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2010-03-29 00:23:57

メディア崩壊。

テーマ:ブログ

3月28日(日)友引


最近、研究にはまっています。というのも、この3月に研究計画書をあげなきゃいけないのと、先日22日にNHKで、放送記念日特集「激震マスメディア~テレビ・新聞の未来~」なるものをやっていて、それに触発されたことがありました。

そこで、学習院大学の先生が出演されていたんですけど、(その先生が社会学の先生でした)言っていることに対して、同意することが多かったのですが、その他の出演の方々が、軽い対抗意識が見えて、やるせない気になったのでした。

私は、研究の関係上、常々メディアってなんだろうと考えています。以前のメディアは、世論を形成する意味で、大切なものだったはず。しかし、今やインターネットが多く普及して、その意味は薄れていっているのだろうなーと思う。そこで、では、メディアは必要ないのか?というと、そうではない。ある一定のレベルを保つには、メディア雅必要で、これがないといけない気がしている。では、これからのメディアは、どのようになっていくべきなのか?

そこには、テレビとか、新聞とか、インターネットとか、関係ないんだろうなー。今のような、情報が普通にあふれている世界には、ニュースは自然と入ってくるので、これは、メディアが担うべきものではないんだろうなー、と思うんだよね。そこに必要なのは、論理だてて考えられた、主義主張。その主義主張に迎合する人の集まりがメディアになっていく。ただ、ここに至るまでには、その主義主張の善悪を判断しなければならないので、さらに大切なのが、その判断をできるだけの教育が必要なんだよね。清濁併せ呑む、そして、そこから自分で考えられる流れ。

でも、これに関しては、テレビも、新聞も、インターネットも関係ない。このことに、気付けるかどうかだと思うんだよね。あくまで、メディアは、コミュニケーションツール。それでしかない。この主義主張に、お金を払う。その主義主張を大きくするべく、お金を払う感覚がこれからのメディアだと思うんだよね。(でも、ここで気をつけなきゃいけないのは、善悪を判断できる感覚。)このバランスが大切なんだけどなー。ので、その中では、ニュースは大切じゃない。だって、誰だって、ニュースは発信できる、一番強いのは、そのニュースの発信元に一番近くにいる人なんだから。そのことに気付くメディアはどれだけいるのだろう?そんなことを考える、今日この頃。。。。。

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2010-03-19 00:37:54

貨幣経済と価値経済。

テーマ:ブログ

3月19日(金)大安


いやー、今週も忙しかった。セミナーやら研修やら。ということは、すぐにお金にならないことなんだよねー。どうしよ。

ただ、そのために、今の経済活動を、コンテンツ目線から考えることが多かったね。そこで、貨幣経済と、価値経済。人は、どうして働くのか?たぶん、お金を稼ぐためなんだよねー、大半が。でも、どうしてそんなにお金を稼ぎたいんだろう?たぶん、モノが買いたいからなんだろうなー。でも、モノを買うのって、限界があるんだよなー。しかも、そのモノの値段って、どこから決まっていくんだろう?

特に、最近考えている、コンテンツ。これは、目に見えないものだから、仕入れが発生しないので、それを基準に考えられない。ということは、そのモノの値段って、その人ごとによって違うんだろうなー。たとえば今、一冊1000円の本。これは、必要ない人にとっては、ゼロ円の価値だろうし、すごく必要な人なら、10,000円の価値にもなるだろう。ということは、今後は、モノの値段って、一定額で統一するのは難しいんじゃないだろうか?そうすると、その価値を図るのはどうしていくのがいいんだろう?相場というものがなくなるんだろうなー。

今、世の中は、大きな動きの中に置かれている気がするんだよなー、そんな、個々の人が必要とする価値経済。それって、どうやって図るんだろう?なんか、究極のマーケティングだよね、ニーズを図るべくマーケティング。でも、この個々のニーズを図りすぎる世界が進みすぎると、道徳が図れなくなってくる気がする。今はいいけど、子供のときに教える基準がなくなる気がして、そして、それがなくなっていくと、教育ができなくなっていく。

ということは、その基準を明確に、個々のニーズを萌芽させる。まー、これがコンテンツビジネスの形、なんだろうけどね。何でもかんでも、発信する形はできるけど、そこに価値を表出させるためには、万人に訴えられるべく(生活の中では、基準となる考え)考えがあって、そこにニーズに見合った考えが乗っかっている。

今、そんな世界が広がろうとしているんだろうなー、ということは、今まで貨幣経済に浸ってきた世の中が、違う形には、どのように変わっていくんだろう、、、などと考えている今日この頃。。。。と、まだまだ、考えがまとまんないなー、と思う今日この頃。。。(初2回(^^))

2010-03-12 22:20:31

ケンミンSHOW。

テーマ:ブログ

3月12日(金)先負


昨日、秘密のケンミンSHOWを見ていた。正直、あまり見たいと思って見ていたのではないが、他に見たいものがなかったので、見ていた。残念。コンテンツビジネスを研究している身としては、この現状が嘆かわしい。昔は、その時間までには家に帰る、みたいな気持ちを持たせてくれるテレビ番組が多かった。最近は、それが少ない。

でえも、そんな状況でも、ちょっと見方を変えると、面白いことが見えてくる。ケンミンSHOWで、言っていたのは、大阪の人は、外食の帰り際に、ごちそうさん、おいしかったで。と一言つけて帰るらしい。どうして、こういうことを言うのか、って、その大阪の人に聞いたら、人としてのルールだって、当たり前やん、作ってくれた人への感謝の気持ちだって。すごいね、普通の人がそんなことを言う風土。さて、そんなことを思いながら、今、一生懸命仙台をよくしようと活動している私が、改めて仙台を歩いてみると、これはどこも、なのかなー?人に対する気遣いが少ない気がする。顕著に感じるのは、広い歩道を、4人も5人も横並びで歩く姿。歩道をわがもの顔でたむろする人たち。ちょっと向こうに行きたいのに、行けない。どんなに行政が道を広くしても、全然効果がない。そんなんだから、もっと広くして欲しいところの道が広くならない。

アメリカは、歩く人→自転車→自動車、という力関係がはっきりしていて、わがもの顔で走る車は排除される。その代わり、道行く人に気遣いがある。譲り合う気持ちがある。

そういう気遣いって、芽生えてくるんだろう?こういう話って、政治がどうのこうのとか、行政がどうのこうのとかって話になることが多いけど、なんか違う気がする。そんな、上からどーーーん、って言ったって始まらない。実は、なんとなく、この気遣いができる風土が、郷土愛につながってくると思うんだよなー。先日も会議で、鹿児島の人の話をし、(鹿児島の人って、一旦東京に出ても、年取ってからでも、鹿児島に戻ってきたい人が多いんだって。)なぜ、仙台の人はそうならないのか?って話しをしていた。(当然、結論なんかでないんだけど。)

昔の人は、そんなことなかったと思うんだよねー。農家の人たちは、助け合うことが当たり前のはずだから。ってことは、今はそういうことがなくなってきていることが問題?変に、東京化しているのかもね~。しかも、たちの悪いことに、昔からの人(東京で言うところの江戸っ子。)の割合が少ないのかなー。

市民活動に近いことをしていると、驚くことに、若い人が少ない。しかし、その活動をしている人たちは、若い人を望んで期待している。ここは、古い人が新しい人に教える風土が必要なのかもなー。昔の郷中教育。勉強じゃなくて、地域をね。そうすれば、他人に気遣いができる風土、そして、また来たくなる仙台になれるのかもなー、なんて思う、今日このごろ。。。。。

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