2010-12-29 12:36:42

人類を救うのは宇宙戦艦ヤマトでなく贈り物

テーマ:その他

年賀状は、贈り物だとおもう。
 
2,3年前から日本郵便が広告で
使っているメッセージ。
その年のCMや印刷広告によって、
いろいろな使われ方がされている
ようで、最近見たのは、
 
また、人を人を
想う季節が、やってきた。
というコピーの締めに
この一節が登場するパターン(新聞広告)。
 ・
★コピーライターが思わず ! となったコピー。-nenga01

CMギャラリーはコチラ
 
年賀状とは贈り物であるとな。
はじめて見た時、しゃれたことを
言うもんだなと思った。
(そうは言っても、毎年、年賀状の
販売ノルマを課せられ、自腹を切って
(金券ショップで換金するなど)
奉公している郵便局の中の人たちに
とっては年賀状は厄介もの?)
 
ただ半ば義務と刷り込まれてきた
新年のあいさつを贈り物と受け
止めるには、何かそこにスペシャルな
価値があるのではと感じるなり、
想像しないことには、
ピンとこないだろうなと思う。
誕生日のプレゼントやお土産とは
気持ちの入れようも違うしね。
 
それで、贈り物である年賀状に、
込められた贈る人の思いとは
いかがなものか。
そこから考えてみる。そんな面倒な、
まぁ、そう言わずに想像力を鍛えると思って。
いろいろありましょうが、
広告ではこんな風に言っている。
 
 
★今回のビックリマークなコピー。
 
 
1月1日の、
あなたの心の中にいたいから。
 
 
やはり日本郵便の広告で、
年賀状は12月25日までに出してね、
そしたら元日に届きますからという
行動をうながすのが目的のメッセージ。
 
伝えたいことを年賀状を出す人の
気持ちを借りて言わせる表現。
悪い言い方をすると、広告にユーザーの
サクラを登場させて語ってもらう方法。
ともあれ、年賀状を出す理由に気づかせる、
動機づけってやつですな。
 
なるほどね。1月1日に私のことを
思い出してくれればいいのか。
まるで広告でいうリマインド目的
みたいだけど、こういうメッセージは
贈られる人は、どんな気持ちで受け
止めるのかな。
 
そりゃうれしいに決まっているでしょ。
それは分かる。でも、なぜうれしいの?
うれしさの正体って?そんなことを考えて
いたら、昔のコピーを思い出した。
 
好きだから、あげる。
 
好きだから。プレゼントの理由は、
この一言で充分です。この一言が
すべてです。好きだからプレゼント
するのです。人と人の幸せな出来事
のはじまりには、いつも「好き」という
感情の動きがあるように思うのです

 
というボディコピーが続くこのコピーは、
丸井のキャンペーンで使われたものである。
 
単純明快。意外であれ、やっぱりであれ、
私のことを気にかけてくれている、
私のことが好きなんだという
メッセージはたしかに贈り物になるね。
 
いやいや、年賀状で好きまでは
思わないでしょ。そう思う?
でも、小学校のとき、隣のクラスの
女子から年賀状をもらったときは、
もしかして好かれてる?と
舞いあがったものである。
バカにはできませんぞ。
 
もっとも広告のメッセージだから、
好きなら、プレゼントのひとつ
でもしなさいよといわれている気が
しないでもない。
まぁ好きとは思わないでも
これくらいのことは思うんじゃない?
 
