勝手に論愚選2017.02.27 | 論愚阿来無の欠伸日誌(ろんぐあらいぶのあくびにっし)

論愚阿来無の欠伸日誌(ろんぐあらいぶのあくびにっし)

「小人閑居して不善を為す」日々大欠伸をしながら、暇を持て余している。どんな「不善」ができるのか、どんな「不善」を思いつくのか、少し楽しみでもある。

 アラコキ(アラウンド古稀)世代が、何に夢中になり、どんなことに違和感を覚えるのかを徒然に綴っていきたい。

勝手に論愚選2017.02.27
【読売俳壇2017.0.2. 27】
[正木 ゆう子 選]
豆撒の子の居ぬ里は鬼在らず (由利本庄市 堀 昭治)
(評)怖がる子供がいなくては、鬼もつまらないのだ。そして鬼のいないような世界は、大人にとってもつまらない。追い払いながらも、どこかに居てほしい鬼である。

火にぬれて叉手(さで)の白魚汲まれけり (津市 中山 道春)
叉手(さで)は網の一種。「火にぬれて」が美しい。水を纏(まと)った白魚に漁火が映える。「さで」の響きも良く。音読にふさわしい一句。

【読売歌壇2017.02.27】
[小池 光 選]
玄関でロングブーツの片方が敗者のごとく倒れておりぬ (鹿児島市 地原 陽子)
(評)ロングブーツという履物はなかなか直立しないもののようである。片方は立っていても片方は倒れている。なにやら暗示的だ。

[栗木 京子 選]
昼過ぎて洗濯物を裏返す陽差し (郡山市 伊藤 敏江)
(評)干している途中で洗濯物を裏返すと乾きがよくなる。下句がのびやかで手間をかけて家事をする心の余裕がうかがえる。

[俵 万智 選]
仰向けの白馬のような雲があるきみの空にもぼくの空にも (横浜市 案税 大樹)
(評)離れているけれど、同じ空の下にいる二人。そのことを端的にリズミカルに伝える下の句が魅力的だ。ただの白馬なら、君の元に駆けてゆくイメージなのだが、そうでもないところに、さらなる深みがある。