FUJITA'S BAR

酒場は、人と人の架け橋のような気がしながらカウンターに立ち続け、もう少しで

半世紀

その歳月の中で出会い、そして去っていった人々の面影も今は定かではない。

歩み続けた足跡の上に歳月が降り積み、全てが茫洋とする前に、せめて書き留

めておこう思ったのがこのブログである。

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2017-05-26 09:10:00

表六玉の独り言 173

テーマ:酒場親父の思い出話

お汁粉の味  1


 「ノボル!また警察の車が来て居るよ!」
目をつり上げて怒鳴る母の言葉に、歯ブラシを口にしたまま障子のガラス窓から覗いてみると、見覚えのある日下部署のジープが隣り部落と我が家の岐路に停まっている。
「おかしいなぁ、ここんとこ喧嘩もしてないし、俺じゃあないかもよ」
「だったらあんな所でお前を待ち伏せするように停まっているはずがないだろ!もう近所の人達だってお前の所に来たと思ってるんだから。本当に恥ずかしいったらないよ!」
「分かった、分かった、ちょっくら行って聞いてくるよ」
平然とした素振りで車に近づいていったが、心臓の鼓動が四方に聞こえるのではないかと思うほど、動揺していた・・・・あまりにも静かな田舎の朝である。
米軍の払い下げのような古色蒼然としたジープに、見覚えのある日下部署の少年課の刑事二人が、眠たげな顔で坐っていた。
「俺に用事ですか?」
「家まで行こうと思ったんだけんど、親が心配ぇするといけんもんで、ここで待ってただよ。学校行ったんじゃあ、おまんがもっと困ると思ったでよぉ」
年嵩の刑事がニヤニヤしながらそう言う。
「こんなところで待たれてたんじゃあ、親にだってバレバレだし、それに近所にだって・・・・」
「うるさい!何をごちゃごちゃ言ってるだぁ!おれんとうが出張るようなこと、毎たびしでかすオマンがいけんだぞ!近所が気になるつうなら、早く乗らんかぁ!馬鹿者!」
運転席の若い刑事がかみつきそうな顔で怒鳴った。
「そんじゃあ、学校の支度してくるから少し待っててもらえますか」
「今日は長くなりそうだから、学校なんか行ってるヒマもねえずら。なに、学校の方にはウチの方から連絡しておくからよぉ」
「早く乗った乗った!早くすりゃあ早くケエれるちゅうもんだ。もっともケエれるかどうかはオマン次第だけんどネ」

 
床に一本差し込んだような丸いノブの着いたギアチェンジレバーを、ダブルクラッチでシフトを変えながら走るのだが、ギアがかみ合わないのか時おり悲鳴のような音をたてて停まりそうになる。
その度に若い刑事は「このポンコツめ!」などと悪態をつきながら運転している。
わざとデコボコ道を選んで走っているのではないかと思うほど上下左右に揺れ、時には天井に頭をぶっつけるし、ひび割れた後ろ座席のシートは板のように堅いから、尻を板で間断なく叩かれているようなものである。
その責め苦の中で最近の行状をあれこれ思い返してみたが、他校の不良との諍いや喧嘩沙汰はひっきりなしだったが、警察沙汰になるような派手な喧嘩はしていない。
考えられるのは数週間前、山梨高校の女生徒目当に出張って来ていた甲府高校の不良三人を脅かしたぐらいであり、その時も殴り合いにはなっていない。
ただその折り彼等が「煙草代です」と差し出した金を受け取ったのが気になるぐらいである。
でもなぁ、ありゃ恐喝なんかじゃあねぇよなぁ、それとも柿を盗んで食ったのを誰か見ていて・・・・いくら何でもそりゃあ無いだろう等と考えている最中、むっつりと黙り込んでいた年嵩の刑事が話しかけてきた。
 

