとする。
時の概念に照らし合わせると「時間は連続である」ということになる。なぜなら、この“自信”の根拠は、「さっき」と「今」そして「次」が結びついていなければ成立しない。

しかし、サイコロ自体は前回と今回を認識していないため、常にリセットされ毎回6分の1の確率でしか当たりはなく、6回目も外れたとしても何もおかしくない。
時の概念で言う「時間は不連続である」に近しい。

/*
これらはメモリ(記憶)機能があるかないかの違いのように思える。
例えばメモリ機能のある電卓で1÷3×3を実行すると「1」と出るが、メモリ機能のない電卓では0.99999999...となる。「1」を「3」で「割った」という「さっき」を覚えていないからだ。どんなにこの電卓を打ち続けても「細切れの集合体」でしかなく、1万回連打しても「お疲れ様でした」と表示されることはない。まるで時間は不連続だ。
*/


しばしばギャンブルにおいて、確率論の「収束」について議論され、ハズレが続いた回数を均してくれる分だけ当たりが連続して出なければ、「6分の1」の確率自体が成立しないと論争が巻き起こる。
よってハズレが続くと「そろそろツキが回ってくる」と考えるのである。

この“収束”とは、確率が示すところの数値(サイコロなら6分の1)に最も近づいた状態を指し、大凡分母の400倍の回数で訪れると言われており、サイコロで言うならば、2400回振れば1~6の数字はほぼ400回づつ出るということだ。それまでは「偏り」が生じるということでもある。
πは5兆桁の時点で、0~9の数字がほぼ5,000億回づつ登場し、ランダム(乱数)であり収束しているという「確率」との類似性について追求・言及してみた。

サイコロギャンブルで言えば、「1」と2400回言い続けたら大凡確率通りに当たりがでることになるが、人間は自分の「勘」を都合良く信じる傾向があり、つい何の根拠もなく「2」とか「3」と言ってしまう。そして多くの場合、当たりは確率を下回ることになる。すわなち「わざわざ」外れている=人間が当たりを「避けている」ことになる。

葉巻コンテナ

/*
 コーヒーブレイク。
 実際に簡単なプログラムを書いて試行・検証してみた。
 BIGの1等=6億円の当選確率は480万分の1であり、(0,1,2)のいずれか×14桁を当てることである。
 そこで一般的な乱数生成関数である rand(0,2) を14回繰り返し結合し、(0|1|2)*14桁の数字を生成して、BIGの最新の当選番号と20億回(分母の400倍)照合してみた。
 ちゃんと大凡480万分の1で当たるもんですな。
*/


ここから見て取れるのは、サイコロの1~6の数字の登場回数は2400回を目安に確率論通り収束するが、自己都合で数字を選び続けた結果の“勝率”とは何の関係もないということである。

そこで前回の“時”の認識と照らし合わせてみる。
「5回外れたんだから次は当たるだろう」は、(A)の宗教(思想)由来の概念のように思える。「今まで苦労してきたんだから、これからは少しは楽をしても罰は当たらない」という精神論に似ている。
一見“希望”が湧きそうだが、「5回外れたんだからまた外れるだろう」という“あきらめ”も同じだ。「さっき赤いボールを拾わなかったから、次の青いボールが出てこなかった」という「後悔の念」に通ずる。
人に“希望”も与えるし“挫折”も与える。

どちらも過去が今の私を構成・形成し、現在が未来を造り上げる考え方だ。
“時間は連続である”考え方でもある。

一方、(B)の苫米地論のように、予め定まった未来が訪れるという概念では、「5回外れたからって次が当たる・当たらないには影響しない」(毎回6分の1の確率)ということになる。
“時間は不連続である”考え方のように思える。
何百回外れようとも「次も6分の1だし」と“開き直り”を与えてくれる(笑)。

