青春の雨音-2-27

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2005-01-31 18:26:57
俺の胸のうちでは、もう永遠にバイクは直してもらえず、山形へも
永遠に帰られないのではないのか、といった不安も芽生えていた。

俺はいても立ってもいられず、箱根神社に何度も参拝に行った。

テントに戻ってからは、何をする気にもならず、テントの中に横に
なって時間の過ぎるのを待った。

午後3時半頃になって、俺は今日三度目となる交番所を訪ねた。
お巡りさんは、待っていたのか、
「おお、来たか。ついに直ってきたぞ。ついさっき運んできてくれ
たよ」
といって横の自転車置き場へ案内した。

鉄骨むき出し、溶接の後もあちらこちらに、見るも痛々しいミニバ
イクが1台置かれてあった。
とても以前と同じバイクとは思えない。
とってつけたようなヘッドライト、ブレーキレバー。
あまりにも以前のバイクの姿とはかけ離れていて、どこか工業大学
の実験で作られた機械装置のようにさえ見えた。

これが新品で買ってからまだ一月にもならないバイクの姿だった。
それも、俺の身代わりになって無残に壊れたバイクの姿である。
嬉しさを飛び越え、哀れにさえ思えてきた。

「一応テストはしているそうだ。手作りの部品もあちらこちらに使
っているそうだから、あまり無理はしないようにっていってたぞ」

俺は形はどうあれ、これで山形へ帰れると思うと、嬉しさがこみ上げてくる。
「それで、いつ帰るんだ? 山形へは」
「はい、今日の夜に出発するつもりです」
「えっ、今夜? 何も夜に出発することはないじゃないのか?」
お巡りさんは心配な顔でいった。

「ええ、そうなんですが、でも、すぐに帰りたいんです」

「ははははは」
とお巡りさんは笑ってから、
「帰心、矢の如しか」
とぽつりといった。

奥さんも外へ出てきて、
「今夜って、何時に発つつもりなの?」
と聞く。

「はい、いまから準備もあるので、7時ごろには」
という俺に、
「じゃ、8時にしましょうよ。家で夕ご飯を食べていけば」
「夕食を食べていけばその時間にはなるでしょう? はいこれで決
まり。6時半までには来るのよ」
奥様の声に、
お巡りさんも「そうしなさい」といった。

俺はおそるおそるバイクのエンジンをキックして回転させた。
聞きなれたあの苦楽を共にしてきたミニバイクの音が、辺り一面に
響き渡った。走り出す俺に、
「気をつけて運転するんだぞ」
お巡りさんの声が背中に飛んできた。
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青春の雨音-2-26

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2005-01-28 10:32:15
それからの日常も、これまでと同じだった。
昼日中は、箱根神社に参拝に出かけ時間を過ごした。
また、少し気が向けば元箱根の町中へも散歩に出かけた。

しかしもう何度も出かけているから、歩いて行ける場所には、もう
見るべきものはなかった。
芦ノ湖の遊覧船にも乗ってみたかったが、金がなくてはどうにもな
らなかった。
だから、時間のほとんどは、芦ノ湖の水面を眺めてすごした。
芦ノ湖の水面を見ながら、当時流行っていた歌「遠くへ行きたい」
や、北原謙二の「若い二人」を歌って寂しさを紛らしていた。

また、時間を持て余した俺は、板垣と競って詩を書きあっていた頃
を思い出し、詩を書いたりもした。

その脇で、いつもの通り、通りすがりの旅行者が、俺の近くにテン
トを建てては、翌日俺のテントだけを残して旅立っていく。

修理工場の場所を聞いて、一度訪ねたこともあったが、片隅に
忘れ去られたようにほこりを被ったままに放置されている壊れた
バイクを見てからは、もう行く気が失せていた。
また、歩いて行くにはかなりの距離があった。

