続きの続きの続き・・・

 

ちょっと書けなくなってとまっていました。

 

「当たり前」になってしまっている前提は、

他の個体と交流して初めて

自分だけが握りしめているものだと気づけるから。

 

「えっ、この人こんなこと普通だと思ってたの?!」という

 

比較と衝撃の反応こそ

自分の世界を外側から見るスタートライン♪

 

っていって、メソッドじゃありませんよって明記して

 

ハードル下げてまでまだ怖いって!自信がないって!

 

「それっぽいこと書かなくちゃいけない前提」

 

そもそもそれっぽいこととは(´・_・`)

 

コントだよ!滝汗

 

 

 

 

 

いつだって、ベースは「できない自分」だった。

 

出来ない足りない好かれないが基本だから、

 

どうにか取り繕おうと、

いい子のフリをして、物分りのいいフリをして

 

そのうちどれが自分かもわからなくなってきた。

 

そこから、

 

「どうしようもない私」を明らめ(諦め)、

 

「けれどこれで生きていくしかない」と腹をくくった。

 

→私版、前提崩壊からどう自己肯定が育っていったのか①

→私版、前提崩壊からどう自己肯定が育っていったのか②

→私版、前提崩壊からどう自己肯定が育っていったのか③

 

 

 

無職、公務員途中退職、次の仕事もすぐダメになった、

 

定年まで1箇所で勤めあげられなかった(勤めるのが素晴らしい前提←このご時勢に!)

 

収入無し貧乏節約生活(貧乏はかわいそう前提!)

 

今は働きたくないとゴネて親にお金も借り(借金は恥前提!)

 

教職退職以降記憶力低下、

 

30歳手前に結婚してない彼氏もいない・・・滝汗

 

と指折り数えては焦って嘆いて落ち込んで

 

 

「でも、あのまま心が死ぬよりは

今の道を選んで幸せなはずなんだ!」

 

と無理やり幸せごっこをやって心を

どうにかなだめていた「つもり」訳ですが

 

 

心のお勉強をすすめる中で

 

これが全部逆効果だという事実に遭遇、動揺滝汗笑

 

 

さらに

よくよく見ると、

 

 

無職になったら世界が終わると思ってたけど「大丈夫だった」

 

公務員途中退職したら友達いなくなると思ってたけど「大丈夫だった」

 

次の仕事もすぐダメになったけど「大丈夫だった」

 

収入無し貧乏生活だけど「助けてくれる相手がいた」「生活できてる」

 

記憶力低下したけど「困ってない」

 

結婚してない彼氏もいない、けど「実質あまり困ってない」笑

 

 

 

過去の自分から見れば

 

ありえないぐらいのステータス黒歴史を短期間に重ね滝汗

 

けれど自分の「ダメ」を実際にやってしまっては

 

 

ダメ→どうにかなってる滝汗

 

ダメ→意外と大丈夫滝汗

 

ダメ→何も変わらなかった滝汗

 

と、

 

「以外にどうにかなる」データを手に入れてしまい、

 

自分の握りしめていた自己否定前提がどんどんと崩されていきました。

 

 

 

落ち込むことは相変わらずありながらも、

 

ある程度落ち込んだところで

 

「これ今私が泣きたくて泣いてるでしょ・・・

 誰も気づいてくれない今このひとりの状況で悲劇のヒロインごっことか・・・」

 

「ていうか・・・・・・・まだ生きてるし・・・」

 

と浮上がはやくなりました。

 

 

 

悩んでも仕方無いと知った、落ち込んでも何も変わらないとしった。

 

自分はダメ!と落ち込めば、いい子のフリで慰められていたけれど

 

慰める間もなくダメだと分かっちゃって

 

分かっちゃった上でダメでも大丈夫と判明してしまえば

 

いい子のフリは必要なくなってしまったのだろうと思います。

 

(これ、今すごく前提ありきの話を主観で書いているので

 わからない人には全然わからないところだとおもう。

 落ち込めば慰められるって、表現として自分でも不思議だと思います、しかししっくり◎)

 

 

 

さらに、

「不足感を数えるから不安や焦りを感じる」

 

「今この瞬間を見れば、実は本当に困っている状態であることは稀」

 

「未来や過去を考えるから、不安や後悔を感じ焦る」

 

「思考と幸福感は相容れないもの」 滝汗

 

ということを学び、

 

 

 

あることだけを数えれば

 

素敵なお部屋でひとり暮らしを続け

自分のペースでまったりと毎日を過ごし

 

明るくなってから目覚ましもなく目覚めて

陽の有り難さ 風の清々しさを感じられ

 

ゆっくり料理をつくり

行きたい時に行きたいところへ行ってる(無職節約中に青森いったし笑)

 

い、以外に快適だ・・・!滝汗(笑)

 

 

 

 

「どれだけダメになっても、私は、まだ生きている」

 

この諦めというか、絶望というか、明らめというか、

 

それが、自己否定を一周回って自己肯定に裏返った感じでした。

 

開き直るともいう。笑笑

 

 

 

大切だと知った、自分を満たすということ。

 

女性性や男性性の話。

 

スピリチュアル観点からの感情の楽しみ方の話。

 

