未来リボン(Mirai Reborn)ー未来と結ぶ、幸せ愛をとどけたい。

日本文学科(中原中也研究)を卒業して、商社の営業、突然経済のど真ん中に。その後自分の夢に向け転職すること数回。会社を設立。経済学、情報学を勉強するために大学院へ。今は文化人類学者として研究と実践と。幸せ愛を見つけるために、日々放浪(^^)


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2015年5月31日(日)大安

昨日ラジオで、帝京大学ラグビー部監督である岩出雅之氏が著した「負けない法則」の内容について話されていた。その中で印象深かったのは、その負けない法則のまとめのところで書かれているという、最後は誠実にやったものが負けない、ということであった。(記憶が曖昧ではあるが、なんとなくそんなことを話していたのだと思う、、、あしからず。)

最近の若者と対峙していると、どうもそのことができていないようですっきりしなく思っていた。誠実とはどういうことかいろいろと考えはあるようだが、ネット上で調べたところ、そのいくつかとして、「自分の信念に1.一貫性があり、常に1.謙虚に学ぶ姿勢を持ち、困難な状況にあろうとも1.勇気をもって臨めること」とあったり、「1.真面目 1.正直 1.素直 1.嘘が嫌い 1.まっすぐ人と向き合う 1.仲間を裏切る行為をしない 1.悪口を陰で言わない 1.自分が決めたことは最後まで貫き通す」とあったりするようだ

先日は別のところではあるが、出る杭についての議論において、部分最適と全体最適において、部分最適の悪いところには、人間の業があるといったことが言われていた

そんなことを組み合わせて考えていくと、誠実とは「自己の我儘ではなく、仲間を思いやりながら正直に一生懸命に生きる姿」にあるのではないか、と考えた。難しいのは、仲間を思いやりながら、の部分である。仲間とは、あらゆるプロジェクトに集まってきたその時々のメンバーである。仕事であれば会社の仲間であり、大学のゼミであればそのゼミに集まった仲間であり、部活であればその部活に集まってきた仲間である。この集まってきた状態を考えると、自分の出世のためとか、自分ばかりとか、とかく自己の我儘が出やすくなるのだが、そこで我儘が出た時には、そこには誠実さはなくなり、その組織や広く社会は衰退していく。この話をしていくと、信念を貫くために頑固と比較されることもあると思うのだが、そこは謙虚な姿勢で臨み、その自分の持っている信念も、ときにブラッシュアップすることも必要になることを忘れてはならないのだと思う。このブラッシュアップの仕方を間違えると、頑固になり、誠実さがなくなることも出てくる。まずもって、難しい。今の政治家は、まさにこの誠実さが欠けた状態なのだろう。いつの間にか、頑固になっているのだと思う。そこには謙虚さがない。そうなってくると、仲間を思いやることができなくなり、仲間は離れていき、協力することや協力してもらうことを忘れてしまい、できることもできなくなる

昨日、ゼミ対抗のソフトボール大会があった。うちのゼミは、普段はそうでもないのだが、そういったくだらないと思えるようなイベントでさえ全員参加、一致団結して臨むことを常々言っている(つもりである笑い。)それは、これから社会に出てから、多くの理不尽に出会った時でも、誠実に対応していれば、いずれよい状況に導かれていくことを感じさせることにある。が、昨日の大会では、この誠実さがなく、仲間を裏切り、自己の我儘を存分に発揮していた。ゆえに、負けた。一番すっきりしない負け方である。部活でもそう。今の状態は、自己の我儘のみで、平気で仲間を裏切っている状態にある。いつ練習する、という約束も、バイトを理由に平気で休む。何人もの仲間が集まっているのにである。(少なくとも、私が行っている。)何やらわからないが、違うチームだからと、その時々に集まる仲間ではないと拒絶し、(もしくは自己弁護をし、)仲間にさえ加わろうとしない。そこには、誠実さなどかけらもない

私は言いたい。そんなことでは幸せな人生は待っていない、ということを。なぜ、誠実さを求めるのか、というと、そこは幸せな人生を望んでいるからなのではないだろうかそこでは自己の我儘をコントロールしなければならない。そんなことを理解しながら、謙虚に一生懸命に生きることが幸せな人生なのではないだろうか生きていく中で、時に戦わなければならないことが生まれるが、それは相手に誠実さがないときだろう。やはり、これからの自分の人生、ひいてはこれからの社会で必要なことは、この誠実さにあるのではないかと思うのです。。。
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2015年5月9日(土)大安

このGWに、いろいろと自分の方向性について考えていた
この夏くらいには、自分としてあるテキストめいたものを出したいと思っているのだが、それは、どんなものなのだろうと。