プレゼントがうれしいのは、
会っていない時に自分を
意識してくれたことが嬉しいのだ。
 
ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ
という、きつかわゆきおさんによる言葉の
贈り物の詰め合わせみたいな本に書かれてあった。
 
ああ、これはぴったり。プレゼントを

年賀状に置き換えても、腑に落ちる。
プレゼントそのものもうれしいだろうが、
贈る人の気持ちに感動するのだ。
 

一緒にいないときに
私のことを思ってくれた、思い出して
くれたというのがうれしい。
うれしさの正体は、やっぱりこれが
一番でしょ。
 
そう考えると年賀状も贈りものになる。
ふだんから顔を合わせているわけではない、
いつも近くにいるわけでもない、特別親しい
というわけでもない…それなのに私のことを
気にかけてくれた、そのよろこびは
たぶん贈った人が想像する以上に大きいはず。
実際、CMでは同じようなことを言っているし。


★コピーライターが思わず ! となったコピー。-nenga02

 
年賀状のコピーの「1月1日の、あなたの
心の中にいたいから。」という贈る人の思惑は、
「私はあなたのことを忘れていません、ちゃんと
思っていますよ」という贈り物になって届く。
 
贈られる人は「私のことを憶えて
くれた」や「私には私を気にかけてくれる
人がいる」と受け止める。反転して
言えば、「1月1日、わざわざ私の心を
訪ねてきてくれてありがとう」となる。
 
そういうふうに想像できないと、年賀状が
贈り物といわれてもその価値が分からない
ままで、いい表現だねで終わってしまう。
 
それはそれで誰も困らないだろうが、
たぶん、このコピーを読んで、本気で
年賀状を贈り物と思っている人なんて
少なそうだから、日本郵便の思惑は
どうなのかは別にして考えてみたしだい。
 
贈られる人など何かを
受け取る側についてどれだけ
想像を働かすことができるか。
これは広告のメッセージだけでなく、
商品とかサービスのしくみを考える
さいにとても大切だと思うし、
よくそう言われている。
 
そんな心構えがないと、いくら
おもてなしとかきめ細やかな対応
といっても、上っ面の、形骸化したものに
なってしまうのではと思う。
事実、そんなサービスとか接客
マニュアルとか多いと思いません?
 
贈る相手のことを思う想像力、贈って
くれた相手に対する想像力が行き交う
贈る、贈られるの関係は、つらい世の中を
生きるために必要なことだと思う。
 
人間関係や社会の中で、そうした贈る、
贈られることを意識した関係が当たり前
のようにあると、少しは世の中の苦痛が
減るのではないだろうか。
 
いま、つながりとか共感のプラットフォーム
として、いろいろと期待されているソーシャル
なんとかも、しくみやビジネスモデルばかりで
語られることが多いが、参加者や運営者の根元に
贈る、贈られる関係の考えがないとせっかくの
ソーシャルも荒涼とした世界になるのではとも
思っているんですが。
 
というようなことを内田樹さんの著書や
ブログを読んで考えてみたのでした。

 
贈る、贈られるのルール、贈られたら
お礼をするという考えは、昔から人類社会の
基盤としてあったのだとか。
その贈与と反対給付義務(お返し)について、
あの内田さんのブログから分かりやすい部分を
抜粋して紹介する。
(興味をもったらぜひ全文読んでくださいな)
 
私たちは自分が欲するものを
他人にまず贈ることによってしか
手に入れることができない。
それが人間が人間的であるための
ルールです。
今に始まったことではありません。
人類の黎明期に、人類の始祖が
「人間性」を基礎づけたそのときに
決められたルールです。
親族の形成も、言語による
コミュニケーションも、
経済活動も、すべてこのルールに
準拠して制度化されています。
 
祝福の言葉を得たいと望むなら、まず
僕の方から「あなたにはいつまでも
幸福でいてもらいたい」という
言葉を贈らなければならない。
まず贈与するところからすべては始まる
  
「受け取るだけで、次にパスを出さ
ない人」は贈与と返礼のサイクルから
しだいに押し出されて、周縁の
「パスの通らないエリア」に位置
づけられることになります。
 
どれほどわずかであっても、手持ちの
資源を惜しみなく隣人に贈る人は
このサイクルにおける
「ホット・ポイント」になります。
贈与と返礼のサイクルはこの
「ホット・ポイント」に資源が
集中するように制度設計されています。
 
