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2014-09-29 22:26:00

夏休み,について。

テーマ:ブログ
2014年9月29日(月)友引

ついに,大学の夏休みが終わった。約2か月間という休暇だ。(教職員は通常通りなので,それほど長い休みではないのですが,,,あしからず。)実は,大学生の夏休みに入る前に,口うるさく言っていることがある。それは,大学1年生の夏休みが,とても大切なことだ。というのは,高校までと大学とは,大きく違う。何が違うかというと,自由度が増え,自由な時間が増え,自分のタイムマネジメントの必要性が出てくるということだ。その違いを極端に感じるのが,この夏休みなのだ。そして,この夏休みの過ごし方の成否によって,後期以降の生活が大きく変わっていくのである。おもしろいことに,この夏休みを過ごした後の学生の顔つきには変化がある。その変化によって,たいがいの学生の,この夏休みの過ごし方の成否がなんとなくわかるものである。幸いにして,今回の夏休みについて,多くの学生は,おおむね充実した夏休みになったようだ。(たまに,だらだら過ごしてしまった,後期からがんばる,と言っている学生もいるようだが,,,あしからず。)

なぜにこれほどまで大切かは,私の実体験に基づいている。私は,幸いにして,大学一年生の夏休みを充実した中で過ごした。幸いにしてと言っているのは,大学一年生の夏休みは,仮面浪人をしており,そのために,勉学にバイトに,充実した生活を送っていたからだ。そのため,夏休みの長い期間でも生活のリズムを崩すことなく過ごすことができ,2年生以降の学生生活を充実したスタートダッシュを切ることができた。(2年生以降,ということは,やはり幸いにして笑い,仮面浪人に失敗したのだが,,,あしからず。)そのため,大学生活は,とても充実したものになった。今思うに,大学のブランドなど,社会人なったら,何ら関係のないことに気付く。そして,さらには,学生生活の充実度の方が,よっぽど大切なことに気付くのである。周りを冷静に,その基準で見てみると,大学ブランドの高いところの学生は,低いところの学生に比べ,この学生生活の充実度が明らかに違うことに気付く。その違いが,社会に出ていくときの自信につながり,そしてさらなる大学ブランドの向上につながるという好循環を生み出しているような気がする。特段,大学のブランドなど初めからあるものではない。長い歴史の中で少しずつ積み重なっていくものだ。そう考えると,その積み重ねは,大学時代の生活の充実度にあるのではないのかと思う。よく言うことだが,私は人の性弱説に従って発言することが多い。人は弱いために,楽な方向に流れるという考えだ。残念ながら,充実していないと思われる学生生活を送っている学生は,この楽な方向にばかり流れる傾向が強い感じを受ける。そして,そういう学生生活を送った学生は,おそらく,卒業した後,大学生活を思い返した時に,なんも残っていない感じを受けるのです。それは,残念なことです。大切な青春時代(個人的には,青春時代を年齢で区切るつもりはないのですが,,,あしからず。)を無為に過ごしてしまうことにより起きる,自分の人生自身の空虚感が感じられるのです。ただ,もうひとつ,人生はいつでも巻き返しができると思うのです。ぜひ,そんな学生は巻き返しを図り,がんばってほしいなーと,密かに思うのでした。。。

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2014-09-28 22:26:00

ラムネのビー玉,について。

テーマ:ブログ
2014年9月28日(日)先勝

今日は,出掛けていた。日中は,秋らしいどころか,夏に逆戻りしたかと思えるほど日差しが強く,暑かった。そのため,あるところで休憩,そこにあったラムネを飲んだ。ラムネは,なぜかビー玉で口を抑えれていて,そのビー玉を落としてから飲む。これは,リサイクルをベースに作られていたようだ。というのは,このラムネのビー玉,飲みづらくないだろうか飲みづらいはずである。というのは,本来であれば,飲み終わった後,この瓶を回収し,新たにラムネを注入,その後,またビー玉を使ってふたをする,という仕組みになっている。そのために,ビー玉は戻りやすくなっているのだ。ということで,飲みづらくなる

そこで,小さい頃は,何とかビー玉をとれないものかと試みた,はずである。(その話で,盛り上がった。というのは,大抵の人が,ビー玉をとれないものか,やってみたというのである笑い,,,あしからず。)しかも,とれたからと言って,たいしてきれいなビー玉などではないのに,とのおまけ話付きである笑い。今,冷静に考えてみたら,このビー玉は,とれるはずがないのである。なぜなら,ビー玉を入れた後に,瓶の口をすぼめるからだ。ということは,ガラスを壊さない限り,とれるはずもない。しかし,小さい頃は,そんな工程など知らなかったので,ビー玉を入れたのだから,とれるはずだと単純に考え,必死にとろうとしていたのである笑い。そう考えると,少しは知恵がついたのだろう。そんな無駄な努力はしなくなった。