箱根の町は、日中は観光客で人出も多いが、夜になると人出が
途絶え、静かな湖畔の町と化す。

一週間も箱根神社のたもとで暮らすうちに、俺はここの住人に
でもなってしまったような錯覚にとらわれてしまっていた。

そのような日々を過ごすうちに、8月12日を迎えた。

俺は朝から落ち着かなかった。
バイクが直ってきたなら、すぐにでも山形へ帰りたかった。
朝になるのを待って、午前9時半頃に一度交番所へ行ってみた。
お巡りさんは修理工場へ電話で確認をとってくれた。
「午前中は無理だそうだ」
とお巡りさんはいった。

俺は一瞬気落ちしたが、
「じゃ、また昼過ぎに来てみます」
といって交番所を後にした。
奥さんも不安そうな顔をのぞかせていた。

テントに戻った俺は、今日帰れることを信じて、荷物の整理に取り
掛かった。
もう帰りたい気持で俺の胸のうちはいっぱいだった。

昼過ぎの午後1時になって、俺は再び交番所へ出かけた。
また電話で確認してくれたお巡りさんは、
「いま急ピッチで直しているそうだよ」
といった。

「何時頃になるんでしょうか?」
と聞く俺に、
「ふ~む、やはり夕方になるのかな」
といい、腕を組んだ。

「じゃ、3時頃にまた来てみます」
といって、俺は再びテントに戻った。
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青春の雨音-2-25

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2005-01-26 09:47:14
翌日、俺は再び交番所のお巡りさんに会いに行った。
バイクの修理がどのようになっているかを聞くためだった。
前回同様、奥様も、山形弁で話すおばあちゃんも、優しく接してく
れた。

また前回と同じように客間に通された。
もう慣れ親しんだ子供たちが、俺の手を引いて自分の部屋まで連れ
て行く。
「ほれほれ、とし坊、お兄ちゃんやんだど、こっちゃこい」
おばあちゃんの山形弁は、ここ箱根で聞くと面白くおかしいのだっ
た。
「ほんだなごといってねよ、お兄ちゃん」
子供も山形弁で答えるのもおもしろいのだ。
俺も思わず笑ってしまう。

「おばあちゃんの山形弁が子供にもうつってしまって、とれないの
よ、おかしいでしょう」
お母さんはきれいな標準語で、迷惑そうでもない風にそういって笑
った。

現れたお巡りさんは、「よっ、来たな」と前回同様笑顔で迎えてく
れた。
そして、「やはりバイクの部品は全部はそろわないそうだ」
といった。
俺はまた落胆した。

「でも、何とか走れるようにはしてくれるっていってたぞ」
「えっ、それはいつですか?」
「13日からお盆休みに入ってしまうから、その前になんとかでか
してくれるそうだ。だから12日までにはできるんじゃないかな」
「だから、12日の午前中にもう一度来てみたらいいよ」

あと3日だった。
それでも俺は飛び跳ねるほど嬉しかった。

ただ、俺の所持金は600円しかない。
バイクの修理代はどうしたらいいのか?
俺はここずっと考えていたことを口にした。

「あの、実は俺、いま金をあまり持っていないんです。そこで、
バイクの修理代ですけど、後で家から送ってもらうことに出来ない
でしょうか?」

お巡りさんは、「あははは」と笑った。
当然俺が修理代金など持ってないことはお見通しなのかもしれない
のだった。

「分かった、俺から修理工場の社長に頼んでみるよ」
そして、
「家には電話したのか? まだしてないのか?」
と聞いた。
「まだしてません」
と俺は答えると、
「だめだよ。そういう親不孝しちゃ。親は心配しているぞ」
といって、俺をいっしゅんにらみつけた。