僕たちの時代がしだいに
貧しくなっているのは、
システムの不調や資源の
枯渇ゆえではなく、
僕たちひとりひとりが
「よきパッサー」である
努力を怠ってきたからでは
ないかと僕は考えています。
 ・
以上「自立と予祝について」
 ・
少々的外れかもしれないが、これを読むと
「わらしべ長者」とか「情けは人のためならず」とか
「情報は情報をたくさん出す人に集まる」といった話が、
実は贈与と返礼のサイクルの上で成り立っている
と思ってしまうんだな。
ギブ&テイクではなく、ギブ&ギブ&ギブの精神。
 
内田さんは著書「街場のメディア論」でも
贈与とお返し(反対給付義務)について、ブログと

同じことを語っている。
 
人間であろうと望むなら、贈与をしなくて
はいけない。贈与を受けたら返礼しなければ
いけない。すべての人間的制度の起源にあるのは
この人類学的命令です。
(第七講 贈与経済と読書)
 
人間社会が、贈与と反対給付義務に
基づいて構築されているという仮説に

基づいて人類型モデルが体系化されて、

その仮説の妥当性が
今もって反証されていないとか。
 
とレヴィ=ストロースやマルセル・モースといった
文化人類学者たちの考えを用いながら、内田さんは
メディアのや出版の不調について、またこれからの

わけのわからない未来で生き延びていくことについて
述べている。僕にはとても新鮮に響いた。
(といっても、半分くらいしか理解していませんが)
 
贈与と反対給付義務。それは心理学的でいう
返報性の法則」が働いているから、
マーケティングでよく活用される原理
といったビジネス書のような視点だけで
考えてもこんなふうに深く考えさせられる
ことはない。
 
あなたなしでは生きてゆくことができません。
あなたの末永い健康と幸福を私は切に願います」という
予祝の言葉に対しても、それと同文の言葉を返すことが
人類学的には義務づけられています。
と内田さんはお書きになっているが、そう考えると
やはり年賀状も贈りものであると、いや
そう思わなくてはいけないということになるね。
 
年賀状は贈り物なんて、素敵な表現ではあるが、
ちょっと大げさと思っていた。でも、これで納得。
 
しあわせになりたいなら、まず贈るってことでOK?


★コピーライターが思わず ! となったコピー。-gift

ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。/きつかわゆきお
¥1,260
Amazon.co.jp

街場のメディア論 (光文社新書)/内田 樹
¥777
Amazon.co.jp
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2010-12-13 23:23:06

踊るサルに、踊らされていますが何か

テーマ:戦略・戦術

そうすべきでないと分かっていても、
僕らは目の前の結果に一喜一憂し、
右往左往してしまう。

 

仕方ない、
だって結果がすべて。

そんな世界に生きて
いると、野生の本能ともいえる自分の中の
おサルがそうさせるから。

 
明日のバナナ3本より、今日の1本の

方が大切なんだ。
 
たとえば仕事のとき。よくある話だが、
こんな場合はとくにヒトの中の
サルがウキッと騒ぎ出す。
 
クライアントが、このアイデアで
やってみたらうまくいきました。
反応が増えました、アクセスが増え
たんです等とうれしそうに話をしている。
ほう、それは祝着ですなと返事をして
くわしく聞いてみる。

 
ところが、よくよく聞くとどうやらアイデアの
おかげというほどでもない。

偶然に状況が追い風だったとか、

それだけ大量に露出すれば
結果が出ない方がおかしい(でも、それって
コストがかかって赤字じゃん)とか、
実力というより運やツキの
おかげといった方がしっくりくる。
フロックに近いといってもいい。
 
でも、うれしそうに自画自賛している、
おサル状態の担当者に面と向かって、
残念ながら原因はあなたの力ではなく、
たんに運がよかったのではないかと
言えるわけもなく、さてどのタイミングで
うまいこと切りだすかと困ってしまう。
 
