フランスW杯の追憶 | ひとり弾丸ブログ 南アフリカワールドカップ

フランスW杯の追憶



12年前の98年フランスW杯では、チケット騒動がすさまじかった。

現地に滞在し、自分は大丈夫と信じきっていたが、巻き込まれた。



チケットは確かに存在していた・・・

無数の現物が目の前を通り過ぎていった。




チケット騒動の顚末は、連日、当時のニュースにも。

僕も、ほんのチラリ映ってます。(どれでしょう?w)






事前にコンタクトとっていた、個人ブローカーが唯一の頼りだった。

現金5万円アルゼンチン戦・カテゴリー1チケット
引き換え。


試合2日前、トゥールーズでのホテルで落ち合う旨、メールで約束していた。




で、当日待ち合わせ場所に赴く。

既に、チケットを手配していたらしきお客がひとり待っていた。

来たのは、派手めのTシャツ姿の日本人と通訳らしきガタイのいい国籍不明の人。

むちゃくちゃあやしい・・・




「実は、チケットがとれていない・・・」

「我々を信じて待っていただくが、

チケット代頂かず、違約金3000フラン(約7万5000円)払うんで取引を解消するか、

どちらか選択して下さい」

違約金に目がくらんで、後者を選んでしまった。





そっから、違約金片手に、市内・近隣都市を探しまくった。

トゥールーズへ向かう電車内で

「チケット一枚カテゴリー3、余ってるんでいりませんか」と声をかけてくれ、

手前のカルカソンヌで降りていった日本人。

彼を探しに、カルカソンヌへ。




また、夜はトゥールーズのキャピトル広場でアルゼンチンサポーターが騒いでるのを尻目に

「チケット下さい」の紙を頭の上にかざし、立ち続けた。

一枚4000フラン前後(約10万円)の相場観はつかんでいた。

(10万払うなら、一番いいカテゴリーで観たい)

このこだわりが・・・





そして、試合当日。






広場では、スーツの内ポケットにチケットを大量に忍ばせ、チラッと見せながら、一番低いカテゴリーで「4000フラン(10万円)でどうだ?」

ダフ屋から買おうとして、ATMに向かうも、カードを機械に吸い込まれてしまったままのサポーター。

スタジアムでチケットを手に入場待ちで並んでたら、気づいたらチケットがなかったサポーター。

某代理店はアタッシュケースに札束詰め込んで、ダフ屋から買いあさる醜態。






試合開始一時間前、いい引き合いが来た・・・

「カテゴリー1、2枚で6000フランでどうだ?(約15万円)」




(手元に5000(約12万5000円)しかない・・・)

ここで、1枚3000~5000で瞬間取引をすべきだった。




もたついてるうちに、あっという間にダフ屋数人に囲まれ、「そんなん安すぎだ!一枚6000だ!」

なんだろなんだろと、日本人サポーターも集まり、ちょっとした人だかりが出来た。




「1000貸しましょうか?」と言ってくれた日本人もいた・・・

しばし、言い合いが続いた後、そのダフ屋は苦笑いしてスーっと離れていった。




もぅ、細かい交渉の顛末は記憶にない・・・

多分、2枚5000で最後までこだわっていたのだろう。バラ売りはしてくれなかったのかもしれない。

一本調子の交渉、焦り・疲れもあっただろう、下手くそすぎた・・・





試合開始30分前。

(もうスタジアムに行かないと)



日本人数人が乗っていたワゴンに声かけ・・・

「お金払うんで乗せてくれませんか?」

無情にも、断られてしまった。




気づいたら、広場に人がまばらになっていた。

なんだか、沈み行く船に取り残されたような気分だった。




試合開始。




一体、どこをどう歩いて見つけたのか、呆然自失のまま、パブリックビューイングの画面を観ていた。





後から、聞いた話だが、、、


出発前に問い合わせ続けていた日本の代理店から「チケットとれました」との連絡が実家に来ていた・・・

また、違約金をくれたブローカーは結局、チケットがとれた模様・・・




日本戦第二試合、クロアチア戦のチケットは、

現地の人からのオファーで、サポーター同士ジャンケンして2000フランで譲り受け、観戦できた。

捨てる神あれば、拾う神あり。



今となっては、いい思い出だ。忘れることはないだろう。




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