2006-11-02 09:03:38

【青春の轍-1-8】

テーマ:ブログ

ワーキングプア社会についてもう少し書いてみると、それを貧困
層というらしい。


片方のニュースでは日本史上最高の好景気で、片方では拡大す

る貧困層社会のニュースが同時に流れているのだから、やはりこ

の国の中心はどこか?…となってしまう。


この今の日本でも毎年餓死者が出ているというのだ。


人間社会は収入という金額で、眼に見えぬ形でいつしか住み分け
されている。


いま高学歴者は富裕層が圧倒的数字であるという。


貧しさを知らない高学歴者達が公務員になり、政治家になり、医
師になり、教師になる社会なのだ。


そういえば、去年あたりから、負け組み勝ち組という言葉が急に
流行りだした。


皆が平等な社会というのは、やはり理想にすぎないのだろうか?
こういう文章を書いている自分も、負け組みの一人だと感じている。


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【青春の轍-1-8】


戦後3年目にして樺太から引き揚げることができた我が父の桜木
一家は、家財は全て失いながらも、俺を含めて5人の家族になっ
ていた。


引き揚げ船の中で次兄は腸カタルの病気に罹り、命を失いかけた
という。
引き揚げにまつわる話は後になって父や母からよく聞かされる話
だったが、次兄の体格が二つ年下の弟の俺と同じ位なのは、その
時の病気が原因しているらしかった。


北海道の稚内に降り立った父桜木一家は、一旦母の姉の嫁ぎ先の
足寄に向かい、3ヶ月ほど滞在した。

そこで次兄の体力の回復を待つとともに、今後の一家の行方を父
と母は相談したらしい。


父は先に帰国していた樺太時代の警察仲間から東京の警視庁へ

の誘いを受けていて、父もそのつもりでいたらしいが、当時の東京
はまだ終戦後の混乱期にあり、治安が悪く、母や母の身内は猛烈

に反対したようだ。


結局、父は警察官になることを諦め、元の郷里Y県のK市へ戻る
ことにしたのだった。


K市へ戻っても無一文の父桜木一家は住む場所はなく、仕方なく
実家の跡を継いでいる弟に頭を下げて物置小屋に住まわせてもら
うことになった。


物資の無い時代。当然歓迎される里帰りではなかった。
ありがた迷惑的な弟の態度に怒りを覚えたと、あまり感情を外に
表さない父ではあったが、その話をするときはいつも顔を曇らせ
たことを覚えている。


母も同じ気持ちだったらしい。
煮炊きするかまども使わせてもらえなかったと当時のことを語っ
ていた。
本当に鍋釜一つからそろえなければならなかったらしい。


郷里に戻った父は、闇の買出しでしばらくは生計をたてた。
ガキ3人を飢えさせることはできなかったのだろう。


2年ほど弟の小屋に世話になった父の桜木一家は、近くの安長屋
へ移ることができた。
その長屋では5年ばかり過ごすことになるのだが、俺の記憶もそ
の長屋からから始まっている。


父は町の製糸工場のトラック運転手の職を得て、休みなしに働く
のである。


俺にとってもその長屋での思い出は、今思っても楽しい思い出の
いっぱい詰まった宝箱である。
その中から一つのいい思い出話しをご披露しよう。


貧しかった俺の家では、当時子供の間で流行っていたトランプす
ら買えなかった。
何度もねだる子供たちに、父は自分でトランプを作ってくれたの
だった。
54枚ものカードには、裏には本物とそっくりの模様が描かれて
いて、俺ら兄弟は驚いたものである。
そういう風に何でもこなしてしまう器用な父だった。
(次号へ)

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