3・11の大震災より5ヶ月がたって、私達が訪問した地域は、住民たちの避難所から、仮設住宅への移動がほぼ終了、新たな環境での生活が始まったばかりの時でした。新しくプライベートのスペースができて‘我が家’でほっとして過ごす人、つらいことを思い出してひきこもる人、夏休みということもあり、ボランティアの人たちと遊んだり勉強したりする子供達の姿も見られました。演奏会場に設定された場所は、公民館のロビー、野外のテントの中、教会、映画館などさまざまでしたが、どれだけの人が、演奏会に出かけてくださるのか、わからない為、少し早めに会場に到着した時は、私たちはチラシを持って仮設住宅を廻りました。同じ作りの仮設住宅ですが、その玄関前は、お花を植えている人、ゴウヤのひさしを作っている人、可愛い模様の暖簾をかけている人、各家庭でさまざまな工夫がなされ、生活がスターされているようでした。しかし、中には、改めて孤独に直面し、自ら命を絶つ人もいると聞きます。私たちは一人でも多くの人に、演奏会に足を運んでいただけるよう、願いを込めて、手分けして個別訪問をしました。


どの演奏会も、聴きに来てくださった方には喜んでいただけたと思います。どんな環境でも、大舞台と全く変らない、緊張感と、パワーで演奏し続ける伊藤光湖さんのヴァイオリンに、うちわをあおいでいた聴衆の手がとまり、ざわめきが静まり、身を乗り出して耳を傾ける人々の顔がやわらぎ、祈りに変わっていく瞬間はすばらしい体験でした。「電波と放送以外の生の音は津波以来始めて聴いた」「ありがとう」「元気がでるよ」「クラシックは初めてだけどいいね」「ヴァイオリンっていろいろなところから音がでるんだね」「死ぬことを考えたけど、生きていればいいことあるね」などと言ってくれる人もいます。演奏会後にぼつぼつといろんな話をしてくださる方も増えてきました。


大槌町の「まごころ広場」のリーダー臼沢さんは、津波で首まで水につかり、電線につかまって、助かった人です。たくさんの人がそばを「助けて~」と叫びながら流されていたのを見ても、どうしようもなかった苦しさを伝えてくれました。なぜ自分が助かったかを思った時、こうして助かったみんなが集まれる場所をと思い、この広場を開設したといいます。


橋野という山間でのコンサートの後、北海道のNPO「ねおす」の方たちの計らいで、お母さん達で結成された「山のカフェ」もオープンされました。心のこもった手作り惣菜やお菓子など盛りだくさんのご馳走を用意してくださったお母さん達は、実は被災者達だったのです。食卓を囲んで、会話が進むうちに、311日当日のこと、その後、寒い中、支援を待って、待って過ごしていたこと、家も全て無くし、4歳の孫を残して娘さんが行方不明、その後、遺体が発見されたこと、その弔いの様子、5ヶ月たった今になってやっと涙がでるようになったことなどを次々に語ってくれました。たったあの15分で人生がすべて変ってしまった悲しみ、やるせなさは、語るも涙、聞くも涙でしたが、こうして生きている事の大切さ、ありがたさをも語る彼女達を心底すてきだと思いました。来て本当によかったと思いました。


語りつくせない体験をさせていただいた私達ですが、これから何ができるか考えた時、大切なのは、彼らを忘れないことだと思いました。夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来て、それでもずっと友としてかかわり続けることができたらと思いました。私達が出会えた人は、ほんの限られた人達です。まだまだたくさんの人たちが助けを必要としています。どうか皆様、是非、被災地に行ってみてください。瓦礫の撤去のお手伝いはできなくとも、ただ出会った人の心のドアをたたくだけでもよいような気がします。


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