東北沢駅~東京カウンセリングルーム(5~8分)の道順です。

※駅工事に伴い、只今カウンセリングルームへの行き方(道路)が変更になっております。
初めてルームにお越しの方はご注意くださいね(16/8/18)


東北沢駅の東口改札を出てそのまま仮設通路を道なりに進みます。
仮設1
※駅工事に伴い、「東口」の看板が外れている場合があります(16/12/1)


仮設通路を最後まで進むと一般道路に出るので、そこを右に曲がります。ここ
からは道なりです。
仮設2





「東北沢」のバス停、テラダトランクルーム東北沢、ローソンの前を通過すると三角橋の交差点に出ます。
東北沢5 東北沢6

三角橋の交差点をそのまま直進します。ここからは約3分くらいです。
東北沢7


上原三丁目南、上原二丁目西の信号を通過すると「ファミリーマート」のコンビニの看板が見えて来ます。
コンビニの手前、1階に「千里眼」というラーメン屋さん(黄色い看板)がある茶色のビルの2階から上がカウンセリングルームです。コンビニ側にインターフォンがあります。
東北沢8




インターフォン(扉の右側)を押してカウンセラーを呼び出してください!

愛の力

こんばんは。
カウンセラーの平です。


このたびの東北地方太平洋沖地震により被災されたみなさまに、謹んでお見舞い申し上げます。
被災地の一刻も早い復興をお祈りいたしますとともに、日々、現場で尽力されているみなさまに心からの敬意を表します。


金曜日の「ラブ・カウンセリング」は、阿部純也カウンセラーが担当しておりましたが、4月からのブログ改編に関連し、3月いっぱいは、わたくし平が担当させていただきます。

4月から金曜日は、みずがき・秋葉が担当いたします。

また、当ブログでは、いつも恋愛や結婚にまつわるお話をお届けしているのですが、先週と今週にかぎっては、震災に関連したお話をさせていただきたいと思います。

 


さて、15年前の阪神淡路大震災のとき、私はいまと同じく、神戸に住んでいました。
しかしながら、自宅が神戸市のいちばん北の端ということもあり、被害といっても、家の壁に多少ヒビが入り、屋根瓦が少しずれた程度で、たいしたものではありませんでした。

ライフラインも比較的早く復旧したので、同じ神戸にいながらも、私は暖房の効いた部屋で、ただただ、テレビの画面ごしに被災地や避難所の風景を観るばかりだったのです。


そして、その悲惨さや痛ましさを知るにつけ、「カウンセラーとして、できるかぎりのことはしたい」と思い、何度も避難所を訪れました。


ところが、そこで被災者のみなさんからいただく言葉は、「私は大丈夫‥‥」とか「もっとたいへんな人を助けてあげて‥‥」といったものばかりだったのです。


テレビの画面の中では、被災者のみなさんのたいへんさ、困難さばかりが目についていたのですが、実際に避難所に行き、私が見たものは、被災者のみなさんの強さや愛の深さだったわけです。


そしてまた、「たいへんでしたね」とか「つらくはないですか?」など、ネガティブなねぎらい言葉をかけても、みなさんは顔をしかめ、首を振られるばかり。


ところが、反対に、彼らの中にある“強さ”や“愛”を認めてあげるような言葉をかけたときだけは、笑顔が戻ってきたのです。


今回の東北地方太平洋沖地震もそうなのですが、阪神大震災のときも、「渦中にあっても、冷静かつ規律正しく行動できる」、「暴動や略奪が起こらない」など、日本人の国民性は外国のプレスなどで賞賛されました。


そして、たとえば、そういうことを被災者のみなさんに話して聞かせてあげると、うれしそうな表情をしていただけるわけです。


同じように、みずからが被災者でありながら、行方不明の家族を探しにもいけず、公務についておられる消防、警察、役場の人々、医療関連の人々なども数多くいらっしゃいます。その、心の強さとあふれる使命感には、頭が下がるばかりです。