と、えらそうに言うけれど、自分だって読みが
当たったり、自分のアイデアでよい結果が出ると、
もしかして俺って天才?とか思うこともある。

 
それでも、ここはおごらず冷静にと努める

のだが、一方で謙遜しすぎると自信喪失に

なっていやだなと思ったりもする。

そんな具合で気の持ち方のさじかげんに
戸惑うこともないわけではない。

 
ちなみに、僕の周りには自称天才だと豪語する
奴が何人かいる(きっとあなたの周りにもいるよね?)。
それで、そういう奴らに
「自称天才に天才はいない」とつっこむと、
中にはそれを言っちゃお終いよと

「いや、そういわないと自信なくしそうで…」と
素直な姿をさらけだす奴もいる。

 
そうまでしないと自信を持てないのかと
笑ってしまうが、そうだよな、
気持ちは分かるぞ。
だって、人間だもの(by相田みつを)。
 
まぁね、自分を客観的に見つめることは
難しくもあるけど、うまくいった時は
自分を過信せずに運や偶然に助けられた
と思うくらいがちょうどいいだろうし、
原因を突き止めるなら、自分以外の状況まで
拡げて分析することだ。

 
失敗した時は反対に状況や他者のせいに
しないで自分の思慮や行動を省みる。
そういう姿勢が大切だとこの方も
仰られておりますよ。
 
 
★今回のビックリマークコピー言葉。
 
 
勝って不思議の勝ちあり、負けて不思議の負けなし
 
 
プロ野球チーム楽天の元監督、野村克也さんが
よく使う言葉。ご本人が考えた言葉ではなく、
何かの会合である経営者と話をしたときに、
その経営者が言ったものであるらしい。
(そう自著に書いてあった)でも、今では

野村名言のひとつとされている。

 
難しい解釈は必要ない。
ものごとがうまくいった時など、得てして
自分の実力と思って驕りがちになるけれど、
そうではなく、運やツキのおかげであることが
少なくない。

 
しかし、うまくいかなかった時は、
自分の落ち度などハッキリした

原因があることがほとんど。

つまり失敗の場合は、失敗するべくして
失敗するものだということ。
 
この言葉とはじめて出会った時に、
若いころ、ある経営者から聞いた

言葉を思い出したものである。

正確ではないが、
おおむね次のようなことである。

 
「結果には必ず原因がある。結果ばかり見て
判断をすると間違う恐れが大きい。
まずそこにどんな原因があったのかを
考えること。それを社員にも言っている」
さすが、大きな会社の社長は言うことが
違うなと感心したものだ。

 
今でもけっこう気にしている
言葉だけれど、野村名言に通じるものが
あるよなとあらためて思う。
 
結果には必然、偶然と何かしら理由がある。
そんなまっとうなことでも、僕らはすぐに忘れる。

とりわけうまくいった時は、自分の中のサルが

ウキャっとダンスするもんだから、
理由などどうでもいいとさえ思ってしまう。
結果オーライ、終わりよければすべて良し。
そして、間違った成功体験を己の実力と
勘違いしてことに当たることになる。

 
極端になると、自己評価が異常に高くなり
とてもイタイ状況へまっしくぐらと
いうことになる。
 
自分のいる業界の話だと、こんな

ありさまが想像される。

たとえば競合の露出がほとんどないときに
広告を出すなどキャンペーンを展開し成功したと
する。原因は素晴らしいアイデアとクリエイティブ
の勝利だと思ってしまう。(実際、そうかもしれないし)
でも偶然に競合の露出が少なかったという有利な環境
も大きな勝因であることは軽くみてしまう。
あるいは無視してしまう。(もし、意図して実施した
のならそれはみごとな作戦だけれども)
 
で、同じキャンペーンを再度実施する。しかし
うまくいかない。今度は競合もキャンペーンを
行っており、前回のように視界に敵なしという
環境ではなかった。

 
ところが、前回の成功体験にしばられて、
原因はアイデアやクリエイティブだと思ってしまい、
その修正に血眼になる。

たんに競合とガチンコ
勝負になったためかもしれないのに。

 
かくして見当違いなフィードバックによって、
失敗スパイラルに陥る。(まぐれでうまくいく
こともあるでしょうけれど)

