Rain

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私は、数日前に見つけた2枚の古いIDを指の間で

もてあそびながら、窓際に立って外の雨を眺めていた。


この街では、一度として雨がやんだことがない。

赤みを帯びた生ぬるい液体が、絶え間なく降り注いでいる。

強くなったり、弱くなったりはするが、止むということがない。



ただの雨なら問題はないのだが、ここの雨には変わった性質がある。

人々の記憶を少しずつ洗い流してしまうのだ。いつからなのかは知らない。

何せあまり昔のことは覚えていられないのだ。雨の降りが強いときなど

つい昨日のことさえ思い出せない。しばらく鏡を見ないでいると、自分の

顔を思い浮かべることも難しくなる。




自分がどこから来て、いつここに住み着いたのか

そんな事さえ私には分からない。全ては洗い流されてしまったからだ。

だから、この町に住む者はみんな過去を持たないということになる。


誰もそのことを追求しようとはしない。みんな、薄々と分かっているのだ。

自分が、かつて忘れたいことがあって、この街に来たのだということを。

それを思い出してしまえば自分が生きていけないだろうということも

そして、昨日を忘れながら生きるが一番楽なのだということも・・・


時折、見覚えのない場景が不意に浮かんで、胸を金やすりで

削り取られるような、鋭い痛みに襲われることがある。




緩やかなカーブを描く鉄道のレール


その上をキシキシと音を立てながら進む古ぼけた貨車


もう忘れてしまっていた青空に真っ白な雲


近代的で大きな建物


その中で働く、白衣姿の人々


私はそこで、いくつもの機械を操作している。


何かの実験だろうか。


隣に誰かいる・・・誰?