                                                                              続
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2017-05-24 10:12:27

こころ絵 『蝸牛』

テーマ:アート

紀元前300年頃の中国の思想家で、道教の始祖と言われています荘子は、巧みな“たとえ話”で知られていますが「蝸牛角上の争い」(かぎゅうかくじょうのあらそい)もその中のひとつです。


蝸牛(かたつむり)のような小さな国の、左の角の上に“”氏が国を建て、右の角の上には“”氏が国を興しました。

そして触氏と蛮氏の両国は、数万の死骸を残すほどの血みどろの争いを繰り広げ、最後はともに亡びたのです。

ここから、ささいな事柄で争うことを「蝸牛角上の争い」というようになりました。


人間が血道をあげている戦争も、こういったたぐいのものだという荘子の皮肉な比喩であります。中東の血を血で洗うような戦いなかで、沢山の幼気な子供達が死んだり、手足を失う報道を見るにつけ、人間の愚かしさと悲しさを痛感します。

                 
              酒場人生覚え書き                 

 

宇宙的規模から見たら、塵にも満たない地球上で繰り返される戦争・・・・地球を蝸牛の角の先にみたて、人間の神も恐れぬ愚行を“の字で描いてみましたが、あまりにも漫画チックでした(冷汗)。


だけどね悲しみと怒りは本物です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017-05-22 09:30:00

続・続 人間機雷 264

テーマ:小説

 第三章 夢幻泡影
二 孤 旅
3 酔いどれ権六(4)


橋爪屋の一人娘妙子は、昭和2年に山梨県立山梨高等女学校を卒業してから、旅館業を手伝っていた温和しい気立ての良い娘だった。
良雄が橋爪家に婿入りし、三富から橋爪尚貴になった26歳のときである。妙子は20歳になっていた。
それから21年紆余曲折を乗り越えながら、橋爪屋の看板を守り通してここまで来ていた。
「・・・・と言うわけでな、いまはこの旅籠をやってるだ」
「ふーん、上手いことやったじゃんけ。食うや食わずの貧乏屋の小せがれが、旅籠を乗っ取ったちゅうこんだなあ。ほんでいまじゃ主人でございか・・・・けっ、面白くもなんともねえ。もっと酒を持ってこおし。祝い酒だあ。あ・る・じ殿!早く持ってこう!」
権六は酒癖が悪そうだった。三白眼の黒目がますます上瞼に隠れ、ほとんど白眼ばかりのような不気味な眼を見据えて怒鳴った。

「それにしてもよく生きて帰ってこれたもんじゃんけ」
良雄は権六の湯飲み茶碗に、葡萄酒を注ぎながら言った。
 「おらあ不死身だあ。そりゃあなんべんも危ねえ目には遭ったけんどな」
権六は関東軍に拾われて、厩で馬糞の掃除ばかりをやらされた雑役夫だったことはひた隠し、その身分として関東軍軍属だったと吹聴した。そしてあたかも自分が日本人でありながら馬賊の頭目になっていた“尚旭東”(日向東崇)ででもあるかのように、見聞きした馬賊の頭目の虚実を、取り混ぜながらとくとくとしゃべった。

 


 

終戦間際になんの才覚のない権六がそこを脱したものの、とうとう強盗団である匪賊に身を落とさざるを得なかったことも、あたかも満州国救済の義賊として、満州に残ったように話に作りかえた。
「満州の冬はそりゃあ寒いなんちゅうもんじゃあねえ。マイナス30度にもなるだ。立ちションをべすると、そのまま凍ったもんだ。甲州は空っ風が吹いて寒いなんてこきゃあがるが、それに比べたらぬるいもんだ。おまんなんかじゃあ、すぐに凍え死んじまうぞ。だけんどよお張学良という親玉が逃げちまった後の満州は、親を失ったガキみてぇなもんだ。あっちえウロウロこっちえウロウロ・・・・だからおりゃあ日本軍がさっさと逃げちまった後も、満州の仲間と手を組んで弱り切ってる民衆を助けただ」
自作自演の作り話に、おのれが陶酔し、涙を流さんばかりだった。あるいは泣き上戸かも知れない。

