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2016-08-28 17:22:42

獣のフランシスコにけんかを売る公のメッセージ 2016年8月26日

テーマ:秋田の聖母 第2出現
2016年8月26日 PM10:10
ペトロにーちゃんのご出現
 
ペトロにーちゃん「ぺトロが、先生の代理者として、初代教皇として話をする。今日は、とても慈悲深い、やさしい先生が、皆のために、再び地上に戻られるまでの間、続けているようにと、教えてくださったもの、その中でも、先生ご自身が、へりくだられたものである、聖なるホスチア、ご聖体について、話をする。先生は、なぜ、ご聖体という形を取ったものを思案されて、自ら教えてくださったのか、それを思い出してほしい。ご自身が、自ら人々の口の中へ入られて、その人の心に留まることを望まれた。これほど、単純で、尊いものはない。これをただのパンと、言えるだろうか?そして、ただのパンならば、叙階をされた司祭が必要だろうか?先生が、わざわざこのように、最後の晩餐の時、使徒たちに伝えて残されたものを、どうしてただのパンと言えるのか。そしてミサで、叙階された司祭が、自分の聖別された手で、聖変化を行うのに、聖変化が行われた後も、ただの食事なのだろうか。司祭が、司祭のみ触れることの出来るものを用いて、聖変化をさせるのに、その後での聖体拝領は、司祭以外は、直接、口で受けるものであると、自然に思う事ではないだろうか。
 
 なぜ、一般信徒が、自分の手で、平気で受けられるのか。聖別されていない手で受けるということを、何とも思わないのか。これは、本当に何も知らずに、素直に、教えられたとおりに、素朴に従っている信者は別として、責任は、やはり高位聖職者にある。以前は、司祭の手から、直接、信徒の口へ拝領させていた。万が一、下に落ちても、パテナで受け止める体勢を取っていた。司祭の、聖別された手以外では、触れてはいけないものだからである。それが、いつしか、どういうわけか、信徒の手にのせることが許されてしまった。これも、ねじ曲げられたもののひとつである。ただのパンならば、そんな事をする必要があっただろうか?なぜ、ただのパンと言い切るのだろうか?そして、司祭は、自らミサ聖祭を、簡単なものにすり変えて、聖変化の全実体変化自体を信じないで、ただの再現だと言っている者が、ほとんどになってしまっている。司祭が信じていない事に、信者たちも信じるわけがない。ご聖体というものが、どれほど尊いものであるかを、一番、良く知っているのは、悪魔である。うわっつらだけの信徒よりも、悪魔崇拝者の方が、よほど真の価値を知っている。だからこそ、本当に尊いもので、すばらしいものであるからこそ、ご聖体は、顕示されていなければならない。そして、中央の祭壇の、一番真ん中に、置かれていなければいけない。イエズスご自身であることを忘れてはならない。イエズスのおん体そのものであって、ホスチアの中におられるという言い方は、間違っている。中におられるのではなくて、ご聖体そのものが、イエズスご自身であるという事を、あらためて断言しておく。思い出してほしい。だからこそ、必ず、拝領前には告解に行ってほしいのだが、今の腐敗しきっている教会では、すべてが、ゆがめられている。こんなに嘆かわしいことはない。あらゆる理由をつけて、叙階をされた司祭以外が、直接ご聖体を配るという事が、今はあたりまえのように行われている。わざわざミサで、司祭が聖変化をさせたホスチアを、なぜ、司祭以外の信者が手に触れることを、平気で出来るのだろうか。尊いものとは、もう思っていないから出来るのである。良いクリスチャンと言われる人々が、ご聖体を、もう口で受けることがなくなっている。口で受けることは、タブーとなっている。なぜ、口で受けることが、ひんしゅくを買ってしまうのか。手にのせられているご聖体を見ると、心が痛む。そして、目に見えないほどの小さなものを、何も気にしないでいられることも、なげかわしい。昔の話だと、片付けてしまうのは、良くない。私は、現代主義の今のありさまを見ていて、とても残念でならない。イエズスが、踏みにじられていることを、とても見てはいられない心情になる。先生は、イエズスは、ずっと耐えておられる。古い時代のことだと言う考え方は、おそろしい。何も知らずに、ねじ曲げられたものを教えられて、それを単純に信じている人は、まだ許されるが、真実を知っている高位聖職者に、私はとてもいきどおりをおぼえる。私の言い方で言わせてもらうと、ぶんなぐってやりたいと思っている。尊いものであるという事を薄れさせたのは、悪魔の計画である。価値を知っているから、薄れさせていく事を行った。悪魔の計略の大勝利である。
 
