青春の雨音-3-18

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2005-03-11 10:01:16
翌日学校に行くと、応援団の練習の時、団長の中村は滝田がいった
ように白いマスクをしていた。
俺は滝田の話を思い出し、思わず吹き出しそうになった。
他のやつらには中村が風邪でも引いたとしか見えてないだろう。
そこがおかしいのだった。

中村は、マスクをしながらも応援団長らしく中央で掛け声をかけて
いつもの練習をやっていたが、滝田からやられた時の姿を思い起こ
すといつもの迫力は姿を消していた。

おそらく、応援団のほかの奴らも、まさか中村がタイマンで負けた
とは知らされてはいないのだろう。
中村が自分からやられたとはいわないだろうから、たまたまパンチ
を食らってしまい、歯がぐらついたか欠けたかくらいしか聞かされ
てないのだろう。

滝田のマスク姿は一週間ほど続いた。
歯の抜け落ちた間抜けな中村の顔を一度でも見てみたいと思ってい
たのだったが、入れ歯でもしたのか、挿し歯でもしたのか、マスク
の取れた中村の歯並びはきれいに戻っていた。

俺は俺で、2学年になってから入部した山岳部の練習に、毎日の放
課後は費やされていた。

山岳部などというと、練習といったってテントを建てたりたたんだ
り、または山の道具を手入れして過ごすくらいにしか考えていなか
った俺は、毎日毎日思いリュックを背負って学校の階段を何十回と
なく往復させられた。

また、うさぎ跳びやランニング、腕立て伏せや腹筋と、結構きつい
運動が続くのである。

部員は総勢20名くらいいて、男女の内訳は男が16人、女が4人
という部員構成になっていた。

山岳部にいる人間を観察すると、2種類の人間に分かれていた。
真面目に自然を愛し、山の姿に憧れと好意を抱いているタイプ。
もう一種類は、他の部活よりも楽そうで、なんとなく楽しそうだか
らと思って入った遊び人タイプ。

その二つのタイプは、放課後の練習のサボり具合で判断がついた。
昼休みの時などは、毎日のように部室に顔を出し、自分のロッカー
や道具入れに鏡やヘヤブラシや、ヘヤリキッドなどを入れておき、
身だしなみに精を出しながら、放課後の練習には顔を出さない。

部長が注意をすると、急に低姿勢で言い訳するか、はたまた脅しを
かけて威圧する奴などもいて、俺が入ったときの3年生の部長は、
すっかりそんな遊び人タイプからはなめられていた。

応援団長の中村のダチも二人ほど山岳部にいて、そいつらは俺に先
輩風を吹かして、自分は遊んでいるくせに、「お前は1年遅く入っ
たんだから、もう一回」と何度か繰り返しやらされたり、他の場面
でも辛く当たられた。

まあ、これも仕方がないのかもしれなかった。
おかげで、俺の体力は他の奴らよりも強化されたようだった。
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青春の雨音-3-17

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2005-03-10 07:19:20
ある日曜日の午後、町に1件だけあるレコード店に俺は何か新曲を
さがしに立ち寄った。
レコードを探し回っていると、後ろから懐かしい声が聞こえた。

「お~、桜木、桜木じゃないか。なつかしいな」
声は中学の時不思議な縁から友達になった柔道部の猛者、滝田だっ
た。

俺も懐かしかった。
約1年ぶりに見る滝田の姿だった。
滝田は山形市にある進学校のひとつの高校に進学し、そこでも柔道
部に所属しており、中学の時よりも一回り体格が大きく、がっしり
としたようだった。

滝田は、俺の顔をしげしげと見ていたが、
「お前、誰にやられたんだ」
と顔の傷あとのことについて聞いてきた。

俺も最初はごまかしていたが、滝田には通用しない。
しかたなく、応援団の中村という奴に、しめられたよ、といった。

「ふ~ん、お前も相変わらずなんだな」
などといっていたが、もうその話題から話はそれ、
板垣はどうしている?とか、誰それはどうしてる?などと、昔の仲
間たちの話へと移っていった。

