彼女の行きたいところ

テーマ:

彼女は幼少期に母親から精神的な虐待(母親は、虐待とすら思ってない)を受けて育ったらしい。
精神的な虐待とは、母親の配偶者に対する罵詈雑言等々、父親の意見に賛同しようものなら、卑怯者呼ばわり。
幼少期に受けた心の傷は、大人になってから顕著に表れるように思う。
言動や行動が極端で、自意識過剰になりやすく、かと言って自信喪失感が人一倍。
尊敬する人や愛する人が現れれば、ひたすら好かれるために、その人の真似をし(本人には真似をしているという自覚なし)相手の心が離れてしまうと、自己主張が激しくなり、相手の都合なんか二の次に家に押しかけたりしてしまう。
思い込みも激しく、いつも自分は正しいと思っているので相手を責め立て、話し合いにならない。相手の気持ちはハルカカナタに行ってしまっても、自分の気持ちばかり優先(それが愛だと思い込み)なので、現実がみえないまま。

そう、現実が見えてないのだ。
いや、見るのが怖いまま大人になってしまったから、心の成長が伴ってない。

彼女はこのままじゃ、いけないとも思っている。でも、現実を見ることが出来ないので、いつもいつも空回り。


わたしは
彼女が自分の立ち位置を直視する勇気と、受け入れる潔さを持って、彼女らしく前に進める日が来ることを祈るしかない。

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好きな自分でいること

テーマ:
自分が大好きなわたしは
「自分が嫌い」という他人の気持ちが理解出来ないのと同時に、「多分あちらの方もわたしのことを理解出来ないんだろうな…」と思ってしまうのである。
なんでそんなに自分を好きなんだろう?と色々(敢えて)思いを巡らせてみるが、答えなんて見つからない。

そもそも自己否定がないからなのか?
自分のこういうところが嫌だなぁ…と思うことはあっても、それだから「自分が嫌い」にはならないお気楽さが備わっているからなのか?

でも、そうは言っても、わたしにも一度だけ自分を嫌いになりかけた時がある。
先ほどあげた、自分のこういうところが嫌だなぁ…の「嫌」な部分を認められなくて逃げ回り、何度も何度も同じ過ちを繰り返してしまったことがあった時期に。
嫌な部分を認めることが、負けてしまうようで嫌だったんだよなぁ。誰に負けるの?ってツッコミいれたくなるけど(笑)
でももう立ち行かなくなって、向き合わざる得なくなり、「好きな自分でいたい」と思って心底嫌な自分と向き合ってみた。
案外時間が掛かって、ドロドロになりかけたけど、いくとこまでいくともう登るだけなんだよね、あぁいう時って。不思議なもので。
井戸の底から一筋の光が見えたような感覚。嬉しかったなぁ。

嫌な自分と向き合って、まるごと自分を嫌いになるのではなく「自分の嫌な部分」として捉えられて、あとは嫌な部分が出てきた時の対処法をアレコレ試すだけ、となった訳。
自分が好きな自分でいる為に…に変わったのかな。
そしてこれから先、どんなことがあっても「自分が大好き」を確信するまでになったのであ〜る。

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心の配分

テーマ:
人との関係は難しい…と思ってしまえば難しくなってしまうのだと思います。
「そう簡単ではない」と思うことで、「難しい」と思い込んでいた気持ちも多少は緩和されるのだとも思います。

でも時として、感情に左右されている人との関わりは、とてつもなく面倒臭くなります。
迷わず手放してしまうか、関わらないように距離を置くかなのですが。冷たいようであっても自分の心を守る為に、そうすることが得策だとわたし自身の経験から思うことがあったからです。
またご縁があれば、つながることもあるだろうし。

何年か前までは、何とかして自分をわかってもらおう、相手のこともわかろうとしよう、と息巻いていた時もありましたが、それを延々と続けていくうちに心身共に疲れてしまい、「明らかにして見極めること」も大事だと身に染みたので、方向転換しました。

自分で気付かない人にエネルギーを使うくらいなら、「自分のこと」に重きを置き、前進出来ることにエネルギーを使う。その方が難しいのかもしれないですが、エネルギーを使った分、返ってくるもの(収穫)は大きいです。
やったことのある人にしか、わからないことなのかもしれませんがね。

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