トシコ・ムトーさんの講演会

テーマ:
9月14日夜、ニューガーディナホテルで開催された漫画家トシコ・ムトーさんの講演会に参加しました。SBビジネス会主催。

23歳のとき、日本でOL時代、暇なので、眠気覚ましに机の引き出しにナイフで穴を作っていた。
会社の人が見物に来るようになり、ついに常務が見に来た。

常務さんに、「机に穴を開ける以外、他に何かないのですか?」
と問われ、仕事の合間にこそここ書いてた4こま漫画を見せる。

その常務が出版社に知り合いが居て、そちらに見せ、翌日出版社から連絡あり、創刊されたばかりの雑誌「女性自身」第2号に掲載されることになった。

それが 漫画「小さな恋人」。

読者の反響が高く、「それでは来週も。」と毎週頼まれ、
結局8年間連載された。

その間、永禄輔さんと同じ芸能プロダクションに入り、マネージメントをお願いしたら、どんどん仕事を取ってくれて、25社の仕事をこなしていた。

31歳の時、急に想像力が消え頭がからっぽになったらどうしよう、と不安にかられ、
仕事を全部キャンセルして、単身スーツケース1つで渡米。ロサンゼルスに来た。

結婚し、幼い子供も1人居たけど、だんなとそのご両親に預け、単身渡米。
前年南米旅行中に知り合った24歳の日本人男性のアパートに転がり込む。
彼は庭師をしていた。

1年後離婚が成立し、その24歳の男性とラスベガスで挙式。

グリーティング・カードの仕事ができないか?とカード売り場で検索。
一社だけカリフォルニア州拠点の会社”Hanna Barbera"があり、面接試験を受け、採用される。

http://johndenora.com/ToshikoMuto/index.html

そこで自信を得たので、「フリッツストーン」などで有名な会社に面接し、仕事を得る。
ところが、そこは、半年で全員レイオフ。
アーティストは季節労働者扱いで、6ヶ月仕事、あとの6ヶ月はレイオフという感じ。
他の人は俳優のエキストラやったり、他の収入口をちゃんと見つけていた。

自分はどうしようか、と思ってたときに、UCLAで勉強していた妹から、
「ディズニープロダクションの副社長が自宅のメイドを探してる。」と電話あり、そちらに行く。
すでに2人メイドが居て、毎日犬の散歩、餌やりなどの簡単な仕事。
別館の家に住み、毎月$75お小遣いもらえる。

冷蔵庫の中の好きなものを食べてよく、家賃・食費無料。
どうせなら美味しいものを食べよう、と高級チーズを食べたところ、
副社長に呼び出される。

それは特別特注の副社長用の高級チーズだったらしい。

「あなたは、アメリカに女中になるために来たのではないでしょう。
何がしたいのですか?」
と聞かれ、自分のポートフォリオや漫画のスケッチを見せる。

女中は解雇。
翌日からディズニー社で月給$1500で、秘書付き、スケッチ・アーティストとなる。
37歳だった。

ちょうどディズニー社がフロリダ州オーランドのディズニーワールド、エプコットセンター、東京ディズニー構築中だったので、ショー・ディザイナーに抜擢される。

英語が不得意で建築の知識も無く、他の人との共同作業が無理とばれ、
1人でもできる、壁画制作や各館の模型制作を1人ですることになった。

東京ディズニーランドの初代漫画スケッチ案内図もトシコさんが一部制作したそう。
http://johndenora.com/ToshikoMuto/paintings.html

41歳の時知り合った大富豪の男性と3度目の結婚。
1年間贅沢三昧の生活だったが、あるとき、前妻と7年間ヨットの旅に出ると言って、出て行ってしまった。

ディズニー社で8年間仕事をする。

ディズニー創始者の兄弟がバタバタと他界。借金ゼロを誇りにしていたけれど、ディズニー・ワールド、エプコット・センター、東京ディズニーランド建設で多大な借金を背負ったディズニー社。名前だけ残して、ワーナーブラザーズ社に株を売却。身売りする。多くの社員はレイオフされる。

結婚生活も、男性も、仕事も全部失った。
才能も底をついたように感じた。。

独学で四柱推命を学び、自分を調べたところ、
120年周期の運勢。20-40歳まで20年間ツキにツキまくって、40歳で死ぬ。」という答えだった。

体は生きているけれど、心は死んだも同然だった。
その状況を避けるには、19歳の頃の状態に戻ること、だと教えてくれた。

19歳の頃を思い出すと、お金は全然なかったけど、幸せだった。
その状況に戻る決心をする。

これから暮らすなら日本よりアメリカと思い、アメリカの市民権を取得。

50歳のとき、海竜社の名編集長である下村のぶ子社長に「自分のことだったら書けるのではないか?」と励まされ、12月1日に日本に飛んでホテルで缶詰になり、29日間で書き上げたのが、「人生は片道切符」だった。編集長が毎日ホテルにいらして、その日書いた四〇〇字詰め原稿30~40枚をはしから校正。最後の校正は国際空港のベンチで完了した。ゲラが出来た時点で、2時間スペッシャルのテレビ映画化が決定。本はベストセラーになった。

才能の感覚を呼び戻すため、55歳でアルジェンチン・タンゴを始める。
どうせなら、アメリカで一番有名なフェリックス・チェベッツ氏に入門。
1時間$600の講習代を払うため、レドンドビーチのコンドミニアム(マンション)を売却。

