Francのほんの少しを創造的に生きよう!

自分が「いいな」と思えたことは,他のみんなにとってもそう思えることが少なくないな?・・・ということをちょっと頭に置いて(恐る恐る)足を踏み出してみたら,そこからたくさんのつながりや関わり,そして創造が生まれて,何かを協同して作っていこうってこともありますね。

金曜日の夜中,腹部に激痛が走り始め
途中からは寝ることもできないまま朝を迎えました。

そして,何とか痛みをこらえながら出勤し,
教室での子どもたちへの健康観察後,近くの支所へ。
この日は,夏受けられなかった健康診断があったのですね。

その後,「ちょっと,お腹が痛いから,ごめんね。」と
座りながらも授業を行い,少し早めに帰らせてもらいました。
(今から思えば,この時に,専門医に診てもらえれば
まだよかったのです。ところが,)

痛かったのは,ちょうど胃の部分でしたので,
帰り道,ドラッグストアに寄り,
「ガスター10」を購入し,それを服用し済ませました。

一晩寝ると若干よくなっていたので,
約月一で通っている主治医(精神内科医)のところへ行く
ちょうど予約日になっていたので,
一緒にお腹の具合も診てもらいました。

いろいろと触診してもらいながら
「これは風邪からくる腸の病気かもしれないね。」と言われ,
とんぷく薬を含め胃腸炎の薬を服用してもらいました。

これで2日間,静養に努めれば回復するだろう,
きっと,クラスでも,お腹の痛みで何日か休んでいた子もいたから,
それがうつったんだろうね,くらいに思って
ゴロゴロと横になっていました。

ところが…,
土曜の夜から容体はさらに悪化,
お腹の痛みは,もう腸が引きちぎられそうなものになっていました。
床に転がり,何か変な汗がやたらと出てくる中,
どうにもこうにも,
うめき声を上げなければいられないほどのものになりました。
いよいよこれは,
自分で救急のお世話にならなければいけないのかなと。

そんなことを何度も考え,何度も考え
それでも,何とかこの痛みさえ乗り越えられればと思いながら,
耐えていたのです。
(これが,本当によくなかったのです。)

こういった状態で,土・日を過ごし,
月曜日も休みをもらって何とか回復を待ちました。
もう,体を横にしたり,起こしたりするのも大変な状況なのに。

そして,火曜日,
多少,起きることはできるようになっていたので,
もう,これ以上は職場にも迷惑はかけられないと思い,出勤しました。

口に入れるものは,ほとんどもどしていたので,
もうこの時点で,私の人相は,目や頬は落ちくぼみ,
ほとんど別人のようになっていました。

マスクで隠していたのに,顔を見た同僚からは口々に
「顔色悪いですよ」と言われるほど,その変化は明らかだったのですね。
そして,中休みに飲んだ栄養剤をトイレでもどしている私を見て,
校長が「点滴を打ってもらったら?」と言うので,
そうだ,ここで回復を図るには,「点滴だ!」の一心で,
その後,それでも,図工でススキの絵の描き方を教えつつ
「みんな,ごめんね。がんばってね。」と言いながら早退し,
消化器科に向かったのです。

この頃は,原因は何か?を究明する気持ちなどは,
とっくに何処かに失せてしまっていたのです。
そこを飛び越えて,とに角この体を少しでも回復させたいという,
藁にもすがる思いしかなかったのです。

しかし,急に行ってもすぐに受診できるわけではありません。
2時間以上待たされた後,レントゲン撮影と血液検査を受けたところ
腸閉塞を起こしているとのこと。
何にしても,もう腸の周辺が,炎症やら何やらで曇っていて
レントゲンでもよく見えない状態で,すぐに手術が必要だと言うのです。

そして,総合病院を紹介してもらい,すぐに連絡を取ってもらいました。
すると,ちょうど当直の先生が,手術が終わるから,
それが済めば診てもらえるということでした。

私は連絡を取ってくれた先生に握手を求め,
心からお礼を言い,自分で車のハンドルを握って直行しました。
到着が18時31分。
それが11月の10日,火曜日。
金曜日の発症から5日目になっていました。

病院では,増血剤を使ったCTの画像も撮りましたが,
それでも,「魚の骨らしきものが見つかった」
「これが悪さをしていたんだ」という話もありましたが,
実際のところは,やっぱり曇っていてよく見えなかったのです。
(それだけ,炎症が酷かったのです。)