そうした、当時、私がお役に立てたことのすべては、被災した人々や、命がけで救出活動にあたっている人々に対し、私が感じた「その人たちの、強さやすばらしさ」を言葉として表現し、伝えることだけだったのです。


人を癒すには、たとえば、心理分析などをするような方法もあります。
しかし、大災害のような出来事が心にもたらすものは、幼児期のトラウマを癒すような方法では片付けられない領域の問題なのです。


それは、たとえば、『おしん』のように、ものすごくつらい人生を送ってきた女性が、ようやくやさしい彼にめぐりあい、明日はいよいよ結婚式という日、最後の打ち合わせのために彼と待ち合わせをしていて、少し遅刻してきた彼が、あなたのもとに走ってこようとした途端、目の前で交通事故に遭って、亡くなってしまったときのようなことかもしれません。


こんなとき、「なんで、彼は死んじゃったの?」という質問には、心理学ではなかなか答えきれないのです。


医学的には、たとえば、「出血多量です」と死因を答えるのかもしれません。
でも、彼女が聞きたいことは、「ようやく幸せになれると思った前日に、なんで、こんな出来事が起こるのか?!」、「私は幸せになってはいけないの?」ということであるわけです。


この哲学的な疑問に答えてあげること‥‥、それも、それが、彼女が納得できる答えでないと、彼女を勇気づけ、励ますことはできないわけです。


ひょっとして、彼女は、「私は神様に見捨てられているのか?」と考えてしまうかもしれません。神様と彼女の関係性というのは、あまり心理学的なこととはいえないのですが、そんな質問があったら、カウンセラーとしてはなんとか答えなければなりません。


そして、私も「だいぶ変わったカウンセラー」と言われているのですが、こうした領域は、カウンセラーそれぞれの個性が大きく関わってくるところでもあります。


今回の東北地方太平洋沖地震から3日後、東北地方に住む、私の10年ほど前のクライアントさんから、泣きながら電話がかかってきました。
なにぶん、私は20数年、携帯電話の番号を変えていないので、思い出してかけてくれたら、つながったのです。


彼女は言いました。
「みんな、流されちゃった。なにもなくなった。どうしよう、どうしよう‥‥!」

とっさに、私の口からは、こんな言葉が出ていました。
「きみの心の奥に、しゃべりかけるから、よく聞いといてね。


きみの魂は、この時期に東北に生まれることを決めました。
なぜならば、こうなることを、知っていたからです。


そして、きみは、みんなの光、みんなの笑顔になるために、
ここにやってきたので、きみには命が与えられた。
いまからが、きみの本番で、ここでやりにきたことをするときなんだよ」


‥‥と、まったくなんの根拠もないお話を、彼女にしたのです。
電話口で、彼女はわんわん泣きながら、言いました。


「みんなを笑顔にしてあげたい。
きょうから私は、みんなの太陽になりたい」


そして、また、わんわん泣きました。
まったく根拠のない私の発言に、彼女は反応してくれたわけですが、私がしたのはただ一つ、彼女のことを、小さくて、弱いもののように扱わなかったことだけなのです。


これが、正しいのか、悪いのかはわかりません。でも、経験上、人はこのように扱われたときに、ものすごく強い力を発揮すると私は知っているのです。


夢見る力

こんばんは、カウンセラーの平です。
今月のみ今まで担当しておりました阿部カウンセラーの代打として金曜日に登場しております。


本来ならば、このブログは恋愛に関するお話をみなさんにお届けすることを目的としておりますが、今週と来週はちょうど阿部カウンセラーの代わりとして何を書いてもよいことになっておりましたので、この2週に関してのみ東北地方を襲いました大地震に関してのお話をさせていただきます。なお、この種のことを希望されるお客様はカウンセリングサービス(http://www.counselingservice.jp/ )の方を参考にしていただければ幸いです。


