未来リボン(Mirai Reborn)ー未来と結ぶ、幸せ愛をとどけたい。

日本文学科(中原中也研究)を卒業して、商社の営業、突然経済のど真ん中に。その後自分の夢に向け転職すること数回。会社を設立。経済学、情報学を勉強するために大学院へ。今は文化人類学者として研究と実践と。幸せ愛を見つけるために、日々放浪(^^)


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2015年4月5日(日)赤口

4月4日は、入学式がありました。当学部は、世間の動向とは異なり、定員オーバーの入学者があふれていた。(定員には厳格になるようですが笑い。)

さて、毎年思うのだが、この時期、新入学生に向けて送るメッセージに困る。というのも、私にとっては毎年のことだけれど、新入学生にとっては一生に一回のことだからである。しかも、私の意識として、大学からは人生のリスタートを強く思っているからである。リスタートの最初の最初、どういうスタートを切るかは、とても重要になるのだと思う。

世の中は、情報社会になり、覚える脳から考える脳へ移行している。覚えることは、機械が覚えており、それを引き出す術を知っていれば、覚えることは大して役に立たない時代に突入している。(ただし、引き出す術を獲得するためには、ある程度の基礎的知識は必要なのであるが。。。)NHKでは、吉田松陰先生がクローズアップされているが、松陰先生は、まさに考える脳を鍛える教育をしていたような気がする。激動の時代においては、求められる人物像が違うのだろう。それが考える脳の必要性だ。そして、その上に必要なのは、行動する力であろうと思う。

今回の入学生たちを見ていて、とても品がいいような気がする。それこそ、さとり世代とかつくし世代とか言われる世代なのだろう。ただ、残念ながら野性的な力強さとか、タフさが感じられない気がする。それは、覚える脳を作られてきたからなのだろう。それに従う行動を作られてきたのだろう。しかし、激動の時代においては、このままではその激流に打ち負かされてしまう。このリスタートの時期においては、野性的な力強さを求めてほしいと思う。常識や当たり前を打ち破るタフさを求めてほしいと思う

今、この日本で求めらえているのは、生きるタフさ、のような気がする。世間的には高大連携が進められている。それは、社会人に向けてのリスタートを切るための力強さを強めるための形なのだろう。高校までに基礎知識を固めてもらい、大学においては、その基礎知識を基に、常識や当たり前を打ち破り、生きるタフさを醸成していく。そのための一連の流れのような気がしている。

今の日本社会は混沌としている。世界中さえ混沌としている。その要因は、今まで目標としていた物的豊富な形から心的豊富な形への変化のためであるのだが、そのためには、このリスタートを上手に活用してほしい、と思う。社会は、確実にそちらの方向へ向かいつつある。(残念ながら、マスコミや情報リソースは旧いままの体制だし、政治もまだまだ旧そうだ。それはそれでいつの間にか、取り残されていきそうで、少し怖い気がするが。。。もうひとつ、スマホのゲームにのめり込んでいる若者も、その旧い体制の上に乗った形であることも、それとなく教えていきたいと思うのだが。。。)さて、そんな世界が変わっていったときに、活躍できる人財になってほしいものだと思う。それには、このリスタートをうまく切れるかだ。基礎知識が足りないと思うのなら、基礎知識獲得のために動いてほしい。行動したいと思うのなら、その基軸をきちんと定めた上で、判断し行動してほしい。大学4年間は、人生の中で与えられた唯一に近いくらい自由な時間である。その自由な時間を有効に活用してほしいと、入学式に参列して思うのでした。。。
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2015年3月29日(日)大安

昨日、ある学会の大会に参加してきた
テーマが地域新生だったので、興味が起こり、久しぶりに参加しました。また、開催が土曜日だったので、参加できたのもあるのかもしれない。(なかなか都合が合わないと、参加できないもので。。。)

