人生はアートだ!

・・・花たちから愛を・・・


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Geisteslehre - Lehre des Geistes   
霊の教え   - 霊についての教え

時代は変り、一つの時代は次の時代に置き換わります。古いものは過ぎ去り、新しいものがやってくる-それは、人生の、世界の、宇宙の、そして進化の流れです。

しかし、古いものが行き新しいものが現れる時は、いつも厳しい変化を伴い、その変化は内部の状態や価値はもとより、外部にも広がります。

古いものから新しいものへの変革に人の考えの再編成もまた否応なしに結び付けられます。

古いものはオーバホールされ、改良され、更に開発され、古いものは新しい言葉や概念によってより理解されやすいものにされます。

古いものの中で不明確で混乱していたものが、新しくて明確なものによってより理解しやすくなり、それによって突然そのものの意味や価値が認識し理解するために解きほぐされます。

なかんずく、「水瓶座の時代」と呼ばれる新しい時代は特に新しいものによって鋳込まれ形造られます。その新しいものはその周りを巨大な速度で掴み、決して見渡されないほどの無数の改革をもたらします。

この改革と現実化の速度は法外なもので、地球人が既に2000年に技術と意識的な高さに達していますが、それはすべての夢を遥かに凌駕します。

そして事実、未来の技術と意識の変革はまだその規模を予想できないのです。

しかし、その規模は巨大であることは確かです。何故なら、人の意識が作り出す観念の可能性と人の進化の努力と装置化されたものや工場の仕事に関係する創造性は果てがないからです。

未来は人にさらにより多くの知識をもたらし、それによって、実際に終局の叡智がもたらされるはずです。

しかし、人はそのことについて決してあるいはほとんど考えていなくて、それ故に叡智を看過し主として物質的な価値のみを追いかけています。

そしてこの物質思考の中で、人は一つの分離思考に夢中になるという大きな間違いを犯しています。

それは、すべてのものごとを考える方向が分離され、そしてもはやお互いに結びつけられることがないということです。

それが科学を或いは手作業の仕事をするのにも、まったく同じようにすべてを厳密に分離し特殊化しますから、手作業や科学、哲学やイデオロギーもそれらの直接の管轄部門に排他的に落とし込んだものに、ただただ厳密に特殊化して携わるのです。

しかし、既にその外にあるものや管轄の境界にあるもののすべては、もはやそこへの入口はなく、相応しくないものと考えられるのです。

しかし、個々の科学、個々のイデオロギー、個々の手仕事、個々の哲学それ自身は実際に制限されるものではなく、他のものと結びついていますが、この必要な結びつきはずっと古代に既に失われてしまいました。

人はこの結びつきのための感覚を既に長い間失い、もはやすべてを特殊化し分離しているのです。

この理由から、科学、哲学、手仕事、職業やイデオロギー等のすべてはお互いの間に何の対話も共同作業も許容しないのです。

人の意識の思考の可能性は時間の流れの中で、他の物事や価値と関係できなくても、本当に特別に他のものと分離して整えられることがあります。

そして、正にここに人の思考の悲劇があります。何故なら、人がいつも同じに認識しないとしても、すべてのものが常にお互いに密接な関係にあるのが真実だからです。

すべての物事が、直接であろうと間接であろうと統合されている時のみ、それらは創造の-自然の法則と掟、そしてすべて生命と自然についての真理、認識、知識と叡智に関して把握することをみずからに可能にします。

しかし、人はすべての物事と価値を他のものと統合しようとしない。何故なら、人は統合的な思考ではなく、分離思考をするのが常だからです。

ですから、人は真実の知識と真実の叡智を獲得し全体像を把握する状況に至らずに、それは常に真理や知識の小さな部分しか与えてくれない所に留まっているのです。

しかし、もし誰かが自然をじっと見詰めれば、自然が人に、一つの全体的な統合操作や統合的な協調が効果的になる時には、すべてがどのように摩擦なしに発展的に機能するかという極端に明らかな例を与えてくれることを認識します。