「いや、板垣とは俺もまったく会ってないし、連絡もとってないか
ら、何も分からないんだ」
「そうか」
などと、一応話し込んだ後、滝田とはその場で別れた。

それから3日後に、珍しく滝田から家へ電話があった。

「明日学校へ行ったら、面白いものが見られるからな」
という。
「面白いものって何?」
と俺は聞くと、
「応援団の中村だよ」
「あいつ、明日はたぶんマスク掛けて学校に来るからな」
といった。

余り詳しくは語らなかったが、滝田は昨日K高校へ行き、応援団の
練習が終わるのを待ってから、中村を河原へ呼び出し、タイマンで
やりあったというのである。

他の応援団の奴らも、何なんだこの野郎~、という様子だったらし
いが、1対1できれいにやらないか?と滝田が持ちかけたら、中村
は乗ってきて、他の奴らがついて来れない場所に移動してからやり
あったというのである。

「そのとき、俺のパンチがきれいにあいつの口に当たって、あいつ
の前歯が2本くらい抜け落ちたか、折れたみたいなんだ」
と滝田は、事もなげにいう。

「最後に柔道の技で締め上げたら、窒息で落ちそうになりながらも
、殺すなら殺せ、などとわめいていたよ。だから、お前がそんなに
死にたいなら、本当に殺してやろうか、といってさらに締め上げた
ら、分かった分かった、とやっと負けを認めたから、ゆるめてやっ
たけどな」

「たぶん、もうお前には手を出さないと思うよ」
と滝田はいった。

俺が黙って話を聞いていると、
「気にするなよ、俺がやりたいからやっただけなんだから」
「お前に頼まれたわけじゃないし、恩を売るつもりもないから」
と滝田はいって、電話を切った。

俺は、もう争いの世界からは手を切りたいという思いで、これまで
の高校生活を送ってきたのである。
滝田の気持も分かるし、仇を打ってくれたことについてはありがた
い気持もあるのだが、このことが、さらに大きな問題に発展しなけ
ればいいのだが、といった危惧もあった。
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青春の雨音-3-16

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2005-03-09 10:29:23
中村たちの俺を殴った行動はうまく計算された結果だったようだ。
バスケットボールのように腫れた俺の顔は、翌日からの春休みで学
校の先生たちに知られずに済んだのだ。

それを知って、顔を集中攻撃したのであろう。
でも、俺も殴られるのにはもう慣れっこになっていて、その翌日に
その腫れあがった顔のまま、一人蔵王にスキーに出かけたりした。

すれ違う人間はみなぎょっとした顔で俺を見ていた。
いびつに腫れあがった顔に、サングラスを掛けた俺の顔は、異様な
フランケンシュタインのような顔かたちをしていたのだろう。
それほどひどい顔だった。

春休みも終りに近づいた頃、次兄は海上自衛隊入隊のために神奈川
県の横須賀へと旅立って行った。

日本の武士道にあこがれていた次兄は、
「お国のために、みごと死んでまいります」
などといって、家族に向かって玄関先で敬礼をして家を出た。

見送った家族は、みなきょとんとして顔を見合わせていたが、
俺だけは真剣に次兄に敬礼を返した。
次兄の眼は、決しておどけていっている眼ではなかった。
次兄とは、そういった種類の人間だった。
こういう次兄のような人間がいたから、前の戦争の時も、小さな日
本人がアメリカ相手にあれだけ闘えたのだろう。
そんなところが、俺が次兄を好きなところでもあった。

4月に入り、俺も高校2学年になると、和哉さんも山形大学に入学
し、その弟の芳登君も俺と同じ地元の県立K高校へ入学してくるな
ど、俺の周辺の環境も大きく変わった。

春休み前に応援団長の中村に殴られた俺の顔の腫れは完全に消えて
いたが、傷あとはまだあちこちに残っており、様の悪い思いで俺は
新学期を迎えた。

殴られた悔しさというものは不思議とないのだった。
俺は高校に入ったら自分を変えようと自分なりに努力してきた。
その過程での必要不可欠の事件とでも呼ぶのか、事故とでもいった
らいいのか、必然的なもののように思い、悔しいという思いはない
のだった。