そんな大会では、基調講演から事例報告まで、地方地域で起こっていることが報告された。その内容は、とても参考になることばかりだった。今、実際に起こっていること。それは、NPOが軽蔑視されていた以前とは大きく違い、今やNPOが重要視されていること。行政からのサポートにおいても、組織の形ではなく、実績ベースに変化しつつあること。はじめは、片付けや掃除から始まること笑いなどなど。いわゆる、近年は、泥臭いことを嫌って、あまりやらないように思われているのだが、それは、おそらく30代以上の多くの人たちの考えで、そのマイノリティーの地域づくりをやっている30代以上の人と、20代以下の若者は、そのことに対して積極的に関わるようになってきているらしい。大人世代は、自分の価値観ではなく、その若者感覚を理解して、引き出してあげることが必要なのだろう、と思った。若者が求めているのは、社会の中での自分の役割、のようである。それは、大した役割でなくてもよく、小さいながらもしっかりと自分のポジションが感じられることにあるような気がした。そこに大切なのは、そこは君じゃなきゃダメなんだ、ということなのだろう。私も若者と関わることが多いので、自分の価値観を押し付けないように、かつ相手の個性を引き出す環境を作り出すことに気をつけなければいけないなーなどと、なんとなく自戒の念も込めて思うのです

問題は、そこに大人の価値観の押しつけがあることなのかもしれません。ので、一部の発表では、少し残念な気持ちも持った。当然、それらの発表では、地域地域というのだが、その地域の規模はどれくらいなのかということがまったく分類されずに語られていた。地域づくりで、一万人以上いるところと3,000人程度のところと、数百人のところとでは、その地域づくりの形がまったく異なる。それがごちゃ混ぜになって語られる。地域づくりのモデル検証においては一万人以上のところにおいて語られることが多いのだが、事例においては、数百人から数千人のところでの成功事例が語られる。これを同率で語られると、方向性が間違うと思うのです。当たり前のことですが、成功事例がその一社の事例では、売り上げ規模が数千万から数億程度で成功になる。が、数万人以上のところでは、それでは到底賄えない。また、その成功の要因も、観光客が増えたとか、そこに若者が増えたとかになる。それは、地域の外が元気な時にはそれでいいのかもしれませんが、今や経済全体は縮小しているのである。(なぜなら、経済は人口動態と大きく関わるからである。それは、経済の根本には、付加価値、があるわけで、その価値は人が感じることであるからである。その人の数が減っている以上、経済は縮小することは当然の理となる。)そこには、結局、今までの大人の価値観がある。自分だけよければいい、という考えである。東京一極集中が問題になっているが、その東京の立場を自分たちの地域に持っていこうとする考えである。それでは、その地域間の競争が激しくなるだけで、根本的な解決にはならない。その競争には、どれだけ投資を集めるか、という形に落とし込まれていく。ので、いずれこのモデルは崩壊することになるのだろう。お互いに疲弊して、よりひどい形に落とし込まれていくのではないだろうかと危惧してしまう。

ここは、学術的にはやはり指標、というものが必要になるのだろう。問題は、PDCAサイクルを回していくだけの、その指標がないことにあるような気がします。今の状態は、プロジェクトの評価ができず、反省も喜びも生まれないのであります。そのために、何が良くて何が悪いのかがわからない。感覚だけで実行される。そして、中心人物が自分のリソースを最大限利用して成功に見えているだけであって、その人がいなくなったら、おそらくそこには持続可能性はなく、残るのは、もしかしたら厳しい言い方をすると、残骸という形になるのかもしれない。そのためには、ある部分はシステマチックに動かさなければいけないのかもしれないが、いずれにしても、ある指標に基づき、評価できる仕組みが必要な気がします。企業30年説、なんてものがありますが、地域経営は、数百年先も考えてやらなければならない。地域が30年でつぶれたら、それは元も子もないのである。(企業はつぶれたら、どこかに移れるが、地域は移れない、という根本的な問題がある。)

