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慣れ、について。

テーマ:ブログ
2014-10-24 22:26:00
2014年10月24日(金)先負

今日、親心についての講演を聞いた。大学生向けに行われたイベントであるが、混ざって聞いた講演であった。講師の方は、年間180回も講演を行っており、多くは父親向け、保育園や幼稚園での講演が多いということだったが、今回は大学生向け。やりずらいだろうなーと思っていたら、案の定、少々やりずらそうだった笑い。でも、毎回同じような内容で講演をされているようである。引き込む力はさすがのもの。次第に観衆は聞き入っていたようである。内容として、大学生にとっては、実感は持てないものの、親の心を垣間見た感じだったようだ。おもしろかったのは、先生方の方が絶賛していた笑い。おもしろいものだなー、と思った。

詳細の内容については、いろいろとあるのだが、今回、とりわけ気になったのは、慣れ、についてである。(話のほんの一部分である、、、あしからず。)講師の方の息子さんは、幼稚園や保育園に通わせなかったそうである。しかし、小学生になると、さすがに学校に通わせる。そうすると、毎朝いた息子がいなくなる、というのである。毎朝、遊んでいた息子がいなくて、さびしかったというのである。しかし、人間というものは不思議なもので、一か月も過ぎると、その状況に慣れるようである。静かでいいものだ、と笑い。この話を聞いたときに、思った。この慣れ、というのは、人間の忘却の機能と相関して、いい時もあるが、悪い時もあるのだろうなーと。異性と付き合うと、付き合い始めの頃は、毎回ドキドキするものだが、いつの間にか慣れると、そんな思いは忘却の彼方、空気みたいな存在などとなる。たしかに、この忘却の機能と慣れの相関は、人間からストレス、というものを除去しようとする働きに通ずるのかもしれない。が、この忘却の機能があまり働かないと、いつまで経っても覚えているし、思い出す。いわゆる、慣れないので、常に新鮮な感覚を保つことができるのかもしれない、ということになるのではないだろうか

人の人格なるものは、周囲の環境や勉学、人づきあいによって徐々に形成されていくのだろう。その中で、いつの間にか、自分の知識として吸収され、まるで自分のもののようになる。私の忘却の機能は、あまり活躍しないらしい。結構な勢いで覚えているような気がする。その上、最近は特に、本を読む。本の内容は、自分の知識となって吸収され、あたかも自分のもののように使うこともある。それがいいことかどうかそれは今後の活動につながっていくのかもしれないが、そこには、自分としてのメモが必要になるような気がしている。(そして、それを実践しようとしている、、、あしからず。)

その人格は、自分の周辺との信頼や愛情によって形成される。愛情は、無償の愛である。経済などを勉強していると、その効率性や対価などを求めたりすることばかりが優先する。無償の愛には、そのようなことは存在しない。親心には、そんな効率性や対価を求める姿勢からは想像もできない気がするのです。今の世の中は、(とりわけ日本人は)勉学が進み、誰もかれもが専門家のような経済家になっているような気がします。(これは、男の傾向が強い気がする、、、あしからず。)そのため、無償の愛への理解が難しくなっているような気がします。世の中のすべてが、損得勘定ではない。損得勘定を度外視したところに、愛や信頼が生まれるような気がするのです。そんなことに気遣いながら、過ごしていきたいものだ、と密かに思うのでした。。。

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オタワでの発砲事件,について。

テーマ:ブログ
2014-10-23 22:26:00
2014年10月23日(木)友引

世界でも安全度が高い,カナダの首都オタワで,発砲事件があったようだ。しかも,そのために兵士が一人,死亡したようである。お悔やみ申し上げます。この事件は,イスラム国への空爆を承認したことに対する報復のためにやったと見られている。「目には目を,歯には歯を」の精神なのだろうか何かが違うところへ向かおうとしている気がしてならない。さて,今,世界では何が起ころうとしているのであろうか

ここからはあくまで個人的見解なのだが(このブログは,いつも個人的見解ばかりなのだが笑い),そもそも,冷戦による米ロの対立が解決して以来,世界はアメリカをトップとした中央集権型の資本主義政策が君臨していた。それは,都市化を進める形であり,金融業が生活の中心にあるような形である。しかし,その結果としてどうなっているかというと,経済成長を進めるあまり,環境破壊が進行し,人が生活しづらい状態を形成してしまっている,という状態なのだろう。なぜそのようなことが起こるのかというと,話はそんなに難しい話ではなく,架空の金融を中心に持ってきていることにより,その架空を現実にするために,生活に価値というものをもたらす形を作り出さなければならないことに起因しているということである。その架空を現実にするために使われたのが,鉱物資源である。そして,それらは消費されなければ,金融は回らないので,人口を増やす必要がある。それら,両面が減衰状態になりつつある。そのために,生活の価値よりも負担が増えてきた,というのが現状なのだろう

