隠していた本当の姿があらわになったさくらです
ほんとに、このカミングアウトにより、生きるのが楽になりました
“ブラックさくら”な自分を抑えたり隠したりせずにこれまでも生きてきたらよかったのに、
こんな自分を出してしまったらこの世の終わり というか、
本来の自分全開にしたら、激しすぎて周りの人を傷つけてしまうのではないか。。。と恐れていたのです
でもいざ思いっきり出してみたら、意外と多くの人が面白がってくれたり、そんな部分も含めて受け入れてくれた
そういえば昔からさくらを良く知る人は、
「さくらは一見犬っぽいけど、実はねこだよね 」
と、もうずっと前から本質を見抜かれていました
いろんな呪いをかけられて犬の姿にされてしまい、本来のワガママを隠して一生懸命従順になろうとしていたけど
どんなに隠そうとしても、結局のところバレてたし
またラーの鏡が割れて、さくらの元々の姿が映し出された感じですが、
ブラックさくらも普段のさくらも、どちらもさくらの本来の姿なのですよね
さてさて靈氣講座の続きです
→ゆうゆさんが、ヒロ先生&京都3期のレポまとめを作ってくださっています
最終日は、「性癖改善」を習いました
心身の不調の元となっている心の偏り、悪癖にアタックする治療です
ペアを組んで行う練習で、一人ひとり、直したい心の癖を選ぶのですが、さくらは「完璧主義」というキーワードを使いました
要は「べきべき星人」な自分、「こうあらねばならない」「こうしなければ自分は受け入れられない」と思い込んでいる、数々の強固な自分のこだわりを打ち破りたかった
そこで驚くべき癒しと学びが起きました
この心の偏りや癖を治すためには、千手観音さんのエネルギーを流すのですが、
<京都・三十三間堂の千手観音坐像>
ささなおさんは巫女さんなので、
「そうだ、ここは薬師如来さんもお呼びしよう!! 」
と呼んでくださり(注:こういうのがフツーの世界です )、さくらに靈氣を送ってくれました
<奈良・薬師寺の薬師三尊像>
天からのエネルギーを流しながら、ささなおさんには過去のさくらのビジョンが見えて、あまりにも可哀そうになり、
思わず「さくらちゃんを助けなきゃ!!」と動こうとしました
そしたらば、薬師如来さん
「助けちゃだめだ!!彼女はいま自分の力で立ち上がろうとしているんだから、そこは誰も邪魔しちゃいけないし、絶対に手を貸してはいけないんだ!!」
と、猛烈に怒らはりました
しかし「せっかく呼んでくれたから」と、丸薬を置いていかれた優しい薬師如来さん
その丸薬がさくらの魂にスーッと溶けていき、癒しの光がパァーっと広がったのだそうです
一方、受け手のさくらは、フワフワした温かさのなかで、千手観音さんがずっと優しく語りかけてくれました
怖がらなくても、あなたはそのままで大丈夫なのですよ
あなたが「こうしなければいけない」「こうでなければならない」と思っていることは、みんな後から誰かに言われたことでしょう?
「こうしなければ」を「自分はこうしたい」に置き換えていきなさい
人に言われたことではなくて、自分がやりたいことをやっていけばいいのですよ
そんなようなことを、噛んで含めるようにずっと優しく語りかけてくれて、
怯え切っためいちゃんも、氷のように感情にフタをした気位高いご婦人も、少し安心して、笑顔を取り戻しつつあるように感じました
この薬師如来さんのエピソードは、まさに直伝靈氣の教えの肝であり、
さくらがこの講座を受けた意味はまさにこのためにあったと言えるほど、自分の中のエゴに気付き、傲慢さを深く恥じ入り反省したところ
大事な人が苦しんでいたり悲しんでいたりしたら、つい自分が「助けなきゃ」「何とかしてあげたい」と思うのが人情
おんりゅうさんからも言われたのですが、
その人自身が味わうべき痛み、苦しみがあり、それを乗り越えるプロセスは誰も邪魔してはいけないし、ショートカットをさせてはいけない
傷つき、苦しみのなかから立ち上がるのはその人自身の力
そこは絶対に、絶対に誰も立ち入ってはいけない神聖な領域
大事な人のために、自分が何かできることはないかとか、何かしなければいけないのではないかと思ってしまっていたさくらの傲慢さ、無神経さを深く理解し
「自分が何とかしてあげたい」などというのは傲慢であり、その人の魂の学びを妨害していることになる
「私の力で何とかしよう」「私が助けるんだ」などのエゴは不要かつ有害そのものであり、天のサポートを流す妨げにしかならない
“導管”たる施術者を通して天から流れるエネルギーは、その人が必要とする部分に自動的に調整して流れ込むので、エゴが入ると出力が弱まってしまうのです
自分はただ天から流れ込むエネルギーの導管であればいい
何もせずに、その人が自分で立ち上がることができると信じて見守ること
ただそれだけでいいのだということを、ようやく理解したのでした
そしてさくら自身、
