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2014-04-22 22:26:00

高校生、について。

テーマ:ブログ
2014年4月22日(火)先勝

今日、多くの高校生と話してきた。
話していて思ったこととして、最近の高校生は、よく考えているなー、ということ

自分のことを思い返すと、高校生の頃は将来のことなど、あまり考えていなかったように思う。その頃は受験戦争のまっただ中、将来のことを考えるよりも目の前の受験に必死だったように思う

考えてみたら、どうやら大学の数も1.5倍になっているようで、受け皿は増えている、にもかかわらず、受験生は減っている。ということは、受験戦争からは程遠くなっているわけで、どのような内容を学ぶかのほうが重要になっているわけなのだろう。

ということは、教育の中身も変えていかなければいけないわけです。でも相変わらず、受験の体制は自分の考えを放棄するような形になっているような気がしてならない。そういえば先日、研究の最初は自分の考えを持つな、と教えられるとテレビで言っていた。そのために、先行研究等を学ぶということも言っていた。たしかに一理あるのだろう。しかし、この議論は、卵が先か鶏が先か、の話にも通ずるのかもしれないですが、考えることを放棄させると、後からそれは醸成されるのかとも思う。

オリジナルで考えるということは、そんなに簡単にできることではないような気がする。とりわけ若い頃においては、疑問に思ったことを誰かに質問し、すぐに答えてもらうことにより、自分の思考が醸成されるというようなことを聞いたことがあるような気がする。(質問することは人でもいいし、インターネットにでもいいような気がしていますが、、、あしからず。。。)もし、この仮説が正しいとすると、自分の考えを持たないようにさせるためには、疑問に思うことを放棄させることになり、質問さえできないことになりかねない。

最近の若者において別の側面から感じることは、素直すぎて疑問に思わないことだ。大学でのテキストでの読み方のひとつに、批判的に読み解く、という考え方がある。が、これが苦手のようである。まずは、考えさせる癖をつけさせることが先ではないのだろうかそんなことを思うのです。

しかしながら、高校生は元気です。そんな元気が若さなのかもしれませんが、そんな気持ちを忘れず、大人になってほしいものだと、密かに思うのでした。。。
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2014-04-21 22:26:00

東北自動車道の渋滞、について。

テーマ:ブログ
2014年4月21日(月)赤口

個人的な出来事でありますが、最近、高速道路(東北自動車道)を行き来する機会が増えている。その中で、たまに思うことですが、高速道路でなぜ渋滞するかです。
なぜそんなことを思うかというと高速道路は信号もないし、入り口出口においては、渋滞しないようにと機能として切り離されているので、日常の状態では渋滞が考えられないと思うのです。(高速道路の始点や終点では量によっては渋滞も起こり得るとは思いますが、、、あしからず。。。)時には、その入り口出口において、その精算の処理が追いつかず、並んでいることもありますが、それでも路側帯に並んでいますし、特殊な事情なわけですので、日常なら渋滞は起こりえないはずです

でも、日常の中にも高速道路の渋滞は起こりうる。なぜか

研究者の発表によると、上り坂において速度が落ちるために渋滞が起こる、と言われています。その研究成果をもとに案内板が設置されるようになりました。しかし、それだけでは解決しないようです。では、何が問題か個人的には、ルールの作り方が問題なのではと思うのです。高速道路の基本的な仕組みですが、高速道路は走行車線と追い越し車線で構成されています。その中で走る最高速度は、普通自動車は100キロ、トラック等は80キロになっています。この2つの組み合わせで成り立っているわけですが、問題は最高速度の違いです。交通量に余裕があるときであれば問題はないのですが、多少なりとも多めになってくると問題が生じてくるような気がします。問題は、、この追い越し車線をトラックが80キロで走っていることをしばしば見受けられることです。その状態として隣のトラックと並走する形でです。(交通ルール上まったく問題ありません。しかも、どちらかと言うと、きちんとルールを守っている優等生です。)しかし、こうなると普通自動車はその2台のトラックに合わせるほかなく、後ろの自動車はどんどんブレーキを踏む羽目になる。これは、先の上り坂現象と重なるのですが、ブレーキを踏むタイミングにおいて初めにブレーキを踏む人が走ってる速度よりも、後からの人の方が遅くなり、しまいには止まった状態になってしまう、というのと全く同じ状態です。

この問題によって、高速道路の渋滞が起こっていることを何度となく見てきました。ので、不思議な現象が起こるわけです。上り坂があったわけでもないのに、渋滞がふっと解消されることがあるのです。また、たまに見かけられるのが、平気で追い越し車線をトラックが80キロで走っている姿もあります。(走行車線に戻ることなく。これは残念ながら交通ルール違反です。)そして、そのために渋滞していることもあります。これは、交通違反なので、取り締まられればいいのですが、交通違反は取り締まられない限り解消しないわけです。ので、これを解消するためには、ドライバーのモラルが大切になる。