すべての自然界の壮大な法則に則った相互干渉と協調作業のみが、大きいものも小さいものもすべてが実際に効果的であり、生きて、成長し、進化することを可能にするのです。

すべての法則に則ったものがお互いに一緒になって働くことは人には既に遠い昔から少なくとも考えと行動においては奇妙なものなっていました。

生命形態として、しかしながら人は依然としてその中に組み込まれています。さもないと人の存在は既にずっと前に失われていたでしようから。

全体的思考は地球大だけでなく、宇宙大なものです。これは人にはずっと昔に認められていた事実です。

誰かが過去に戻って人類の歴史の年代記に捜したら、すべての法則に則ったものがお互いに一緒になって働くという教えについて非常に良く知っていたこと、そして人々はそれを教えられ指導されていたと云う事実の多くの証拠が発見されます。

伝統的な霊的な教えつまり、霊の教えは、多くの文化への入り口が発見された、一つのより包括的なそして基本的な教授システムが与えられていたと述べている。

その多くはバガバドギータ、ウパニシャドや北欧のイーダの中に、それに加えてエジプトの死者の書や多くの他の書物や作品の中に発見されます。

古代の年代記に無数の指摘が実際に発見されます。それらはすべて包括的な教えと思考体系を指摘しています。もし人が努力するならば、それらを通して人は宇宙、つまり創造、宇宙の意識、それに生命と存在が生じた原因のそもそもを突きとめ理解することができるし、またできるでありましょう。

そして、この理解からまた、この全宇宙のすべての物事や力は、大も小も結びつき、相互にお互いに作用し合えることが把握され理解されます。

その中に宇宙の存在のすべてやすべての人を閉じ込めたこの包括的な教えは古い時代に良くしられておりましたし、今でも霊的な教え、つまり霊の教えの形で依然存在しています。

それは古い言葉で書かれており、恐ろしく広範囲なものですから、一人で一代限りでは決して書き下ろせるものでも、記録されうるものでもありません。
 
そして、もしその教えが最近現代にもたらされるなら、それらを人に明確にし、よりよく理解できるようにするために新しい言語に翻訳する努力があればそれは部分的にでも起りえます。

その意味において、すべての記述が古い伝承から異なることなく、従ってそれらの真髄を維持し続けます。

この霊の教えは、時それ自身、生命、技術、思考と処置そして各種のすべての現象が常に変化していくのに、永遠に同じものとして残る創造の-自然の法則と掟への事象と働きについてもまた説明しています。

もし、真面目に伝承された霊の教えに自身を向け直しそれを利用したならば、地球の人々は極端に向上した認識と巨大な知識に到達できるでしょう。

そして、古い時代から伝承された霊の教えは、事実、無駄に「すべての時代の叡智の教え」と呼ばれたのではありません。

もし、人が人間の意識の数えきれない偉業のすべてを、すべての科学と全体の技術、すべての学校知識と霊の知識の両方を、イデオロギーと哲学、手細工とすべての領域のすべての芸術等々を、意志と努力で実現するために考え出されたことを観れば、製品や創作物は純粋な知能ではもはやほとんど発見できないことを認めるに違いありません。

全体の広さは通常で検知でき、図ることができるものの境界を恐ろしく遠く更に次元を越えており、多くの人々には幻想的に見えます。

しかし、それにもかかわらず、すべてが不完全であり、厳密にお互い分離されており、それで、相互に補完するために、何かが他のものに流れこむことはないのです。

人はこれまで、科学、手細工と認識と共に、また意見、哲学そして他の考え方と共にだけ、そして顕現世界つまり物質の生ずる世界の現象の明確さに特に注意を払うために、すべての物事の分離の原理のみにすべて従って働きました。