支那の歴史は古代の昔から歴代王朝や官憲の情け容赦もなく、税金などを取り立てることに悩むとともに、北方から砂漠を越えて疾風のように襲ってくる略奪者に脅えていた。王朝や官憲がこれらの略奪者に防衛の処置をとらない上、略奪者以上の簒奪をして農民を脅かす以上、農民がみずから自衛する以外に道はない。そこで自衛組織が生まれ、かつ異常に発達し、保衛団という民間自衛組織が発達していた。この自衛組織は古来中国では“侠”と呼ばれ、三国志に登場する劉備玄徳や関羽雲長はその頭目だった。 
この保衛団の専従職員ともいうべき遊撃隊隊員が“馬賊”である。
彼らは自ら“緑林の徒”であることを誇りにし、少なくともその縄張り内においては仁義を守る任侠的な存在として農民たちを守るという、日本の任侠仁義とかなり相通ずる馬賊道ともいうべき一面を持っていた。
緑林の徒とは前漢の末期、王莽の即位後、王匡・王鳳らが窮民を集め、湖北省の“緑林山”にこもって盗賊となり、征討軍に反抗したという故事から、盗賊のたてこもる地やその盗賊であるこという。
実際に彼らは日本の任侠の徒と同じく“縄張り”をもち、その維持に多大な精力を傾け ていた。まるでそっくりである。 

                                                                                        続
                                           
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2017-05-19 09:20:36

表六玉の独り言 172

テーマ:想い出探し

昇仙峡のガマ爺さん 8


8 捨てる神あれば拾う神あり
期待もなにも消え失せ、悪天候さえ気にならない有様で黙然と車を走らせていたのだが、先頭を走っていた中込が車を止め「おーい!あったぞおー!あれだよぉー」
と大声で叫び手招きしているのに気づき急停車した。
指さす方を見やると広い畑の片隅に黒々と山積みされた廃材が見えるではないか。目が覚めたような気持ちで畦道を駆け抜け、その一本一本に触れ、山積みの上にのぼり点検した。
庄屋さんの家よりやや小振りながら、手斧削りの太材や大黒柱は見事の物である。
萎えた心がいっぺんに蘇生し、ゾクゾクするような喜びが湧いてきた。
中込と所有者を訪ね、挨拶がてら譲り受けの値段交渉をしたのだが、壮年で木訥なその家の主は“倅の知人でもある中込さんの友人なら何でお金がいただけましょう、どうぞご自由にお持ちください。聞けばあれらを使ってヨコハマでお店を作られるとか、どうぞ
立派な店を作ってあの古材を末永く活かしてやってください。
百年ほど前に家を建てたご先祖さんもきっと喜ぶはずです”と言い、それでもと思い差し出したお金を受け取らないばかりか“さぁ、日が暮れてしまいますよ、急ぎなさい!”と叱られ、ぶっきらぼうの言葉の中から滲み出る暖かさに、胸も瞼も熱くなった。
“捨てる神あれば拾う神あり”と言い古されたそんな言葉が実感となってよみがえり、その家の主ばかりか友人中込にもただ心から感謝するばかりだった。
「きっと立派な店作りをします!機会がございましたらどうぞ遊びに来てください」
と約束をし、トラックに満載した古材とともに横浜を目指して帰路に就いた。
もうガマ爺さんの不気味な顔も浮かばず、遠い昔の出来事だったような気がしたものである。
 
