1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2014-08-20 22:26:00

土砂崩れ,について。

テーマ:ブログ
2014年8月20日(水)先勝

広島市で大規模な土砂崩れがあり,多数の死者が出た模様だ。改めて,お悔やみ申し上げます。

さて,近年,自然災害が増えているように感じる。一部では地球温暖化が気象変動を招き,自然災害が増えているなどと煽られることが起きているようだが,はたしてそうなのだろうか個人的な考えであるが,たしかに,地球温暖化による気候変動も要因の一つとしてあるだろうが,それはごく一部の問題で,本質的問題は人間の行動そのものにあるような気がしている。

日本は,急激な高度成長を背景に,都市化が進んできた。都市化とは,地球をほじくりかえして得られた資源(鉄や化石燃料等)を,地上に放置する行為だと思っている。そして,その資源を地上に放置する行為を繰り返すことによって,経済という名の貨幣を循環させていると思っているのだが,その放置する量を増やすために,分業化や個別化,などが流布されているのだと思っている。高度経済成長期に驚いたことは,こんなところに住宅地と驚くような場所に,あっという間に家が建てられる。それは,住宅が最大の買い物であるため,大家族から核家族へと誘導し,家を買わせるために進められてくるのであろうが,それでいいのだろうか。その家を作るために,こんなところに家というような事態が引き起こっていることになっているのではないだろうかしかも,その家たちを作る時には,自然を抑え込む形で整備される。人間もそうだが,あまりに抑え込まれたら,それは爆発するわけで,それこそが自然の摂理なんだと思う。このことを地球温暖化のせいにしてはいけない。地球温暖化など起こっていないというのが,別の視点からの見解。というのは,地球も生きている,と捉えた時には当たり前に生まれる発想で,その一連の変化の中で起こっていることになるのである。地球も温暖化と寒冷化を繰り返して生きてきたわけであり,その一連の流れの中で,今は気温が上がっているというだけである。問題は,地球温暖化ではなく,無尽蔵に地球の内部をほじくりかえして地上に放置しようとすることである。地上に放置された資源類は,元に戻ろうとする。いわゆる,劣化と言われるのは,地球に戻ろうとする自然の摂理であり,決して劣化するわけではない当たり前のことなのである。(と,私は思っている,,,あしからず。。。)

さて,そんな経済優先の社会の犠牲になったのが,今回の土砂災害の犠牲者なのだろう。心からお悔やみ申し上げる。もともと,日本の江戸は,今以上に過密な状態にあったのだが,うまく生活できたのは,特に分業や個別化を行わずに,お互い様で生活していたからだ。今こそ,お互い様,で生活するスタイルを模索すべき時期に来ているのだろうなー,と密かに思うのでした。。。



人気ブログランキングへ
AD
2014-08-19 22:26:00

睡眠、について。

テーマ:ブログ
2014年8月18日(火)赤口

私の個人的な趣味として、睡眠の科学がある。人はなぜ寝るのだろうという単純な理由から始めているのだが、今までの個人的な経験上、忙しい、もしくはやらなければならない責任が残されていると、途端に眠くなくなるらしい。不思議なものだ。私の信じている睡眠の一説に、人は太古の昔から寝なくてはいけないという形で刷り込まれているから、眠くなるのだ、というのがある。ので、実は何度か試したことがある。眠くない、眠くないと言い聞かせることを笑い(すると、その言い聞かせている言葉が子守唄のようになってしまい、寝てしまうのだが笑い、、、あしからず。。。)

さて、ということで、今日は複数の用事が重なってしまって、眠れないかもと思いながら作業をしているため、今日は、ここまでで勘弁。つづきは、そのうち気が向いたら書き綴ろう、と密かに思いながら、フェードアウト。。。