ただ、廊下で勝ち誇った中村とすれ違う時などは、腹の中で煮えく
り返るものを感じた。
しかし、俺は眼を合わせないようにして過ごした。

新学期が始まると、以前の応援団とはがらりと変わったスタイルで
新応援団は活動を開始した。
新学期早々全校生は昼休みごとに毎日体育館に集合を掛けられ、応
援練習をやらせられたのだ。

そんなことが連日の昼休みに続くと、皆逃げ出したくもなる。
そうさせまいと、団員の数人はグループになって学校中を竹刀片手
に探し回り、教室などに居残っていると竹刀を振り回し、追い立て
るようにして体育館に集めるのだ。

以前にこんな応援団の練習をされた覚えがないから、あきらかに新
応援団の考えた横暴ないじめとしかいえないようなやり口だった。

学校側も何も文句がいえないらしく、先生たちは見てみぬ振りをし
ていたから、新応援団のやりたい放題だった。

その首謀者が応援団長の中村だった。
中村はあきらかにK高校の新番長として皆に認識させられた。

トイレに行きたいと申し出た女子学生も、応援練習が終わるまで我
慢しろといわれて泣き出す姿も俺は眼にしていた。

俺も毎日の応援団の練習に顔を出すしかなかった。
それと、2学年になってからは、俺も山岳部に所属した。
何もかもが新しい生活環境が始まったのだった。
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青春の雨音-3-15

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2005-03-08 07:51:18
卒業式の前日、県立K高等学校の文集「山桜」第16号が刷り上り
、教室で全校生に配られた。
俺の書いた作文「ひとりだけの旅行」を目次に見つけ、俺は興奮し
て開いてみた。

その時撮った2枚の写真もうまく配置されており、俺の作品を一層
上質なものに形作っていた。

教室のあちらこちらから、
「え~、これ、桜木君の?」
と男女といわず、驚嘆と羨望に似た声が湧きあがった。

それは俺の予想したとおり、悪い気のするものではなかった。

さっそく俺に話しかけてくる奴も現れて、担任が「静かに、静かに
」と、制するほどだった。

翌日の卒業式の日でさえ、教室中や学年、はたまた学校中が俺の話
をしているようにさえ感じた。

昇降口や、廊下、階段、また登下校の道中でさえ、皆の俺を見る目
付きが違うように感じて、また俺の噂が飛び交っているように感じ
て、俺はこれまで味わったことのない優越感にひたっていた。

どうだ、ついに俺も単独で太平洋横断した堀江青年に並んだぞ。
などと、浮かれに浮かれていた。

そんなふうな気持でいたから、次兄の卒業式など、いつの間に終わ
ったのかさえ分からなかった。
気がつけば、もう卒業生の姿は体育館から消えていた。

事件は、この数日後に起こった。

三学期も終りの終業式の日に、学校から出ようとしたところで応援
団の中村たち6人ほどが、俺の帰りを待っていて、自転車置き場に
連れて行かれた。

丁度角地の他から死角になっている場所に着くなり、中村が振り向
きざまに俺を殴りつけてきた。
「きさま、分かっているんだろうな?」
と叫びながら、5発ほど顔にパンチをボカボカと打ち込まれた。

それでも倒れない俺に、奴はさらに強力なパンチを2発打ち込んだ

さすがに俺は崩れ落ちた。
顔の痛みより、みるみる腫れていくのがわかり、片目は完全にふさ
がってしまった。

怒り狂った中村は、なにやら大声で叫びながらなおも俺にパンチを
繰り出し、もう止まらないといった興奮状態にいた。

さすがにこのままじゃ、死んでしまうとでも思った番長格ナンバー
2の仲間の一人が、
「もう止めようぜ」
「これくらいにしておこうぜ」
「もう十分だろう」
などといいながら、中村を止めに入っているのが耳に入った。

この間の応援部を山岳部へ鞍替えしたのが、このような形になって
返ってきたことは理解できたが、ここまで殴るほどではないではな
いか、と俺は血まみれの顔で、じんじんする頭の中で思った。