この際、これらの物事は原則的にお互いに属しあい、結びついているにも拘わらず、お互いに組み合わされることはなく、お互いに分離されています。

これは霊的で意識的な点において特に非常に強い表現になります。霊的な教えはすべての物事をカバーしており、それは全体性の中で把握し教えるのだからです。

ですから、霊的な教えは人の通常の思考と処置を遥かに越えており、すべての物事の疑問や関係を明確にし、加えて生命と宇宙の物質的な領域はもとより、非物質的な領域についての原因と結果をも説明してくれます。

非物質的な領域の中では特に多くの知識と叡智が支配的であることが明らかです。その知識と叡智は愛と調和、そして自由と平和と共に、真のLebenselexier(魔法の水薬?)を描き出し、その中に創造の-自然の法則と掟とそれについての必要な説明を埋め込まれています。

ですから、その中に、すべての自然科学の法則と掟のすべてが含まれており、その自然科学が化学、物理学、天文学、地質学、或いは他のすべての経験知識であれ、それも部分であれ全体であれ、まったく等しく処理するということも言われます。

しかし、不幸なことに、既に大昔から、今日でもまだ地球人から、特に平均的な人々よりも多くを知っておりより賢い科学者たちから、この事実は無視されています。平均的な人々の教育はしばしば希望に対して大半が残っていいます。これは、彼らが、科学者たちと同様に、一般に物質的な価値にのみ向いているからです。

しかし、実際に理性的にこれらの物事に教育されたはずの科学者たちが何故、彼らは実際に日々それについて働き、不思議なことは残っているとしても、本当はその存在を知り、確信すべきであるのにもかかわらず、すべての生命とすべての存在の見えない非物質的な存在の範囲を公式に無視し、霊と意識の力を不合理であると論証したのか?

しかし、不思議はそこにはなく、実際には彼らの思い上がりの中にある科学者たちの無知にあるのです。その無知から彼らの幾人かはそのようにして自分を神-創造者として間違って思い込んでいます。

当然そこには、規則の場合と同様に、例外はあります。しかし、一般に落ち込む科学者が大半であり、これは霊の教えつまり霊的な教えからは多くは考えられないかまたはまったく考えられないことです。

しかしまた、科学者ではなく何の博士号などを持たない普通の人々、単なる市民が同じステップで歩きまわり、霊的な教えの知識と叡智について、それから有用なものを引き出したり完全性と全体性の中で人生を導くために、気にかけようとしないのです。

しかし、すべての生命とすべての存在のすべての規則性が結果的に認識され、従われそして履行されたならば、どれだけ多くの恐怖と悲惨、戦争、憎しみ、破壊と根絶が人によって苦痛を与えられた地球世界で消えうるでしょうか。

しかし、それでもって、この目標が達成されうるには、人は人生を満たすために必要な知識と叡智をかき集めなければなりません。

この知識と叡智は、しかし、昔から与えられていた霊の教えの中に見つけられるのです。

しかし、知識と叡智のために働くには、自分たち自身のために、動物世界と植物世界のために、全体の自然に対して満たす責任を実施できるようにするために、人の大きくて重大な責任感を要求します。


倫理と道徳、責任感と創造の法則に従って進化する意志が再び人の固い構成要素になり、加えてすべてのものや人々がお互いに強く結び付いており、分離思考は間違いであり無効であるという理解と知識に至らねばなりません。

プラトーは他日、イデア(形相)が世界を支配すると言いました。

そして、このことは非常に重要な名言です。何故なら、意識から湧いてくるイデアから、次から次へと新しいイデアが生じてくるからです。

加えて、これは「古いものが再び拒否され、改訂され、新しくされること」を意味しています。

この方法で人々、全人類は意識的で霊的な領域と純物質的な領域の両方で、人生のすべての領域で前へと進化していくのです。

この意味で、また霊的な教えは知識と叡智と関係して、すべてのそのようなものの中で働きます。

この形で、霊的な教えは地球の人々をよりよい向上した未来に導く唯一つのガイド以上のものです。何故なら、それがその全体の中での一つの教えであり、すべての種類の科学、宗教、哲学、手仕事、イデオロギーが提供するもののすべてを遥かに凌駕しているからです。