昨日の帰りに、今のアメリカで起こっていることが描かれた映画を見てきた。題名は、『ダムネーション』。今、アメリカでは、電気を作るために作り続けたダムを壊し始めている、というのである。電気で得られた人の利益もあり、100年ほどは潤わせたが、そのために失われた自然環境は、その100年ほどで得られた利益の数十倍の人類の利益を失わせていることに気付き始めたようである。そのために、ダムを壊して、自然の形に戻そうとしているのである。その映画の中で、反対派の議員の人が話していたが、今起こっている行動を、原始時代に戻そうとしている、と語っていたが、そんなことはない。きちんとした文化文明を経た今の人類である。そこには人類の知恵の蓄積があるのである。どんなにダムを壊しても、人々の生活が、原始時代に戻ることは決してない。ましては、そこから先の新たな形の文化文明がある可能性さえある。なぜ、健康を壊してまで、夜遅くまで仕事をするのかなぜ、夜空の満天の星を捨ててまで、明るくしなくてはいけないのか夜空の満天の星が好きな私として、そんな環境を捨ててまで起こす人間の行動などあるのだろうかと、思うのでした。。。
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2015年3月26日(木)友引

昨日、有名な大阪桐蔭で、裏金(簿外帳簿)の問題が明らかになった。その金額は、5億円以上とのこと。少し前までは、3億円事件などと言って、大騒ぎしていたのが、嘘のような多額の金額。この裏金について、教材費から蓄積していったことが問題とされているが、もっと大きな問題は、簿外帳簿が存在していることではないだろうかどうも、今のマスコミ各社のニュースを見ていると、ピントがずれているような気がしてならない。

資本主義が進んでいき、政治の力が増大してくると、必ず起こるこの問題。政治とカネで、国会審議が空転しているようだが、その国会運営でさえ、血税で賄われている。血税の垂れ流しも、一日3億円とも言われている

さて、問題は、正直者が馬鹿を見る、この社会の仕組み自体のような気がします。なぜ、簿外帳簿をつけるかというと、おそらくそこには、税金を払いたくない、という気持ちが含まれているのでしょう。じゃーなぜ税金を払いたくない、と思うかというと、その税金を支払った分だけの見返りが感じられないからでしょう。

今、誰が責められるかというと、先生と呼ばれる立場の人たちです。政治家の先生、学校の先生、医者の先生etc...それらの人たちで、目線がずれると、こういった問題が起こります。世の大半は、正直者です。ので、格差の下の方で、がんばっているのです。上の人たちは、なぜか、目線が変わります。政治家の先生は日本国民のため、学校の先生は生徒や学生のため、医者の先生は患者のため。本来はこれを第一優先で考え、行動するべきなのに、なぜか、上の世界に行く人は自分のために行動する。(先生方の大半も、下のほうでがんばっているのですが。)それは、その支払った人からの期待に十分に応えらえていないから、そういう話になり、簿外帳簿や機密費などと裏金作りに走るのでしょうね。

つくづく思いますが、残念な世の中になったものだと思います。昔の人は、何かをちょっとやって、というと、快く引き受けてくれたものですが、今の人たちは、じゃーいくらくれるとなる。それは、お金じゃないでしょ。お金は、その見返りで、申し訳ないな、と思わせたら、自然と来るものだと思います。なぜなら、お金は、その人への信頼であるからです。信頼は、一朝一夕には作れません。長年かけて構築されていくものです。(但し、壊れる時は一瞬ですが。)

今の日本は、昔存在していた、人への信頼というものが、極端に薄れていっているのだと思います。それは、模範となるべき先生たちが、それこそ、サービスやおもてなしの心を蔑ろにし、自分がよいようになれば、と考えるようになってきたからのような気がします。経済成長するということは、給与も上がるけれど、物価も上がるわけで、その角度がちょっとでもずれると、生活に窮する状態になります。先生方は、いつの間にか、その生活レベルというものがあがり、角度がずれてしまったのでしょうか

いずれにしても、世の中の人々の中にある信頼が回復していき、それが維持できるような社会体制ができていってほしいものだと、思うのでした。。。
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