たぶん、これからの自分の存在と力を俺に誇示したかったのが足し
算された結果なのは分かるとしても、文集「山桜」が発行されて注
目を集めている俺に対するやっかみもあったのかと、思ったりもし
た。

俺自身、舞い上がっていた高揚した気分から、まっさかさまに地獄
へ叩きつけられた屈辱を今回味わった。
「もう少し、いい気分でいさせてくれたっていいじゃないか」
などと、俺は心の中で叫んでいたようだ。

俺は帽子を拾い、深めにかぶって顔を隠しながら、細くなって見え
にくい視界で家まで帰った。

卒業して家にまだいた次兄は、俺のやられた話を聞いて木刀を手に
したが、どうすることもできず、悔しさに舌打ちをするしかなかっ
たようだった。

父や母も顔の腫れに驚いたが、この頃になると、またか…、といっ
たふうで、俺が殴られることは、この家ではもはや事件ではなくな
っていた。
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青春の雨音-3-14

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2005-03-07 12:15:42
その後、職員会議がどうなったかの情報などいっさい俺の耳に入っ
てこず、学校も入試や卒業などの行事の準備に追われて、俺の問題
どころではなかったらしい。

海上自衛隊に入隊が決まった次兄は就職の決まった他の友人らと遊
びほうけて過ごしていたし、俺はあいかわらず期末試験の準備をするでもなく、次兄同様、毎日をほうけて過ごしていた。

間もなくして、和哉さんも山形大学の教育学部に合格が決まった。
地元の県立高校とはいっても、進学校というわけではなく、どちら
かといえば前身が商業科から普通高校になった学校であったから、
和哉さんの国立大学入学は学校中での話題にもなった。

次兄や和哉さんのように卒業を間近にした3学年生は、フリー通学
時期に入っており、特別の行事や催しがなければ登校しなくても良
い時期に入っていた。

そんな時期になって、俺の身の周りが急激にあわただしくなってき
た。
これまで俺はどの部活にも所属してなかった。
必ずどこかに所属しなければならなかった時代のことだったから、
それはそれで目立つことであった。
なぜどの部活にも所属しないで済んでくることができたかは、やは
り次兄の存在があったからである。

とくにツッパリ組みにいたわけではない兄であっても、上級生の弟
ということで大目に見てくれていたというわけである。

しかし、その次兄が間もなく卒業ということで、学校にも顔を出さ
ない日が多くなると、これまで2学年の生意気な奴らが急に大きな
顔をして動き出し、再三再四と俺のところにやって来ては、どこか
の部活に所属するようにせまったのだ。

次兄はこれまで山岳部に所属していた。
小さい体で30キロもあるリュックを担いで方々の山へ出かける姿
を眼にするにつけ、どこか苦しみに行く姿に見えて辛かった。

ただ、今回の夏の小旅行を終えてからは、自然の姿にふれる山岳部
も悪くないかもしれない…、と思えるようになっていた。

しかし、何度も何度もやってくる2学年の上級生の奴らがうざった
く、俺は無視をし通した。

何日か後に、時期番長格の中村という応援部の奴が4人ほどで俺の
ところにやってきて、一週間後の月曜までに決めないと、自動的に
応援部に入れるからな、と言い残してにらみつけて帰っていった。

応援団は、特に2学年の応援団は悪の集まり集団で、見るからに人
相の悪い、柄のよくない奴らが集まっていた。
中にはよく問題を起こす奴もいて、できれば俺は近寄りたくない種
類の集団だった。

その一週間を俺はすっかり忘れていた。
そしたら翌日の火曜日に、中村はやはり4人ほどを引き連れて俺の
教室に現れて、「よし、お前は今日から応援部だ。分かったな?」
と一人で決めてしまった。

俺はあわてて否定した。
「いや、俺は応援部だったら山岳部の方がいい」

そういうと、
中村の顔色が見る見るうちに青く変って行った。
「なんだと、この野郎…」

休み時間終了のチャイムが鳴り、付き添いできた別の男に、
「一応帰ろう」
とうながされて、中村は俺を睨み返しながら戻っていった。
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青春の雨音-3-13