「馬車道どん底」の画像検索結果

昇仙峡のガマ爺さんとの出会いは、官庁街に近い繁華街として、高級クラブや老舗の料亭がひっそりと息づいていたような“関内地区”のど真ん中に、若者が集える店、思うざま飲み、そして歌える大衆店を開店させようと、内装材を探していた40年も前のことだ。
いまは名残もとどめていない『馬車道どん底』という店だが、狭くて古ぼけた『ぼんそわーる』から、片足を踏み出しはじめて飲食店らしい店の経営者として、挑戦した時のことである。
どこかに片付けてしまったような思い出だが、昇仙峡に棲む妖怪のようなガマ爺さんの黄色く濁った目の色まで鮮明に蘇ってきたが、当時こころを乱した憤慨や落胆などはすっかり色を潜め、どちらかというと懐かしさや可笑しさだけが残っている。
時の流れは恩讐の色さえ洗い流してくれるもののようだ。
I君との再会で古ぼけた経営論を肴に酒を飲みながら、来し方のことを振り返ってみて思ったのは、オレは今でも熱い情熱を持ち続け、これからみる夢を描き、己の可能性を信じているのだろう
かという自問だった。
人間は夢を持つ限り、自分の可能性を信じ続ける限り、どこまでも成長し、楽しく生きていける動物だったはずだ。
それこそ「虚仮の一念」言い換えれば、愚かな者でも物事を一心にすれば、立派なことができるということを信じてやり抜いていけるだろうか・・・・答えはこれから先にしかない。
ともすればオレの賞味期限は終わっているのではないか、という自嘲が耳の中をかき回す昨今ではある(笑)
しかし『世間虚仮唯仏是真』(せけんこけゆいぶつぜしん)という言葉もある・・・・言い換えれば“この世にある物事はすべて仮の物であり、仏の教えのみが真実である”というんだから“仮の世界”で右往左往しても仕方ないのかなあ~
ふと訪れてきた“I君”は、様々の波紋をオレに投げかけてくれたわけだが、今はただ彼の成功を祈ろう。
                                                                               終
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2017-05-17 10:26:55

一枚の絵

テーマ:アート

一日は一枚の白い紙に絵を描くことと同じように過ぎていく・・・・。

今日もそして明日も、また新しい白い紙に、決して消えない絵の具を使って絵を描く。

そんなふうにして書き続けてきた沢山の絵を、時折引っぱり出しては眺めてみても、人に誇れるような傑作はひとつもない。

描き直しは出来ないし、破り捨てることも出来ない自分の描いてきた絵・・・・それが人生というものだろう。

だから、間違いなく一番大切なものと思ってしまう。

隣の人達がどんな絵を描こうと気にせず、限りない自己満足の世界で筆を運びたい。

今日はどんな色を、どれだけ使って、どんな風に描こうか・・・・。

そんなふうに思えるようになってきた。

これもまたひとつ歳を重ねたと言うことだろうか・・・・。

 

歳月が瞬く間に過ぎ去ってしまうなかで、新しい出会いもあった。


             酒場人生覚え書き 


こころを過ぎった想いで描いてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017-05-15 09:20:00

続・続 人間機雷 263

テーマ:小説

 第三章 夢幻泡影
二 孤 旅
3 酔いどれ権六(3


昔から食い意地のはった権六は、食い物に対して異常なまでに執着するところがあった。
いまは無性にホウトウが食べたかった。
「ほれ、葡萄酒だ・・・・調子づいてあんまり飲んじょしよ」
「うるせえ!ゴチャゴチャほざくな。さっきも言ったとおり銭はたんまりあるずら。なんぼでも払ってやらあ」
一升瓶をひったくると湯飲みになみなみと注ぎ、一気に飲み干した。
満州でよく飲んでいた酒精度60度を超す白乾児なんかに比べたら、葡萄酒なんぞ水のようなものだった。
酸っぱい等と文句をつけながらも、瞬く間に一升瓶を空にした。
「ちょいとばかり酔ったかな・・・・ところで良雄、おまんは何でこんなとこで宿の番頭なんかしてるだ」
「番頭じゃねえずら。れっきとしたこの橋爪屋の主人(あるじ)だに」
「けっ、笑わせるんじゃあねえ。なにが主人だ。おまんの家も貧乏でろくに飯も食えんかったから、うらなりの青瓢箪みたいな面こいて、ヒョロヒョロしてたおまんが、何でここの亭主なんだよ」

