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青春の雨音-3-9

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2005-02-28 15:01:04
しかし、俺はけんかをやめたと一人心の中で宣言してみたところで
、周りの奴らが俺の心中まで察して理解するとは限らない。
その心境の変化をああいう奴らに伝えるのは、やはり殴らせて、や
られて見せればいいのだ。

たぶん、お祭の時呼び出した昔同学年の奴らも、また俺を殴った年
上のチンピラも、そしてそれを遠巻きにして見ていた他の奴らも、
「なんだよ、桜木ってやつ、大したことないじゃんかよ」
と思ったに違いないのだ。

俺は自分を変えたのだから、殴り倒されるのは、俺さえ我慢すれば
すむ。命まで取られるとなれば考えるけど、たいした怪我さえしな
ければその期間だけを耐え抜こう、と、そう決めていた。

だから、殴られても怪我をしない殴られ方を研究したりもした。
顔面を殴られる瞬間は歯をぐいっと食いしばる。そうすることによ
って歯の折れたり抜けたりが防げる。
また、殴られる瞬間、あごを引き頬骨や頭を殴らせる。
顔がはれたり、頭にたんこぶが出来はしても、気を失うような倒れ
方をしないから、2次災害を防ぐことも可能なのだ。

顔面正面に拳が来たときは、若干でも頭を左右に振って、やはり頬
骨を殴らせるようにする。
ただし、大げさに拳をよける動作をすると、相手は2発目にさらな
る力をこめるのが普通だから、当たれば怪我の度合いも大きくなる

そしてもっとも大事なのは、いかにもやられたという動作をするこ
とだ、つまり効いている…、と相手に思わせることである。

そういったことも、昔謎の中学生に教わったことだった。

明らかに最初から武器でやられると分かっている時は、腹にさらし
を巻いていくか、長いさらしがないときは、新聞紙か適当な厚さの
雑誌などをシャツの中に忍ばせておけ、といっていた。

あとは殴りあいになったら、何にも考えるな。
相手に当たるまで手を振り回せ、ものを振り回せ、手にあるモノを
投げつけろ、つかんだら放すな、歯で噛みつけるときは噛みつけ、
今はなつかしいが、そんなことを教わった時期があったのだった。

しかし、今の現状にいる俺は、けんかと呼べる状態とは違った。
こちらは一人、相手は町のごろつきやチンピラ集団。
一方的にやられている図式なのである。
いづれ、大したことがない奴だ、と思われ、また奴らの気が済めば
、今回の俺の殴られゲームは終わるだろう。
早くその日が来ることを今は祈ろう。

今回の夏の小旅行でも気付いたじゃないか、世界は広いって、…。
世界には太平洋を一人で渡るような若者もいるのだ。
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青春の雨音-3-8

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2005-02-25 10:59:28
10月の大きな祭に出かけたときも、同じようなことが起きた。
事件が起きたとは俺の中では考えていない。

当たり前のことが起きた。起きることが起こるべくして起こった。
くらいの気持でしかない。

ただ今回は、顔が2、3ヶ所ばかり腫れ上がったから、親や兄弟に
すぐにばれてしまい、病院へ行くほどではなかったが、少しばかり
かっこ悪さがあって、腫れの引くまで3日ほど学校を風邪と偽って
休んだ。
母は警察に連絡した方がいいといったが、俺はダメだといった。

学校に出ると、顔に残ったあざに、学級の担任がどうかしたのか?
と聞いてきたが、俺は、
「俺の超能力を試そうと目隠しして何時間生活していられるかを
家の中で試していたら、階段から足を踏み外して顔をしたたかに打
ってしまった」というと、
ウソとばれているらしく、ワハハと笑っていたが、その後は聞いて
こなかった。

同級の奴らの中でも、やはり顔の傷跡に気付いて聞いてくる者が数
人いたが、同じ説明をしてやると、
「おっもしれ~、おれもやってみようかな」
といってクラスの中でもそのあそびが一時はやったりした。

その後、俺は祭に出かけるのを一時控えた。
祭に行くのは、殴られに行くのと変わらないような状態だったから
だ。
親も心配しているし、俺自身、いくら殴られてもしょうがないとは
思っていても、こうもたび重なっては身が持たないと思ったからだ


