未来リボン(Mirai Reborn)ー未来と結ぶ、幸せ愛をとどけたい。

日本文学科(中原中也研究)を卒業して、商社の営業、突然経済のど真ん中に。その後自分の夢に向け転職すること数回。会社を設立。経済学、情報学を勉強するために大学院へ。今は地球未来学者として研究と実践と。幸せ愛を見つけるために、日々放浪(^^)


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2015年11月22日(日)友引

先日、あるテレビで言われていたのを聞いたのですが、最近の研究成果として、ガンが遺伝によるものである確率は、平均で1%以下だそうです
最近思うことですが、題にあげた、遺伝や才能や奇跡、といったものは、科学的に根拠の薄いものを、その言葉でごまかすために使われているもののように思えて仕方がなく思う時があります
というのは、科学における真実とは、原因があって結果があるという因果関係でしかないわけだと思うのです。すべてのことに、因果関係がある。これは、自然界における「始まりがあって、終わりがある」ということに近い真実だと思うのです
さて、その真実の流れの中で思うことは、無常、ということです。時が動いている限り、先ほどあったこととまったく同じことは起こらない。当たり前のことのようですが、そこの環境は常に変化し続けているという事実のみのような気がします

しかし、人というのは、変化を嫌い、昨日と同じことが今日も起こると思いたいように思います。それは、そのように考えるほうが楽であるからにほかならないような気もするのですが、それでいいものなのでしょうか

最近思うことは、天才と呼ばれる人たちが、人の何倍も何十倍も努力しているという事実です。それを天才の一言で片づけてしまう。そうすることによって、その努力の部分は陰になり、活躍しているところだけに日が当たる
奇跡という言葉も同様です。奇跡の裏には、一般の人からは想像もできないほどの努力がある。しかし、奇跡という言葉は、その努力の部分を打ち消してしまう。(天才や奇跡を起こす人たちの努力には、無理やりしていることも少なく、努力そのものが、一般の人からは想像できない部分もあるとは思いますが笑い。あしからず。。。)

才能も、奇跡も、裏付けされた努力が原因となって、結果を生んでいると思うのです。
時折、その言葉の表面だけに気を取られて、うらやましがったり、嫉妬したりする人を見受けるときがあります。その人は、その裏に隠された努力を知らず、また知ったとしても、その努力を理解しようともせずに結果だけを得ようとしていることが多いように思うのです。しかし、残念ながら、先の科学の真実のように、結果は得られるはずもなく、さらにうらやましがったりする。(そのようにうらやましかったり、嫉妬している時間があるなら、努力をしたほうがいいとも思うのですが笑い。あしからず。。。)

日本語に、類は友を呼ぶ、という言葉がある。ここには、先の遺伝や才能や奇跡、の真骨頂に近づくヒントのようなものが隠されているような気がしている。つまり、その正しい努力を継続していることによって、その実現のための環境が形作られていく、ということに関係があるのだと思うのです

科学には、必ず因果関係がある。それは、万人が納得する形でなければならないことなのだと思う。そして、人類が見つけているその原因は、ほんの一握りでしかない、のだとも思う。また、その結果に関しても、時が止まらない限り、変化し続ける、終わりのない旅と比喩されることなのかもしれない、とも思う

ただ、きちんと気付いてほしいと思うのです。その才能や奇跡を起こすためには、正しい努力をし続けていることを。まだまだ才能にも辿り着けていないし、奇跡など体験したことがない私ですが、そんな天才や奇跡を起こしている人たちに、少しでも近づけるように正しい努力をし続けていきたいと思うのでした。。。
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2015年11月2日(月)大安

昨日、車のラジオで知った、最近のもて男は、三生男子なんだそうな

三生男子とは、「生存力」「生活力」「生産力」を持った男子のことのようです。それぞれの意味は、

●生存力…予期せぬ出来事に直面した時に、生き残れる。
●生活力…ひと通りの家事ができ、精神的にも経済的にも自立して生活できる。
●生産力…予期せぬ出来事に直面した時に、立ち直れる精神力と必要な人脈や人望を持っている。

となっているような。かつて、もて男は「三高」と呼ばれていた。いずれもご存知かもしれませんが、三高とは、「高学歴」「高収入」「高身長」でした。その後、四低時代に突入し、今や三生時代に移り変わりつつある。この移り変わりを見ていると、社会で求められているものそのものが映し出されているようで、面白く感じた。ちなみに、四低とは、「低姿勢」(女性に威張らない)「低依存」(家事を女性に頼らない)「低リスク」(リストラされない)「低燃費」(節約できる)となっている。何とも、質素な感じである

三高時代は、まさに競争社会。学歴を獲得し高い収入を得るために、必死に勉強し、一流企業に就職する。大きな身長を得るために、その研究をして、牛乳を飲み笑い(ちなみに、牛乳を飲むと大きくなるかどうかの因果関係は見られない笑い)、よく寝て、背の伸びそうな運動をする。(水泳とか、バスケとか。。。)まさに、男子にとっては、涙ぐましい努力を重ね、女子にもてようとしていた。(このころは、女子にもてようと、ミュージシャンになろうとする人も多かった。)

こんな競争社会を経て、いざ一流企業に入っても、サラリーは伸びず、ましてやその企業さえつぶれてしまう時代に突入すると、四低時代に突入。いつの間にか、競争に疲れ、競争するよりもなるべく目立たないように生きる時代。男子が静かになっていると、女性が強くなっていった。アッシー、メッシ―などと言われても、それに応じる男子の姿。草食男子、などと言われても、オレ草食だし、みたいな。これはこれで、平和な時代