貧しさ故に高等小学校にも行きかねた良雄の才能を惜しんだ担任の芦沢先生が、同級生であった橋爪屋の先代、橋爪尚貴に話をつけてくれ、日川中学に進学できる援助を得る事が出来たのである。
日川中学は明治34年に山梨県立第2中学校として開校した、古い歴史を持つ名門校である。明治39年に日川中学と改称したが、秀逸の生徒が集まるなかでもでも、一二を争う生徒であったらしい。

 


 

徴兵検査では丙種で兵役に適さないと告げられたのは病弱だったからだが、近隣の多くの若者が戦地におもむき、戦死したことを考えれば、僥倖であったかも知れない。
大正10年に日川中学を卒業すると、その年に設立された、 山梨県実業補習学校教員養成所にすすんだ。後の山梨師範学校である。
授業料が免除されながら学べるのが、貧しい良雄にとって何よりも良かったし、自分の人生に道をつけてくれた、裂石小学校の恩師であった芦沢先生のようになりたいと願ってのことだったという。
そこでの修業年限は1年である。
卒業後、甲府にある相川尋常小学校の教員になった。
4年ほど教鞭をとったが、世話になった橋爪屋の主人が脳溢血で倒れ、後遺症で言語も歩行絵も不自由になり、涙ながらに乞われて教壇を去り、橋爪屋の手伝いをすることになった。長男は病死し、次男は戦死。残ったのは16歳になる娘の妙子だけであったから、このままでは塩山宿で江戸時代から続いた橋爪屋も、廃業するしかないと泣きつかれたのだが、日川中学進学の他もさんざん世話になってきた彼の頼みを無下に断ることは出来なかった。当時聖職と言われた子供相手の教員から、宿の帳付けから使用人の差配までやるようになったのである。

橋爪尚貴が死去したのは、良雄が橋爪屋に来てから4年後の昭和4年3月であった。旅館の切り盛りに、一身を捧げてきた明るく気さくだった尚貴の妻は、11年前になくなっていたから、尚貴は病床にありながらも、不自由な言葉で、経営のイロハを必死で教えたし、良雄もまた忠実な番頭格としてすべてを吸収することに努めた。
その尚貴から臨終の間際に、一人娘である妙子と結婚し、この橋爪屋の身代を受け継いでくれと遺言された。


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2017-05-12 09:18:37

表六玉の独り言 171

テーマ:想い出探し

昇仙峡のガマ爺さん 7


7 隠れたガマ爺さん(1)
すでに解体されているはずの“庄屋さんの家”が初夏の陽射しの中、見る人を圧する威容のままそこに建っているのだ。
「これがお目当ての家かい。どうなってるんだァ?」
半分は物見遊山気分で付いてきた友人らも、私の顔と家を見比べながら怪訝な表情で寄り集まってきた。
「解体してネェよ」
誰に言うともなく呟き、あたりにガマ爺さんの姿を探した、今この状況を的確に釈明してくれるのは彼しかいないのだ。
空気の抜けた風船のような気分で、やがて現れるはずのガマ爺さんを待ち続けたのだが、虚脱感で灰色になった頭の中を、シミだらけで青白くどぶくれた彼の顔が、次々に浮かんできては跳ね回る。
どの顔にも眼が無く小さな黒い空洞がふたつあるだけだった。
金を手にしてエビス顔で愛想笑いした時も、煤だらけの姿を見て心配顔で近寄ってきた時も、親切に握り飯を差し出してくれた時も、あの爺さん眼だけは無表情だったよな、と想い出した途端、虚脱感はスルリと抜け落ち怒り混じりの疑念が心を占め始めた。