 ここで、つけ加えておかなければいけないことがある。近頃、話題になっている、女性の助祭についてのことを話しておく。女性を一度、助祭になる自由、権利を認めてしまうと、助祭だけではおさまらず、司祭にまでのし上がろうとする。そして、すべてが崩壊して、破滅してしまう。厳しい事を言うようだか、女性は、侍者にもなってはならない。基本的に、ミサ聖祭は、司祭が、一人だけで出来るものである。本当に特殊な事情がある場合に、許可を得て、初めて、聖体奉仕者等、侍者を務めることが出来るのである。女性は、周囲の人々の注目を浴びる事に一所懸命になり、神に祈るという事を、絶対におろそかにする。ましてや、ホスチアを配ることも許してはいけない。天の御父との祈りを通して会話をすることが、集中して行われなければいけない。現代の風潮がどうであろうとも、イエズスは男性のみにミサ聖祭を委ねられた。十二使徒に委ねられた。最後の晩餐の場に、女性がいただろうか。あれこれ理由をつけて、権限を、権利を主張しているけれども、女性に任せてはならない。イエズスは、罪人に対して柔和であるけれども、また人々も、お互いに柔和でなければいけないけれども、すべてのことに柔和であることは、間違っている。守りとおすべきものは、変えてはならない。本当に堕落した今の教会を、私はとても悲しんでいる。頑固だと反感を買っても、変えてはいけないことは、どんなことがあっても変えてはならない。家の主人が帰って来る前に、自分の家でもないところを、勝手に変えてしまってもいいのだろうか?女性たちには、聖母の涙がわかるだろうか。そして、高位聖職者の男たちに、イエズスの涙がわかるだろうか。私は、顔をまっかにして、怒りが爆発しそうである。そんな時でも、先生は、なだめてくださる。今一度、良い信者として生きている人々に言う。もう一度、ご聖体とは何であるかを、黙想してほしい。あらゆる矛盾が生じている。この現状に気が付いてほしい。このような悲惨な状態になってしまった責任は、やはり高位聖職者にある。私たちの先生は、イエズスは、聖体拝領をする人の、多くの人々の口へ入られる時、泣いておられる。正しく聖変化を、正しく行っていない司祭に対しても、悲しんでおられる。実際は、聖変化をしていない状態のホスチアを信じて受ける信者たちに、あわれみをそそがれる。こんなに残念なことはない。どうか、わが息子は、ここで行われているミサを、このまま続けてほしい。お願いをしなくても、続けてくれるとは思っている。そして、信じている事をつらぬいてほしい。教会で、度々、戦ってきたことを、私は良く知っている。ならずものの人々が集まった、ここの人達に、伝統的な教会の守らなければならないことを、こうして話すのは、ならずものでも、真実を理解することが出来るからである。現代主義が、どんなに間違っているかを、ここの人達は知っている。本当は、どのようにしなければいけないのかを知っている。これからも、信頼をし続けてほしい。これからも、忠実な、ならずものであるように。私の祝福として、わが息子の手を通して、箱舟の8人に、祝福をお願いをする。
 
ジャン・マリー司祭「全能なる天主にまします、父と、子と、聖霊との祝福。箱舟の8人のうえにくだり、つねにとどまらんことを。アーメン。」
 
ジャン・マリー司祭「えっと、ペトロにーちゃん、質問だよ。はっきりと答えてほしいんだけど、1980年か81年の時の出来事なんだけど、南山大学の文学部、神学科に、上智大学神学部の神学教授の司祭が教えに来たんだけど、それを、教室に行って聞いた時、全実体変化は、絶対にないと、生徒に教えていたけどね。全実体変化を信じない司祭が、否定する司祭が、聖変化させる意思がまったくなしに、つまり、ただボーッとしてる状態じゃなくて、本当にそういう信仰を持たない、そして全実体変化を否定する。そういう思想を持っているという意味だけど、そういう司祭が聖変化を行った時に、全実体変化をさせる意思がないのに、全実体変化はおこるの?どうして聞くかっていうと、もし、全実体変化させるっていう意思がなしに、聖変化の言葉をとなえるんだったらば、それは、ホワイトミサ、子供のミサごっこ、またはミサの練習とまったく同じだよね。だったら、その聖変化なんて、起こらないでしょ?もし、そうだったら、それを言い広めるつもりだけど、おしえてちょ!」
 