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2005-03-04 16:45:37
三学期が始まって間もなく、つまり、正月の冬休みが終わり学校が
始まって間もなく、国語の先生に職員室まで呼び出された。

それを伝えたのは担任の中川先生だった。
「宿題の作文の件で、お前に話があるそうだ」
といい、国語の市川先生のところに行くように担任はいった。

昼休みにおそるおそる職員室の市川先生を訪ねると、
「お前、この作文、学校の文集に載せないか?」
といきなりいわれた。

「なかなか面白く書けているから、載せてみたいんだ」
「もしお前にその気があるのなら、俺が推薦しようと思うんだが」
どうか? と聞く。

俺は「こんな作文でもいいんですか?」
と一応確認した。
いいのなら、むしろ太平洋を渡って注目を集めている堀江青年のお
こぼれにありつけられるだろう。

「ただ、お前学校に届けを出さずに旅行へ行き、事故を起こしたこ
とがいま職員会議で議論されているんだ。その経過を見ないと何と
もいえないんだがな」

そんなことになっていることを、俺はいま初めて知らされた。

「職員会議ですか?…」

「ああ、でも、過ぎたことだし、俺は学校文集の編集委員長として
君の作文を載せたいんだよ」

職員室からの帰り際に、担任の中川からも呼ばれていくと、
「いま市川先生から聞いたろう? 職員会議の件」
と改まっていわれた。
「今度から、無断でああいいことをしちゃだめだぞ」
と釘をさされた。

やはり、俺の小旅行のことなど、作文なんかに書くんじゃなかった
。と俺は後悔しながら職員室を後にした。
職員会議の結果次第では、お咎めとして停学処分なども覚悟しなけ
ればならないかもしれない。
「墓穴を掘ってしまった」
と俺は作文を書いたことを悔やんだ。
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青春の雨音-3-12

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2005-03-03 12:20:18
その年も押し迫って、学校は冬休みに入った。
冬休みの宿題の一つに作文があった。
俺は、持て余している時間を利用して、久しく書いたこともない作
文に挑戦してみようかと思った。

板垣とともに詩を書くことぐらいしかしたことがない俺に、長い文
章を書く作文など書けるのかどうか不安ではあったが、書いてみた
い衝動に駆られていた。

書く内容は決まっていた。
夏休みに体験した俺の小旅行の記録である。

下書きとして書き出してみると、次から次へと文章が現れて、二日
目には完成してしまった。
文字数を数えてみると、原稿用紙18枚ていどになった。

俺は自慢じゃないが、文字が極端にへたくそだ。へたくそというよ
りも汚い、これは昔から先生からも指摘されてきていたが、直そう
というより、直らないのである。

これじゃ先生にも読んでもらえないかもしれないと思った俺は、長
男に原稿用紙への清書を頼んだ。

同じ親から産まれているのに、どうしてこうも異なる子供が生まれ
るのだろう?
長男は父親の血を引いたのか、字がとても美しく、きれいに書ける
のである。
俺と次兄は母親の血なのか、字がすごくへたで、汚い。
自分しか読めないような字しか書けないのだ。
時間が経ってから自分で書いた文章を読んでみると、自分でも読め
ないときがある。

長男も渋々と引き受けてくれた。
夜の寝る前の時間を利用して3日で清書してくれた。
ただ、長男も俺の下書きが読めないから、俺が側で読み上げたのを
原稿用紙に書き移す必要があった。
こういうのを口述筆記というというのも、だいぶ後から知った。

途中に文章を追加したりしたから、出来上がったときは原稿用紙2
0枚になっていた。
作文の題名は「ひとりだけの旅行」にした。

長男も、書きながら、
「こんなこともあったのか…」
などと、いまさらのように驚いていた。

俺はその作文を、年明けの冬休みが終了した学級の担任に渡した。
俺の渡した分厚い作文に、担任はびっくりしたような顔をした。
悪さはしてこないが、勉強もろくにしない桜木がこんな分厚い作文
を書いたということに驚いている風だった。
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青春の雨音-3-11