実際、つまり霊的な教えがそこに現れると、知識、叡智と認識等をもたらし、一方では人々の通常の想像力を越え、科学者の場合ですら、宗教、哲学、そして他のすべての可能な思考方向を遅滞させ、もはや知ることを続けられなくなります。

しかし、残念なことに、霊的な教えと地球人によって発せられるすべてのインパルスがほとんど認識されていないか、または無関心に負けて、彼らの進化の獲得がまったくゆっくりになっています。

詳しくは個人や小さいグループで、彼らが真実の人生を知識と叡智の中で責任を自覚して自分を教えこむために、そして、すべてが全体的な一つの普遍なものの創造領域に秩序だてられているので、すべてが一つであること、すべては全体的に一つに組み合わさっており、お互いに依存しあっていることの認識において、すべての宗教的なそして哲学的なドグマ、仮定、寿命の短い理論などに打ち勝っているのです。 

 Billy

[WZ117 Billyの巻頭言:私訳 by Hiro  on Dec.2,2000]
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盲人として生まれた、私に視力が..

 こんなことは物理的にはないかもしれない。しかし、もし、そんなことが本当に有ったとしたら、その瞬間、私はどんなことを感じるのだろうか。それまでは、光のない世界であった。それが、たった今、突然に見えたとしたら、私はどう感じるのだろうか。

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 これが、光というものか!

 この光は何処から来るのだろうか。

 どんな風にして光は出てくるのだろうか。

 あれが太陽というものだったのか。

 どうやら、私の肌に暖かさを持ってきたのも、この光らしい。 

 ということは、太陽が私に暖かさをくれていたのか。

 これが色と言うものか!