そして,20時20分より手術開始。
そこで初めて,お腹を開いてみて
「虫垂炎」だということが分かりました。
それもかなり進行し,壊死に近い状態でした。
やはり,あの土日の激痛の時点が,最大の山だったのです。
そして,その後膿は臓器の周辺に飛び散り,
腸全体が大きく腫れ上がった状態にまで達していました。

それをできる限り全部?きれいにし,
腫れ上がった腹部を閉じるのも,切断面を縫い合わせると
はち切れそうなので,ちょうど靴紐のように
横に3本這わせるような形で縫い合わせました。

全部で3時間はかかったといいます。

そこからは,回復室に始まり,
入れ替わり立ち替わり,私に顔を見せる看護士も医師も
何もかも…,二言目には
「体を動かしてください」「起きて歩いてください」
と言うのです。

もう,5日間の絶食で,手術を受ける前から,
私の体力は底を突いていました。
しかも,まだ体を起こすのにも激痛が走る中でです。

これは,膿が飛び散った後,切って縫い合わせて
ということをしたので,
腸閉塞などの臓器の癒着が怖いからなのですね。

入院中は,腹部の炎症や腫れ,化膿を防ぐため
かなりきつめの抗生剤を毎日投与されましたが,
私の場合,そのリスクは高いのです。

そこからまたさらに5日間。
点滴だけの絶食生活が続き,
やっと「おもゆ」が頂けるようになり,
その後,3分→5分→7分,そして,全粥となって
15日後,退院となったのです。
考えてみると,本当に普通食は,退院する日の朝,
一食だけでした(笑)

ですから,体重はまだ10キロ近く減ったままでしょうか。
腸の機能も完全に回復したわけではなく,ふらふらなのです。
それでもこうやって,PCに向かい,
今回のこともふり返って文章にするところまでにはなりました。
そして,月曜日からの職場復帰を目指しています。
本当に,間に合うかな?また余計ながんばりなどによって
迷惑をかけてしまわないだろうか。
という不安はありますが,そこは,自分自身の感覚を信じて。


ということで,みなさん,
大変ご無沙汰しました。
死の淵?から帰って参りました(笑)

今回のことは本当に,私も病気への想像力が
足りていませんでした。
最終的に「盲腸」だと分かったのは,お腹を開いてからですし,
そこに結びつけることは全くできませんでした。
これからは,もっとセンシティブになって
予防に努めなければなりませんね。

想像力の土台にあるのは,
やはり,本物の知識であり経験だと思います。


そしてこれは,どんなことについても言えることですが,
我慢もほどほどにして,
人の助けを借りるというのは
本当に大事なことです。

それはまた,逆に助けを必要としている人に敏感になっていき
手を差し伸べられるようになる,ということでもあると思います。
それだけ,その中でこそ知り得る人の情というものもありました。

白衣の天使といわれた頃とは違い
ユニフォーム姿もカラフルになった
看護士のみなさんの人柄もそれぞれにあり,
(最初は3人の若い看護士さんから体を拭いてもらったり…)
長い間入院されている患者のみなさんとお話をしたり,
なかなかできない経験もさせてもらいました。


みなさんもどうぞ,これから益々寒さも増す一方です。
お体の方,ご自愛くださいね。
決して,脅かすつもりはありませんが,
病は,突然やってきますので…。

もはや時代は,
派遣社員4割,残業代0,
正社員に過大な負担と責任がのしかかるという
一億総「いつ入院してもおかしくない」社会であり,
その入院費も大変なものになります。


病態生理

組織学的には粘膜層の軽度な炎症を示すものから、
虫垂壁全層の壊死を呈するものまである。

これら炎症の程度、範囲から本邦では、
1)カタル性虫垂炎 2)蜂窩織炎性虫垂炎(化膿性虫垂炎) 
3)壊疽性虫垂炎 4)穿孔性虫垂炎と分類することが多い。

多くの虫垂炎はカタル性から始まり、炎症が進むにつれて
蜂窩織炎性、壊疽性、そして穿孔性へと進展すると考えられる。

※なお穿孔とは,穴が空くということです。
mymed.jp/di/iym.html
腹膜炎/穿孔性虫垂炎



急性壊疽性穿孔性虫垂炎に対する腹腔鏡下虫垂切除術









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