その後に訪れる、三生時代。いずれも、生きることに必死になっている姿が感じられる。これは、生きることが大変になってきたからであろう。経済成長などとは言っていられない時代になっているのである。この三生時代は、共創時代なのであろう。人は、一人では生きていけない。人類は、生物の中でも、群れを成す生き物であり、唯一自ら食物を作り出すことができるようになった生き物である。そのために群れを成すこともある。自立と言っても、その周りには誰かがいて、その誰かがいないと生きていけないのである。それを理解しているかどうかが大切な時代になってきているような気がする

自然の中で、絶対的な真理のひとつに、始まりがあって終わりがある、ということがある。(人類は、まだ終わりがないではないかと反論されそうだが、それは、人類の知恵を持って人工物(農作物もそのひとつだろう。)を作って、そして、その知恵を引き継いで生き延びてきた。ゆえに、人類でも知恵を失えば生き延びることはできなくなる。)人類が生き残ってきた理由のひとつに、この真理を理解し、尊重し、大切にしてきたからではないだろうか最近気になることは、これを理解しないがために、年長者に敬意を払う姿勢が薄く、周りに感謝する姿勢が失われつつあるのではないだろうかということである。親が友達のようになることは、親にとって気楽に子育てができることになるのかもしれない。が、そこで子の親に対する感謝の念を失わせてはいけないような気がする。我々人類は、祖先があって初めて存在する。そして、自らが生き続けなくては、いずれ人類は消滅する。(感謝の気持ちが薄れつつある中では、消滅してもいい、と思っているのかもしれないが。。。)人類が消滅することは、その祖先が脈々とつないできた思いを断ち切ることにある。人は、生きるために生きるのである。生きることに、なんら特別な意味はない。ひとりひとりが、周りと協調しながら、幸せに生きることが、目的のような気がする。大切なことは、その周りと協調していくためには、その一人に役割がある、ということを知っておくことなのだろう。そして、その役割を探るために、生き続けなければいけない、ことなのだろう。人は、生まれた瞬間から役割を背負っている。その役割は、増え続けながら、時には変化しながら背負っていくわけであるが、周りと協調して生きていくことは、延々続いていく。そのことを忘れずに、これからも生きていこうと思うのでした。。。
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2015年10月13日(火)先負

昨日、ミニマリストなる人種が生まれていることを知った。どうやら、雨風をしのげるだけの住居以外の不必要なものを持たず、部屋にはほとんどのモノがない状態で生活している人を指すらしい。その概観だけを聞いたら、私もミニマリストに近いのかと思ったら、それとは程遠く、部屋にはモノがあふれている笑い。というのは、私の部屋にはモノがあふれている。あふれているモノとはほとんどが本であるが、いつも「もったいない」と、冷蔵庫を持たず、電気の利用を控え、出掛けるときにはブレーカーを落として出掛ける人とは違うらしい笑い

しかし、その先に行きつく形は似ているような気がする。その行きつく形とは、まさにお金や周囲に振り回されない環境にある。常に心が落ち着いていて、誰に急かされることなく、何かに追われることのない生活にあるような気がするのである。何かと変化が激しい無常社会では、何かと刺激ばかりに振り回される。が、それに対抗する形で、ミニマリスト、なるものが生まれてきたのではないだろうか。というのは、このミニマリストは、やはりもともとはモノへの執着が強い人だったらしい。が、あるときふと、このモノに振り回される生活に嫌気がさして、今に至るようである。その結果、ミニマリストへの道をたどったらしいのですが、この、ミニマリストには、もったいないの心が取り込まれている気がするのです。

昨日は、TEDの中でも有名なスローテレビのプレゼンテーションを視聴した。そこでは、5日間という船旅のLIVE番組の話を中心に、そこから生まれる人の創造性が語られていた。その中で人は、何もないところにいくと、勝手にストーリーを組み立て、楽しむことができるらしい、という創造性について語られていた。

かたや、ミニマリストの生活を見ていた人からは、人は無駄なものから楽しみを感じるから、ミニマリストは楽しいのだろうかとか、文化は生まれるのだろうかという話があった。おそらく、ミニマリストになりきれない人は、今の物財社会に侵されているがためにそんな話が出るのだろうが、これまたその物財社会を手放すことの恐怖を感じるがために行動をできないために、想像ができない人の話のような気もした

昨日、TEDで、もう一つ「あなたに夢の仕事ができない理由」というプレゼンテーションを視聴した。その中で、人は、やったことがないことに対しては、怖いがために、いろんな言い訳をしてやらない、ということを語っていた

なぜかわからないが、これらのことが私の脳の中で有機的に結びついた。おそらく、ミニマリスト、と呼ばれる人たちの生活をすると、時空間の無駄を感じることになるのだろう。そして、その時空間の無駄は、その人たちにとっては、自己の財として捉えることができるようになるのではないだろうかその目に見えない無形財から、文化を生み出していくのではないだろうかと感じた。そして、その無駄な時空間の中で生活することこそ、ミニマリストにとっては、幸せなのではないだろうかとも感じた。この形は、次なる社会のひとつの指針になるのかもしれない。つまり、お金や物に振り回されず、贅沢は、時空間の無駄を楽しむことにあるようになることである。それは、より心豊かな生活へと導かれる可能性が高まる。なんとなくではあるが、楽しみな社会である。その生活の中には、PCと電子書籍は顕在していた。それは、今まで、モノとしての贅沢な生活を経てきたからこそ、このようなミニマリストの生活にたどり着くことができているという背景があることも忘れてはならない。この生活には、現代経済学でいう成長などは望めない。が、もしかしたら、次なる社会の幸せの形が見え始めつつある状況なのかと、ふと思ったのである。。。
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