解体され山積みされた古材をユニックで積み込み、略奪宝物を持ち帰る凱旋将軍のように意気揚々と横浜に帰るはずだった。
「チクショウ!あのジジイにはめられた」
結論はそこに収まり、やりどころのない怒りが吹き出してきた。
遅れて駆けつけてくれた山梨の友人中込が、少し離れた隣家を聞き回り、やがて一人の老人を連れて戻ってきた。
「石原よォ、おまんダマされただよ。この人の話聞いてみろし」
「スイマセン、わざわざ来ていただいて」
「この家のこん(事)だけんどねぇ、誰が言ったかしらんけんどいくら待ってもブッ壊すこたぁねぇよ。何でも県のなんとかちゅう指定を受けて保存されることになってるダニ、そもそもこの家はネェ・・・・」

好々爺然とした小柄な彼が口角に泡をため、時に同情を込めて説明してくれる最中“恐怖の報酬”のラストシーンがまざまざと思い出され奈落の底に墜ちていくのがこの自分であり、それを嘲り笑う昇仙峡に棲む“魔性のガマ爺”の黄色によどんだ冷ややかな眼がこの時ハッキリと見えた。


                                                                         
そのガマ爺の名前も住まいも連絡先も聞いていなかったことが、本当に陽も差さない谷底に生息しているような錯覚を感じさせる。
最初に案内された廃屋も果たしてあのガマ爺の物なのかどうかも疑わしく思えてきた。
それに対して十万もの金をやり、廃屋を目の前にしての涙混じりの折衝に、古材を使うということは、住んでいた人達の心情をも考えなければいけないのだ。柱一本といえども粗末にすまい。
いかして末永く使い、ひいては良い店作りをすることこそその人々の鎮魂になる、等と真剣に考えていた己の甘さに嫌悪すら感じた。
それにしても十日前わが物顔で開錠し、得々としてこの家を案内し信じさせた手立ては、一体どうした事だったのだろう、未だもってその辺りが分からない。
意気消沈する自分に“折角トラックまで準備して乗り込んできたのだから、ちょっと離れた郡部の方に探しに行ってみないか・・・
・須玉村(長野よりの山村)の知人から、隣家が最近家を壊し新しく建て直したとかいう話を聞いたから、ヒョットして廃材の処分が終わってないかもしれない、ダメ元でいってみよう”と勧めてくれたのが悪ガキだった頃の遊び仲間中込だった。

彼はトヨタ自動車のトップセールスマンで、県下全域に人脈を持ち、今回の解体材探しでも肉親に勝る熱意で隈無く探していてくれたのだが、その中の一つの情報だった。
朝には晴れ渡り初夏の陽光が降り注いでいたのだが、須玉村に着く頃には雨雲が低くたれ込め、やがてポツリポツリと雨が降り出す始末だった。
夕刻までにはまだ時間もあろうというのに、山村の家々は薄墨色のシルエットとなり静まりかえっている。
                                                                             続
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2017-05-10 10:09:25

こころ絵 『狸』

テーマ:アート

狸には八相があるのだそうで、それは、笠・通(かよい)・目・腹・顔・金袋・徳利・尾なのだそうです。

狸の八相の意味するところは

傘……思はざる悪事災難さけるため用心、常に身をまもる

……何事も前後左右に気を配り、正しく見つむることな忘れるな

……世は広く互に愛想よく暮らし、真を以って務めはげまん

徳利…恵まれし飲食のみにこと足て、は密かに我につけん

……世渡りは先ず信用が第一ぞ、活動常に四八達

……もの事は常に落つきざりながら、決断力の大胆をもて

金袋…金銭の宝は自由自在なる運用をなせ

……なに事も終りは大きくしっかりと、身を立てるこそ真の幸福      

                                            (信楽狸八相縁起より)

・・・・ということだそうです。

                    

