2011年02月20日(日) 18時22分52秒

インターネットという腕力

テーマ:思ったこと、考えたことなど
 インターネットという腕力が、日に日に強くなっています。インフラも整い、低価格で高性能のハードが手に入る。それに伴って魅力的なサービスが増え、それらを頻度多く利用するユーザーが増えているので、メキメキと鍛え上げられているのです。振りかざした拳は、バーチャル世界に留まることなく、良くも悪くもリアル世界に大きな打撃を与える事例も増えて来ました。

 年賀状に笑顔し、新春を頌するなかで騒然と巻き起こった「グルーポンおせち事件」は、みなさんの記憶にも新しいでしょう。バードカフェが、「グルーポン」という、いわゆる「クーポン共同購入サイト」で売り出したおせち料理が、配達が遅れた上に中身が酷いものだったという事件です。
 私の記憶では、あれは当初「2ちゃんねる」で購入者が遅配の状況と併せて、見るも無残なおせち料理の画像を晒したところから始まったものだった、と思います。それが「まとめサイト」に取り上げられ、「2ちゃんねらー」以外のインターネット利用者の間でもTwitterなどで拡散し、マスコミに取り上げられるといった流れがありました。mixiニュースに掲載されるやmixiユーザー間でも日記でグルーポンを叩く人が多く見られました。ここまでになると、もはやバーチャルの世界/リアルの世界などと捉えることがナンセンスであることが分かります。グルーポンやバードカフェは対応を迫られ、社長辞任や返金などの事後処理が伝えられました。インターネットの恐るべき腕力を目の当たりにした事件でした。

 私たちはこの事件から、インターネット利用ユーザーの一人ひとりの発言力は弱いように見えて、そのサービスの拡散性が強いがゆえに、全体として力強い腕力を有していることを認識しなければなりません。ユーザーが「筋肉の繊維」だとすれば、Twitter、mixi、2ちゃんねるなどのサービスは「筋肉」(今の話には出てきませんでしたが、Ustreamやyoutubeなどもこの「筋肉」に相当するでしょう)、インターネットという空間はひとつの大きな「腕」です。繊維が増え、筋肉が成長しつつある様子から、私は冒頭に書いたように「インターネットという腕力が、日に日に強くなってい」ると考えるのです。そしてだからこそ繊維の一つひとつである私たちは、
 「こう発言したら、全体の腕として、どういった方向にどういった力が働くのか」
 を考える必要があるのです。

 昨日、Twitterで、ある件に関するつぶやきがタイムラインの多くを占める状態になりました。私が最初に目にしたつぶやきは次のものです。

 @eshintaro
 「 これはもう大学教育とはいえない…-「日本橋学館大学のシラバスがすごい件」 http://bit.ly/hE5l8y


 これに反応し、多くのユーザーたちが、
 「幼稚園の間違いやろww」
 「こういうところが”大学”と名乗れること自体が」
 といったつぶやきを放っていました。

 私としては、「これが公教育ならば問題だが、私立で行っている教育で、何が問題なんだ?」と思いました。つぶやいている人々を見ると、偏差値の高い優等生が、偏差値の低い劣等生の持っている参考書を見て嘲っているのと変わらないように思えました。
 詳しく説明するのに、以下、私のつぶやきと他のユーザーのやりとりを引用します。(@love_of_48yenが私です)

 @love_of_48yen
 「違うね。そこにニーズがあるから、教育機関として成立しているんですよ。成立しているならいいんです。ここに通って、どんなに初等な内容であっても学ぶことができて、幸せをかんじている人間がいる。それだけで教育として「アリ」なんです。他人が教育機関を評価するとき、自分の力量で評価…」
 「…してはならない。これはEdukenの思想です。そんな判断方法でいったら、駒澤大学だって「なんだこんなの大学なんて言えねえよ(笑)」と思う人もいるでしょう。でも、駒大に通って学ぼうとする人がいるから教育機関として成立するのであって、そこの学生が幸せならばいいんです。…」
 「…違う言い方をします。「こんな低レベルな勉強じゃー、大学じゃねえだろ」といって、日本橋学館大学のカリキュラムを東大並みにしたらどうなりますか?日本橋学館大学の学生は幸せですか?教育ってのは、世の中の人を満足させるためにあるんじゃない。その教育を受けている人を…」
 「…幸せにするためにあるんです。日本橋学館大学に関して言えば、そこに通う学生がいる限り教育機関として「アリ」なんです。第三者がとやかくいうことではない。これがネットで広まって、日本橋学館大学が評判を気にしてカリキュラムのレベルを急激に上げたら、いま通っている…」
 「…学生たちを不幸にすることになるんです。レベルが低くたっていいじゃないか。その教育機関がなければ、その低レベルなことすら学べずに世の中に出る人間が増えるんですよ?責任感のない発言はやめていただきたい。」

 @hiroko_nakamura
 「@love_of_48yen あの、おっしゃることは分かりますし、その立場も十分理解出来るのですが、実際こういう「誰でも受け入れますよ」という初等教育レベルを売りにしている大学(ビジネスとしては成功)が増える事により、就職したくないのでとりあえず大学に入る、という学生も増え、(続」
 「@love_of_48yen 続>その分苦しんで学費を払う羽目になる親も沢山いる事も事実です。学生が楽しければいいとは思いません。 でも貴方のような視点で学習者のことを考えられる方がいらっしゃることも、大切だと思います。」