ペトロにーちゃん「わが息子の思っている事は、残念ながら事実である。聖霊の働きが、そこにはない。イエズスは、ただ子羊のように、だまって耐えておられるのが、現状である。うつわだけのものであって、中身がない水筒と同じである。わが息子は戦うであろうから、自由に発言をしてほしい。」
 
ジャン・マリー司祭「ありがとう。ペトロにーちゃん。」
 
ジャン・マリー司祭「ペトロにーちゃん、ボクがご受難のマリア・アントニアのために、悪魔の攻撃、内容は言わないけども、ある悪魔の攻撃を、ペトロにーちゃんもわかってると思うけど、攻撃をやめさせて、なくしてほしいんだけど、どうでしょうか?」
 
マリア・アントニア「『ご受難だ』って。」「意味はわかるだろ?って。」
 
ジャン・マリー司祭「担うべき十字架、超えるべきハードル、いつか、超えれば終わるっていうことでしょ?」
 
ペトロにーちゃん「大変だけれども、背負えない十字架ではない。」
 
ジャン・マリー司祭「ペトロにーちゃん、今日、どうしてホスチア焼きが全部失敗したの?」
 
ペトロにーちゃん「悪魔がおもしろくないからだ。私がこのような話をする事に対しても、せめてもの抵抗で失敗させた。被害はほとんどないので、私からするといい気味だと思う。」
 
ジャン・マリー司祭「状況説明できる?」
 
マリア・アントニア「今日のミサの中での、3回目のフルエクソシズムの間に、何気なく、ご聖ひつのほうを見ていたら、シスターの格好をした人のヴィジョンがあって、その人が、手で聖体拝領を受けているところを見た。気軽に、お菓子を食べているみたいな感じだった。そのあとに、聞こえてきた言葉があった。『聖なるホスチアについて、今の人々の取扱い方について黙想せよ』っていう、それだけが聞こえてきた。たぶんペトロにーちゃんだと思うんだけど。」
 
ジャン・マリー司祭「だぁれ?そして今日、ご出現がある?あるとしたら、何時?」
マリア・アントニア「夜の10時だって。誰って聞いたら、『わたしだ』って、ダミ声で、ペトロにーちゃんの声で聞こえてきた。おおやけのメッセージが、欲しいんでしょ?って。」
 
マリア・アントニア「あのねぇ、書き起こしをするまで、いつもほとんど覚えてないんだけど、ただ1つだけヴィジョンがあって、聖変化の時の聖別された聖具を使っているっていう時の意味について話をしてくれていた時に、ジャン・マリーが、ミサでていねいにやっている時の事を思い出させられたものがあった。あとは、ご聖体に対して、ものすごく扱いがひどくて、おこっている、なげいているっていうのが伝わってきた。きびしいことを言ってるなって感じた。」
 
ペトロにーちゃん「ペトロが話をする。初めに、マリア・アントニアに話しておく。あなたは、いつも、天からの働きかけがあるとき、そして、天の方が話をされる時、過去の悪魔からの攻撃の後遺症で、不安になってしまう。そして、このローキューションと幻視についても、いつも、自分ほどふさわしくないものはいないと思っている。しかし、私たちのイエズスは、だからこそ、あなたを導いてくださっている。先生は、私を選んでくださった時のように、やさしいまなざしを注がれている。そして、手を差しのべられている。先生ほど、ひどい目に会う人は、これから先もいないという事を話しておく。そして先生に従う人々は、同じように迫害を受ける。その報いは、後の世で、喜びに変わる。ワースト1であるあなたを、人がうらやむほど、愛しておられる。先生の選び方は、人々には理解をされない。とまどう事があっても、その人に合った恵みを注がれている。だから、信頼をし続けてほしい。恐れることはない。これからも、恐い時は、『恐い』と言い続けるように。最低最悪であるあなたしか、わからない。傷を負った人々に対しての福音を、告げ知らせてほしい。人々からは、今の状況のままでいい。ほめられてしまうと良くない。今まで同じように、これからも、わかってもらおうとしないでほしい。ののしられて、馬鹿にされ続けている事が、順調であるという事を言っておく。表向きだけは、良い人ではなくて、見た目も、内面も、最悪であるあなただからこそ、人々に聞き入れてもらえるところがある。あなたは、自分が、いわゆる信仰深い良い人間だからということを、今までも、思ったことすらない。これを、この先も続けてほしい。私と、本当によく似ているわが息子に、これからもついて行くように。」
 