どうも道学的ですので、江戸時代にいわれ出したことなのでしょう。

ずっとまえに結婚式のスピーチで、狸そっくりの新郎を前にこれを披露してばらな拍手を頂戴したことがありましたっけ(冷汗)。

それはさておき、苦難続きになりそうな今年は、縁起物のそれにあやかって暮らしてみようかと描いてみました。

     
               酒場人生覚え書き


『狸』という字で描いてみたのですが、お判りになりますかねえ・・・・。

やはり徳利との組み合わせは、狐よりは狸の方が良いように思えます。

こんな都々逸もあります。

     ♪♪ 口説き上手の  この文ご覧

               どうせ狸の  筆のさき ♪♪


余談ながら狸の筆は、みどもなんぞの手の届かぬ超高級品であります。

いちどはこれで“こころ絵”を書いて、見事に化かしてみたいものです(爆)。

 

 

 

 

 

 

                      

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2017-05-08 09:15:00

続・続 人間機雷 262

テーマ:小説

  第三章 夢幻泡影
二 孤 旅
3 酔いどれ権六(2)
さして広くもない玄関口を、手伝いのおばさん女中らしき数人が、夕飯をのせたお盆を持ち運んでいるなか、同級生だったという男は、権六を部屋に自ら案内した。2階の奥まった小さな部屋だった。
「夕飯は食っただけえ」
「まだだ」
「ちょっと待ってろし。いま支度をさせるから。この時間じゃ残りもんしかねえけんど良いけ」
「残りもんでもなんでもいいから、いっぺえ持ってきてくりょう。腹が減ってうっ死んじもうだ。それに酒があったら酒も頼むずら」
「配給の合成酒ならあるかも知れんけんど、それでいいけ」
「それでいい」
亭主自らが運んできたお盆の上に、どんぶりに山盛りの麦飯と、里芋の煮っ転がし、山盛りのタクアン、ネギの味噌汁がのっていた。
酒は大きな湯飲みに、なみなみと入っている。


権六は湯飲みの酒を半分ほど飲むと、タクアンを口に放り込みバリバリと嚙み、残りの酒を一息に飲み干した。
「うまい!」
腹から絞り出すように言った。
「もう一杯くりょう」
「他の客にも出さなきゃあならんし、酒はそれで終わりだあ。葡萄酒ならあるけんど」
「密造酒けえ」
「シイッ!権六、でっけえ声していうな・・・・こんな世になっても税務署がうるせえだに。見つかりゃあ葡萄酒は没収だし、とんでもねえ税金をひったくられるだ」
「ほんなにビクビクこいちょ。良雄は相変わらず小度胸だなあ。子供の頃と変わっちゃあいんじゃんけ。葡萄酒でもなんでもいいずら。一升瓶で持ってきてくりょう」
「持ってくるけんど、他に言っちゃあ駄目だぞ」
「グチャグチャ言っんで、早く持ってこうし!」
一杯目の酒が早くもまわってきたのか、赤黒い顔に白眼を赤くした権六が怒鳴りつけるように言った。
良雄はその剣幕に、逃げるように出て行った。

 


 

権六はどんぶりの麦飯に、里芋の煮っ転がしの汁をかけると、ガツガツと食った。
うめえ・・・・またしても呟くように言った。
満州で関東軍の厩で馬糞の始末をしていた権六が、日本人でありながら馬賊の頭目になっていた日向東崇に付き従って馬賊の仲間に入り、下働きをしていたのだが、やがて敗戦と同時に日向東崇は馬賊から抜けたのだが、才覚のない権六は匪賊に身を落とした。

 

その荒くれ者に混じって、生ニンニクをかじり高粱から造った焼酎白乾児(パイカル)を飲み干し、脂ぎった豚肉や、饅頭や、臭い羊肉のごった煮のようなものばかりを喰ってきた。日本に帰り着いて引揚者の臨時収容所では、代用食のようなものばかりを喰わされてきたから、この橋爪屋の飯は故郷そのものだった。
兄者に追い出されんかったら、今頃はおっかあの作ったホウトウでも腹イッペえ喰えただに・・・・悔しさがこみ上げてきた。
「ちくしょうめ!」
とうめくように言った。
                                                                                        続

 