俺は、中学時代に暴れまわったつけが、今度は俺にまわって来てい
るのだと思った。
それだけ殴った奴らが多かったから、俺もそれだけ今度は殴られて
も文句はいえない、そんな気持だった。

ただ、中学時代と違うのは、俺が殴ったやつらに今度は俺が仕返し
として殴られているという図式ではないのが少し気に入らなかった

同学年の昔殴ったやつらに殴られて下に見られるのも嫌だったが、
今は、町のチンピラや、ごろつき仲間、そんなやつらに俺は殴られ
蹴られていた。
中学時代に同じことが起こらなかったのは、やはり板垣や滝田らの
存在が大きかったのかも知れなかった。

俺は体も大きくないし、腕力だって決してある方ではない。
こんな俺が中学時代に番長格としていられたのは、けんか哲学をマ
スターしていたからだった。
東京から転校してきたあの杉田という謎の中学生から学んだ喧嘩哲
学を応用したからに他ならないのである。

それに俺は、高校に入ってからは中学とは違った自分を生きてみた
いと思っていた。それはけんかなどを中心としたものでなく、友情
とでも呼べるような世界、胸いっぱいに青春を感じられるような世
界。そんな世界を生きてみたかった。

俺にとっては、夏休みの一人でのバイク旅行も、その行動の一環な
のだった。
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青春の雨音-3-7

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2005-02-24 13:52:29
「おい、ずいぶんとかわいがってくれたそうじゃねぇか」
といいながら男が近づくなり、すぐ俺の顔面に痛みが走った。
その後、続いてボデーに2発くらった。

俺はデカンショをはいたまま、後ろの方へ倒れていた。
倒れた俺のボデーにも横蹴りが飛んできた。

神社の後ろが騒々しいと思った人がいたのか、誰か複数の人がやっ
てきたようだった。
「どうしたの?」
「なにかあったの?」
と横倒しになってうめいている俺に、二人の大人が声をかけた。

眼を凝らして辺りを見回すと、もう奴らの姿はなかった。
「いえ、なんでもないです」
といって、俺は起き上がり、ずぼんの汚れを手ではたいた。

左顔面が燃えてるように熱く感じられたが、思ったほどの腫れはな
かった。
ただ口の中が切れたらしく、明るいところでつばを吐くと血の色の
つばだった。

声をかけてきた大人も、しばらくは心配そうに付いて来たが、内容
をさっしたらしく、関わりあうのを避けるように離れていった。

神社の表側に廻ると、何事もなかったかのように、大勢の親子連れ
や子供たちがぞろぞろと歩き回り、扉の開かれた神社の本殿前で、
大きな鈴をジャラジャラと鳴らしながら手を合わせている。

本殿の中の人も酒が入っていて出来上がっているのか、子供にまで
「お神酒だからだいじょうぶだ、飲むか」
とかいって茶碗酒を差し出している。

中学時代は俺もさんざん相手かまわず殴ってきたのだ。
それが今度は自分が殴られたからといって、何を騒ぎ立てることが
あるだろうか…。
俺の気持はそんなところだった。
殴られたくやしさも、悲しさも微塵もなかった。
むしろ、気が晴れたように俺の胸のうちはさっぱりとしていた。

服の汚れは気にはなったが、またデカンショを鳴らしながら、どう
どうと夜店の中を歩き出した。

芳登君が、さっき俺が声をかけられた場所付近で心配そうにして俺
の帰りを待っていた。

「だいじょうぶ?…」
といって俺の汚れた服のごみを手で取ってくれた。
「ああ、へっちゃらさ」
と俺がいうのを聞いて安心したのか、
「警察を呼びに行こうかどうしようか迷ってたんだよ」
とほころんだ顔でいった。

「いや、また今後こういうことがあっても、警察なんかにいう必要
なんてないからな」
と俺は芳登君に釘をさした。

芳登君は不思議そうな顔をして聞いていたが、本当に心配していた
のか、それとも俺よりも相当に悔しかったのか、今度は泣きべそ顔
になって唇をかんだ。
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青春の雨音-3-6

