こんばんは。黒影@恋愛戦略家です。
今日は、たまたま渋谷に出ていたら、サッカー日本代表の試合があったらしく、試合が始まる7時ごろになると、なんだか街が浮き足立ってた感じだった。
さすが若者の街らしく、毎度のことだけど、試合が終わった時間の駅前なんかは、酔っ払いでごった返して、お祭り騒ぎだった…らしい。
「らしい」…というのは、混乱する前に、間一髪帰って来れたので。
(よく周りの連中には非国民扱いされるけど、残念ながら、ワールドカップとか…サッカーには全然興味がない(^_^;))
ところで「若者」…といえば、ちょっと年齢層は低くなるけど、
ボクらが中学生のころ…
英語の授業で勉強したことを思い出すことはできるだろうか?
そのなかで「I=私」は一人称単数、「You=あなた」は二人称単数、「彼女=She」「彼=He」は三人称単数、そして、それぞれの複数形として「We=私たち」「You=あなたたち」「They=彼ら」という人称表現(人称代名詞)というのを勉強したのを覚えているだろうか?
ここでいきなり英語の復習をしよう…ってわけじゃない。
けれども、この人称表現を意識的に彼女とのコミュニケーションのなかに取り入れることで、彼女の共感を得る「仕掛け」を作ることができる。
結論から言うと「一人称複数(We)」を使うんだ。
photo by uzaigaijin
ちょうどいまお話しした、
「ボクらが中学生のころ~思い出すことはできるだろうか?」
という問いかけも、主語は「ボクら(私たち)」つまり、「一人称複数」を使っている。そして、日本国内で教育を受けた人であれば、誰でも「中学時代」というものを過ごしている。
そこで初めて英語に触れた人も多く、中学時代に感じた、初めてのことに対する不安や、ワクワクした思い、受験勉強の苦い思い出などをお互いに共感しやすい。
特に中学時代というのは、誰でも経験しているものだし、「中学時代に英語の勉強をした」という、共通のできごとは変わらない。
また、どこの学校でも同じようなことを勉強しているので、英語の勉強に限らず、共通の体験を想起して、ノスタルジーを感じやすい。
(余談だけど、このころは、思春期真っ盛りの多感な時期で、子供のころの「憧れ」ではなく、リアルな「初恋体験」があったりするので、恋愛の話にも振りやすい。)
そして、さらにその共感を増幅するために、「ボクら(私たち)」という「一人称複数」を使ったんだ。
たとえば、二人の好きな音楽の趣味がちょっと変わっているような場合、
「ボクと○○ちゃんの音楽の趣味ってさ…
意外とほかの連中には受け入れられないんだよね…」
と言うよりも、
「『ボクら』の音楽の趣味ってさ…
意外と他の連中には受け入れられないんだよね…」
と言うほうが、まるで二人の音楽の趣味が同じような感じに聞こえないだろうか?
上の例では、もちろん、お互い同じジャンルの音楽が好きであるに越したことはないんだけど、仮にお互いの好きな音楽のジャンルがまったく違ったとしても、「『私たち』の音楽の“趣味”は、他の人と違う」ということを言っているだけなので、不自然な会話にならない。
「ボクとキミは…○○だよね。」
という、「一人称」と「二人称」で話すところを、
「『ボクら』は…○○だよね。」
と、「一人称複数」に置き換えるだけ。
たったそれだけで、会話のなかで自然に、二人の間に「共通項」があることを強調して、恋愛の初期段階に必要な「類似性」を演出して、共感を創り出すことができてしまうんだ。
もちろん、これだけで即、女の子を口説き落とすなんてことはできないかもしれない。
けれども、一撃必殺の破壊力はないけれど、ジワジワと外堀を埋めるように、こういう細かいところから、いくつもの小さな仕掛けを散りばめていくんだよ。
共感を得る、つまり「同じように感じる」…ということは、ラポールをより強固なものにするために必須だ。
そして、そのラポールは、彼女をキミに夢中にっせるために必要不可欠なものなので、言葉ひとつひとつに注意を払って、徹底的にラポールを築くことに前神経を集中させるんだ。