 
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2016-08-15 22:58:17

マリア・アントニアに与えられた天からのメッセージ 2016年8月13日

テーマ:秋田の聖母 第2出現
2016年8月13日 AM12:09
ペトロにーちゃんのご出現
ペトロにーちゃん「マリア・アントニアにペトロが話をする。恐れることはない。私たちの先生は、すべて、わかっておられる。一番、悪い霊魂であるからこそ、あなたがたを愛しておられる。そして、私も愛している。私は近い将来のことを悲しんで、一人で嘆いていた時も、先生は、やさしく、的確にお話をされた。今、あなたが置かれている状況について、時に、心の・・。霊魂の叫びについては、私もよくわかっている。先生のことを、恐れなくともよい。決して、傷ついた人々を、強い言葉でつきはなすような事はない。私も、先生が柔和であったので、どれほど助けられ、どれほど強められたことか。私が、三度、否んだことがあって、それでもイエズスは、全て知っておられて、許す事だけを考えておられた。全てをご存知である、まことの神であるからこそ、出来る御業(みわざ)である。だから心配することはない。自信を持てなくてもよい。自信を持たない方がむしろよい。その人に合った方法で、神は語りかけられる。私を呼んでくださった事も、本当に御摂理(みせつり)である。私のように、怖い時は、素直に助けを願いなさい。私も願っている。これからも、私と共に歩んで行こう。イエズスは、本当に、神の御子(おんこ)である。あの方ほど、やさしい方はいない。誘惑に負ける弱い霊魂を、特に愛されて、許したいと考えておられる。不安になってもいい。しかし、必要以上に心配をするところは、よくない。私は、あなたの繊細なところをよく知っている。そして、隠そうとするところもわかっている。私を愛してくれていることも知っている。私は、あなたの事を良く分かっていない人が、あなたにするようなことはしない。もう一度、あなたは、私と常にいる事を伝えておく。そして、2人きりではないということも話しておく。マリア・アントニアを、今でも愛している。これからも、わが息子を信頼し続けて、従って行くように。そして、私も共にいる事を、信じていくように。信じ続けていくように。迫害がますます激しくなってくるけれども、私の船は、天の御父が、先生と共に、聖霊と共におられるので、小さい船だけれども、大船に乗ったつもりで、従ってほしい。これは、ユーモアなのだが、わかってもらえたか?そして、あなたが、一番大好きな聖母とも、話を続けるように。始めに言った言葉を、ここで、もう一度、話す。恐れなくともよい。私と同じように、「滅びそうです。助けてください。」と、助けを願いなさい。たくさんの困難が続いているのを、私も共に経験している。怖がらないで、信頼し続けてほしい。司祭の祝福を、箱舟の8人にお願いする。」

ジャン・マリー司祭「全能なる天主にまします。父と、子と、聖霊との祝福。箱舟の8人のうえにくだり、つねにとどまらんことを。アーメン。」

クララねーちゃんのご出現
クララねーちゃん「クララ・ヨゼファ・メネンデスに、お話します。おねだりのとおりに、クララがお話します。私と同じ名前で、かわいく「クララ」と呼んでいるあなたは、とても頑張っています。私が、聖フランシスコに、同じ精神で従ったように、あなたもジャン・マリー司祭を、慕い続けて、ついて来てくれています。とてもストレートな信じ方で、とても私とよく似ています。様々な部分で、人から誤解を受ける時があると思います。それでも表面的には、笑っています。聖ヨゼフと共に、私もそばにいます。数々の困難や悩みも打ち明けているのを、私も知っています。たくさん泣いてきたこと、そして戦ってきたことも、よく知っています。これからも、忠実に従っていきます。あなたは、曲がった事が、大嫌いです。ただ純粋に、信じ続けてきました。これからも、変わることはないでしょう。素朴で、あり続けてください。いつも、ご聖体のイエズスにお話をしていることを、これからも、やめないでください。あなたは、とても可愛い性格の人です。信じ続けて、歩み続けてください。あなたが将来、受ける報いは、大きなものになります。あなたは、自分が信じたものを、信じ抜く事が出来る人です。どうか、これからも、怒ったり、泣いたり、笑ったりすることを、続けてください。つらい事が続くと思いますが、必ず、変化が訪れます。これからも、人々に、愛を振りまいてください。あなたのことが、私も、とてもかわいいです。これからも、ジャン・マリー司祭を支えてあげてください。私も、あなたがたのお願いを取り次いでいます。司祭の祝福を、クララ・ヨゼファ・メネンデスにお願いします。」