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2005-03-02 08:57:38
俺が小学6年の頃、二つ年上の次兄は中学2年の冬のある夜のこと
である。
家の外で見知らぬ中年男女のいざこざがあり、悲鳴を聞きつけて駆
けつけた俺の父は二人の仲裁に入ったのか、男は父を相手に暴挙を
振るってきたのだった。

石原裕次郎の「錆びたナイフ」が流行していたころだったから、
ちょっとした若者は誰もがジャックナイフと呼ばれるナイフをポケ
ットに忍ばせていた。

仲裁に入った父に怒った男は、ポケットからナイフをつかみ、その
ナイフをポケットから出そうとしていた。
その男の手首を父は必死で押さえつけ、出させまいとして男ともみ
あっていた。

父は「早く警察を呼べ」と叫んでいた。

俺ら兄弟が外に飛び出したとき眼にした情景はそのような場面の時
であった。
近所からも人が出てきて、暴漢と父の絡み合いを遠巻きにして見て
いた。

父は必死で相手のナイフを持つ手を出させまいとつかんでいるが、
父よりも若い男の相手も別の方の手で父を投げ飛ばそうという仕草
をとったり、膝蹴りを出したりで、父は劣勢に転じていた。

周囲の集まった人たちも、「警察、警察」と口々にいうだけで、
誰も父を助けに行こうとしない。
母も俺たち兄弟も何をどうすればよいのかが分からず、ただ眺める
しかなかった。

その時、一人の若い小柄な少年が進み出て、父のつかむ相手の男の
腕を両手で一緒になってつかんだのである。
その少年が俺の次兄だった。

しばらくして二人の警察が自転車でかけつけ、無事暴漢の男を取り
押さえたが、近所では、しばらくの間、その事件の話で持ちきりだ
った。
その話の中で、次兄の取った行動は輝かしい勇気ある行動として語
られたものである。

俺自身も、父が目の前でやっつけられようとしている姿を眼にしな
がら、俺も、5歳年上の長男も、父を助けようとさえ出来ずにいた
なか、一番体の小さい兄弟の次兄が、父を助けに駆け寄っていった
あの姿は今も瞼の裏に焼きついている。
兄として尊敬するのはもちろん、俺は大いに誇りに思った。

次兄には、そういった胆のすわった強さがあったのだ。
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青春の雨音-3-10

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2005-03-01 17:17:19
その年の終わりごろまでには、俺の次兄の海上自衛隊入隊が決まっ
た。
いとこの和哉さんは、家に経済的な負担をかけたくないことから、
地元の山形大学に入試の目標を決めたようだった。

俺は彼が入試勉強の仕上げの大切な時期にもかかわらず、和哉さん
にはよく遊びに行った。
いつものように、和哉さんはすぐに勉強をやめて俺の相手をした。
別に迷惑そうではまったくなかった。
むしろ、俺が顔を出すのを待っているかのようだった。

次兄と和哉さんとは、幼少の頃から同年齢、同校、同学年ながら、
二人の間には友情と思われるものはないようだった。

それを俺も不思議がった時期があるが、後になって自然に分かった。
和哉さんは小学校時代から勉強がよくでき、学力に関しては目立っ
ていた。
それに反して、俺の次兄はクラスの落ちこぼれ組だった。
そればかりではない、学力以外でも趣味が豊富な和哉さんは何でも
こなし、また何でも知っている知識人なのに反し、次兄には趣味と
いうものがなかった。
また何をやっても下手だった。

体だって次兄は弟の俺より小さい。
それには理由があるようで、よく父や母から聞かされていた。

次兄は樺太からの引き揚げ船の中で腸カタルにかかり、死線をさま
よったというのである。
なんとか一命はとりとめたが、その後の栄養状況もよくなく、栄養
が必要だった成長期に、必要な量の栄養が取れなかったというので
ある。
そのため、次兄は体も小さく、子供の頃から病弱だった。