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2005-02-23 12:51:55
2学期になってからも、俺の学校生活には特に変わったところはな
かった。
中学時代の唯一の友達とも呼べた板垣との関係も、俺は気にはなっ
ていたが、板垣からは何の連絡も来ず、板垣も新しい環境に慣れる
のに精一杯で、俺と遊ぶゆとりなどもまだないのだろう、と思って
いた。

9月、10月に入ると、俺の住む町では大きな神社のお祭が次々と
はじまる。
中学の時は、板垣や、柔道の猛者の滝田などと連れ立ってよくお祭
に出かけたものだが、連絡のとれてない昔の仲間らと連れ立ってお
祭に出かけるのは、今はできなかった。

俺は従兄弟の芳登くんに誘われて、9月の秋祭りに出かけた。
俺のいでたちは昔と変わらなかった。
大きなデカンショ(高下駄)に雨でもないのに傘を持ち歩く。
168センチ程しかない俺の身長は、デカンショを履くと180セ
ンチにはなるのだった。

デカンショも傘も中学の時からの俺のスタイルで、これだけはなか
なか変えられずにいた。
こうもり傘はいざ喧嘩になった時の武器の一つであり、デカンシ
ョは相手を威圧する意味以外に、手に持てばこれもやはり武器にな
るのだった。

しかし、高校に入ってからは、けんかというけんかは一度もしてい
ない。
高校に入ったら俺は自分を変えたいと思ったのだ。
けんかやつっぱりは中学で終りにしたのである。自分の中ではそう
思っていた。

しかし、自分ではそう思っても、周りはそうは見てくれなかった。

芳登君と出かけた夜のお祭先の出店を見ている最中に、二人の男か
ら声をかけられた。
見ると中学の時の同学年のAとYで、二人とも中学の時には俺に殴
られていた奴らだった。

「おう、どうかしたか?」
俺はあわてる風もなく言葉を返した。

「桜木さん、ちょっとそこまで顔を貸してもらえませんか?」
二人の元同学年生は、低姿勢に、またていねいにそう願った。

俺はピンと来た。
しかし逃げることは出来ない。
心配顔で見守る芳登君に、「すぐ戻るから」と告げ、
二人の後について行った。

一人は俺の後ろに回り、逃げ出せないような体勢をとっていた。
案内されたのは光の届かない神社の裏手だった。
目の玉の光の数で、8人以上はいた。

「連れてきました」
とAという男はいった。

暗がりに眼が慣れてくると、最近町で大きな顔をしてきた大人のチ
ンピラ二人の顔が見て取れた。
「お前が桜木か…」
とそのうちの一人が低い声でいった。
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青春の雨音-3-5

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2005-02-22 11:51:20
俺のバイクによる小旅行にもっとも興味を持ってくれたのも和哉さ
んで、「満君はすごいよな、満君の勇気と行動力には尊敬するよ」
などといって、俺を褒め称えてくれた。

和哉さんと俺とは、性格は違うけれど、同じものに興味を抱き、趣
味の傾向も似たようなものだった。

特に映画や、音楽に関しては、趣味が合い、一緒に映画に行ったり
レコード鑑賞をしたり、またその内容や出来具合などを評論しあっ
たり、共感したり、俺自身、和哉さんには多くのことを学んだ気が
してならない。

和哉さんの異母兄弟の弟の芳登(よしと)くんは、俺より1歳年下
で、芳登君ともずいぶん遊びはした。

芳登君も本当の兄のはずの和哉さんよりも俺と親しく、何でも話し
かけてきた。
ただ、相手する内容は普通のあそびで、兄の和哉さんとのような濃
密な時間は持つことができなかった。
だから、俺はこの従兄弟たちとの付き合い方を、うまく使い分けて
いた。

この従兄弟の父親は俺の父親の弟という親戚関係にあった。
家が同じ町内にあることから、双方共に行ったり来たりは幼い頃か
らで、双方の家庭の事情なども、経済的な相違なども、子供の頃か
ら肌で感じて育ってきていた。

和哉さんの家は商売がうまく行っていて経済的に豊かなこと。
それに引き換え、俺の家は引き揚げ家族で貧乏なこと。
和哉さんの家は自分の持ち家で、俺の家は借家なこと、など。