ジャン・マリー司祭「全能なる天主にまします。父と、子と、聖霊との祝福。クララ・ヨゼファ・メネンデスのうえにくだり、つねにとどまらんことを。アーメン。」

状況説明:ペトロにーちゃんは、今日は、俺がなぐさめてやるっていう感じだった。心配するな」っていう感じだった。あと、クララねーちゃんは、とっても気高くなくて、お高くとまってないっていう、かわいい人。話し方が、嫌みったらしくない。信じる事をやめなかった強い人だったんだあって感じた。お友達みたいに、クララに話している感じだった。あとは、誰にも指図されずに自分で決めたことは、ちゃんと、そうするところが、クララねーちゃんと、クララは似ているんじゃないかって、聞いていて思った。クララねーちゃんの声は、女性らしい声、高めの声で、小鳥が鳴くような声だった。ほとんど、今日は声だけだった。
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2016-07-27 23:53:52

マリア・アントニアに与えられた天からのメッセージ 2016年7月27日

テーマ:秋田の聖母 第2出現
2016年7月27日 AM11:49
マリアママのご出現

マリアママ「あなたがたをはげますために、聖母がお話しします。待つ事の重要性、待つ事が、どんなに大切かを思い出してください。たくさんの奇跡が行われていた聖地では、本当に信じて、信じ続けている人々は、わずかしか残っていません。人々は、次第に熱が冷めて、奇跡があった事も忘れてしまいます。有名な聖地となった場所でも、十年、経ってしまうと、半数の人々は、思い出として記憶に残っているだけで、信じ続けている人々は、ほとんどいなくなっています。あなたがたは、待つ事が出来る子供たちです。たくさんの奇跡が与えられた場所でも、最後は、希望を持つ事が出来なくなり、消滅して、残念な結果で終わっています。現在の生存している人々、今の時代に生きている人々は、一週間、待つ事さえも出来ない人々がほとんどになっています。奇跡というのは、すぐに、いつでも起こされるものではありません。人々の欲求を満たすものでもありません。天の御父が望んだ時に、起きるものです。人々の一時的な感情の高まりで、強く願ったとしても、その人の要求を満足させるために、行われる奇跡はありません。不思議な出来事がおきたら、話題に上がっているうちは、皆、小魚の群れのように、見に行く事はします。それは、天の御父のみわざを認めるものとしてではなく、興味があるからという理由だけで、心の底から信じて、神をたたえる事をする人は、ほとんどいません。大きな、大きな出来事だけを奇跡と認めて、小さな出来事は、奇跡と思っていない人々がほとんどで、日常のあらゆる小さな出来事は、何も注目していません。すべて、自分の考え方に沿って、頭の中で、わかろうとします。自分の頭で、納得が出来ない事は、全て不可解な出来事として、天が与えたものでも、素直に認める事をしないで、悪魔のしわざであると、判断する人がいます。過去の予言や、実際に起きた奇跡を、一年あとに、もう一度、その当時の様子を見てごらんなさい。ほとんどの人々は、関心を持たなくなっています。羊飼いたちのように、とても待ち続けることは、出来ないほど、あらゆる関心事がたくさんあって、それらに気が向いてしまいます。目を閉じて、耳を澄ます事が必要で、まわりに流されないように、冷静であってください。私の子供たちの事を、あざ笑い続けて、「あそこは、奇跡が起きていない場所だ」と、何も、聞く事も、ほとんどの人はしていません。たくさんの奇跡があっても、人々は、心を閉じる方を選びました。単純に・・。どうか、単純に待ち続けてください。5年たってしまうと、ほとんどの人が、「あれは間違いだったんだ。」などと、自分のものさしで判断します。やがて去って行きます。あなたがたの身近で、天におねだりをしている事も、すべて信頼と希望によって与えられます。ばかばかしいという気持ちは、持たないでください。これからも、天に預けて、希望を持ち続けてください。かたくなな心の人々に、目を天へ向けてもらうためにも、今までと同様に、祈りと犠牲が必要です。天の母として、あなたがたに恩ちょうを注ぎ続けています。起こる事も無いことを、私はお話ししません。私は、人々に誉めてもらうために、存在をしているのではありません。母として、心を打ち明けてもらいたいので、存在をしています。すばらしい祈りの文は、必要ありません。ただ、私に話をしてください。あなたがたを、今後も、そばで見守り続けています。そして、助けてあげます。司祭の祝福を、箱舟の子供たちにお願いします。」

