東京の夜 | いつかまた君と会う日のため(自殺・自死遺族ブログ)

いつかまた君と会う日のため(自殺・自死遺族ブログ)

2013年12月、最愛の妻をうつ病による自死で亡くしました。
結婚して1年1ヶ月、あまりにも短すぎました。
体に障害があったけど、懸命に生きていた妻。
妻の事を忘れない為、初めてブログを書きます。

先日東京に行った夜。




久しぶりにブログで出会った自死遺族の友人と会いました。





二人とも妻を自死で亡くし、年齢も近く、子供は無し、経営者の2代目という事で、僕とここまで立場が似ている人はまずいません。




なので、ブログでやり取りしている時からすぐに打ち解けました。





彼はもうブログを卒業しましたが、僕は相変わらず書いています。





僕も妻の一周忌を終えて少し経った後に、一度ブログを卒業しました。





でも数か月更新しなくても、全然アクセスが落ちてないのです。



「何で?」と調べたら、僕のブログは『死』という一文字で検索してくる方達がほとんどでした。




今でも『死』でググると、1ページ目に表示されますよ^^;




この事実が分かった時は、本当に心が重かったです。



Deathブログじゃねえか、と、、、。





それからは、積極的に本を読んだり色々な情報を聞きかじったりして、生き辛さを感じている人が少しでも回復することはないかと情報を発信してきました。




だって死を考えている人が毎日毎日、数百人も『死」と検索してこのブログを見に来てるから。




妻は亡くなった時のスマホに唯一遺された、最後の履歴は「自殺サイト」でした。


だから、それと対極にあるブログにしたいと思っていました。



『死』と検索して僕のブログを見たら、少しでも回復出来そうな情報が書いてある。



今の検索順の状態ならできる事です。






友達と話しました。




「もし僕らが自死していて、妻が遺されていたら、向こうから見ていたらどう思うだろうね」って。



「そりゃあやっぱり『本当に取り返しのつかない事をしてしまった。申し訳ない。』って気持ちと『幸せになってほしい』って気持だろうね」




「そうだよね。妻たちも絶対そう思っているよね。

だから僕らも幸せに生きなきゃいけないよね」




そんな話をしました。

約2年たちましたが、ようやくそんな事を言えた訳です。



死別して間もない時なんかは、とてもそんな感情になれなかったですから。





ただ、この『幸せに生きる』ってのが難しいですよね。





大切な人を喪って分かった事は、自分一人の為だけの幸せはとっても小さくて、もろくて、たかが知れているという事です。



僕自身、家帰って来て一本のビールとつまみのチーズがあれば、事足りてしまうのですから安いものです。


一人だと、そんなことぐらいしか思いつきません。





自分を大切にしながら、誰かのためになるような事をしたり、サプライズしてみたり。


僕にとっては妻にしてきたように、多分そう言った事だろうな、と思います。




とりあえず来月は母の誕生日なので、サプライズを計画中です^-^





死別後間もない時は、言葉に出来ないいらだちを母にぶつけた事もありました。


「生きていたってしょうがねえよ!」




一人残された絶望から、こんな言葉を母に投げかけました。


その時、母はとても悲しそうな顔をしました。




その時は、味もろくに感じない感覚だったので、夕飯と言ってもただ胃に食べ物を送り込むだけの作業です。


それでも平日は、ずっと毎日実家で夕飯を作ってくれていました。



今は美味しく頂いてますよ^-^



ある程度回復してみると、周りの人達に支えられてきたなぁと思います。






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