俺は子供の時分の物心ついたころから、双方の家庭の食卓に並ぶお
かずの違いに疑問を持って育ってきた。
身に付ける洋服の違いも同じだった。

この世には金持ちと貧乏とがあり、その生活内容はその違いから生
じているのだ、と知ったのは、4、5歳のころだったろうか。

しかし、それにしても、俺たちいとこ同士は同じ兄弟といってもよ
いくらいの時間を共有した青少年時代を過ごした。

弟の芳登くんが兄の和哉さんをやりこめていたりすると、俺が和哉
さんの代わりになって、頼まれもしないのに兄役となって芳登くん
を殴り倒してやった。

本当の兄の和哉さんを恐れることのない芳登くんではあったが、さ
すがの芳登くんも俺だけは恐ろしい存在として認識していた。

ただ、芳登くんの両親は、芳登くんがあまりにも俺のまねをしたが
るので、その影響力を恐れていたふしがあった。

バイクを無断で持ち出し、とんでもない行動に出た今回の小旅行の
影響も、芳登をそそのかさないようにと心配していた。
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青春の雨音-3-4

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2005-02-21 13:21:58
和哉さんの母(継母)の理解を得て、和哉さんは大学進学へ向けて
入試のための勉学に励んでいた。
気持の優しい和哉さんを俺は好きで、暇があればよく従兄弟である
和哉さんの部屋を訪ねた。

和哉さんは、いくら勉強中でも、俺が顔を出すと勉強を中断し、何
の得にもならないくだらない話にも何時間でも付き合ってくれた。
和哉さんとはそういう人間だった。
だから、俺もそんな和哉さんが大好きで、次兄と同じ学年でありな
がら、次兄よりも何でも話し合えるのだった。

むしろ、和哉さんの方からみても、異母兄弟の弟と話し合うよりも
気が楽だったのだろう。

俺がいくら勉強を邪魔しても嫌な顔一つしない和哉さんは、家の商
売のこんにゃくの店への配達の時だけは露骨に嫌な顔をした。
それが父親の気にも触り、父親が和哉さんへ辛く当たる原因のよう
でもあった。

和哉さんは、商売が嫌いで、また商人向きの人ではなかった。
学者肌で、何でも統計を取りたがったり、実験したがったり、また
研究にのめりこむタイプの人間だった。

そんな和哉さんも自慰が好きで、部屋に鍵を掛けて二人して自慰に
ふけったりもしたことがあるが、精子を顕微鏡で見せてくれたり、
カレンダーに自慰の回数を書き込んで統計をとっていたりと、不思
議なところのある人であった。

特に俺は、和哉さんに質問をぶつけるのが好きで、よく宇宙の構造
や哲学的な話をした。
光の速さのロケットでの宇宙旅行で、1年ぶりに地球に帰って来たと
きの地球はどうなっているか?
などについては特に俺は興味を持ち、真剣に話す和哉さんへ議論を
ふっかけた。
こんな話をするのは、俺も和哉さんだけであり、俺の兄弟や、学友
などとも話したことはない。
それは和哉さんも同じようで、義母弟とはそのような話ができるよ
うな間柄ではなかった。

和哉さんの弟は、小学生に入学した当時にはとうに和哉さんの母親
が自分の母親と違うことを知っているようで、二人が言い争いをす
ると弟のくせに和哉さんを小ばかにしているような節があった。
和哉さんはただじっと耐えていた。
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青春の雨音-3-3

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2005-02-18 09:42:50
それにしても、5歳上の長兄の自慰にふける姿を眼にしたことは不
思議になかった。
しかし、その謎はすぐに解けた。
ときおり雑誌のとあるページがきれいに剥ぎ取られているページが
ある。その剥ぎ取ったページをポケットにしのばせてトイレに行き
、長兄はそこでコトに及んでいたのだ。

俺もその方法を知ってからは、トイレの中で自慰に及ぶことを覚え
た。
次兄だけは部屋で行っていて、一度俺に見られてからは気にもなら
なくなったのか、どうどうと行うこともあった。