奥から、奥様の声がして、
「今日もごはん食べて行ってね。もう用意しているんだからね」
と台所で何やら忙しく動き回っている。

子供は俺の背中にまとわりつき離れない。
またおばあちゃんが、
「だめだず、とし坊、お兄ちゃん困ってっとれ」
「こまってなんていねよね?」
と子供は俺に聞く。

「ああ、こまってなんていね」
と俺は答え、交番所の家の中は山形弁にあふれた。
台所では奥様がけらけらと笑っている。お巡りさんも一緒になって
笑った。
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青春の雨音-2-24

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2005-01-21 08:39:19
翌日の朝、テントの外に出てみると、何事もなかったかのような静
かな芦ノ湖の姿がそこにはあった。

昨夜の男たちはまだいるのだろうかと偵察に行ってみると、すでに
男たちの姿は跡形もなかった。
ただ焚き火の跡からは、細い煙の筋だけがのぼっていた。

俺はテントに戻ると、昨夜投げつけられた石の塊をもう一度しげし
げとながめた。
考えてみると、俺には何も石を投げつけられる理由などないのだっ
た。
もしかしたら、やつらは隣のアメリカ人のテントを目がけて石を投
げつけたのではなかったのだろうか、と考えた。
その石が反れて俺のテントに当たったのだ。

そう考えると、何か知らないが納得できるのだった。
いや、そうとしか考えられないのだった。
しかし、なぜ?
考えれば、それはそれでまた恐ろしいことでもあるのだった。

もしあの頭大の石の塊が、アメリカ人のテントに当たり、あの石の
塊が子供にでも当たったりしたら、やはり死ぬほどの大きな怪我を
したに違いない。

俺は富津キャンプ場の時テントに砂をかけられた時を思い起こし、
都会の、いやこの社会の恐さを思い知らされたのだった。

その後、8時頃を過ぎると、隣のアメリカ人一家が目を覚ましたの
か、子供たちの話す透き通るような声が、俺の聞き取れない早口言
葉のような英語で、テントの外にいる俺の耳に届いてきた。

その後数オクターブ低い父親の声が続いて聞こえてきた。
母親もテンポの速い英語で何やら話している。
そしてしばらくすると、父親がテントの外に出てきた。
昨夜のことをどのように感じているのだろう。
俺は気になっていた。
日本人として、何か恥ずかしい気がしていた。
また、俺は昨夜のことをどのように説明をするべきなのだろう?…
などと考えていると、
「ハロー、グッモーニング」
と何事もなかったような笑顔であいさつをしてきた。
俺も「グッドモーニング」と応えた。

俺は拍子抜けした気持だった。
俺のほうから説明をするには英語力が足りなかった。
アメリカ人の男は、その後も昨夜のことは何も聞いてこなかった。

子供たちもテントから飛び出すと、昨日のように俺にじゃれ付いて
きて離れないのだった。

その後アメリカ人一家は朝食を済ますと、昼前にテントをたたんで
芦ノ湖を後にした。
子供たちは俺と離れるのが辛いらしく、何度も何度も握手をしにや
ってきた。

俺はまた一人だけになってしまった。
一人ベンチに腰を下ろしながら静かな芦ノ湖を見ていると、
恐ろしいことが次々と起こるこの小旅行を、やはりはやく切り上げ
て家に帰りたいという気持が強烈に立ち起こってくるのだった。
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青春の雨音-2-23

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2005-01-19 10:48:34
夜になって事件が起きた。
俺も、隣のアメリカ人一家も、寝静まっていた夜中の午前0時半ご
ろ、突然俺のテントに何かが落ちてきて、ドスンと大きな音を立て
て転がった。

テントの天井が大きくたわみ、突然の音にびっくりして上半身を起
こした俺の顔にテントの布地があたった。

何が起こったのか、俺は判断がつきかねながらも、ただ身を硬くし
て耳を澄ました。
テントの上の道路上に何やら人の気配がする。
俺はとっさに何者かに襲われたと判断し、
「何だ、こら~!」
と大声をあげた。

