2008年05月05日(月)

アール・ボスティック

テーマ:お気楽CD日記

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コルトレーン、ヘロインを断つ 地獄の目次録


Best technician I ever heard in my life!
Charlie Parker couldn't touch him.

               ―Benny Golson
(*)

(*)Porter, p.90


ユージーン・アール・ボスティック Eugene Earl Bostic は1930年代後半、ビッグ・バンド・ジャズ全盛期に頭角を現わし、後、R&B やポップスの分野で数々のヒット曲を放ったアルト・サックス奏者。

サックスの機能について深い造詣を持ち、チャーリー・パーカーも一目置くほどの驚異的なテクニックを誇った。が、その該博な知識、信じ難いほどの高度なテクニックはジャズ・ファンが納得するような即興演奏として昇華されることはなかった、というか、そういうことには関心がなかった?


1913年4月25日にオクラホマ州タルサで生まれる。参考までに挙げると…。

コールマン・ホーキンスが1904年生まれ。
ジョニー・ホッジスとベニー・カーターが1907年。
レスター・ヤング、ベン・ウェブスター、ハーシャル・エヴァンスが1909年。
ドン・バイアス、バディ・テイトが1913年でボスティックと一緒。

ついでにチャーリー・パーカーが1920年、ワーデル・グレイが1921年、デクスター・ゴードンが1923年、ソニー・スティットが1924年。


ハイ・スクールでクラリネットとアルトを学び、卒業後ネブラスカ州のオマハに移って一年間クレイトン大学に通う。この学生時代にプロのミュージシャンになる決心をした。

プロとしての活動は1928年頃に開始。トランペッター、テレンス・ホルダー率いるダーク・クラウズ・オブ・ジョイ Dark Clouds of Joy (*)に参加、バンド・メイトにはバディ・テイトがいた。

(*)著名なアンディ・カーク・アンド・ヒズ・トゥウェルヴ・クラウズ・オヴ・ジョイの前身。1929年にアンディ・カークがこのバンドを引き継いだ。

が、1930年代初頭、ニューオリンズに移り、ザビエル大学に2年間通ってハーモニーと理論、アレンジを学ぶ。1934年に卒業、以後、南部や中西部のテリトリー・バンドを渡り歩き、1938年1月、漸くニューヨークに至る。


ニューヨーク到着早々ドン・レッドマン・オーケストラに参加、ピアニストのエドガー・ヘイズのバンドにも暫しとどまった。

1938年末、自身のバンドを結成し、ハーレムのクラブ、スモールズ・パラダイスのハウス・バンドとして長期間出演。このバンドではアルト・サックスの他にトランペット、ギター、バリトンサックスも演奏。

1939年10月12日、ライオネル・ハンプトンのセッション(RCAヴィクター)でレコーディング・デビュー。この時26歳。意外と遅いです。この時の1曲、Haven't Named It Yet がハンプトンのコンピレーションに入っているので聴いてみる。

The Lionel Hampton Story
The Lionel Hampton Story

Haven't Named It Yet
ハンプトンとチャーリー・クリスチャンの共作。いや~、チャーリー・クリスチャン、かっくいいです。あれれ、でも締めがいまいちだ。ドラムもいい。シド・カトレット大好き!
ボスティックのソロは8小節だけ。がしかし、派手なテクは使っていないものの、非常にアルトが良く鳴っている。まったく危な気なし。やはりこれだけアルトを鳴らせる人ってこの頃それほどいなかったのではないか。ホッジスというよりはカーターに近いかな。パワフルなカーターといった感じ。


自身のバンドを率いる傍ら、ボスティックは曲とアレンジをアーティ・ショウ、ポール・ホワイトマン、ホット・リップス・ペイジといった人たちに提供。ルイス・プリマの「ブルックリン・ブギ」、アルビーノ・レイの「ザ・メジャー・アンド・ザ・マイナー」等、いくつかヒット曲も出した。なかでもアニタ・オデイとロイ・エルドリッジをフィーチャーしたジーン・クルーパの「レット・ミー・オフ・アップタウン」(1941)は大ヒット(へえ~。でも聴いたことねぇや)。


1941年、トランペッター、ホット・リップス・ペイジのコンボにドン・バイアス等と共に参加。この時のレコーディングでは既に目覚ましいアクロバティックなテクニックを披露しているらしい。
1943年、ライオネル・ハンプトン・オーケストラに参加。1944年3月2日のレコーディングでは Chop-Chop という曲でソロをとっている。これはソフト&メロウな演奏。まあ、テナーにアーネット・コブとアル・シアーズがいた時で、自然そういう役どころになるのかな。

1944年7月、ハンプトンのバンドを去り、再度自身のコンボでスモールズ・パラダイスに出演。同年9月29日のホット・リップス・ペイジとのレコーディグが1曲だけドン・バイアスのコンピレーションに入っているので聴いてみる。

Melody in Swing, 1941-1945 Don Byas
Melody in Swing, 1941-1945 Don Byas

You Need Coachin'
ペイジのボーカルによるブルース。これっていわゆるジャイヴ? ペイジのヴォーカル、バイアスのテナー、ペイジのトランペットに続いて取りをつとめる形でボスティック登場。これが凄い。途切れることのない速吹で、なんじゃこりゃと思わず笑っちゃう。バイアスのテクニックが霞んでしまうほどのインパクト。(しかし、内緒ですが、何度も聴くとボスティックには早々に飽きちゃって、バイアスの良さが聴こえてきます。)


これほどの技量に作曲・アレンジの才があればボスティック名義でのレコーディングは自然の勢いというもの。1945年11月/12月(なんか曖昧)、初リーダー・セッションの機会を得た。ボスティックこの時32歳。コルトレーンより2年も遅い。これだけ際立った能力を持ちながらちょっと意外な感じがします。次第に R&B への傾斜を強め、大ヒット曲も出したこの後のリーダー・セッションについては次回に。 (つづく)


コルトレーン、ヘロインを断つ 地獄の目次録

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コメント

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4 ■shigeさん、どうもです~

コメントありがとうございます。m(_ _)m
わたくしもコルトレーンの伝記読んで初めて知りました。テクニックは凄いけど音楽がいまいち、というパターンの典型だと思います。実を言うとかなり面白いんですけど、残念ながら感動がないんです。

ありゃ、さうですか。やはし「おしゃれ」なんですかね。照れるなぁ~…って(汗)、やはしshigeさんいちびりぢゃ~!

3 ■楽器上達法さん、どうもです

アール・ボスティックはがっぽり稼いで、いい服着て、仕事のない時はキャデラックにおネエちゃん乗せてドライヴしてたそうです。
こんな弱小ブログにリンクされても効果ないと思うけど。(-_-;)

2 ■あちゃ~(>_<)

アール・ポスティック…なんか記憶にないです(汗)勉強不足ですね(;_;)あっ!前から言おうと思ってたんですけど…トレ―ンさんのブログ、凄くおしゃれだと思ってました。

1 ■無題

すごくおしゃれでいいサイトですね^^

ぜひリンクしてください~

http://dionodrumrudhiments.blogspot.com/

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