色んな方向から見た潜在意識の定義の話。

 

ワンネス、魂、対話、両親、循環、エネルギー、

 

たくさんたくさん知識として勉強してきたことが

 

開き直った瞬間、

 

全部実感として降ってきた感じでした。

 

 

後からの感覚でいえば、「前提が、ひっくりがえった」

 

 

 

自己否定の上に積んでいた自己啓発や心の勉強は

 

「できない私はダメ」「理解できない私はダメ」と

 

結局自分のもっている「ダメ」の前提を増幅しただけでした。

 

 

土台が自己肯定に変わった時、

 

これまで学んできた自己啓発や心の勉強は

 

「今までの私も頑張っていた」

「これからの私は何があっても大丈夫」

 

という愛のメッセージに変わって見えました。

 

 

 

 

 

一昨日昨日と、この記事④が書けなくて

 

今日も体の調子が良くなくて

エネルギー的に無理かな、と思っていた時

 

内藤亜弥さん のこの投稿を見て、

ああ、愛おしい、今日はできる、と思った。

 

同じタイミングで、同じことを思っている人がいるというのは

この上ないパワーになります。

 

最初の結婚ではお姑さんに

「はじめからあなたは家には合わないと思っていた」と言われた

(だったらそのとき言ってくれ…笑)

 

二度目の結婚ではお姑さんに

「えーっ、なんで年上でしかもバツがついてるの?せめてどっちかなら良かったのに…」

と思ったと言われた

(二番目の元夫は4歳下で初婚)

 

そして三度目の今の母と初めてお会いしたとき

「あやさん、ありがとう、ありがとう」

わたしの手をとり何度も何度もそう仰ってくださった


バツが2つもついてる上にこどももいるのに…

 

これはどのお姑さんが良いとか悪いとかっていう話ではなくて、
わたしの自己受容の歴史そのものだということだ

 

自分のことが死にたいほど大嫌いで
自信なんてこれっぽっちもなかったわたしが

「この自分を生きるしかないんだ」

と絶望し諦め腹をくくり、
わたしがわたしを受け入れたとき


わたしを映し出す世界が変わった

 

だから圧倒的に絶望するのも悪くない

とことんやり切ったら諦めがつく


陰極まれば陽に転ずる


失うものがなくなれば何も怖いものはなくなる


絶望もまた宇宙のギフトだ


そのことに気づくのは絶望を超えた少し先のことだけどね


闇の暗さを知るものだけが
光の眩しさを知ることができる


愛の悲しみを知るものだけが
愛の喜びを知ることができる


すべての感情はギフト
すべての体験はギフト


あれも
これも
みんなみんなギフトだ

 

 

 

陰陽とか、光と闇とか、

私まだ通っていない未知なので考察もできないですが

 

きっと、こういうことが、起きていた。

 

 

 

 

後からたくさんの発信者の

 

「自分を愛すには自分を許すこと」

「人を愛すには自分を許すこと」

「自分を許すには自分がダメだとおもっていることをやってみること」

「人を許すには人がやっていて苛つくことを自分でもやってみること」

 

なんていうのを見て

ああこれだったかーって、なりました。

 

今まで許していないことを許した時

 

今まで安全地帯「じゃなかった」ところが、安全地帯になる。

 

安心感が広がる。

 

 

 

どこいっても(良い悪い関係なく) 生きてるし

 

なにやっても(良い悪い関係なく) 大丈夫だったら

 

なんか 拍子抜け滝汗笑

 

 

 

こうして、無駄の嫌いな、熱しやすく冷めやすい私は

 

悲劇のヒロインごっこをあっさりと辞め

 

(嘆きたい自分も含めて)

 

どうせ「幸せ」にしかならないんだったら

 

”幸せな”「幸せ」がいいよな、と方向転換、

 

絶望からひっくりがえった「生きている私!」は

 

どうせ何やっても大丈夫なら無茶してみたらいーじゃーん!と

 

自分軸を突き進むようになったのでした。

 

 

 

 

ちなみに

最近の出来事

 

・いきなりスポットライトを浴びたくなって劇団員になる(30歳初めてのお芝居)

・その後1年ごとに肩書きが変わりまくる

・もう二度とフルタイムの仕事はしないといいながら、

 なんとなくでフルタイムのお仕事を選択

 

 

コントだよ滝汗

 

 

私がいいとか、悪いとかでなくて、

 

こんな私でも生きてるし、こんな私でも幸せなのです。

 

もっと得ている(だろう)これを読んでいるあなたが

 

幸せじゃないわけがないでしょう、ってこと。

 

 

 

幸せとは、選択できるもの。

 

自己肯定も、選択できるもの。

 

 

今を見ること、事実をみること。

 

新しい前提を、価値感を、「普通」になるまですり込むこと♡

 

どうせ握り締めるなら、どうせ映してしまうなら、

 

自分色の喜びをまとった前提が、いいな♡

 

前提の映し鏡♡① 前提の映し鏡♡②

 

 

 

ながらく続きました自己開示記事も、ひとまず終了。

 

お付き合いくださった方、ありがとうございました♡

 

 

 

昔の私みたいな子に、見つけてもらえますように!

 

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