 どうしてこんなに無数の色があるのだろう。

 手で触って形は知ってはいたが、この花達の色はどうだ。

 木々の幹も枝も葉も実も、まことに色彩感に富んでいる。

 これらの色はどうして発色しているのだろうか。

 また、何のために発色しているのだろうか。

 ただ人の眼を楽しませるだけなら、こんなにも色々とはいらないだろう。

 とにかく、なんにしても、感動、感動、感動だ。

 でも、私の周りの誰も、大きな声で感動!などとは言いはしなかったなあ。

 これらの色は、光の作用によるものらしい。

 それでは、光がなかったらどうなるのだろうか。

 光が無ければ、すべては闇なんだ。

 光が野原に落ちたとたんに、目の前に、野原は描かれる。

 光が木々の上に落ちれば、そこに木々が描かれる。

 光が空中に落ちれば、水滴を通して微光を放つ虹が描かれる。

 こんな不思議を光はどうしてやれるのか。

 どうやって無数の色彩と照度を作り出せるのか。

 この光はどのようにして発し、すべてに作用するのだろうか。

 光は創造の贈り物だということは言葉では知っている。

 もし、光が無かったら、眼前に広がる宇宙は無限の闇だ。

 そればかりか、光が無ければ、すべては存在しえない。

 私の庭の木々や植物も、光が無ければ芽吹きもしない。

 大地の熱で芽吹いても、光が無ければ成長できない。

 植木鉢に植えた花を冬、窓辺に置くと花は光の方に葉の向きを変える。

 私の庭の木々や花々は、太陽の光に当ろうと上に伸びている。

 大きい木の下にあるものは、その陰から抜けようと、横にも広がる。

 更に小さな植物や動物、そして私たち人間にも、光の刺激が必要だ。

 私は、会社で陽の当らない部屋にばかりいたので青白くなった。

 そう、私は創造からの無限の愛である光を甘受していた。

 盲目の時には何にも知らなかったが、眼が開いてみると、創造の愛の印が無限に存在していた。

 私は、感覚と意識に於いて、この盲目の状態でいたのだった。

 この一見死んだように見えるが実は生きた世界に、不思議に満ちた働きをする光とはなんだろうか。

 この光という最大の富が、太陽によって、私たちにもたらされる。

 その光は、宇宙の中を私の想像を絶する速度で走り抜ける。

 この宇宙の至るところで、目減りしない光の量は何処からくるのだろうか。

 聴けば、光は火からくるというが、その火とはなにか。

 これまた、不思議なものである。

 火はすべての物体に含まれている。

 それは、物体の中に閉じ込められた、何らかの力である。

 木を外部から強烈に擦って熱を入れると、木の中に内在した火は解放される。

 火は、宇宙の全体に拡大される。

 金属をグラインダーで削ってやれば、眠っていた火花が飛び出す。

 火は光だけではなく、暖気も与えてくれる。

 太陽は光と共に、暖気を与えてくれている。

 私の家の薔薇の蕾は、昨夜の雨の水滴を吸い、太陽の光を受けて膨らんでいる。

 こうして、私が創造が与えてくれている光と熱の効果を書き記すのに一生かかってもたらないだろう。

 私は、この人生で、原子力発電の設備の設計製作にたずさわってきた。

 この仕事で微微たる電気による光が燈され、いかにも有意義なことをしたかのように想ったものだ。

 しかし、そんなものは無にひとしかった。

 火はとても凄いものだが、誤用されれば、人の命を奪うものになる。

 稲妻が走るとき、それは恐ろしいものに見えるが、美しいものでもある。

 創造から来るものは、すべて人間にとっては祝福であり、善である。

 しかし、人間が悪意や不注意で愚鈍にも、幸せのために与えられものを、腐敗した物に変えてしまう。

 盲人の眼が開いてみれば、この地上世界は、楽園である。

 創造の創りあげてくれたものは、なんと荘厳で、愛と美にみちた世界であろうか。

 言い表すべき言葉もない。

 そう、事実、地球は楽園なのだ。

 眼が開いた私は、ただ、それをみて、その通りに認識しなければならないのだ。

 そうすることで、正に、盲目から目覚めるということである。
   
 ああ、創造よ、私はあなたの愛に感謝します。
 
 眼があいた今となっては、この認識は二度と失うことはありません。

 私の内部に居られるあなたの一部である、霊(Geist)体の意志にそって、今から生きていきます。

 如何なる試練があっても、それがあなたの学びのためであれば、私は真っ直ぐにその通りに進みます。

 私は創造の法則と掟を認識して、残りの人生を生きて行きます。

 ですから、すべての失敗は、進化の糧として、あなたの栄養にしてください。

 
   (ひろ)

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9089

今年一年、ありがとうございました。

9090

また

来年もよろしくお願いします。


ひろと花たち より

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ひろさん

遂に今年最後の日曜日だね

昨日は何やら忙しそうにして

ここの更新忘れたものね

まあいいか

明日はさむくて雪かも知れないというから

そとのことは今日だよ


ご近所の ロウバイ より

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ひろさん

朝は手指が凍えたでしょう

明日はもっと冷えるって

ゴミだしがきついね

そろそろ今年も終わりだね

地球がいつもの所に

帰ってきたわけね

また新しく太陽を一回りしますか


ご近所の 私は誰でしょう から

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ひろさん

今日はクリスマス・イブ何だね

日本人は何でも祝う

それも良いじゃないか

殺伐とした世界中に

サンタさんが

子供達に夢を届けてくれる

みなさん

クリスマスの明日も

幸せにお過ごしください


ご近所の 椿 より




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9083

ひろさん

良いお天気になったね

人間は休みが多いのね

もっと

ひろさんは毎日がおやすみ

社会的な仕事をしていた頃は

そろそろ御用納めがくる

なんて思っていたね

暮から正月の休みにかけて

何処かの現地に呼び出されるのは

いつものことだったね

今はそんなこともなく

のんびりだね



ひろっちの ノースポール より




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