このモラルの問題になってくると、科学では証明ができないのかもしれません。いまだに、この渋滞の原因を指摘する研究が見えてこない

しかし、すべてが科学で証明されるかというと、そこにも疑問が残ります。今日のテレビで、超能力者によって事件が解決した事例をいくつかやっていた。その最後に、この現象は科学では証明できないことを言っていた。しかし、人間は、自然現象のすべてを証明できるのかというと、そんなことはありえない、と思います。科学で証明できているのは、ほんの数パーセントで、それ以外は自然現象なわけです。個人的には、その思いの中には、人間がすべてを掌握している万能の神のように捉えている姿を感じ、人間のおごりさえ感じられるのです。

科学は一部の自然現象をパターン化し、その現象を一般化する行為であるように思います。その一部の自然現象をとらえるとき、それは一部なわけですので、別の捉え方が生じるときもあるわけです。しかし、以前に一般化したものを覆すのは、至難の業です。なにせ、一般化しているわけですから。今、この問題は、地球温暖化問題で感じられることです。私たちの研究では、地球が寒冷化しているという、相矛盾する結果が得られています。が、地球温暖化が一般化された状態で、地球が寒冷化していると覆すのは、至難の業なわけです。それが、どんなに科学的に証明されようが、いったん一般化した状態のものを覆すのは、たいへんなわけです。人間は、歴史上、何度もその覆しを繰り返し、ようやく真実に近づいて行くようです。とりわけ、本来なら、後発の研究成果の方が、真実に近いはずです。(なぜなら、一般化されたされた状態を対象に研究し、それとは違う気付きが得られているからです。)もしかしたら始まりは、天動説と地動説の問題にあるのかもしれません。人間が中心にまわっていると思っていた天動説。しかし、その後の研究でコペルニクスが地動説を唱え、今や地動説が一般となっている。その過程においては、紆余曲折があり、しかも天動説の方が人間にとっては都合がよかったために、地動説を排除しようとする動きの方が強かった。しかし、人間は自然のすべてを掌握することなど、おごりでしかないわけです。人間も自然の一部。自然現象の方が正しいわけです。たしかに、自然現象のすべてを掌握しているのであれば、前提が崩れることもないわけですから、違った捉え方もできなくなるでしょうが、自然のすべてを掌握することは到底できないわけです。なぜなら、自然も生きているからです。常に、変化しているからです

ので、科学で証明できないことに対して、人間はモラルや道徳で社会を作り、対処してきたわけです。それが、人間社会が他の動植物の社会とは違う素晴らしさなわけだと思うのです

しかし、最近は、このモラルとか道徳が、あまりにも蔑ろにされているような気がします。とりわけ、自分さえよければ、の感情が多く見受けられるような気がします。大切なのは、周りを気遣える、そんな心持だと思うのです。

とりわけ、トラック野郎好きな私としては、トラックの運転手には、このモラルを大切にしてほしいなー、と密かに思うのでした。。。
2014-04-20 22:26:00

鬼怒川温泉さくらまつり、について。

テーマ:ブログ
2014年4月21日(日)大安

今日は、毎年参加している、鬼怒川温泉さくらまつり、に参加してきた
毎年、自主制作映画を上映させてもらっているのだが、毎年のことながら人の多さに驚く。(桜はあまり関係ないようだが、、、あしからず。。。)とりわけ、おばさんパワーには驚くばかり。多くのおばさんが、踊りに来るのである。こういう文化的行事は大切にしてほしいものである

近年の動きを見ていると、経済的効率性が重視されるために、こういう文化的行事は真っ先に削除される傾向が強まっているように感じる。しかしそこは、経済的豊かさと文化的豊かさが密接にかかわっていることを蔑ろにした結果なのではないかと思う。近年明らかになってきていることは、経済的概念の中に、あまり人間の思考が加味されていないことにあるだろう。そのために、このような事態が起こるのであろうが、経済は人間が作り出しているもの。そして、効率性だけでは人間は人間らしくできないことも事実。文化的な出来事は大切にしなければいけないのではないだろうか

鬼怒川からの帰り道、東北道を通っていると、福島から仙台あたりの桜が見ごろな状態であるようであった。しかし、その桜の下での宴は見られなかった。その場所は特段、宴をするための場所を準備したり、公開していないのかもしれない。しかし、日本人は古代より花見の宴を楽しんでいた。お酒の席で問題行動を起こすような人がいて、花見の席でのお酒を好まない風潮もあるのかもしれない。しかし、そんな人には、薄めのお酒を飲んでもらえばいい。(江戸時代までは日本酒は水で薄めて飲んでいたらしい。)お酒の席までは、ゆっくり歩きながら花を愛でた後に、ゆっくりと宴を楽しめばいい、のではないかと思う。(車やバイクや自転車で行こうとするなど、もってのほかである。)明日は仕事だからと、宴どころではないのかもしれない。しかし、効率性だけでは宴は楽しめない

ゆっくり宴を楽しめる、そんなときが過ごせる社会になってくれればいいなーと、思うのでした。。。


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