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2017-05-05 09:15:00

表六玉の独り言 170

テーマ:想い出探し

昇仙峡のガマ爺さん 6


 6 またしてものガマ爺さん(2)
「大丈夫さヨォ、家なんちゅうもんは建てるなぁてえへんだけんど、ブッ壊すときゃあ手間アいらんだよ、五日もありァ大丈夫だたア思うけんど余裕をかんげぇて十日後ぐれぇ後にに運びにこおし。ほんで(そして)欲しい分だけ持ってきゃあいいじゃんけ」
「分かりました。これで一安心ですよ、何とか形がつきそうです。おじさん、今日は本当に有り難う御座いました。それと今朝の握り飯本当に旨かったですよ、奥様にもよろしく言って下さい、少ないって怒られそうだけどコレ受け取って下さい」
「こりゃあなんでぇ?」
「今日の足代と少しばかりの感謝の気持ちですけど」
「ああ、ほうけぇ。てえ!こりゃあ五万もあるジャン、有り難うごいす。ばんたび(幾度も)わりい(すまない)じゃんねぇ、せっかくだからもらっとくよオ」
 今回だけは経緯から考えて「あと二枚・・・・」等と言い出すはずはないだろうが、古材の素晴らしさと握り飯の旨さも手伝って少々奮発したつもりだった。
真剣な顔付きでもう一度数え、それを丁寧に折り畳むと胸のポケットに入れ小刻みに震える手でボタンをかけた。
「もう、けえる(帰る)けえ、ほんじゃあ又十日後にこおしねぇ。オレもそん時ゃあココ来ててつどう(手伝う)じゃん。気を付けてけえれしねぇよ」
“帰り道ですから甲府駅近くまで送っていきましょう”というこちらの申し出を“あの家を管理している人に今日のことを報告もしなければならないし、他にも用事があるから、と固辞し愛想よく手まで振って送ってくれた。
横浜に向かっての帰路、睡眠時間三時間足らずにしては睡魔にも襲われず、口笛でも吹きたくなるような高揚した気持ちで、昼下がりの中央高速をひた走った。
     
昔の映画でイヴモンタン主演の「恐怖の報酬」というのがあった。
貧しいトラック運転手が一滴を揺りこぼしても大爆発というニトログリセリン満載のトラックを、幾度かの難関を乗り越え無事目的地まで届け、文字通り命の代償として手にしたことのない様な多額の報酬を受けることが出来た。
そして恋人の待つ街までの帰路、極限的緊張感からの解放とポケットに膨らむ札束の重みから沸き上がる喜びに抗しきれず、ラジオから流れるスケーターワルツに合わせ、ハンドルを右に左に切り回し、気持ちよげに道幅一杯に蛇行させ満面の笑みで帰り急ぐという場面をフト思いだした。


 
今のオレはあの時の彼の心境そのままだな、思わずほころぶ口元を引き締めながらも、苦労の末やっと見つけた古材は全てのスタートの号砲なのだ、心は歓喜に溢れ満ち足りていた。
爆発的ヒットを連発するピンクレディーの曲『SOS』『カルメン77』『渚のシンドバット』に合わせて、イヴモンタンよろしく中央高速道路を踊り廻りたいほどだった。
その映画のラストシーン。
彼が心の奥底から湧いてくる歓喜の余り、トラックごと踊ったワルツの流れる中、ハンドルを切り損ね谷底に転がり落ち爆発炎上。
歓喜から一転凄惨な場面のエピローグを想い出したのは暫く経ってからだった。

約束の十日を待ち切れぬ思いで過ごし、当日は夜も明けやらぬうちから横浜の仲間数人と連れ立ち、乗用車一台とユニック付大型トラックで山梨に向かい、それでも手が足りなければと山梨の友人にも連絡し現場で待ち合わせた。
昇仙峡のガマ爺さんから連絡の無いのが少々気になったが、電話は苦手だと言った爺さんの言葉を考えれば、それも仕方ないだろうと思い意気揚々と中央高速を下っていった。
ところが現場に到着し一瞬我が目を疑った。

                                       続

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