時おり、試験のための勉強などをはじめているときなどは、後ろで
次兄の自慰の行動で集中できず、
「ちょっと、後でやってよ」
などと注文を付けることもあった。

その兄も、就職活動に入っていて、ほぼ自衛隊に行くことに決めて
いるようだった。
ただ、希望は航空自衛隊だったが、眼が近視ということもあり、パ
イロットを目指せないなら航空自衛隊は意味がない、などといって
いた。

そのころになると、自衛隊の勧誘の隊員が、よく家を訪ねてきては
兄と親を前に、「ぜひ入隊を」と迫る姿を眼にするようになった。

次兄は航空自衛隊がだめなら海上自衛隊をと希望を出した。
勧誘官は、できれば陸上自衛隊を勧めたかったようであった。

希望は希望で、いずれにしても入隊試験を受けなければならない。
勧誘官は、とりあえずその入隊試験を受けてみて、受かってからで
も配属先を希望できるからといって兄を納得させて帰った。

俺が富山商船高校入試の時、家庭教師役を引き受けてくれた従兄弟
の和哉さんは、次兄と同じ地元の県立高校へ通っていたが、生徒会
長をやるほどの秀才だったから、もちろん進学希望で、東京理科大
や、新潟大、そして地元の山形大などに的を絞っていた。

和哉さんの家もこんにゃく製造販売という商売をやっていて、そこ
の長男だから親は大学進学などには反対しているという苦悩を味わ
っていた。
いくら秀才といっても、商売をやっている家の長男は親の商売の跡
取り息子と決まっているような時代だったから、跡取りに大学など
出る必要はないといわれていた時代だったのである。

また、和哉さんにはそれ以外の苦悩があった。
実は、和哉さんの実母は和哉さんが生まれてすぐに死亡していて、
現在の母は、父親の後妻であり、和哉さんにとっては継母なのであ
った。

その継母に男の子供が生まれて、和哉さんは母違いの3歳年下の弟
を持っていた。
和哉さんが実の母の死を知って今の母親は自分の本当の母親でない
ということを知ったのは小学3年生の頃のことであったらしい。
その話を俺が和哉さんに聞いたのは、何十年も経った大人になって
からのことであった。

俺自身がそのことを知ったのは、やはり小学校のころであったよう
に思う。
兄弟けんかしても、いつも和哉さんの方が兄なのに折れていること
をしばしば眼にしていたが、その現象も異母兄弟ということから来
ていたのかと知ったのは、俺が小学校も高学年になってからのこと
である。

しかし、継母となられた母は、出来た人で、二人の子供を分け隔て
なく育てていた。
それははたから見ていた俺らにとってもそう断言できるほどで、俺
ら子供心にも、あこがれの母親像として映っていた。
それほど素晴らしい人だった。

それでも、継母と知った和哉さんにとっては、大きな気持の変化が
あったのであろう。
性格もしだいにおとなしくなり、自分を抑えてしまうような性格に
変化したようであった。
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青春の雨音-3-2

テーマ:ブログ
2005-02-17 09:25:30
俺の高校一年の夏休みは、このようなことで過ぎ去った。
学校がはじまっても、夏休み前と何も変わりはなかった。
俺の夏休みの出来事は、俺だけの出来事であり、他の学友の出来事
ではない。

中学時代のようにツッパリはやめたけど、やはり雰囲気は近寄りが
たいものを持っているのか、または、やはり俺自身が寄せ付けない
鎧をまとっているのか、高校の2学期を迎えても、友人と呼べる学
友は持てないままだった。

俺は相変わらず勉学に身が入らず、高校に進んだ意味すら見出せず
、ただ授業時間という空間が流れすぎるのを待つだけの退屈で無意
味な学校生活を続けていた。

時おり頭にくる同学年の奴らがいても、中学時代だったら殴り倒し
ていたろうに、今は見ないようにして過ごし、直接俺にふっかけて
こない限りそのような奴らは無視していた。
いや、時おり何かでそそのかされるようなこともあったが、俺は相
手にしないでやり過ごした。