今回の震災に遭われました被災地の皆さんには心よりお見舞い申し上げます。

現在においてもなお、避難所等で困難な生活を余儀なくされている皆さんには一刻も早い復帰を願ってやみません。


皆さんにお届けしておりますこのブログを提供しております母体は神戸メンタルサービスという名前の会社です。「神戸」という名前が付いているように、社長の私は神戸出身で、いまだに神戸に住んでおります。

15年前の阪神淡路大震災の時も神戸の自宅におりました。
幸い私の自宅は神戸の北の端でしたので、自宅の損傷程度で済みました。
そして奇しくも15年後の今回の大地震を東京出張中に経験致しました。



15年前、私は神戸で個人カウンセラーとして、細々とカウンセリングをしており、今のようなネット社会がまだまだ存在していない時代でしたので全くもって非力で無力だったのです。そして、その時に心するものがあり、

今の会社を作ることを考えたわけです。おかげさまで私どもの会社はとてもたくさんのカウンセラーを持つに至りました。また、今このブログを読んでいただいている皆様に、とても簡単に私どもから情報を提供させていただけるようにもなったのです。


今回、皆様にお伝えしたいテーマは「夢見る力」です。


今、神戸では15年前の地震が嘘のように、ほとんどの場所で地震の痕を探すことができません。


しかしながら、地震当初は「一体これから神戸はどうなっていくのだろう。
もう二度と人が住めなくなるのではないか」という話をよく聞いたものでした。
しかしながら、震災に遭い、すべてを無くしてしまった人々が、避難所でもう一度やり直すことを強く誓っている光景をたくさん目撃しました。具体的に何をどうするかは全く見当もつかなかったはずですが、みんながみんなを励ましていたのです。避難所にいらっしゃるぐらいですからそのほとんどの人たちは家がなかったはずです。


話は変わりますが、今から約10年近く前に、私どもの大阪事務所の近所を私が歩いている時、うちの事務所の近くの交差点で、大きな荷物を持ったおじいさんがキョロキョロと辺りを見回しながら、半べそをかいていらっしゃたのです。私はてっきり道に迷っていらっしゃるのではないかと思い、声をかけてみたところ、おじいさんが私にこの話をしてくださったのです。


おじいさんは昔、太平洋戦争が終わって、中国から引き上げてこられたそうです。実家は新潟だったそうですが、戦争後ゆえ大阪までしか帰って来れず、その当時の知り合いが、今、私の事務所のある付近にあったそうで、2ヶ月ほどここで暮らしていらっしゃったそうです。

そして、そこからは戦争で焼け野原になった大阪が見渡せ、本当に何もなくはるか遠くまで見渡せたそうです。そして、おじいさんは「この先、日本はいったいどうなるのだろう。」と、不安に思い、そして新潟に帰られ、

この歳になるまでずっとお百姓さんをされていたそうです。そして、数十年が経ち、旅行で京都に来たついでに、思い出のこの地に来られたそうなんです。おじいさんは私にこう告げられました。


「あんなに何もなかったのに…今はビルばっかりで何も見えん。」


そして、絶句しながら、立ち並ぶビルを見ながら泣いていらっしゃった訳です。

先ほど、伝えました、あの神戸の地震のことと、このおじいさんのことが私の中でかぶさり、思わずおじいさんと抱きあい、二人でわぁわぁ泣いていたのです。


さぞや、外から見ると不気味な光景だったでしょう。


おじいさんはあの時、夢見たのだと思います。

この何もない焼け野原がもう一度復興することを。

そして、何十年か経った後、このビルの真ん中に立ち、あの時に夢見た夢が実現したことに喜びの涙を流されていたのでしょう。


私はこの仕事をして強く思うことは、人の心にはものすごく強い力があり、そして夢見る力こそが、不可能を可能にする奇跡の力だと考えています。


もう一度、今回の災害に見舞われた方々が、これを乗り越え、復興されることを、祈ってやみません。


最後に、15年前、多くの人たちと何度も聞き何度涙したか分からない

中島みゆきさんの「時代」の歌詞をみなさんに贈りたいと思います。


◆時代/中島みゆき

今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど
そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみくり返し 今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