「「到底」を何回使っても違っていました」と、ある学生に言われた。
ちょうど新著で、副詞の話を書いているので、「到底」と「终于」の違いを説明してみよう。

辞書を引くと、「到底」には、「とうとう」「いったい」「なんと言っても」「さすがに」という意味がある。共通点はどこにあるか。

まず、「いったい」の使い方から。

 1)他今天到底能不能来?   
   ◇今日、彼はいったい来るかどうか?

 2)她一会儿说28岁,一会儿说30岁,到底多大?
   ◇彼女は、28歳と言ったり、30歳と言ったりして、いったい何歳なの?

この「到底」は、いくつかの可能性の中で、そもそもどれが正しいか?という意味。
「いくつかの可能性」はポイントとなる。

次の例をみてください。
 到底还是个孩子,他拿不动那么重的东西。
   ◇なんと言っても、やはり子供だから、あんな重いものはもてないよ。

「力持ち」「がんばりや」などのいくつかの条件がそろっているけれども、「子供」という条件からみて、もてないのは無理もない、という意味となる。

つぎは、「さすが」
 到底是专业的,拍出来的照片就是漂亮。
  ◇さすがはプロです。撮った写真はやはり美しい。

この「到底」にも、他の人と比べるニュアンスが含まれている。

こうイメージしてください。
いくつかの「可能性」「条件」「比較する対象」があって、「つまるところ、そもそも」は「到底」の意味。

では、同じ「ついに」「とうとう」を意味する「到底」と「终于」の違いは?


苦干了五个月,到底(终于)成功了。
 ◇5ヶ月頑張って、ついに成功した。
「终于」を使うと、苦労を強調するが、「到底」を使うと、「いくども諦めようとした」というニュアンスがある。

他们俩到底(终于)还是离婚了。
 ◇彼ら二人はついに離婚した。

「终于」を使うと、話し手はなぜかこの離婚を期待していた。
「到底」を使うと、何度も離婚しないで済むと思ったが、最後やはり離婚した。残念だ。という気持ちが読み取れる。

結論: 中国語の「到底」を、いくつかの事柄からの最後の一つと理解しよう。

余談だが、日本語の「到底」は、いくつかの事柄がある(あった)が、いずれも、否定で表す結論になる。

とうてい間に合わない。とうてい受け入れられない。

「いくつか」という論理は、海をまたがって日中の「到底」の背後に生きている。
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