「やばい、逃げろ」
というような小声が聞こえてから、走って逃げ去る複数の足音が聞
こえた。

俺は懐中電灯を手にすると、急いで靴を履き、テントの表に出た。
上の道路からは、走って逃げる足音が静まり返った芦ノ湖の湖上に
リズミカルに響いて聞こえてきた。
どうやら犯人の一人は下駄か木製のサンダルでも履いているような
音の響きだった。

俺は、
「こら~、このやろ~、待て~!」
と喚きながら、急いで道路上に出ると後を追った。
手にはいつの間にか焚き火に使う木片を握っていた。

しかし、俺が道路上に出た頃には、相手の姿はどこにも見えなかっ
た。
それでも俺は犯人の逃げた方向へ走って追った。

俺のテントから150メートルほどのところで、焚き火をしている
2人の男の姿が見えてきたので、俺は近寄って行き、今こちらの方
に逃げてきた人を見かけなかったか、と聞いた。

焚き火をしているのは、二十歳前後の若い男の二人組だった。
「ああ、あっちの方へ走って行ったよ」
と一人があっさりとした口調で答えた。
もう一人は俺と眼を合わそうともしないで、平然とした顔をして焚
き火に手をかざしている。
足元を見ると、一人は木製のサンダルを履いていた。

俺は直感で、こいつらが犯人だなと思った。
しかし、証拠をつかんでいるわけではない。
俺は、今何が起こったのかの事情を説明し、非常に憤慨している態
度をその男らに見せつけてから、その場を離れた。

テントに戻ってから、何が落とされたのかを懐中電灯で調べてみて
驚いた。
自分の頭ほどもある大きな石の塊だった。
こんなのが頭を直撃していたなら、おそらく死んでしまったかも知
れないのだった。

隣のアメリカ人のテントからは誰も起き出してはこず、物音一つ聞
こえてこない。
きっと息をひそめて外の様子を伺っているのだろうとは思ったが、
俺は震えが来て止まらなくなったのだった。
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青春の雨音-2-22

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2005-01-14 10:59:39
ただ、バイクの修理が手付かずの状態であることを知り、俺はがっ
かりした。
体中から力が抜けていくのが感じられた。
この無謀ともいえる俺のバイク一人旅は、出発してから1週間にな
ろうとしていた。

夕方になると、誰もいなくなった箱根神社境内のキャンプ地の俺の
テントの隣に、車で来た外国人一家がテントを建て始めた。
アメリカの映画で見るような大きなテントである。
テントを建てながら、横で見つめる俺に、
「ハロー」
と口ひげのある父親が声をかけてきた。
俺も思わず「ハロー」と応えた。

まだ小学校前の子供が二人と、母親の4人家族であった。
男と女の子供は、すぐに俺に興味を持ち、近づいてきた。

俺も、寂しさと退屈さの両方がいっぺんに吹き飛んだ。
片言の英語で、相手をしてやると、もう離れないのだった。

ただ、俺の英語力では子供たちまでで、親の英語はまったく解らな
かった。
なんとか手振り混じりで意思疎通をはかったところでは、この外人
一家はアメリカ人で、立川の米軍基地から来たのだということだっ
た。
向こうも俺が英語を話せないと知ると、もう話しかけては来なかっ
た。
ただ、子供たちだけは親から注意をされつつも、何度も俺のところ
へやって来ては、じゃれ付くのだった。

テントが建てられてからしばらくして、今度はバーベキューの準備
に取り掛かった両親は、子供らを俺任せにして、手際よく料理を始
めたのだった。

まだ嗅いだことのないソースの煙と一緒に、おいしそうな空気に包
まれた。

しばらくして、皿に盛った肉や野菜を手に、母親が俺の前に来て、
食べるようにしぐさで伝えた。
これまで食べたことのないような肉のステーキや、野菜が盛られて
いた。

俺は感謝の礼をするとともに、むさぼるように食った。
本当にこれがアメリカなのか、という思いにさせられた。

隣のアメリカ人一家は、音楽を流し、ワインらしきものを飲みなが
ら、ゆったりとした食事をしていた。
俺は、アメリカの規模の大きさや文化の豊かさを実感させられたの
だった。
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青春の雨音-2-21