考えてみると,知恵がつくと,余計な努力をしなくなる。が,この余計な努力をしない限り,現実を知ることはなく,やってはじめて知ることなど,更なる知恵などつきはしないことに気付く。大切なのは,試してみることだ。無駄な努力としながらも,試してみることのような気がする。私の好きな言葉に,無駄の効用,ということがある。それは,こんなこと無駄だよなーと,思いながらも,もしかしたらの可能性を感じながら,とりあえずやってみることである。やってみることの視点は,昨日の話題でもないが,リスクを考えることであることは間違いない。このリスクの中に,死ぬ可能性があるなら,それはやめるべきである。この死ぬ可能性の判断も難しい。例えば,フグを食べるという考えから考えてみる。というのは,フグ,という食べ物は,リスクを知られないうちは,死ぬ可能性など知らずに食べていたはずだと思うからである。が,食べてみないと,このおいしい食べ物には出会えていないと思うのだ。別に,フグなど食べたくない,と思う人には関係ないことなのかもしれないが,フグを食べることから死のリスクを排除するために,死んでいった人たちもいるはずだ。その人たちは,無駄死にだったのだろうか決してそんなことはない。数多くの無名の人たちの死が,フグを食べることを可能にし,おいしく食べられることができるようになったと思うのだ

最近の人たちは,コンピュータやスマホなど,多くの情報があふれているため,知識も知恵も多く増えた。そのために,判断として,無駄なことなどしようとしないことも増えているような気もする。しかし,そのために,その情報の真実を見逃していることも増えてきているような気がする。まずは,いろんなことに興味を持つことはもとより,そのことに気付いたなら,リスクを気にしながら,また無駄だと思ったとしても試してみることにあるような気がする。そして,その真実を体験してみることだと思うのである。さすれば,死へのリスクが軽減されるはずである。知識はまさに,生き延びるための知恵のはずである。そんな,生きた知識を蓄えていきたいものだと,密かに思うのでした。。。

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2014-09-27 22:26:00

御嶽山の噴火,について。

テーマ:ブログ
2014年9月27日(土)赤口

(今日は,会社の親睦旅行だったため,遡って,,,あしからず。)

今日,御嶽山が噴火した。突然のことだったようで,多くの被害者も出ているようだ。まずは,被害にあわれた方のご冥福をお祈り申し上げます。

さて,今回の噴火は,予兆なく起こったようだ。そのために,多くの犠牲者が出てしまわれたようだ。残念なことである。残念なことに,現代の科学や進化は,前例を前提に進められる。そのため,前例がないことには予兆が見逃される。それは,想像にて思いついたことについては,前例がないことによって却下されることにも表れる。実は,その傾向が強いことによって,なかなか新しい知見の発見が失われているような気がする。それは,人の性格からして仕方ないことなのだろうか人の性格とは,穏やかな日常が続いていると,その危険を見逃してしまい,それが日常だと勘違いしてしまうことだ。それは,民主主義的多数決,ということにも起こりがちなことである。というのは,人が一番恐れるのは,失敗である。そのために,挑戦や,もしかしたら失敗に対する言い訳さえ,予め用意できる状態を求めたりする。多数決の原理の問題点は,そこにある。前例をもとに判断し,失敗を極力小さくした状態で○×をつける。そのために,リスクを忘れる。

実は,大切なことは,リスクを想像することにあるような気がする。プロジェクトを構築していく上で,モデルとなるものに,プロジェクトマネジメントなるものがある。その行程の中で最も難しいものがリスクマネジメントなのである。さて,ここからは,このリスクマネジメントに対する個人的な思想なのであるが,このリスクマネジメントで大切なのは,想定におけるバッファーだと思っている。120%を目指すときには,平穏な日常などない。その姿勢で臨んだとしても,想定外は起こりうる。それは,想定を考える上で,当然,120%を目指すのであるが,その120%の気持ちで臨んだことだとしても,想定外のところが発生した時に,予め用意しておいたバッファーのところで吸収することにある。

残念ながら,今回の御嶽山の噴火においては,このバッファーに対する対処を蔑ろにしていたことにおける被害なのではないだろうか何年も平穏だったから,起こるはずなどない,という前提が勘違いを起こす。リスクに対する備えが蔑ろになる。残念ながら,自然においては,平穏はない。それは,昨日あったことが,今日もあるということがないのと同義である。目に見えないところで(それは目に見えるところでもあるのだが笑い),必ず変化しているのである。そんな当たり前のことなのであるが,その当たり前のことを忘れがちなのである(実はそれが,人のバッファーの凄さでもあるのだが,,,あしからず。)。この視線には,謙虚な気持ちが大切である。残念ながら,絶対などということはない,という姿勢である。そこには,自然と向き合った時,自然を抑え込もうとする姿勢ではなく,自然と並走して過ごしていこうとする姿勢があるような気がするのである。少なくとも,自分の頭の中では,謙虚な姿勢を持っていきたいものだなー,と密かに思うのでした。。。

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