今現在の私の脳内は、この2つの極論が均等に存在しており、両手を大きく伸ばしたかかしの手にぶら下げたバケツのように、うまくバランスを取っている。

オルガとボランジェ

★★★まとめ★★★
“時”の概念(連続・不連続)と“「確率論の収束」に対する受け止め方”は似ていないか。
これまで迷わず(A)の考え方で生きてきた私は、今(A)に対していささかの“もろさ”を感じている。

ルチアーノショーの科学。8,000兆桁のπ(パイ)と予言。にて、
3.141592653の小数点9桁「141592653」はπ上の427,238,911桁目に登場する。
と書いた。
427,238,911桁目マイナス1の段階で、「そろそろ循環来るよ」と発言したとしよう。
この人は9桁連続で大当たりだ。「予言者」と言われるだろう。
9桁の数字を言い当てるのは10億パターンあるのだからBIGで208回6億円当てることに等しい。

しかし10桁目にはハズレだ。
後に「循環」は“気のせい”だったことになり、人々はその偉業を即座に忘れ、容赦なく「予言者」の称号は撤回される。
9桁(10億分の1の確率)は人間社会において十分な「奇跡」だが、神はそんなことは気にもせず10桁目にハズレを見事に与えてくれる。まるで時間は不連続だ。

何と気まぐれな。

神は気まぐれ。

/*
何でπの話し?
ランダム×無限であり、確率論的にも収束している点が「無難」(偏りがなく平等)だという点で着目した。
それに世界中の天才達がよってたかって研究しても、まだ循環もせず割り切れもしない8,000兆桁ものサンプルって他に簡単に手に入らないし。
*/

9桁(10億分の1の確率)のものを言い当てる人って、確率で言うと地球の人口を70億だとすれば7人しかいない。
神サマの弟子と使いとかでよく7人の~ナントカって出てくるその数だ。「侍」ってのもあるが(笑)。
昔は(紀元前1,000年頃)今の140分の1くらいしかいなかった人口における7人と、現在の70億人中の7人とは訳が違う。※1 確率論から見る存在価値。

逆から考えると、「世界の7人」に選ばれても平気で「次」はハズレを頂戴するってことだ。
オリンピックで優勝した人が、4年後には選手として選ばれもしないソレも似ている。
時間は連続なら、10億分の1を当てたらもう次も当たりでいいでしょと思う。だって他の人が一体何回雷に撃たれる確率なんだ(笑)。

エマとシーバス

/*
雷に撃たれる確率:1/10,000,000
ジャンボ宝くじの1等の確率:1/10,000,000
BIGで6億円当たる確率:1/4,800,000
totoで1等が当たる確率:1/1,594,323
*/


それらを何も考慮されないということは、時間は不連続でありπのようにランダムなのではないかと考えてみた。

ランダム(乱数)、それはすなわち気まぐれ。

しかし時代はハイブリッド。
私は時間は連続する時としない時があると考えてみることにした。
絶好調で、次から次へと「誰かとめてくれ」という勢いになることもあれば、何かちぐはぐしてスムーズに事が運ばないこともある。
そこが「シャッフル」タイムなんじゃないかという考え方だ。
ポーカーで言うディーラーが代わった時の感覚と言えばよいだろうか。

その“波長”こそが宇宙からシグナル(司令?)であり、その信号をキャッチできるかできないかこそが、本来動物的に研ぎ澄まされるべき感覚ではないかと思う。

スピリチュアルな世界で言う“チャネリング”がそれかもしれない。
これらの“シグナル”にうまくチャンネルを合わせる方法があるのではないかと感じ始めて10年経ち(笑)、今も尚未完成だというレポートだったことをここに記しておきたい。

葉巻と指輪

Photographer: Charlie

この記事は、下記の記事の延長線上にあります。

“時”の認識から「思想」(宗教)と「現実」(科学)を照合する。
1°=0.27777%のズレと地球のbitの上昇と2038年問題と。
「時間は不連続ではない」二人の世界。
ルチアーノショーの科学。8,000兆桁のπ(パイ)と予言。
1/38500秒=0.0000259秒のアガタと水風船。
1/8000秒=0.000125秒のドラマ。


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