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2005-01-10 09:55:55
お巡りさんのいうことには、バイクの修理はまだ手付かずのようだ
った。
やはり部品が手に入らず、そのままになっているのだった。
部品の入手までは、もう2、3日かかるようだと修理工場ではいっ
ているという。
俺はがっかりした。

俺は何とか走れるようにだけでもしてもらえないか、とお巡りさん
に頼んでみた。
お巡りさんは、「じゃ、そう頼んでみよう」と言った。

俺は子供の相手をしてしばらく遊んでから、カレーをご馳走になっ
たお礼をいい、交番所を後にした。

交番所の奥さんとおばあちゃんが、
「また時々はご飯を食べに来てね」
と言ってくれた。
お巡りさんも、「2日後にまた来てみたらいいよ、何か進展がある
かもしれないから」と言った。

交番所を後にしながら、バイクの修理代はどのようにしたらいい
のかを考えていなかったことに気付いた。

部品が手に入らない現在、まだどれ位の修理費がかかるのかも分
からないが、そこまでは俺も頭が廻らなかった。
しかし、確実に修理代は必要になる。
俺は、その時は親に送ってもらうしかないだろうと思った。

芦ノ湖湖畔のテントに戻った俺は、ベンチに座り、ボケーっと芦ノ
湖を見つめて過ごした。

夕方近くになって、テントが3個ほど増えた。

俺は、すぐに挨拶をしに顔を出した。
たいていは相手も快く応じて、挨拶を返してくれた。

その夜は、俺と同じ一人で旅をしている若い男と、焚き火をしなが
ら夜遅くまで話し合った。
見ず知らずの相手とは思えないくらい、打ち溶け合えた。

翌日になると、近くにテントを張っていた人たちは、決まって何処
かへと旅立っていった。
俺を置いて、…。

一人残された俺は、再び寂しい時を過ごすのだった。

ただ嬉しいことも多かった。
旅仲間になった者たちは、別れ際に決まって何かしらの食料を俺に
渡していくのだった。
米、缶詰、パン、野菜など、出発の時持ってきた以上の食料が俺の
手元に集まった。

これで俺の不安は一つ解消したのだった。
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青春の雨音-2-20

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2005-01-07 11:21:28
思わぬ事故に遭い、箱根の芦ノ湖湖畔でキャンプをするようになっ
てからというもの、どこにも行けず、俺は日がな一日芦ノ湖を見つ
めて過ごすしかなかった。

日中は箱根神社に参拝し、夜は相変わらず焚き火をして時間を過ご
した。

俺のテントを見たからか、二日目の夜は別のテントが近くの空き地
に建ち、仲間が増えたようで心強かった。

キャンプも三日目になると、家から持参した米も缶詰も底をつきか
けてきて不安を増幅させた。
食料を仕入れるにしても、財布の中味は乏しく、帰りのガソリン代
を考えると使うわけにはいかないのである。

三日目になってから、俺は約束通り交番所へ顔を見せに出かけた。
バイクの修理具合がどのようになっているのかも知りたかった。

交番に顔を出すと、奥さんらしき家族の方が顔を出した。
あいにく交番所のお巡りさんは出かけているという。
でもすぐに戻るから待ってみたらと言われたので、俺は待つことに
した。

奥さんは俺の話を聞いていたらしく。
「このまえバイクで事故に遭ったっていう方ね? 山形から来たと
いう」
と話しかけてきた。

俺は「はい、そうです」というと、
「あの辺りは事故が多い所なのよ」
といって話し続けた。
「バイクが目茶目茶に壊れたんですってね?」
「はい」
「でも怪我をしなかったのが不思議なくらいだ、なんて主人が言っ
ていたけど、本当に何ともないみたいでよかったわね」

