自閉症に見えないね

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まだどんよりとした空が広がっているブリスベンですが、少し雨が落ち着いてきたような様子を見せはじめました。

時々薄日も差しています。

ちょっと迷ったのですが、今日は溜まっている洗濯物を片付けてしまうことに。

途中でまたもやモコモコとした雨雲が登場し、大後悔する羽目になるかもしれませんけれど。(笑)

家の中には、もう室内干しをできるスペースがありません。

こんなお天気ではカラッと乾く期待もできませんが、もう背に腹は変えられなくなってきました。

干してある洗濯物をいつでも救うことができるように、1日レーダーとにらめっこをしながら過ごすことにします。

 

 

 

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息子が小さかった頃から、ずっと言われ続けてきた言葉があります。

 

「自閉症に見えないね」

 

それに対して、いつもなんだかモヤモヤとした気持ちを抱えてしまう私。

その一言が出るたびに、私はある質問を飲み込むようにしています。

実際に相手に聞いてみたことも、つっかかったこともありません。

でも毎回心のどこかで「じゃあ・・・」という思いがグルグルするんですよね。

次に同じ言葉を受けた時も、きっと私は笑って「そう?」と答えるでしょう。

相手に悪気があるわけではありません。

単純に驚きから発しられた一言。

なので軽く受け流すようにしているんです。

 

 

 

でも世の中には、私と同じ気持ちを抱えていらっしゃる人々が、きっとたくさんいらっしゃるのではないのかな。

自閉症を抱えられているご本人。

自閉症児の保護者のみなさん。

身内やお知り合いに発達障害者がいらっしゃる方々。

それ以外にも、「あ、自分もだ!」という方も多いのではないかと思います。

飲み込んできた質問。

それを心の中にしまっておいたら、世間に伝わることはありません。

世の中に私の声が届くことはありません。

ここは私の素直な気持ちを表現することができる場所。

なので、あえて質問させてください。

 

 

 

「自閉症に見える」自閉症って何ですか?

「自閉症に見えない」自閉症って何ですか?

 

 

 

自閉症は、見た目で判断できない障害です。

外見は、自閉症をお持ちでない人々となんら変わりはありません。

それゆえ、あえて「私は/この子(人)は自閉症です」と言われなければ、ぱっと見で気づくことはまずないでしょう。

自閉症児を育てている親でさえ、長い時間一緒にいる中で「あれ?」と疑問を持ったり、あるいは専門医から指摘され、初めて我が子に障害があると気づく例もあるほどです。

それが原因で、メルトダウンを単なる癇癪と勘違いされたり、コミュニュケーション能力の不足から「失礼な子」と決めつけられてしまうなんていう悲しい出来事が起こることも少なくありません。

他の子供たちと変わらない外見をした子が、保護者が止めるのを聞かずに好き勝手な行動を繰り返していたり、道路の真ん中で、あるいは公園の遊具の上で、スーパーの通路でひっくり返り、大暴れをし、とんでもない奇声を上げながら騒いでいる様子を見かけたら、「躾がなってない子供だ」と眉間にしわを寄せてしまうかもしれませんよね。

そして、そんなお子さんの横でなす術もなく我が子を見守っている親御さんに対しては、「自分の子供もコントロールできないの?」と不快感を持たれてしまっても仕方がないのかもしれません。

では仕方がないのだから、当事者は我慢をし続けなければいけないのでしょうか。

本当は「誰か助けて!」と大声で叫びたいのに、その気持ちを無理矢理抑えつけ、周りからの好奇の目や嫌悪感を感じながら生きていかなくてはならないのでしょうか。

 

 

 

最近では「発達障害」や「自閉症」という言葉をよく目や耳にするようになってきました。

ネット上でも、いろいろな情報が飛び交っています。

でも身近に障害を抱えている方がいらっしゃらない場合、実際にそれがどういったものなのかを理解することは、なかなか難しいのではないのかなと思います。

だからこそ「当事者の1人」として、私の気持ちをお伝えすることにしたんです。

自閉症のことを、もっと知っていただきたい。

自閉症児を育てている親御さんたちの苦労を、もっと世間に広めたい。

いつもこのブログを読んでくださっている読者のみなさん。

たまたまこの記事を見つけられた方。

長くなりますが、ちょっとだけ立ち止まって、最後まで目を通していただけると嬉しいです。

 

 

 

下の写真は、息子が3歳の時のものです。

自閉症児に見えますか?