ここまで分かりやすくはないが、これに近い

ケースにはよく出くわしたものである。
 
要するに、きちんと原因を分かっていないと、
間違ったフィードバック、間違った成功体験によって
失敗の袋小路に入り込んでしまう危険がある
ということである。
 
これがキャンペーンの失敗ぐらいならいいのだが
(いや、よくないか)、国の存亡にかかわるような
状況だと大変である。戦争なんていい例かもしれない。
 
1905年の日本海海戦での大勝利という成功体験に
しばられた海軍(連合艦隊)はその40年後に
太平洋の藻屑となった。
日露戦争と太平洋戦争のことである。

 
「昭和史」で知られる作家の半藤一利さんによれば、
太平洋戦争においても、海軍は日露戦争での勝利、
つまりバルチック艦隊を破った日本海海戦での
あまりに大きな成功体験に固執したことが
間違った戦略を生んだと指摘している。

 
海での戦いは、すでに航空機中心になった
というのに、開戦当初、海軍のエリートたちは
あの「坂の上の雲」の主人公のひとり、日本海海戦
勝利の立役者である秋山真之(ドラマではモッくんが
演じている)が考案した艦隊決戦案にもとづいて
対アメリカ作戦を立てていたという。

 
さぞかし坂の上の雲の上のあの世で秋山真之も、
東郷平八郎も、広瀬武夫もそんなアホな!
とあんぐり口をあけていただろう。
 
結果は分かりやすい。だから評価もしやすい。
それが正しいかどうかはともかく。
結果に対する原因やそこに至った理由を考える
のは面倒くさいし、さまざまな分析が考えられる。

結局、はっきりとした理由は分からないなんて

こともあるだろう。

評価も難しいことだってあるかもしれない。

 

それでもなんとか結果からプロセスをさかのぼり、

要素を拾い上げて、そこから何がそうさせたのか、

どうしてそうなったのか等と文脈を読み当てようと
する。

 

そんな人や組織はきっと視野の広い戦略眼とか
戦術眼を持っていて、なかなか負けないし、
高い問題解決能力があるのだろうなと思う。
 
自分のことを棚に上げていうけれど、
結果で一喜一憂するのは仕方ないとしても、
結果と原因を考える人は少ないように思える。
(個人的な印象ではあるが)
それでも悪い結果のときは、それなりに
原因をつきとめることをするが、よい結果の

時はそれほど細かくはつきとめない。

 
すべて自分の実力のおかげという

高すぎる自己評価。

そこから生まれるのは必敗まっしぐら
のおごりと、誤ったフィードバックによる
悪循環である。

 
仕事をとおして、そんな残念な企業や人々に
数多く出会ったきたし、広告業界もそんな

ところが多々あった。

ともかく、よい結果が出ても、ツキのおかげと

思うくらいがちょうどいい。
 
そう言うけど、運も実力のうちって言うじゃない?
それは自信をつけさせるために
誰かが言ったことが広まったのではないか。
それなら、不運も実力のうちとも言えるではないか。
でも、がんばっているにもかかわらず、
結果が出なくて落ち込んでいる人に向って、
そんな残酷なことは言えないね。

 
幸運も不運もあくまで運であって、雨や
風のようなもの。実力とは関係ない。
そう思った方が精神衛生上、ラクではないだろうか。
 

素晴らしい結果が出たら、
俺ってスゴイ、俺って天才、俺ってサイコー…と
自分の中のサルが踊りだすのは仕方ない。
でも、ひと踊りした冷静になって反省しよう。

 
反省だけならサルでもできる。
人間だから愛情一本。チオビタドリンク。
 

昔そんなコピーもあったじゃないか。
そこはひとつ、ドリンクの代わりに、
勝って不思議の勝ちあり、負けて不思議の
負けなし。そう言ってあげよう。
なんだかんだいっても、
サルも木から落ちるわけだし。

 

 

いまでもあちこちで

似たようなことが、

起きていると思う。

昭和陸海軍の失敗―彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか (文春新書)/半藤 一利
¥777
Amazon.co.jp

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。