奥から子供の足音が聞こえてきて、年のころ4歳くらいの男の子供
が顔を出した。
手にはスプーンを持っている。
その子供を追って来たのか、今度はおばあちゃんが顔を出した。
「とし坊、そっちに行ってはダメだってば」
「ほら、こっちゃきて」

俺は山形弁に似たおばあちゃんの口調に、懐かしさを感じた。

奥さんは、
「ああそうだ、昼ごはんもう食べた?」
と急に切り出した。
「カレーが残っているのよ。食べない?」
と聞く。

俺は何と応えればいいのか、突然の申し出にカレーで頭の中がいっ
ぱいになっていく。
「ねえ、おばあちゃん、カレー温めて」
とおばあちゃんに言い、段取りを進めていく。

「いいのよ、遠慮しなくても。主人からも言われているんだから」
と言い、俺を座敷の方へ案内した。
俺は遠慮せずに、カレーをごちそうになることにした。

「おばあちゃん、ほら、この間話していた、山形から来た高校生の
人よ。バイクで事故を起こしたっていう」

カレーを運んできた奥さんの話に、おばあちゃんは、
「山形のどごだっす?」
といきなり山形弁丸出しで問いかけてきた。

奥さんは笑いながら、
「主人の里は山形なのよ。山形の天童市。びっくりしたでしょう、
おばあちゃんの山形弁」
と言っては、おばあちゃんと一緒になって笑い声を上げている。

俺は「K市です」といって、一緒に笑い声の中に入って行った。
何とも心休まる空間であった。
母の実家にでも立ち寄ったような心温まる思いだった。

久しぶりに食べるカレーはおいしく、あっという間に平らげてしま
うと、奥さんがお代わりを出してくれた。
カレーを食べているところに、主人の警察官が帰って来た。

俺は正座して挨拶すると、
「おお、元気そうじゃないか」
とにこにこ顔でいう。
先日の事故処理のときのイメージと違い、普通のお父さんの姿がそ
こにはあった。
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青春の雨音-2-19

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2005-01-04 11:16:41
俺は予定外の事故に遭い、突然に箱根の芦ノ湖湖畔でキャンプをす
ることになってしまった。

事故現場からすぐ近くに箱根神社があり、その第一の鳥居近くの芦
ノ湖湖畔に適度の空き地があることを発見すると、俺はそこにテン
トを建てたのだった。

事故はかすり傷ていどで済んだことは嬉しいのだが、今回の旅行の
足であるバイクを失ったことは、やはり衝撃的な出来事であった。

俺はテントを建て終えると、命を救ってくれたと思われる箱根神社
本殿に参拝に行った。
そしてまた、バイクが直って来るまでの期間この足元でキャンプを
張らせてもらうこと、そして無事この旅行を終えて山形へ帰れるこ
とを祈願した。

急にぽっかりと空いてしまった穴のような時間に、俺は戸惑いなが
らも、その現実を受け止めるしかないのだった。

早めに飯盒でごはんを炊き、早目の夕食を取ると、俺はベンチに座
り夕暮れの芦ノ湖を眺めて過ごした。

夜になると、焚き火をして寂しさを紛らわした。

夜はネオンに飾られた遊覧船が芦ノ湖に浮かんでいてびっくりさせ
られた。
その遊覧船は観光コースを行き来しているのか、その船の中から、グループや家族旅行者の賑やかな談笑の声が、俺の前を通り過ぎる
毎に、一人で座る俺のベンチまでも届いてくるのだった。
その談笑や音楽の音が、一人でいる俺の寂しさを増幅させた。