ジャン・マリー司祭「全能なる天主にまします、父と、子と、聖霊との祝福。箱舟の子供たちのうえにくだり、つねにとどまらんことを。アーメン。」
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2016-07-12 20:00:56

マリア・アントニアに与えられた天からのメッセージ 2016年7月3日-7月5日

テーマ:秋田の聖母 第2出現
共産主義にけんかを売る公のメッセージ

2016年7月3日 PM11:29
ヨゼフパパのご出現

ジャン・マリー司祭「ヨゼフパパ、戦場のピアニストの映画の最中に、ナチスドイツが、一軒一軒、ユダヤ人を引っ張って行くところや、殺したりする場面のところで、将来、中国軍が日本でこれをやるというインスピレーションを、マリア・アントニアが受けたんだけど、天からのものなの?もしそうだったら、関するメッセージはある?あったら、ちょうだい!えーっと、そして、次。コルベ・マリーの胸の傷は、もうひといきなんだけど、治すには、どうしたらいいの?もう、サルファ剤の軟膏が無くなります。一進一退で、これ以上は良くなりません。その次は、どうしたらいいの?」

ヨゼフパパ「わが息子の質問に答えていく。ヨゼフが、話をする。始めに、マリア・アントニアが感じとった、映画を見ている最中でのインスピレーションは、天からのものであり、実際に起こり得るものである。遠い国での出来事で、過去にあった話として、多くの日本人は「日本では、まず起こらない。」と思っている。ごく一部の人々だけが、危機感を抱いている。ある他の国の出来事であって、もし、本当に日本に突入をするような国があれば教えてほしいと、また、その国が、なぜ日本を攻める必要があるのか説明をしてほしいと、全く危機感の無い人々が大勢いる。過去に戦争を体験した人々、戦争に行った事のある人々、高齢者の多くの人々が、多くを語る事は、あまり無いが、心の中に不安を抱いている。過去に日本軍も、どれほど残酷な事を犯したのか。
(ここでジャン・マリーが寝てしまったので、ヨゼフパパにマリア・アントニアが、「ヨゼフパパ、寝ちゃったよ!」って話をした。そしたら「そのまま寝かせてあげなさい。」と言ってくれた。ここで、一度、中断した。)


共産主義にけんかを売る公のメッセージ
2016年7月5日 PM6:40
ヨゼフパパのご出現
ヨゼフパパ「日本兵が過去に犯した過ちを、今の若者、日本の若者を中心に、過去にそういう事があったという話を、多かれ少なかれ、聞いているけれども、「今の私たちには、あまり語りつがれていなくて、前の時代の人たちがしたことで、かかわりが無いことだ。」と言う人々が多い。そして「謝罪をして、態度を明確にしろと言われても、知らない事には、謝るつもりも無い」と言っている。そして「感情をあらわにして批判をされても困る」という人たちも多い。まして、自分達には、戦うという行動を起こす気力も無いという人々が大勢いる。戦争に対しての危機感は、ほとんど無く、日本では起こらないと、断言している人々も多い。どんなに残酷な映画を見ても、他の国々から攻め込まれるという事があるかも知れない、という事すら考えない人々がいる。そして、アメリカが必ず守ってくれると信じている。反撃をする気持ちの無い国民の多い国に、侵略をする国がある事は、信じられないと考えている。そこが、大きな誤りで、反撃をしない国なら、なおさら攻め込み易く、攻め込む機会を伺っているように、考えを直さなければならない。自分の身は、自分で守らなければいけないという、日本以外の国では、あたりまえのことでも、戦争を放棄するという宣言を続けている。されるままに、攻め込まれようとしていても、反撃することは考えていない。防衛のみの日本では、反撃することは間違っていると考えている人々が多い。正当な理由で喧嘩をすることもタブーとされている。平和と戦争について、たくさん話をするけれども、危機感がほとんど無いので、行動に出られないまま、終わってしまう。もう一度、ここで繰り返して言っておくが、起こるはずは無いという誤りを、明日にでも起こるかも知れないという考えに改めなければいけない。戦争というのは、起こり得ないという事すら、起きてしまうものである。冷静と、無関心では、全く違うものということを考えてほしい。なんでもありえるものが戦争である、という考え方を持ってほしい。」