人気ブログランキングへ
AD
2014-08-18 22:26:00

応援,について。

テーマ:ブログ
2014年8月18日(月)大安

先日,フレフレ少女を見た。私はよく,GYAOの中の映画を見るのだが,今回はなんとなくその映画だった。(主演が新垣結衣だからとか言った取り立てて大きな理由はない,,,あしからず。。。)考えてみたら,最近テレビでは,あすなろ三三七拍子という応援団の番組がやられている。最近は,応援団がブームなのだろうか

このフレフレ少女という映画は,応援団に読書が好きな女子学生が入団し,団長として勤め上げていくという物語である。その中には,恋愛物語があったり,応援団ならではの先輩後輩の関係があったり。(とりわけこの応援団は,野球部を応援するのだが,その野球部は,栃木県大会での優勝を目指すわけで笑いなぜ栃木県かは,とっても不思議でしたが,ちょっと嬉しかったりもした。笑い)その映画の中で,厳しい練習を嫌になった団員が,「どうして応援をしなければいけないのだー」と叫んでいる場面があった。とりわけ,応援なんてしても,何の役にも立たない,などということを言っていた。それに対して,先輩は,滅私応援という言葉で諭すわけだが,そんなことを言い出したら,何のために,部活をやるのだー,ということになりかねないのではないだろうかと,ふと思った。学校で部活をやっている人,とりわけ,レギュラーにもなれず,試合などでに出る機会がまったく与えられない人にとっては,同じような気持ちにもなるのだろう。そもそも,部活の意味であるが,おそらく自分が好きなこと,熱中できることをやる人たちが集まった上での活動で,そのような活動ゆえに仲間になりやすく,その仲間が一致団結した時の強さを体感するための活動なのではないだろうかと思ったのだ。

この社会は,だいたいにおいて仲間同士の塊で生活している。必ずと言っていいほど,周りには誰かがいて,その誰かの協力の上で自分の生活が成り立っている。この仲間の存在というものが大切なのだろう。それは,直接的な仲間かもしれないし,間接的な仲間なのかもしれない。そして,この仲間同士の一致団結によって,一人では得ることができない力を感じることができるのである。よく勘違いをすることがあるようだが,得点をした者だけがフォーカスされ,周りの仲間が蔑ろにされるときがあり,それをうらやましく思う人がいる。しかし,その時でさえ,必ず仲間がいたからこそできたことなのである,ということが忘れられているのである。実は,いろんな人がいろんなところで活躍されるときがあるのだが,それには,周りの環境が大切で,とりわけ,応援してくれる人が大切なのではないかと思うのである。ただ,残念なのは,この応援してくれる人を得ようとするならば,それ以上に応援しなくてはならない。そこには,滅私応援の心が入ってくるのだろう。ここに損得勘定などあってはならないと思うのです。なぜかというと,損得勘定は直接的な関係のみになりますが,その実は間接的なところから帰ってくることが多いからです

たまにいるのですが,自分の不遇を嘆く人がいます。しかし,その不遇な環境は,自分が作っていることであると私は思っています。もし,その環境が嫌ならば,自分自身を変えていかなければならないはずです。類は友を呼ぶ,です。その類を変えなければいけないと思うのです。その考えの元,私もよく自己反省をします。今の環境に不満があるときは,自分自身がいけないからだと。そして,応援してくれる人が少ないと思うなら,自分がもっと応援しなければいけないのだと。しかも,その応援の姿勢は,間違いなく滅私応援です

この,古びた感じの応援団という組織。(古びてなんかいないと文句も言われそうですが,,,あしからず。。。)このような組織は,もしかしたら日本独特なのかもしれません。そして,そんな組織は,私は嫌いではありません。ちなみに,私が高校時代に仲良くしていた仲間には,応援団が多かったです笑い。思い返すと,私はラグビー部だったわけで,男臭い高校時代でした笑い。(まー男子校ということもあったのですが笑い

そんな男臭かった高校時代から,少しは応援できているのだろうかこれからも,できるだけ多くの人を応援していきたいものだと,密かに思うのでした。。。


人気ブログランキングへ
AD

[PR]気になるキーワード

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>