一見、どこにでもいる普通の男の子。

この時には、まだ正式な診断はおりていませんでした。

私の中で「あれ?」という疑問が生まれたのは、息子が1歳前後だった頃。

それも本当に小さなもので、まだ私しか気がついていませんでした。

かかりつけのドクターにすら、しばらくは否定され続けていたんです。

(ちなみに彼は、発達障害児を診てくださるドクターとして、ブリスベンで発達障害児に関わっている方々の間ではちょっと有名な方です)

私の「何かが違う」という気持ちが「発達障害である」という確信に変わったのが、ちょうどこの3歳の頃でした。

息子の言動の中に、明らかにその兆候が見られるようになったからです。

 

 

 

 

 

 

この外見から見ただけでは普通の男の子。

他の子供たちと関わることが全くできませんでした。

知らない子が近づいてくると、恐怖を感じて泣いていました。

公園に遊びに行っても、お友だちや遊具には見向きもせず、ひたすらフェンスに沿ってひとりで歩いていました。

時にはそのフェンスや、スーパーでは陳列棚などを横目で見ながら早歩きをし、他の人にぶつかったりもしていました。

手をつないで歩くことが苦手でした。

ずっとつま先歩きでした。

ぴょこぴょこと、不思議な歩き方をしていました。

くるくると同じ場所で回っていました。

好きなDVDに出てくるセリフや効果音を、ぶつぶつとひたすら繰り返していました。

電車の音や、車掌さんのアナウンスを正確にコピーしていました。

ブロックは想像しながら何かを作るものではなく、ただぴっちりと綺麗に角を合わせて並べるものでした。

大好きなミニカーも、それを使って遊ぶことはなく、「駐車場!」と言いながら綺麗に並べていました。

人の真似をして何かをすることができず、初めてダンスを踊ったのは、幼稚園卒園時のクリスマス発表会でした(幼稚園でのダンスの時間は、全く踊らず横で座っていたそうです)。

パニックに陥ると、誰がどうなだめても落ち着くことはなく、耳をつんざくような高音で叫びながら、1時間でも2時間でも号泣していました。

母の日のプレゼントとして学校で描いてきてくれたお母さんの似顔絵は、全て上から街灯の絵で塗りつぶされていました(当時、なぜか息子は街灯にハマっていました)。

お友だちへのお誕生日カードにも凄まじい数の街灯を描いてしまい、旦那が慌てて新しいカードを買いにお店まで走ったこともありました。

しばらくしたら、それが虫に変わりました(旦那はまたもや走りました 笑)。

言葉も遅れていました。

旦那と私以外、人の目を見て話すことが苦手でした。

自分の好きなことだけを一方的に話すので、会話が成り立ちませんでした。

ファインモータースキルの問題から、文字も綺麗に書けませんし、ハサミも上手に使えませんでした(これは現在進行形)。

これ以外にも、まだまだたくさん。

書き出したらキリがありません。

 

 

 

他の子供たちと見た目が変わらない男の子は、こんなにも「自閉症の特徴」というものを隠すことなく過ごしていたのに、「自閉症に見えないね」と言われ続けてきたんです。

それは全て、外見から判断できないという理由から。

まだ正式な診断がおりていなかった幼稚園や小学校に上がったばかりの頃は、「周りに適応する」ということを求められ、本人もかなり苦労をしてきました。

保護者である私たちも、息子が生きづらさを感じないようにと、時間もお金も使ってサポートを続けてきました。

でも周りには、そういった部分は全く伝わらないんです。

「私たちはこんなに辛いんだ」

「苦しんでいるんだ」

そうアピールしたいわけではないんです。

でも見た目が「障害児に見えない」から、全く問題もなく普段の生活を送ってこれたわけではないということを、これを読んでいただいているみなさんにもわかっていただきたいんです。

 

 

 