これまでのキャンプと違い、この空き地には俺のほかにキャンプを
している人の姿はなく、昨日までと違い、本当に静かな夜だった。
ここはキャンプ場とはなっておらず、箱根神社の境内の一部にでも
なっている地域なのかもしれない。
遊覧船の時間も終わると、静まり返った芦ノ湖湖畔には、漆黒の闇
だけが出現した。

焚き火が消えかかると、空には一面に星がきらきらと輝いた。

俺は一人テントに戻ると、あまりにも多くの出来事が頭をよぎり、頭が冴えてきて、眠れないのだった。

山中にある、静かな芦ノ湖湖畔に打ち寄せる波の音を聴きながら、
家族のこと、友人のこと、高校生活のこと、自分のことなど、これ
までの自分の人生に起こった様々なことを思い返しては、波の音に
重ねて思いを巡らせていた。
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青春の雨音-2-18

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2005-01-02 10:23:30
変わり果てたバイクに比べ、見たところ何ともない事故の当事者の
出現に警察の人も見物の人も、一瞬言葉を失っているようだった。

「君か、…本当に大丈夫なのか?」
と警官はいい、不思議そうな眼で俺の全身を確認してから、
「バイクはあれだけ壊れたのに、よく無事だったね」
といいながら、免許証の提示を求めた。

壊れたバイクを見た俺の頭はパニックを起こし、その後の状況をあ
まりよくは覚えていない。
タクシーの運転手から一度も謝罪の言葉を聞いた記憶もないし、
俺に対して言葉をかけてきたという記憶もない。

ただ、事故の取調べが済んだ後、警察からの要請で駆けつけた近く
の修理業者のトラックが俺の壊れたバイクを荷台に乗せて立ち去っ
たこと、その後パトカーに乗せられて近くの交番へ連れて行かれ、
そこで詳しい事故の調書が取られたことだけは覚えている。

タクシーの運転手は交番にも現れず、事故当事者間の面談もないま
ま取調べが終わった。

俺は当然、飛び出してきたタクシーの一方的な過失だとばかり思っ
ていた。俺の方に落ち度はなかったと。

ところが、取調べが終わってから俺が交番の警察官に訊ねると、
「向こうは君がブレーキも掛けずに突っ込んできたというんだよ」
とタクシー側に有利な発言をしている。
「わき見でもしてたんじゃないのかってね」

俺はくちびるをかんだ。
悔しかった。

「まあ、どっちもどっち、っていうところかな」

俺は、悔しさで、また涙があふれ出そうな気持をこらえていた。

「しかし、よく来たね、遠い山形から」
と警官はいい、今度は俺を慰めようとした。

俺の若さと、無傷なのをいいことに、タクシーの運転手は自分に
都合のいいように警官にいったのだと思った。
あらためて大人のずるさが腹立たしかった。悔しかった。

「家の方には、一応確認のため警察から電話をしておいたから、あ
とで君も電話したらいいよ」
「心配していたぞ、お父さんも、お母さんも」

壊れたバイクの方は、この町に1件だけある自動車修理工場へ運ば
れて、修理されるのだと警官は言った。
「修理にどれくらい日数がかかるのか、何か親会社が長いお盆休み
に入ってしまったので、部品が手に入るかどうか分からないという
んだよ」

「そこでだが、君はこれからどうするつもりなんだい?」
「ここで旅行を打ち切り、汽車で山形の家まで帰るのが一番いいん
じゃないのかな。バイクは後で送ってもらえばいいんだし」

実は、俺も、これからどうすればいいのかを考えていた。

考えたあげく、とりあえず2、3日中にバイクの修理のめどが立つ
と修理工場では言っているということもあり、その日まで待ってか
ら結論を出すことを伝えた。
それまでは、芦ノ湖畔の空き地でキャンプをすることにしたのだっ
た。
そういうと、交番の警官は、
「そうか、じゃ、時々は顔を見せなさい。この交番に。でないと
心配だから」
といって、やさしい顔で笑うのだった。
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RAG FAIR Yosuke Hikichi

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