過去の傷ついた自分、屈辱以外の何ものでもなかった日々で感じていた感情を、
「なかったこと」にしてしまうことなく、きちんと自分で感じ切って、そしてその気持ちに自分自身で決着をつけて、再び立ち上がる
このプロセスは、自分自身にしかできないこと
誰かの助けを借りることはできないし、誰にも代わってもらえないし、自分で立ち上がるしかない
それを実際に体感し、自分自身の体験を通して体得できたことは、魂の深い深い学びと癒しになったのでした
ブラックさくらも普段のさくらも、どちらもさくらの本来の姿なのですよね
さてさて靈氣講座の続きです
→ゆうゆさんが、ヒロ先生&京都3期のレポまとめを作ってくださっています
最終日は、「性癖改善」を習いました
心身の不調の元となっている心の偏り、悪癖にアタックする治療です
ペアを組んで行う練習で、一人ひとり、直したい心の癖を選ぶのですが、さくらは「完璧主義」というキーワードを使いました
要は「べきべき星人」な自分、「こうあらねばならない」「こうしなければ自分は受け入れられない」と思い込んでいる、数々の強固な自分のこだわりを打ち破りたかった
そこで驚くべき癒しと学びが起きました
この心の偏りや癖を治すためには、千手観音さんのエネルギーを流すのですが、
<京都・三十三間堂の千手観音坐像>
ささなおさんは巫女さんなので、
「そうだ、ここは薬師如来さんもお呼びしよう!! 」
と呼んでくださり(注:こういうのがフツーの世界です )、さくらに靈氣を送ってくれました
<奈良・薬師寺の薬師三尊像>
天からのエネルギーを流しながら、ささなおさんには過去のさくらのビジョンが見えて、あまりにも可哀そうになり、
思わず「さくらちゃんを助けなきゃ!!」と動こうとしました
そしたらば、薬師如来さん
「助けちゃだめだ!!彼女はいま自分の力で立ち上がろうとしているんだから、そこは誰も邪魔しちゃいけないし、絶対に手を貸してはいけないんだ!!」
と、猛烈に怒らはりました
しかし「せっかく呼んでくれたから」と、丸薬を置いていかれた優しい薬師如来さん
その丸薬がさくらの魂にスーッと溶けていき、癒しの光がパァーっと広がったのだそうです
一方、受け手のさくらは、フワフワした温かさのなかで、千手観音さんがずっと優しく語りかけてくれました
怖がらなくても、あなたはそのままで大丈夫なのですよ
あなたが「こうしなければいけない」「こうでなければならない」と思っていることは、みんな後から誰かに言われたことでしょう?
「こうしなければ」を「自分はこうしたい」に置き換えていきなさい
人に言われたことではなくて、自分がやりたいことをやっていけばいいのですよ
そんなようなことを、噛んで含めるようにずっと優しく語りかけてくれて、
怯え切っためいちゃんも、氷のように感情にフタをした気位高いご婦人も、少し安心して、笑顔を取り戻しつつあるように感じました
この薬師如来さんのエピソードは、まさに直伝靈氣の教えの肝であり、
さくらがこの講座を受けた意味はまさにこのためにあったと言えるほど、自分の中のエゴに気付き、傲慢さを深く恥じ入り反省したところ
大事な人が苦しんでいたり悲しんでいたりしたら、つい自分が「助けなきゃ」「何とかしてあげたい」と思うのが人情
おんりゅうさんからも言われたのですが、
その人自身が味わうべき痛み、苦しみがあり、それを乗り越えるプロセスは誰も邪魔してはいけないし、ショートカットをさせてはいけない
傷つき、苦しみのなかから立ち上がるのはその人自身の力
そこは絶対に、絶対に誰も立ち入ってはいけない神聖な領域
大事な人のために、自分が何かできることはないかとか、何かしなければいけないのではないかと思ってしまっていたさくらの傲慢さ、無神経さを深く理解し
「自分が何とかしてあげたい」などというのは傲慢であり、その人の魂の学びを妨害していることになる
「私の力で何とかしよう」「私が助けるんだ」などのエゴは不要かつ有害そのものであり、天のサポートを流す妨げにしかならない
“導管”たる施術者を通して天から流れるエネルギーは、その人が必要とする部分に自動的に調整して流れ込むので、エゴが入ると出力が弱まってしまうのです
自分はただ天から流れ込むエネルギーの導管であればいい
何もせずに、その人が自分で立ち上がることができると信じて見守ること
ただそれだけでいいのだということを、ようやく理解したのでした
そしてさくら自身、
過去の傷ついた自分、屈辱以外の何ものでもなかった日々で感じていた感情を、
「なかったこと」にしてしまうことなく、きちんと自分で感じ切って、そしてその気持ちに自分自身で決着をつけて、再び立ち上がる
このプロセスは、自分自身にしかできないこと
誰かの助けを借りることはできないし、誰にも代わってもらえないし、自分で立ち上がるしかない
それを実際に体感し、自分自身の体験を通して体得できたことは、魂の深い深い学びと癒しになったのでした