と同時に、息子はボーダーラインにいるということも。

息子には「自閉症スペクトラム」という診断がついてはいますが、彼の症状はかなり軽いもの。

その息子でさえも、作業療法や他のセラピストさんの元で色々なトレーニングなどを行ってきました。

重度の自閉症児を育てている親御さんたちは、旦那や私とは比べ物にならないほどの苦労を抱えていらっしゃいます。

そんな彼らもまた、「外見では判断できない」という部分で辛い思いをされていることが多いんです。

見た目が普通だから、普通の行動を求められる。

この「普通」という言葉を使うことには抵抗がありますが、この表現の仕方が一番わかりやすいのかなと。

そして普通のラインを外れてしまった時には、それが自閉症であるということが理由だとしても、周りには伝わりづらいのが現状。

「この子は自閉症なんです」と勇気を出して声に出しても、自閉症がどういったものであるのかが漠然としか知られていないため、最終的には「親の躾がなっていない」や「育て方を間違っているのでは」という悲しい判断につながってしまうことも少なくありません。

 

 

 

我が家の場合、息子のことをすぐ側で見守ってくださっている方々に「発達障害と言われないとわからない」と伝えられることもあります。

でもそれは、息子の言動などを全て受け入れてくださった上での発言です。

そして彼らは、私たちがどれだけ息子へのサポートに関わっているのかもご存知です。

なので私は、この発言は「グレーゾーンにいるんだね」という意味だと捉えています。

モヤモヤしてしまうのは、息子のことをあまりご存知ない方や、初めてお会いする方からの「見えないね」という一言。

自閉症は見えないんです。

外からはわからないんです。

息子が突然メルトダウンを起こしたら、彼らにも伝わるのかな・・・なんて思ったこともありますが、実際にそんなことになったら大変なのは自分だとわかっているので、できたらその状況だけは避けたいんですけれどね。(笑)

モヤモヤ気分が登場した時にも、「こんなことも」とか「あんなことも」なんて自閉症の特徴や自分の苦労話をする気は全くありません。

なので、この先も「そう?」といい続けることになるとは思いますが、ここではもう一度だけ言わせてください。

 

 

 

自閉症は、外見では判断できない障害なんです。

 

 

 

自閉症は障害です。

個性ではありません。

個性の一言で片付けてはならないものです。

きちんとした特別なサポートも必要。

そのサポートは、早期であればあるだけ効果が大きくなります。

見た目が普通だからと、そこを見落とされてしまうことが一番の問題。

特にグレーゾーンにいる子供たちは、「大丈夫そうだから」という判断から、必要とされるサポートを受けることができない場合も多いと聞きました。

「もしかしたら?」という気持ちを少しでも持たれている保護者のみなさん、迷わずにお医者さんの診断を受けてください。

そして、もしご自分のお子さんに「発達障害がある」ということがわかったら、それを受け入れてあげてください。

認めることは辛いです。

発達障害を持つ子供を育てるということは、時に苦しいこともあるかもしれません。

でも、そこをあやふやにしてしまっては、本当に苦労するのは可愛いお子さん本人なんです。

私たちがお世話になっているドクターは、息子に発達障害であるというレッテルを貼ってしまうべきかと悩まれたそうです(詳しくはこちら)。

でも彼女が「発達障害ではない」という結論を出してしまうことで、息子が受けるべきサポートを受けられなくなってしまうことを懸念され、最終的には息子に「自閉症スペクトラムである」という正式な診断がおりることになりました。

結果、息子は現在でも政府からの援助や、学校でのスペシャルケアのサポートを受けることができています。

彼には一生「Disability」という言葉が付いて回ることになりますが、それでも早期にたくさんのサポートを受けることができたということが、今後の人生にも大きな影響を与えてくれると信じています。

オーストラリアと他の国のシステムは違うかもしれませんが、基本的な部分は一緒。

子供たちが、必要な時に、必要なサポートを受けることができること。

このためには、まずは私たち保護者が子供たちの障害を認め、学び、そして彼らのためにできることを見つけていく必要があるのではないでしょうか。

受け入れる段階で足踏みをしていたら、その先に進むことはできません。

その間にも、子供たちは大きくなっていきます。

辛くても、今踏みとどまっている場所から一歩進んでみませんか?