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2016-07-12 19:59:18

マリア・アントニアに与えられた天からのメッセージ 2016年4月13日-7月3日

テーマ:秋田の聖母 第2出現
獣のフランシスコにけんかを売る公のメッセージ
2016年4月13日 AM8:26
ヨゼフパパのご出現

ジャン・マリー司祭「ヨゼフパパ、昨日、あなたの妻のクララ・ヨゼファ・メネンデスが見付けてくれたITSSCの出した情報、そして今朝クララ・ヨゼファ・メネンデスが翻訳を見つけてくれて、日本語で読んだ内容に関して、これは正しい情報なの?まず、それを教えてほしいんだけど」

ヨゼフパパ「フランシスコはその記事を否定する。イエズスが捕らえられたあと、様々な質問をされた時に言った言葉を利用する。その質問に対して、かのフランシスコは「それはあなたがたが、言っていることである。」と言う言葉を、都合の良いように使う。どんなに裏付けが取れているものであっても、本人が否定をする前に、支援者たちが黙ってはいない。今までも巧みに隠されてきた事実がある。わが息子たちが最近、見た映画のように、徹底的に、一人ではなくて、集団で立ち向かわなければ暴かれない問題で、正に、神の後ろだてが無ければ、前進が出来ない。皆、フランシスコの味方についている人々が、催眠術にでもかかっているかのように、彼に対しては熱狂的である。この先も、今回のような情報が、わが息子のもとへ届く。これらの情報に対しても、慎重にしていくように。情報がさくそうする。人が信じられない時代の中での、慎重な見極めが必要・・。必要に・・。(ここで途切れた。)今、このような事柄について、一番、冷静な判断が出来るのは、まったく信仰の無い人たちで、報道関係者でもなく、学識経験者でも無い。(また、ここで途切れた。)(ここで悪魔のアタックで、妨害されて、続ける事が出来なくなった。)2016年7月5日に、ヨゼフパパが話をしてくれた。(→20160705 フランシスコのこと その2へ)

2016年7月5日 PM6:40
ジャン・マリー司祭「ヨゼフパパ、7月3日の夜、ボクのせいで中断してゴメンね。続きをお願いね。それから、4月13日に、悪魔のアタックで中断したものの続きもおねがいね。」
「獣のフランシスコに、公に喧嘩を売るメッセージ、すごく重要なメッセージなんだけども、みつけた・・、クララ・ヨゼファ・メネンデスが見つけてくれたITSSCの出した情報が、日本語で読んだ内容に関して、これは正しい情報なの?おしえてほしいんだけどって、始まったメッセージなんだけども、ずっと続きを待っているんだけども、公に、この情報が正しい、つまり獣のフランシスコ自体が、サタニストで、黒ミサのために、子供を売るっていう事をしていて、そしてそれから、性の商品として、子供を売るというような事もしていて、その時の警察と教会と、一緒になってやった時のコードネームがフランシスコだっていう、警察が名付けた名前が、フランシスコだっていう情報だったけども。それからコルベ・マリーの事に関しての、胸の傷を完全に治すには、どうしたらいいのかっていうこと。

