コメント欄に入っていた


婚約までしていたのに 破棄して 統一教会に献身していった


女性の話し。


ああ・・・・ 心が痛いです。



どれだけの人が 統一教会に関わって 愛の涙を流して行ったか・・・


そんなことを 考えてみると 胸が苦しくなります。





涙で 思い出したことが 1つあります。


私の母が亡くなったときのことです。



高校1年の時 母が亡くなりました。


自殺でした。



高校1学期最後の 締めくくりの時期で


クラス対抗 合唱コンクールの日でもありました。


昼を過ぎた頃でしょうか?先生から 急いで帰るようにと


言われました。理由はありません。


私も なぜに?聞けませんでした。


もしかしたら 朝 母と別れたときのことが 私の中に


特別に残っていて 既にもしやという思いがあったんでしょうね。


自転車で30分の道のりを 家に向かっていると


隣の酒屋のおじさんが トラックで迎えに来てくれました。


それだけでも 尋常なことではないとわかりました。


おじさんも何も言われず ただ 「お母さん 体が弱かったの?」と


それだけ私に聞きました。


そのときから 予感というよりも 母が この世の人で


亡くなったことを 察知していました。


それでも それでも・・・・



家に着くと 中学から先に帰ってきていた妹が


オンオン泣いている声が聞こえました。


私は母を 確認して 自分の部屋に下りてきました。


布団を敷いて横になりました。


寝てもいられなかったです。


ただ ぼーーっとしてました。


でも 涙が出てこないのです。


私は どうして涙がでないんだろう?と 自分で思っていました。



葬儀のときも 泣きませんでした。



私が 涙を流したのは それから 数ヶ月後でした。


雨の中 濡れて 自転車で帰りながら


思い切り泣きました。



昔 雨に濡れて帰ったとき 母が外に出て待ってくれていました。


言葉をかけられた途端 私は嬉しかったのですが


なぜか 思いがパンと弾けて 自転車を倉庫の前に投げ出して


さっさと 家の中に入って 制服を脱ぎ始めました。


雨の日は お母さんが 車で 迎えにきてくれる人が羨ましくもあり


それでも 母が こうやって 出向いてくれてたことが


嬉しくもあったのに 反対の言動を取ってしまいました。



そのときのことを 思い出していたのです。


もうああやって 出迎えてくれる人もいないんだ・・・という悲しさで


あのときとった態度を 後悔する気持ちも少しはあったかも


しれません。


顔は雨に濡れ 外は真っ暗 涙を流しても 嗚咽しても


誰もとがめません。私は ペダルを漕ぎながら 思い切り泣きました。



そして 思いました。


やっと 泣けるようになったんだ・・・・・と


自分がどこかで 冷静に見ていました。



本当に悲しいときは 


涙も出ないのかもしれません。



だから 私は彼に別れを告げたあの日 涙を流したのか


それとも 涙も流せなかったのか・・・


でも 思い出せないのが もどかしいのです。