【青春の轍-1-7】

テーマ:ブログ
2006-11-01 09:28:44

今年の日本はあのいざなぎ景気を超える史上最高の好景気だそう
だ。


しかし、その実感はない。


いま日本は、収入格差社会が拡大している。


ワーキングプア(働いても働いても収入が増えず暮らしが楽にな
らない)の問題も連日のようにテレビで流されている。


同じ国に住んでいながら、その中に暮らす人々の態様は実に様々
な訳である。
ということは、軸が見えない社会ともいえる。
軸とは中心である。
中心なき社会。


これはやはりおかしい。
軸のないコマは回転しないではないか…。
人間に置き換えてみれば、腰が据わらない人間ということになる。
そういえば今の日本は腰が据わらない人で溢れている。
これじゃ問題があちらこちらで頻発するのもうなずける。


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【青春の轍-1-7】

父の長男は東京へ出て都電の運転手。

次男は商売を嫌って当時では珍しいトラックの免許を取って運送
会社に勤めていた。


コンニャク屋の跡取りは三男の俺の父にお鉢が回ってきたのだが、
父はこのままでは4度目の軍隊招集があるだろうと考え、それを
嫌って当時28歳になっていたが年齢制限ぎりぎりで警察官の採
用試験を受けて合格し、勤務地に給料のよい樺太を選んだのであ
る。


そんな訳で本家のコンニャク屋の跡取りは四男の和哉さんの父が
継ぐことになったのだ。


父は前回の三度目の召集を受けた直後に結婚式を挙げ中国大陸へ
と渡っている。結婚当時父は24歳だった。母は18歳である。
当時はよくある親同士が決めた結婚だった。


家庭を持ってしまうと、男は戦場へは行きたくなくなるのだろう
か。父は4度目の招集は絶対に避けなければと必死で考えたと後
で俺に話してくれた。

そんな父は、警察官の赴任地樺太へ、2歳になったばかりの長男
の手を引きながら、親子三人で向かったのである。


次男が生まれたのは樺太で終戦の年。


父は特高(スパイ狩り)警官として勤務していたから、終戦後は
攻め込んできたロシア兵に逮捕された。
過酷な拷問にもあったという。


いよいよシベリアへ送られるという直前になって、その牢獄の中
から俺の父親だけが解放されたのだというのだ。


後で父から聞いた当時の話では、牢獄から開放された後、背後か
ら銃で撃たれると本気で思っていたそうである。
門の外へ出ても、今撃たれるか今撃たれるかと、生きた心地がし
なかったという。
膝はガクガクで、走ろうにも走れなかったそうだ。


シベリアへ送られた上司や同僚はついに帰らなかったそうである。


それから父は樺太の地で引き揚げまでの日々を過ごすのであるが、
そんな中で俺は生まれた。


父がシベリアへ送られていたなら、俺は生まれてこなかっただろ
う…。
後で何故俺の父だけが牢獄から解放されたのかを聞いたことがあ
るが、当の父本人も「分からない」というのである。
俺の名前ミツルはロシア人が付けたのだそうだ。
本国へ帰ったら別の名前に変えるつもりでいたそうだが、結局そ
のままの名前で出生届を出してしまったという。
(次号へ)

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