 @love_of_48yen
 「なるほど。そうすると先程私がつぶやいた中にある「ニーズがあるから成立している。だから教育機関としてよしと評価すべき」という発言に、言葉を足すべきですね。指摘していただいて気づいたのですが、「ニーズがある」と「ニーズをつくる」は別です。… @hiroko_nakamura」
 「…無理矢理ニーズをつくり、教育機関として成立させることはやってはならないことだと思います。そして(恐らく、こちらの方が @hiroko_nakamura さんのご指摘に答えることになると思うのですが)就職したくないから大学入る人が増える→だからこういう大学の存在は問題だ、…」
 「…というのは、問題解決のときに目を向ける箇所が違うのではないでしょうか。例えば、羊を飼っているとします。少し離れたところに、良質の牧草地がある。そこに羊たちを放牧すれば、羊たちはよい牧草を食べ、良質な乳を出すよう成長します。ところが、その牧草地… @hiroko_nakamura」
 「…には狼が出て、羊を襲うことがある。こうした問題があるとき、 @hiroko_nakamura さんの指摘で言えば「狼に羊が襲われることがあるのだから、羊を牧草地に放すべきではない」となります。でも、それでは羊たちを良質な乳を出すよう成長させる機会を失ってしまいます。…」
 「…先程の私の意見をこの問題に当てはめると、私の考えは「狼をどうにかして退治するよう努力する」です。狼を撲滅して、一匹の羊の被害も出さないようにすることは無理かもしれません。勿論、目指すところはそこなのですが、羊の被害が絶対にないとは言えません。… @hiroko_nakamura」
 「…それでも、羊たちに成長の機会を与えるために、狼を撲滅するよう思考を凝らして格闘する。私は、この試みができるかできないかが、教育の質を左右すると思います。就職が嫌だから、とりあえず低レベルでも入れる大学に入っておこう。そう考える学生もいるでしょ… @hiroko_nakamura」
 「…う。しかしこの大学があるから学べる学生がいるのです。問題を解決するとき、目を向ける箇所は大学の存在ではなく、とりあえず入っておこうと考える学生の方です。彼ら彼女らの意識自体をどうにかしよう、と試みることが、あるべき教育の姿ではないでしょうか。 @hiroko_nakamura」
 「蛇足ながら注釈致しますと、比喩表現の「羊」は「学生」、「牧草地で羊が成長する」は「大学で学生が学べる」、「狼に襲われる羊がいる」が「就職活動を避けて大学に入る学生がいる」を表しています。 @hiroko_nakamura」


 上記のやりとりには、私の運営する社団法人の理念が含まれていますが、今回書いているこのブログの記事の文脈で、上記のやりとりを引用して伝えたいことは、「日本橋学館大学が、この風評によってカリキュラムの内容を変更した場合、学生は幸せなのかどうか」という問題提起のもと、「Twitterでこのカリキュラムを批判する人々の、いったいどれくらいの人がそこまで考えて情報を発信したのか」という点です。

 グルーポンのときは、グルーポンの対応に怒った「当人たち」が「なんとかしてくれ!」という思いで情報を発信しました。そしてそれに対して「当人たち」以外の周囲の人々の多くが同調したため、結果として(満足度の違いはあれど)「当人たち」の望みが実現されたのです。
 今回の日本橋学館大学については、別に日本橋学館大学の学生たちが「こんなカリキュラム、どうにかしてくれ!」といって発信したわけではありません。最初から周囲の人々が「こんなカリキュラム、低レベルすぎるだろう」と言って嘲りの考えのもとに発信された情報です。そしてこのような話題になってしまっている。(現に、「日本橋学館大学」でgoogle検索をすると、大学ホームページとWikipediaの次に、この話題に関連する記事が出てきます)

 繰り返しになりますが、こうした風評を気にして大学側がカリキュラム変更などの措置を取ったとき、いまこの大学で学んでいる学生は幸せでしょうか。カリキュラムについていけなくなった学生たちは、どこへ行くのでしょうか。

 勿論、敬和学園大学で働く一戸信哉さんのブログに書かれているように(http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20110219/12980938)こうしたカリキュラムを用意しなければならない社会の状況に問題はあります。しかし、その問題を解決しようと思うならば、「カリキュラムのレベル低いな(笑)」「もっとレベル上げろよ!」というような発言には至らないはずです。そんな発言でこの大学を話題にすることで、いったい何の問題が解決され、いったい誰を幸せにすることができるのでしょうか。

 最後は、私の教育というものに対する考えになりますが…「教育とは、学び手が幸せになるもの」です。今回の件で言えば、日本橋学館大学のカリキュラムは、日本橋学館大学の学生が幸せになるために用意されるべきものです。決して、それ以外の人たちを満足されるためにあるものではありません。

 (この私の教育に対する考えは、明後日二十二日の産経EXにて、二面に至って詳しく掲載されますので、興味のある方は是非ご一読ください。)

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