その次兄が、落ちこぼれ組ながらも県立高校に入学し、今度は海上
自衛隊に入隊するということは、病弱だった頃を知る家族にとって
も、他の周辺の人にとっても、考えられないことだったのである。

そういう境遇にいた次兄には、子供時代から能力に優れている和哉
さんの存在は、まぶしく、また何事につけても比較の対象とされる
嫌な存在であったのかもしれないのだった。

気持の優しい和哉さんは、次兄のそんな気持をとうに理解していた
のか、子供の時分から次兄の弱点をつくようなこともせず、次兄に
話するときも気を使っている節があった。

俺にとっての次兄の存在は、和哉さんと同じくらい大好きな兄であ
った。
和哉さんと彼の弟の芳登くんとを付き合い分けているように、俺は
次兄と和哉さんとの付き合い方や距離感を使い分けていた。

次兄も俺に対して、和哉さんの悪口をいうわけでもないし、付き合
うことに反対したこともない。次兄は次兄で俺との付き合いの距離
を保っていたのだ。

俺はそんな大きな気持を持つ次兄もすごい人間だと思っていた。
病気で死線を越えてきただけあって、気持に関しては、俺ら男三兄
弟の中でも、一番胆がすわっていた。

それを証明して見せた事件が過去にあった。
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青春の雨音-3-9

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2005-02-28 15:01:04
しかし、俺はけんかをやめたと一人心の中で宣言してみたところで
、周りの奴らが俺の心中まで察して理解するとは限らない。
その心境の変化をああいう奴らに伝えるのは、やはり殴らせて、や
られて見せればいいのだ。

たぶん、お祭の時呼び出した昔同学年の奴らも、また俺を殴った年
上のチンピラも、そしてそれを遠巻きにして見ていた他の奴らも、
「なんだよ、桜木ってやつ、大したことないじゃんかよ」
と思ったに違いないのだ。

俺は自分を変えたのだから、殴り倒されるのは、俺さえ我慢すれば
すむ。命まで取られるとなれば考えるけど、たいした怪我さえしな
ければその期間だけを耐え抜こう、と、そう決めていた。

だから、殴られても怪我をしない殴られ方を研究したりもした。
顔面を殴られる瞬間は歯をぐいっと食いしばる。そうすることによ
って歯の折れたり抜けたりが防げる。
また、殴られる瞬間、あごを引き頬骨や頭を殴らせる。
顔がはれたり、頭にたんこぶが出来はしても、気を失うような倒れ
方をしないから、2次災害を防ぐことも可能なのだ。

顔面正面に拳が来たときは、若干でも頭を左右に振って、やはり頬
骨を殴らせるようにする。
ただし、大げさに拳をよける動作をすると、相手は2発目にさらな
る力をこめるのが普通だから、当たれば怪我の度合いも大きくなる

そしてもっとも大事なのは、いかにもやられたという動作をするこ
とだ、つまり効いている…、と相手に思わせることである。

そういったことも、昔謎の中学生に教わったことだった。

明らかに最初から武器でやられると分かっている時は、腹にさらし
を巻いていくか、長いさらしがないときは、新聞紙か適当な厚さの
雑誌などをシャツの中に忍ばせておけ、といっていた。

あとは殴りあいになったら、何にも考えるな。
相手に当たるまで手を振り回せ、ものを振り回せ、手にあるモノを
投げつけろ、つかんだら放すな、歯で噛みつけるときは噛みつけ、
今はなつかしいが、そんなことを教わった時期があったのだった。

しかし、今の現状にいる俺は、けんかと呼べる状態とは違った。
こちらは一人、相手は町のごろつきやチンピラ集団。
一方的にやられている図式なのである。
いづれ、大したことがない奴だ、と思われ、また奴らの気が済めば
、今回の俺の殴られゲームは終わるだろう。
早くその日が来ることを今は祈ろう。

今回の夏の小旅行でも気付いたじゃないか、世界は広いって、…。
世界には太平洋を一人で渡るような若者もいるのだ。
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RAG FAIR Yosuke Hikichi

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