そういった2学期を過ごしているうちに、少しは向こうから話しか
けてくる奴らも現れてきた。
しかし、友達という間柄になるほどのことはなかった。

とくに俺は何の部活にも入ってなかったから、退屈で無意味な学校
での時間が終わると、すぐに家に帰った。
それも友達ができない原因の一つに違いなかった。

家に帰っても何をするでもなく、ただ部屋で漫画本を見たり、雑誌
を見たり、勉強をすることもなくだらだらと過ごしていた。

家といっても、商売(牛乳販売店)をやっている家は借家で、別棟
になっている家屋に俺たち兄弟の一部屋があり、3人兄弟はその一
部屋で共同生活をしていた。

親が寝泊りする部屋と茶の間のある家は店舗のある別棟になってい
る。
そのため、親の目が届かない分気楽な場所ではあるのだが、6畳間
ほどの空間に男三人兄弟で過ごすには狭すぎたし窮屈でもあった。

俺が学校から帰ってのんびりしていると、同じ高校へ通う3年の次
兄が友人を伴って帰ってきては、タバコを吸うので、咳き込む俺は
のんびりどころではなかった。

それと時おりこんなこともあった。
俺が学校から帰ると、すでに帰っていた次兄は、どこで手に入れた
か女体の大きな写真の載った雑誌を開いて自慰にふけっていること
もあった。

その女体の載った雑誌はしだいに増えていき、俺もときどきはその
雑誌の女体を見てはこっそり自慰にふけったりした。
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青春の雨音-3

テーマ:ブログ
2005-02-16 10:48:59
俺が家族に黙って小旅行に出かけたことは、身内のもの以外に知る
人はなかった。
家族も4日目の事故のとき箱根の警察から電話が入っていたので、
一応安心をしたのだろうし、とりわけ大騒ぎして近所中や、親族中
まで知らせまわったということもないらしかった。
だから、あとはバカ息子が何事もなく家に戻ってくれさえすればそ
れで落着ということだったのかもしれない。

小旅行から戻った翌日、朝目を覚ますと、出発以前と何も変わらぬ
光景が俺の周辺で繰り返されているだけだった。

そのことが、俺には少し物足りなかった。
俺の内部では、あれだけの冒険に満ちた旅行をしてきたのに、周り
のこの平穏な静けさは何なんだ?…といった気持だったのかもしれ
ない。

太平洋を渡った堀江青年のあの晴れがましいニュース映像が流され
るにつけ、俺をも少しは評価してほしい…というような、変な気持
を持った。

家の前の通りで行きかう、話し好きの近所のおばさんまでが、何も
なかったかのように俺の前を無言で通り過ぎてゆく。

神棚に手を合わせて俺の無事の生還を喜んでくれた父も、
翌日からは、バイクの修理代分を働いて返してもらうからな、とい
う小言に変わったし、涙を流して生還を喜んでくれた母親さえ、罰
としてお前のおかずを一品減らすからといった。
兄弟でさえ、旅行の話など聞こうとさえしない。
俺の胸の中にはあれもこれもとサンタクロースの背負う大きな袋い
っぱいに話したいことが詰まっているのに、誰もその糸口をほどい
てさえくれないのだった。

迷惑を掛けた罰は罰として受けねばならない。
親を心配させたことは子供として最大の罪だったろうから。
俺はそう思うしかなかった。
また、特別扱いをしない家族というのも、それはそれで嬉しいのだ
った。

しかし、俺の体の中では、出発前の俺と、帰ってからの俺とでは、
何かが変化していた。

やはり、「かわいい子には旅をさせろ」だ。
俺は同級のやつらには負けないくらいの体験をこの体でやってきた
のだという自負が生まれていた。
大きな人生の、また社会の勉強をさせてもらったと思った。
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「青春の雨音-2」を書き終えて

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2005-02-15 10:23:51
約40年も前の青春時代の1ページを書き出してみたら、なんと原
稿用紙にして88枚もの中篇大作になってしまった。
まず、長きにわたり、講読していただいた皆様に感謝を申し述べた
いと思います。

40年の月日が流れていながら、私は昨日旅立った16歳の若者に
戻って、あの時の道のりをたどっていました。

何をおいても、あの旅で得たものは、人の心の温かさでした。
そして、家族の大切さでした。
その後の私の人生において、16歳で人の心の温かさを知ることが
できたことは、大いなる収穫といえるでしょう。

