今週号での「ハチワン」なんだが、PC将棋なんだが、中盤は
高段者が指し、終盤にさしかかって、そこでPCとスウィッチするという
のか、おそらくたえずこの盤面で「詰みがあるかなしか」を尋ね、
なければ自分が指し、あれば、PCに任せるという、そういう設定が
出てきている。ちょっと前に、田丸八段が週刊将棋で書いていた、
棋士の携帯物の問題(法的な問題として)と重なるところがある。
というより、趣味のネット将棋では、実際、愛好者のなかには、
そのように指すアホは出てきているらしい。アホとしかいいようがない。
ただ、「ハチワン」での上の想定はやや甘いところがある、考えが。
ある盤面で「詰みがなけ」れば自分で考えればよいとしても、どの
ように考えるかが難しいのであって、当然、そこで力は問われる。
もしPC将棋がさらに進化して(おおいにありえる)、「詰みがあるやなしや」
のみならず、「必至あるやなしや」まで調べることができるならば、
現実味は増してくるが。なぜならそこから「二手スキあるやなしや」
まであと一歩になってくるから。低段者でも、そうなってくると、終盤の
計算がしやすくなってくる。つまりどの駒を渡さないですればいいのか、
どの駒が欲しいのかの計算がしやすくなってくる。どういうかたちを
設計すればいいのか、など。
ただそこの計算も、数学的に、解がありえるやいなやの問題がたえず
つきまとう。私は数学詳しくないけど、ガロアのなんとかとかも、そういう
ことと関係するのだろう。
そこで、羽生さんが浮かびあがってくる。不利を自覚したときの、羽生
さんの終盤術である。どの段階で、収束を確信し、確信しないのか。
谷川型の終盤と羽生型の終盤に差異がある(極度に単純化すれば)。
後者はもっと安全策であり、かつ柔らかく複雑である。統計的確率的に
勝ちやすいだろう。ただその設計はそんな容易なものではないだろう。
一度、渡辺龍王が、常勝の人は、才能が一番であるわけでなく、「抜け出す
力」があるかいなかが大きいと喋っていたことがある(「ブルータス」の
天才特集号だった)。その「抜け出す」力が、ここで問題にしているところの
収束力である。非収束と収束との間には、断絶と連続の揺れがある。
あー、これは、哲学の問題でもずっと昔から問われてきているところなんだ
けれどもね。微分の問題などで。知らないけど、コーヘンとかさ。
ところで、必至あるやなしやって、いまのプログラムでも、そういう検索
機能あるの?