学術的世界の中に、未来学なるものがある。しかし、どちらかというとその傾向は夢物語のような雰囲気もあり、あまりしっくりこなかった。その中で、地球未来学という学問があることを知った。それは、環境学をベースに考えられているようだが、社会科学の分野からのアプローチが足りないようだ。

ということで、地球未来学を発展させる形を考えてみようと思った。ちなみに、私のバックボーンは、もったいない思想、マーケティング論(とりわけサービスマーケティング論)、メディア論、である。そのバックボーンから考えていったとき、この地球の未来を考えるときに大切となる考え方は、持続可能性と効率性の追求になるのではないかと考えている。(ちなみに、 電子書籍を推進する上でペーパーレス化の重要性は、ここに起因する。情報財を伝えるにあたり、紙は減らすことはできないが、電気使用量は知恵で減らすことができる。のであれば、できうる限りペーパーレス化を進めたほうがいいような気がする。)

この2つの形は、実は相反する性格を持つところがある。今の経済社会は、効率性を追求する。が、そのために、地球が与えてくれているエネルギーを存分に利用している。つまり、人がやることを、地球が与えてくれているエネルギーを利用することによって代替させようとしているのである。そこに、持続可能性が失われるのである。ということは、どうすればいいのか

GDPによる経済成長などを追わずに、人類が生存するための成長を追うようにすればいいのではないだろうかそれには、ある程度の経済は必要だし、社会インフラは必要になるのだろう。その時に必要な量については、身の丈を知ることにある。身の丈、はどこで測るのかというと、それは、その地域において人類に与えてくれるエネルギーに着目すべきである。そのエネルギーをどのように測るのかそこで、効率性を見ることとなる。今まで気付きもしなかったようなエネルギーを人類の生存のために取り込み、また、そのための研究開発を進める形である。(ちなみに、地球未来学では地球温暖化を問題としているようだが、熱くなった地球熱を利用を進める形を考えれば、そこからエネルギーが移転し、地球温暖化の問題も解消しようもんだと思うのだが、そこはまだ一方通行のような気がする。。。)

この詳細の形を、テキストのような形で作ろうと思った。それが、基礎地球未来学原論、になる予定である。そう、あくまで予定笑い。まずは、未来学や地球未来学の整理が必要なんだろうなー、と。自分の備忘録として。。。


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2015年5月5日(火)先勝

2015年5月2日、イギリスに王位承継4位のプリンセスが誕生した。おめでとうございます。病院からお母さんに抱かれて出てきた姿を見た時、なんとなくではあるが、あっ、この人は、なにかあるな、と不思議な感じを覚えた。(なにか、とは、世界によいことをもたらす意味である。悪いことではない、あしからず。。。)

私には、この世の中には天才はいない、と思っているひとりである。それは、この世の中は、ある程度のところまでは、努力を続けることで到達できると思っていることの裏返しである。そのため、社会人になってからは、コンコンと努力を続けてきたつもりだ。これは、社会人になる前の若かりし頃にサボっていたことの反省から来ている

小学生の頃、恵まれた体と記憶力を頼りに、ほとんど努力もせずに、そこそこの成績を残すことができた。それは、なんとか、中学生までは保つことができた。が、その生まれながらにして与えられたものは高校生の時点で潰えた。しかし、だからと言って努力もしなかったために、不毛な高校時代を過ごしたと思っている。大学生になって、その自分の人生は、生まれながらにして持っていたものから、努力して勝ち得ていくもの、という考え方に変わり、それ以来、努力というものを続けていこうとがんばってきた、つもりだ。

これは、もしかしたら、ノストラダムスの大予言に関わってくるのかもしれない笑い。というのは、私たちの年代は、30歳を迎えることなど信じていなかった、にもかかわらず、30歳を迎えることとなった笑い。その時点で、やばい、このままの人生ではやばい、と思ったことから考え方が変わったように思う

しかし、その転換が遅かったのか、能力の限界を感じることがある。それは、自分が挑戦している才能の伸びの限界である。それは、努力ではどうにもならないことなのだろうか運命で片付けていいものだろうか心が揺れる。しかし、近年、40代のスポーツ選手の活躍を見聞きする。(一方で、10代後半から20代前半の若者が世界で活躍する姿も見聞きするのだが。。。)ということは、まだまだ運命で片付けてしまってはいけないのかもしれない。

が、運命で片付けていけない、ということは、自分の人生と戦うことに他ならず、正直、心が折れそうになる。つらい。が、ここでの踏ん張りが限界を突破することにつながるのかもしれない、などと。40にして惑わず(四十不惑)などとは程遠いなーと思いながら、過ごす日々が続いている。とりわけ、あの王女に感じた、圧倒的な運命の力に触れた時、そんな振れ幅が大きく感じた。

とりあえず、努力の横に運命があるのだろう、と思う。運命は、努力している途中に、ふと、もたらされるのだろう。なにがいいのかもう少し頑張ってみようと思う。。。
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