青春の雨音-1を読まれた方は、その中に描かれている内容が青春の
雨音-2とあまりにも違うため、同じ主人公を描いているのかどう
かに迷われたかもしれません。
でも、雨音-1も、雨音-2も、同じ若者の実話物語です。

私は、人生における大きな体験は、体の成長体験や、住空間や家族
との環境体験や、人とのふれあいや物質との関係からくる心理体験
や、勉学や読書や映画などから受ける学習体験や、病気や事故や災
害など生死にまつわる体験などがあると思われます。
その他にも、人生生きていくうちには一くくりにはできない数多く
の体験を経験するのですが、
人はその体験や経験から何を学ぶのでしょう?
そこが問題だろうと思います。

私の考えでは、人は15歳でも人生のほとんどの体験や経験をして
しまっている人間がいるかもしれないということです。(成人でも
なく子供でもないそういった人たちがいるのです)
そういった人間は(子供)は、どこか冷めているように見えるかも
しれません。
実体験を経験しなくても、本や雑誌やニュースや映像で疑似体験し
てしまい、人間とはとか、世の中とはとか、分かりきってしまって
冷めてしまっている若者もその中には多くいるでしょう。

でも、実体験を通さなくとも、彼らの判断はおおむね正しいのです。

人は年齢ではありません。
年を重ねても、何も感じず、何も考えないで生きている人も多くお
られます。

どちらが優秀でどちらが劣っているという論議をしようとしている
わけではありませんので、ここでちょっとお断りをしておきます。

なぜこのようなことを書き出したかというと、私自身がそうだった
からです。
私は15歳でこの社会のこと、世の中のこと、人間のこと、などに
ついて、結論付けてしまったことは、いま間もなく還暦に近い年齢
になって思い返してみても、ほとんど変わらないと思うからです。

あの年齢で感じたこと、思ったことは正しかった。
そういった気持です。

私は決して早熟な人間ではありませんでした。
ごく普通の人間です。

ただ少しだけ他の生徒と変わっていることといえば、
死を意識した子ども時代を送ったということでしょうか。

中学2年の時、私の日課は聖書を読むことでした。
別にクリスチャンでも何でもない私がです。
枕元に聖書をおき、眠気が出るまで、何ページもの聖書を読むので
す。おかげで、1年間であの分厚い聖書を2回ほど読み返しました

今はほとんど読みません。
クリスチャンでもなんでもありませんから。

でも、その時は、私には聖書を読む理由があったのです。
読む理由というより、聖書の中から答えを見出したかったのかもし
れません。
人の生きることについて、死ぬことについて…、です。
14歳の時の話ですよ。
だから、まだ13,4歳だから…、などといって、子供扱いで締め
くくってはいけないのです。

いづれ、その時のことを書くときがくるかもしれません。


話は変わって、私の小旅行、いまこの年齢になってたどってみても
、よくもあんな無茶苦茶な企画を立てたものだと、笑ってしまいま
す。(生きているから笑えるのですね)

箱根のお巡りさん家族。
後で父から聞いたのですが、修理代はあのお巡りさんが立替で払っ
て下さっていたのだそうです。
私も、その後2年間ほど年賀状か何か近況を書いたものを送った記
憶があります。
温かかったあの家族。

私があれから再び箱根を訪れたのは、6年後位の学生時代の頃でし
た、外から交番所の中を何度も覗いていたら、中から見知らぬ警官
が出てきて、「どうかしましたか?」と聞いてきました。

その当時、私はお巡りさんの名前をすっかり忘れてしまっていたの
です。
「あの、6年ほど前にこの交番にいたお巡りさんは、まだいるので
しょうか?」
とか聞いたように思います。

「6年前というと、誰かな?」
今は、自分が去年から勤務しているという警官は、何か資料を見て
みないと何ともいえないな、といった。

私は、「ああ、そうですか…」
といって、交番を後にした。すこし寂しかった。


さて、次回からは「青春の雨音-3」(青春の雨音最終章)に入り
ます。
興味をもたれた方は、引き続き講読してみてください。
書く方としましても、力の入り具合が違ってきますので。
(では次号で)
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RAG FAIR Yosuke Hikichi

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