獣のフランシスコにけんかを売る公のメッセージ
2016年 7月5日 PM6:40
ヨゼフパパのご出現
2016年7月5日に、ヨゼフパパが話をしてくれた。

ヨゼフパパ「報道関係者でも無く、子供のように、何も利益を追求しない人々である。知識のない人、学のない人、そして肩書きを気にすることなく、たくさんのお金を持たない人々、相手の地位を気にせず、対等に話す事が出来る子供のような人、そして心の中に、大きなものの存在を感じ取って、素直に従う人が、正しく判断することが出来る。水かさの増えた大木も流れるような濁流の中でも、とどまっている岩のような、人々の言葉に流されない、自分の意思を冷静に保った人が、聖霊の導きによって導かれていく。全ての人々の中で、平等に、天の御父は、聖霊を通して働きかけられる。「あの人が、こう言っていたから、これが正しい。」とか、「この人はこんな人だから、これは間違っている。」など、情報量が莫大な今の世の中であっても、自己の心の中での、確信のある、強く感じられるものを持ち続ける人々に、正しく判断が出来るように、カギが与えられる。子供のように、先入観を持たず、恐れずに、神の光に顔を上げて、正しく導かれる人々が集められる。いつの時代でも、勇敢な人々には、高慢な人、そして人の影に隠れて、自分には害が無いようにして、悪口を言う人、自分の事を下げられない人々が迫害を加える。一分も待つことの出来ない人々が、長く待つ人々をあざわらう。目先の避難場所を求めてさまよい歩き、いつ崩れ落ちるかも知れないような場所へ入って、根拠もないのに、ここは安全だと、自分の命が助かればいいという考え方の人々が多くいる。「あわれんでください。」と口にして、乞い願った顔をしていても、うつむいた時の心の中では、「自分だけは助かりたい。」と他人をけ落とす事を考えている。イエズスをあわれみ深い方、と人々に言っておきながら、夜になると、自分の家の床下に隠してある壺を取り出して、お金を毎晩、数えて微笑んでいる、そのような人々が、今はほとんどで、清貧という言葉を、イエズスが取った行動で、話す事はするが、心の中では、毛嫌いをしている聖職者が、残念ながら、今は大部分を占めている。告解をすることが出来る、許しを与える事が出来る権能を持たされたのにもかかわらず、自分の心の闇の部分があって、まともなアドヴァイスを与えることも、嫌気がさして、自分の事で精一杯なので、許しを与えることのみ、もしくは、それ以上に、告解にあずかって許しを得たいという人々が来ないようにしてしまう。一時期、教会に熱心に通った人でも、聖職者の愛徳の無さに失望して、行くこともなくなり、むしろ、神を憎んでしまうことになる。よく、「主はあわれみが深く、すべての人々を包み込んで、抱き上げられて、私を、そして選ばれた人々を愛される。」というような言葉を使う事が、自分達にとって都合の良い言葉であるから、人々にも話して指導をする聖職者が、あとを絶たない。はじめは何も知らない人が素晴らしいと感動するが、月日が流れると、やがて、うすっぺらなものに感じて、もと来た道を戻ってしまう。一度、疑問を持った人、信頼する事が出来なくなった人を、再び、連れ戻すことは、とても難しい。そして、多くの聖職者たちは、連れ戻そうという気持ちも無い。傷を負っている人々を、抱きかかえても、それ以上に、谷底へたたきおとすような行動を取って、何事もなかったように振るまっている。様々な人々の意見、そして正しいとされる人々の判断、そして自分で判断したこと、すべてのことにおいて、事実が明らかにされないことは、ない。天の御父は、すべてをご存じである、という言葉を知っていても、信じていない人々が、ほとんどになっている。イエズスが、ゲッセマニの園での、憂い悲しんだ時、そしてゴルゴダでの十字架上での、世界を見渡された時に、未来の全ての罪をご覧になられて悲しまれたと同時に、あわれみを乞い願った。天の御父に、あわれみを乞い願って下さった時の気持ちなどは、理解することもなく、出来るはずもないが、あらかじめご存じだった事、以上に、人々が堕落し続けていることに、ますます泣いておられる。そして、数えきれない程の十字架に、毎日かかってくださっている。イエズスの限りない愛とあわれみ、いつくしみ、そしてマリアの存在を、全て、否定することに成功しているサタンの思惑が、ほとんど成功してきている。ほとんどの人々が、何を信じることが良いのか、何を信じれば良いのか、わからなくなっている。教皇という立場は、とてもたくさんの人々に影響をあたえている。イエズスが教えられた事を守り、教えられたとおりに伝える事が大切で、世の中の様子が変わったからといって、変えてはいけない。ものわかりの良い者がトップに立つ事はあってはならなかった。殉教という言葉も、もはや死語になっているところがある。神の恵みを多く注がれて、知恵を得たものに対して、神は、厳しく裁きを下される。イエズスも話していたように、イエズスは許して、あわれみを注ぎ続けられるけれども、天の御父は、不正な事を続ける者に対して、ねたみ深く裁かれる。本来は、とてもいつくしみとあわれみをもって、寛大に許される神である。心の底から、本当に痛悔をする人には、走り寄って許される。ますます変えてはならないところを、今の人達には合わないという理由で、寛大に聞き入れているように見せて、変えていくことになる。伝統主義だと笑われても、守り通すべきものは、硬く守り通してほしい。」

マリア・アントニア「最後に、ケルビムちゃんが、休けい!っだって。」
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