1日8時間週5日から6日ダンスの個人レッスンを受け、4ヵ月後には彼と出演したアメリカのタンゴダンス大会のチャンピオンとなる。
出る大会、出る大会、総なめ。

60歳のとき、ガソリンスタンドで、北方インドのシーク派パンジャブ人{政治亡命者}で5番目の夫になったギルに出会った。浅黒い皮膚、太い眉毛の奥にギロギロ光る黒い瞳、見上げるような長身。彼は16歳年下だった。

彼との10年間の結婚生活は素朴で純粋で、私は心の傷も名誉欲も財欲もウロコが落ちるように、ぱらっーと取れた。四柱推命によれば、ギルとの相性は、「財運を全部失って、愛を取る」か、「財運を失いたくなかったらギルと一緒になってはいけない」と出ていた。私は、一度死んだ身だし、財産なんて天国に持って行けないから・・・と「愛」をとった。

彼は毎日ウイスキーを1本開けるほどの酒豪。頻繁にどこかに追突して、警察から電話がある。毎回飲酒運転の身請けに$1500ドル、器物破損の弁償に数千ドル、弁護士代に数千ドルかかる。それを頻繁にやられ、10年間で破産した。
http://johndenora.com/ToshikoMuto/press.html

彼は10年間毎朝欠かさず、天国に連れて行ってくれたけど、ある日、
抱きしめられたときに、背骨にヒビが入った。

これ以上彼とは生活すると体が持たないと思い、離婚することにした。
離婚前に、彼がインドに残した息子さんの永住権をスポンサー申請し、永住権が降りてから離婚した。

骨粗忽症で、合計背骨が4本折れた。
身長は8CM縮んだ。
毎日痛くて痛くて、苦しんだ。

あるとき、知人に 千葉県柏市の守護神様に真剣にお祈りすると、痛みも取れるし願望成就するときいた。

半信半疑でそこに行った。
お願いしたけれども、あまり効果なかった。

あるとき、「本当に真剣にお願いされてますか?」と聞かれ、
真剣にお願いしてみた。

すると、背骨の痛みが消え、セムシのように丸まっていた背骨がまっすぐ伸びた。

71歳の時にお坊さまのような気持ちで生きて行こうと、少林寺拳法の倉本7段に入門。
ロサンゼルスで一番有名な師匠。

サンディエゴ大学で少林寺拳法の合同練習があったとき、宮本武蔵の流れを汲む、ダイトウリュウUSA創設者であるD氏と知り合う。
すぐに愛の歌を歌ってくれ、3週間後、3回のデートの約束を申し込まれる。

1回目、イタリア祭り
2回目、サンディエゴの現役裁判官の自宅ガーデンパーティー(参加者100名)
3回目、訪米中のイタリア大使の歓迎ディナーパーティー(イブニング着用)

日本の古武道の創設者であると同時に、昔イタリアン・マフィアの顧問弁護士をしていたことがわかった。
またフリーメイソンのメンバーだった。

3回目のデートの後、プロポーズされた。
「がんで2週間後か1ヵ月後に死ぬかも知れない。
できるなら、早く結婚して、トシコの腕の中で死にたい。」

もし嘘をついて10年は生きると言ってくれていたら、結婚したかもしれない。
一旦付き合いを辞めた。

1ヵ月後D氏の秘書から電話あり、危篤の知らせ。
4つの病院でさじを投げられた。

自分にできるのは、ただひたすら祈ること。
彼が生き延びるにしよ、旅たつにしろ、苦痛を伴いませんように、と祈った。
次に、せめて彼の好きなものを食べられますように、と祈った。

すると、彼の大好物のフィレミニョンを1口食べた。
少しずつ回復し、1年後には、彼の運転で私たちはメキシコにドライブ旅行した。

その直後、彼は倒れ、ホスピスに入る。

病室で横たわる彼の指に、母の結婚指輪をはめ、彼は涙を流して喜び、彼のメイソンの指輪を自分にはめてくれた。 そして、「アイ、ドウー」と(結婚を)誓った。

翌日彼は天国に旅たった。

彼の遺言どうり、二人一緒に入るお墓をフォーレスト・ローン墓地で買って彼の遺体を埋葬した。

自分が73歳、彼が74歳でした。

$LAスピリチュアル紀行-Sicily, Italy
トシコ・ムトーさん作「イタリア・シシリー島」
D氏の故郷。亡くなる1ヶ月前に描きはじめ、亡くなる前日に完成。


女一人スーツケース1個でアメリカに来た私。
武器は健康と直感だけ。

そういう私にアメリカは、ドアを開けてくれた。
皆さまこれからですよ~。
皆様を祝福し、期待してます。

青春とは、
人生のある期間をいうのではなく、こころの様相をいうのだ。
優れた想像力、たくましき意思、燃ゆる情熱、臆病をしりぞける勇猛な心。
安易を振り捨てる冒険心。こういう様相をいうのだ。

年を重ねただけで、人は老いない。
理想を失うときに、初めて老いがくる。

サムエル・マルマン


現在トシコさんは75歳だそう。
とってもお若い。

~~~~~~~~~~
講演会のあと、記念に一緒にお写真を撮っていただきました。
トシコさんとは、8-10年前にギルさんと数回お会いしたことあります。
向こうは覚えてないでしょうから、そのことは話ませんでした。

どんどんお若くなってます。。。

「青春とは」のマルマンの言葉いいですね。。。
$LAスピリチュアル紀行-Toshiko & Lisaky
トシコ・ムトーさんとLisaky
AD

コメント(2)