伝説のジョホールバル一番乗り ウラ話
試合2日前、シンガポール経由で突っ込んだ。
夜、現地の方に聞きまくりながら、バスを何本か乗り継ぎ、陸路で一路マレーシア・ジョホールバルを目指したよ。無我夢中だった。
「もうスタジアムは並んでるだろーな」
スタジアムをぐるっとひとまわりしてみるが、誰もいない。。。
やった!ラルキン・スタジアム一番乗りだ!
スタジアム関係者に入り口を聞き、バックスタンド側にトボトボとひとり用テントを張る。
モソモソしてたら、関係者だろうか、
「そんなことで寝るなら、スタジアム内で泊まるといいよ」ありがたいお言葉
「えー、いいんですか?」あっさり、お言葉に甘える。
で、紹介してくれたとこが、地元ユースチームの合宿所・・・
あちゃー、きょわい
観客席の真下にタコ部屋みたく2段ベットがずらり並んだ部屋だ・・・
おそるおそる、おじゃまする。
が、皆さん、若くて元気、大歓迎や!
カタコトのマレー語で皆、大ウケ。
早速、シャワーを使わせてもらう。
なぜか、トイレ臭い。
2段ベットのひとつを借りて就寝。
翌日は、試合チケット探しに街中へ
午後は、代表チームの練習風景を、なんとピッチのそばで視察。すげー贅沢。
試合当日。
とにかく暑い。
コーズウェイを渡り、日本人サポーターが続々と集結しはじめる。すごい数だ! 青一色。
まさか、こんな監獄みたいなスタジアム内の合宿所に、日本人がひとり泊まってるなんて誰も思わないだろーなー。
張ったテントでごろっとしてよう、と考えたものの、暑くてテントの中に入られたもんじゃない。
時間ももてあましてたので、テント張ったまま街へ遊びに行っちゃった。
試合直前に戻ってきた。
あとから聞いた話だと、「あのテントの持ち主はだれだ?」とメディアでも話題になってたそう。
デイリースポーツには掲載されたが・・・
(当時の記事、国会図書館には休刊日の駅売り特別版だそうで保存していない・・・)
で、テントを片付け、持ったまま入場。
試合の感想は、数十年に一度の試合、いや、日本サッカー史上永遠に語り継がれるだろう試合のスタジアムにいあわせ、生で観戦できたことに
「サッカーみててよかった」
「これだからサッカーはおもしろい」
と強く魂に刻まれた。
勝利の瞬間、観客は、ピッチになだれ込まんばかりの勢いだった。
ぼくもそんな勢いでしたが、もっていたテントがじゃまで、なぜか冷静な判断でその場を動けなかった。
よくよく見ていると、高い柵を乗り越え、ピッチに降りようとする客は警備員にボコボコ叩かれていたような・・・
だから、ピッチ内には結局しばらくは入れなかった。
サポーターの中には、試合後のロッカールームに潜入して選手の飲みかけのドリンクをゲットして喜んだり、ピッチ内に入ってヘッドスライディングしたり、もうめちゃくちゃwww
僕は、早々と荷物をまとめ、試合後の選手たちを追いかけていた。
選手たちの宿泊ホテルを聞き出し、そのホテルへ。
ロビーには、日本サポーター7、8人、なぜか現地サポーター数人。不思議とマスコミの姿はなかったような。
1、2時間は待っただろうか? 深夜0時を過ぎていたはず。
ついに、地下のレストランで祝勝会をしていた選手たちが階段をあがりながら出てきた。
僕は、カズにかけより、ずうずうしくも肩をまわし・・・
カズから缶ビールをいただきました。
その後は、選手の方々とおのおのロビーで記念撮影。皆さん、気さくに応じてくれた。
深夜の高級ホテルのロビーで大騒ぎしてるのに、ホテル側、注意ひとつせず・・・アジア特有の緩やかさにこの時ばかりは感謝した。
そのあと始まったのは、セルジオ越後さんのにわかトークライブ。
サポーター数人とセルジオさんでロビーで輪になり、立ち話。
とてもおもしろいが、これが長い長い。軽く一時間はしゃべり続けてたような・・・
深夜2時、3時位だったような・・・
どんな内容だったか覚えてませんが、おしゃべり大好きおじさんの印象が強烈に残った。
結局、どこにも泊まらず、一睡もせず、ホテルのロビーを後にし、翌朝の便で帰路に。
ちゃんちゃん