鉱物資源の減衰については,ここではオイルピーク論にお譲りする笑い。人口論については,ご承知の通り,人は食べなければ生きていけない。人の活動には,エネルギーが必要なのだ。その食は,地球から採れるもので賄う形でしか得ることができない。(別の形(石油由来製品等)で賄う形も模索されてきているが,それでさえ地球から採れるもので作られている,,,あしからず。)地球から得られるものは,太陽からのエネルギーを得て,変換,我々に供給する形になっているのですが,その変換の時間と我々が消費する時間の差異関係で必然的に限界が生ずる。そんなことを考えると,おそらく,いま世界中で起こっていることは,今までの形での限界に関する変化なのではないか,と思うのです。もしかしたら,その形がイスラム国の形で起こっているのではないかとも思うのです。かといって,目には目を,歯には歯を,では,その変化の延長線上ではなく,今までの形の延長線上でしかない気がする。違う形とは,究極の平和な世界のはずなのではないだろうかそのためには,人を殺しては元も子もない気がする。人を生かす世界が究極の世界のような気がするのです。何とか,究極の形に向かっていってほしいものだと,密かに思うのでした。。。

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魯迅先生東北大学留学110周年記念ワークショップ,について。

テーマ:ブログ
2014-10-22 22:26:00
2014年10月22日(火)先勝

昨日,東北大学にて行われた魯迅先生東北大学留学110周年記念ワークショップに参加してきた。(魯迅が育む仙台日中交流連絡会議元事務局長としてご連絡をいただいた。にしても長い団体名笑い)東北大学には,旧校舎のひとつである階段教室が残されている。(その団体の活動がたぶんに影響していると思うのだが。)その階段教室にて行われた。階段教室にて話を聞いていると,昔の人の勉学の状況がうかがえる。とりわけ驚くことは,その勉学の時間割である。朝7時から14時まで,月から土までの時間を空き時間なく勉学に励んでいるのである。しかも,そのノートは,講義の内容を余すことなく記述しており,かつ,その担当教官である藤野先生がそのノートに事細かく朱入れしているのである。この勉学の状態が,今の日本の教育水準の向上に貢献していたことが感じられる

同時に思うことが,現在の研究に関する意識である。政府は2020年までに留学生の倍増計画を掲げているようであるが,このことは本来,政策として掲げるべき内容ではないような気がする。たしかに,これを掲げることによって,留学生の金銭的負担は減るのかもしれない。しかし,本来であればその流れは逆で,留学したい人が多くいて,その援助のためにそのような施策を掲げるべきなのだろう。今,大学生たちは,海外への留学の多くを望まない状況にある。残念なことである。それは,自戒の念も込めて申すと,研究に魅力がないからであろう。世界に飛び出してまで研究しようという体制ができていないからに他ないからではないだろうかそれは,現在の日本の教育,研究関係が海外の研究に倣うことばかりが求められ,新たなことを求められることを蔑ろにする傾向が強まっているからではないだろうか近年の研究環境は,どんどんどんどん短期的な成果が求められる。国立大学が独立法人化され,研究費が毎年削られていく中で,どんどん市場経済の理論が投入されていく。そのために効率的な研究が注目されるが,効率性ばかりでは新たな見識など得られるわけもなく,非効率的な遊びの中から新たな見識が得られるものなのではないだろうか市場経済が導入されると,その他にスポンサーの意向なども組み込まれ,タブーが生まれる。タブーなどを気にしていたら,遊びなども生まれるわけもなく,やはり新たな見識など得られることは少なくなるであろう。(そんなことはない,と思われる方もいらっしゃるでしょうが,,,あしからず。)本来であれば,そのタブーに臨むことの危険性について,倫理観や道徳感が必要なのであろうが,その教育も十分に行われていないことも課題の一つだと思う。今のまま,タブーに近い研究をしようものなら,悪事に利用されかねない。そのようなことは,市場は拒絶する。つまり,日本において,きちんとした研究がなされているかどうかが疑問に思ったのである。先日,京都市立堀川高校の奇跡として,高校生の勉学意欲が高まった話があった。その高まりの要因のひとつに,探求基礎という授業が紹介されていた。その探求こそが,今までの大学で行われていたことである。若者の興味はまだ潰えていないことに希望を感じる。そして,それを受け入れる日本の大学の研究環境を整えることに,これからの日本の希望を感じるのです。さて,自戒の念も込めて,それができるかどうか,改めての挑戦をしていこう,と密かに思うのでした。。。

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