 

 

 

でも実際問題として、勇気を出して受け入れる段階を超えられた保護者さんの中には、その後周りの理解を得ることができずに苦労されている方もいらっしゃいます。

我が子を偏見の目から守るためにと、発達障害のことを隠したまま生活をされている方も多いはず。

誰にも言うことができない。

相談できる相手がいない。

そんな孤独感を抱えながら、毎日自閉症児のお世話を頑張っている保護者さんのストレス量は、当事者の私にすら計り知ることができません。

迷惑をかけてしまうからと、外出を控えられている方もいらっしゃるでしょう。

でも、もし「大丈夫だよ、出ておいで」というオープンな環境があったとしたら?

孤独感と戦っている保護者さんは、話を聞いてもらえるだけで気持ちが休まるかもしれません。

一般的な育児論やアドバイスなんて必要ないんです。

だって、そういったものは発達障害児には全く役に立たないんですから。

泣いていたら抱っこする。

危ない場所では手をつなぐ。

そんな簡単なことでさえ、できないことがたくさんあるんです。

そして、それは彼らのせいではないんです。

だから非難しないであげてください。

他人の迷惑にならないよう、常にビクビクしながら子育てをするような状況なんて、本来ならあってはならないもの。

発達障害児たちに平等なサポートが必要なのはもちろんのこと、彼らを育てていらっしゃる保護者のみなさんにも、同じように助けが必要なんだと思います。

「外見が普通=普通の振る舞いをすることができて当たり前」だと見られがち。

でも「これが成り立たない場合もある」ということを知っている方が増えれば増えるほど、発達障害児やその保護者に対する風当たりは穏やかになっていくはずです。

そして周りに理解が広まっていけば、彼らが孤独感とともに生活をしていく必要もなくなるのではないでしょうか。

 

 

 

実は今回のブログなのですが、書き始めたのは去年のこと。

頭の中で考えをまとめながら下書きをしては、支離滅裂になって一部を削除、書き直しては再び消し・・・というのを半年くらい繰り返していました。

あまりにも自分の言いたいことがうまく文章にできず、思い切って全て消してしまおうなんていう気持ちにもなった日もあります。

でも最近になって、「やっぱり声に出さなければ伝わらない」という思いが大きくなってきました。

不思議なことに、このところ続けざまに、私の心の中にあったモヤモヤした気持ちを代弁してくださっているようなブログに出会ってきました。

それも、ひとつやふたつではないんです。

いつも遊びに寄らさせていただいているブロガーさんたちの記事だったり、たまたまふらっと訪れたブログであったり・・・・・

引き寄せられていたのでしょうか。

ブログだけではありません。

FBに友人がシェアしてくれた動画や、別の友人たちの体験談などもそう。

それぞれ内容は異なるのですが、全て私が今まで表に出してこなかった部分に繋がっていました。

みなさんがそうやって声を上げてくださっているのなら、広める立場はひとりでも多い方が効果が大きくなるはずですよね。

だから今このタイミングで、私も心の中にしまっていた気持ちをお伝えすることにしました。

ただの個人ブログではありますが、こうして残しておくことによって、今後もどなたかの目にとまるかもしれません。

そこから少しずつでも、自閉症に対する理解が生まれていってくれたらいいなと願っています。

 

 

 

長いブログを最後まで読んでいただきまして、どうもありがとうございました。

こうして書き上げた今でも、私の気持ちを100%お伝えできている自信がありません。

相変わらず文章をうまくまとめることができず、支離滅裂で意味不明な部分もあるかと思います。

でも、ひとつだけ確かなことが・・・・・

障害を抱える人々が、公平に必要なサポートを受けることができ、周りと比べられることなく、差別を受けることなく、日常生活を平和に送ることができる世の中がやってきますように。

そして自閉症児を育てていらっしゃるみなさん、これからも頑張りすぎず、一緒に子育て楽しみましょうね。

 

 

 

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    私の文章?を読む前にまずこの方のブログをみてください!!文章を書くのが下手な私の変わりに代弁してくれてるような気持ちになって、仲間がいてくれた安心感で嬉しい気持ちになりました。(気持ちだらけでごめんなさい)自閉症に見えないねというのはある人にとっては慰めの言葉だったり、励ましだったり、こちらのことを…

    ポポ

    2017-03-26 20:48:40

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