高橋源一郎の論壇時評(8月)

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戦争をどう伝えるか?戦争を伝えるとはどういうことなのか?

戦争を知らない世代が多数派を占めるに至ったこの日本で。

作家の高橋源一郎さんが考えます。




知らない世代こそが希望だ


今年の8月15日、ぼくは、「cocoon」という舞台を見ていた。1980年生まれの今日マチ子のマンガを、1985年生まれの藤田貴大が劇化した。白い砂が敷きつめられた舞台の上が、昭和20年の沖縄になった。そこで「ひめゆり学徒隊」をモデルにした少女たちが、戦火の中を逃げまどう。病院でもあった壕の中では負傷した兵士たちが、苦しみながら死んでゆき、壕から飛び出すと米軍の艦砲射撃が激しい雨のように降ってくる。客席のすぐ目の前に、怯え、泣き叫ぶ少女たちの身体があった。彼女たちは「だれも死にたくなんてなかった」と繰り返し叫び、次々に倒れてゆくのである。

この、若い世代が作り上げた「戦争の物語」には、ひとつ大きな特徴があるように、ぼくには思えた。それは戦争を、単なる「過去の悲しい出来事」にはしない、という思いだ。

戦争が「被害を受けた人たちが語る、苦しみの物語」であるなら、それはどんなに悲惨であっても、後からやって来る、そのことを経験しなかった人たちにとっては「他人の物語」にすぎない。

では、どうやって伝えるのか。いや、そもそも、それは伝えるべきことなのか。半世紀以上前の少女たちが、同時に現代の女の子の感受性を持って演じられていた舞台からは、その煩悶が感じられた。その煩悶こそが素晴らしい。

藤田と同じく1985年生まれの古市憲寿は、世界中の戦争博物館を訪ね歩き『誰も戦争を教えてくれなかった』を書いた(今年8月刊)。戦争博物館は「その国が戦争をどのように考え、それをどう記憶しているのかを知ることができる」場所だ。ぼくたちの国では、どうなのか。

古市は、日本人の戦争に関する記憶をたどり、ついに「戦争を知らなくていい」という結論にたどり着く。

前の戦争は、日本人にとってもっとも「大きな記憶」でありつづけた。だが、それに代わる「大きな記憶」を作ることは難しい。なぜなら、現在の日本人の大半にとって、もっとも「大きな記憶」とは、実は68年つづいた「平和経験」だからだ。古市はこう言うのである。

「僕たちは、戦争を知らない。そこから始めていくしかない。背伸びして国防の意義を語るのでもなく、安直な想像力を働かせて戦死者たちと自分を同一化するのでもなく、戦争を自分に都合よく解釈し直すのでもない。戦争を知らずに、平和な場所で生きてきた。そのことをまず、気負わずに肯定してあげればいい

「戦争の記憶」を語ることが、「平和」への道筋であると考えてきた、多くの人たちは、古市のこの発言を、不快に、あるいは疑問に思うだろうか。

本書の最後で、古市は、若いアイドルグループ、ももいろクローバーZと「戦争」について話す。まず、古市は、ももクロに「あの戦争」に関する質問をする。彼女たちは、うまく答えられない。たとえば、終戦を迎えた年を「1975年」と答える子、「都市の小学生が空しゅうをさけるために、地方に移り住んだこと」を「過疎化」と呼ぶ子。でも、彼女たちは「戦争は嫌だ」というのだ。

ももクロは、論壇誌に書いている人たちが持っているような常識は持たない。けれど、彼女たちの「無知」にこそ、希望があるのだ、と古市は考える。

そして、「cocoon」の舞台の上の少女たちのことば、身体、感受性は、ももクロと遠くはないのである。

(略)

「戦後」という時代は、「戦争の体験」を持つ人たちが作り出した。だとするなら、その後に来るのは、受け売りの「戦争の体験」ではなく、自分の、かけがえのない「平和の体験」を持つ人たちが作る時代であるべきだ
、という考え方に、ぼくは深く共感する。

1985年、当時の西ドイツ大統領、ヴァイツゼッカーは「荒れ野の40年」と名づけられた、終戦40周年の記念演説を行い、最後に、「40年」の意味を旧約聖書から引いている。

「士師記には、かつて身に受けた助け、救いは往々にして四十年の間しか心に刻んでおけなかった、と記されております。心に刻んでおくことがなくなったとき、太平は終りを告げたのです」

ヴァイツゼッカーの懸念を、ぼくも共有する。「40年」という時間は確かに「忘却」を産むだろう。だが、新しい知恵も産みだせるのだ。


(朝日新聞2013.8.29)





果たして「『無知』にこそ、希望があるのだ」と言えるのでしょうか。

この古市さんの言葉を、誤解なく理解するのはなかなか難しい。

自分が何を知っていて、何を知らないのか。その「知」は自分の体験に根ざしたものなのか、それとも単なる受け売りなのか。

「無知」に居直ることなく、かつ「知ったかぶり」をしないこと。

ももクロの「無知」とは、自分への誠実さのことではないのか、と思ってみたりします。




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