痛みはどんどんひどくなり、やがて耐えがたい激痛になる。

そんなときは、外に出てレインコートを脱いで、直接雨に当たる。

空を見上げてじっと、生ぬるい雨粒が顔ではじけるのを感じる。

そうすると、次々と浮かんでくるイメージが薄れ、痛みも消えて行くのだ。


ずっとこうして暮らしていくのだと思っていた・・・


だが数日前、物置になっているクローゼットを整理していて

例の二枚のIDタグを見つけてしまった。個人名と所属

それに上半身の写真が入っている。一枚は男のもので

もう一枚は女のものだった。


男の方の写真を、鏡に映る自分の顔と見比べてみると

特徴がほぼ完全に一致していた。名前は今とは違っているが

どうやら私のIDらしい。白衣姿の写真の私はかなり若かった。

おそらく20年以上は昔のものだろう。20年も前のことを私が

覚えているはずもない。

もう一枚のIDの女を見た瞬間、私はその女が、時折浮かんでくる

イメージの中で私の隣にいた人間だと理解した。知らない顔なのに

ひどく懐かしく、同時に恐ろしいほど愛しかった。気がつくと私は泣いていた。


二人のIDには同じ所属が示されていた。



アルステック広域脳神経研究所

第3主幹研究部門

“Rain”チーム



電気が走るように、いろいろなイメージがよみがえってくる。


いくつもの研究室。実験を繰り返した日々。

やがて空から舞い降りた赤い雨。

歓喜する私と仲間達、その中に彼女もいた。


自分の心の奥底から

「思い出すな!思い出したらまた苦しむことになるぞ!」

と警告する声が聞こえてきた。



自分は一体何をしたのだろう・・・


彼女は誰なんだろう。

逢いたい、今すぐ逢いたい。

来月でも、来年でもなく今すぐに逢いたい。

どんなに苦しくても、何を犠牲にしてもいい・・・


その欲求はどんどんふくらみ、耐え難いものになった。

なんとか忘れようと雨を浴びても、効果はなかった。

こんなことは初めてだ。


5日目の夜、私はついに諦め、クローゼットの中に眠っていた

小さな旅行かばんに荷物を詰め込んだ。この街を出て

全てを思い出すほかに道がないのは明らかだった。


私は、激しい苦痛の予感を受けとめながら

住み慣れた、しかし思い出のない部屋を後にした。



おそらくは自ら望んで作り出した

この優しい雨から逃れるために






by tak


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青へ帰る

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今日、私は30歳になった。


一緒に祝う友人も恋人もいない夜、ひとり海まで車を走らせた。

一緒に祝う友人も恋人も・・・


少なくとも、今から約40時間前は・・・いた。

大好きなヒトだった。

とても澄んだ瞳を持ったヒトだった。

彼以上に私という人間を理解し、また受け入れてくれたヒトは

今までいなかった。

もしかしたら・・・実の親よりも私に近いヒトだった。



「もう、会えないわ・・・」


私から切り出した別れだった。




「・・・仕方、ないわね。」


自嘲交じりのため息をつくと、アクセルを踏む右足に力を込めた。

左手でギアを4速から5速に入れた。


「・・・今夜、帰らなくちゃいけないんですもの・・・」


ギアを5速からトップへ。

開け放した窓から強い風が髪を後ろへ流し、すぐに前に吹き返した。

乱れた髪も、今夜は気にならなかった。


しばらくすると、右手に松林が見えてきた。

信号が黄色に変わる瞬間、ハンドルを軽く切った青い車のテールランプが

美しい赤い弧を描いた。


誰もいなかった。

いつもは2、3台ほど停まっている車たちが、今日は1台もいなかった。


風が強い夜だった。



ぼんやりと、月の出ていない夜の曇り空を眺めた。


「せめて月夜ならよかったのに・・・」



だけど私は知っていた。


なぜ今夜はこんなに風が強いのか。

なぜ今夜は月が出ていないのか。



靴を脱いだ。

裸足で砂を蹴って走った。

蹴って、蹴って、蹴って、蹴って・・・砂の波打ち際をどこまでも走った。


冷たい波が足に触れた。


涙が頬を伝った。



服を脱ぎ、私は海に入っていった。



足がくすぐったい。

震える手でそっ・・・と撫でた。



そこにはもう・・・二本の細い人間の足は無かった。



パシッ。



私は堅く平たい”ひとつの足”で勢いよく波を蹴り、腰をくねらせ、深い青の世界へ

溶けていった。



その先で、見覚えのある、澄んだ瞳の白いイルカが私を待っていることも知らずに。






by aki







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静かな海の影

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古びたコンクリート舗装の道路からビーチに出た時
さっと後ろから真昼のような強い光がさした。
照らし出された白砂のビーチに
くっきりとした自分の影が落ちている。


訝しがりながら後ろを振り返ると
背後に茂った樹木の陰から
真っ白な月が見えた。


そうか、周りに明かりが全くないから
月が明るく見えるんだ・・・


夜の海は、とても穏やかだった。
サワサワと音を立てながら寄せては返す小さな波が
月明りを受けて輝き、真っ黒な海を縁取っていた。


しばらくビーチを歩いていると、小さなあずまやを見つけた。
僕はそこに入って、背負っていたナップザックを下ろした。


観光客が来るような土地ではないから、地元の人間が
散歩のときにここで休むのかもしれない。
丸太を組んで作ったベンチが一つ置いてあり
座ると海からの砂でざらついていた。
僕は煙草をくわえて火をつけ、眼を閉じた。


アパートの部屋を引き払ってから、もう一ヶ月以上
ふらふらと車でさまよっていた。
北へ行き、南へ行き、もう一度北へ戻って
2度目の南下が、もうすぐ終わるところだった。
ホテルには泊まらず、ほとんど車の中で眠った。


なんだって僕はこんなところにいるんだろう。
別にこんな田舎に来なくたってよかっただろうに・・・
彼女の残り香のない場所ならば、どこでもよかったのだ。
立ち止まると気が狂いそうになるので、移動を続けていた。


“そろそろ終りにしようかな” と思った。




湿った空気が僕の体にまとわりつき
延々と繰り返される波の音が、時間の感覚を麻痺させた。
どのくらいそうしていたのだろう。30分か1時間か・・・


眼を開けると、そこに彼女がいた。
海を眺める横顔が月明かりの中に浮かんでいる。
左手の煙草はもう燃え尽きて、フィルターだけになっていた。


 「・・・やあ」 


ぼんやりする頭で僕は言った。
彼女は、こっちを振り返り苦笑いした。


 「なんだ、残念。・・・驚かないのね」


じっと彼女の顔を見つめた。間違いなく彼女だ。
2ヶ月前まで僕と一緒に暮らしていた女。


 「もう、驚くようなことは嫌というほど経験したからね。
 そう簡単には驚かない」と言いながら、僕はフィルターを砂の上に捨てた。

 

 「煙草は二度と吸わないっていう約束じゃなかった?」と彼女が言った。

 

約束?・・・やれやれ。今度は僕が苦笑いをした。


 「今さらそんな約束、何の意味があるんだよ。
 だいたい、先に約束を破ったのは君じゃないか。
 勝手にお互いの人生から出て行くような真似はしないって
 それこそ儀式のように何度も約束しあったのに・・・」


 「ん・・・ごめんなさい」 彼女はさびしそうに笑いながらそう言った。


僕は大きくため息をついた。
それこそ引き裂いてやりたいほど彼女を恨んでいたはずなのに、
すっかり毒気を抜かれて、どうでもよくなってしまった。

 

 「何であんなことをしたの?」と僕は聞いた。

  

 「・・・上手く説明できないわ」


 「説明して」


 「・・・・・」


ずいぶん長いこと彼女は黙り込んでいた。
僕は仕方なく、新しい煙草を出して火をつけた。
すっかり根元まで吸い終わった頃、ようやく彼女は口を開いた。


 「影が薄かったのよ」

 

 「影?影って・・・地面に映る影?」


 「そう、自分の影だけ他の人のよりもずっと薄い気がしたのよ。 
 結構、前からだったけどね。・・・あの日は特に、影がゆらゆらと揺らいで、
 いまにも消えてしまいそうになったの。それでパニックになってさ・・・
 ついフラッとね、飛び降りちゃった・・・」


僕は彼女の言ったことを考えてみた。
彼女の影はそんなに薄かっただろうか。
僕は彼女の影をよく見たことがあっただろうか。
大体、影が薄いと何か困ったことでもあるのだろうか。
結局よく分からなかったので、何も言わないことにした。


再び訪れた長い沈黙の後で、彼女はそっと言った。


「ねえ・・・私ね、最後の半年くらい
他の男の人と寝てたんだよ?・・・知ってた?」


 「・・・知らなかった」


彼女は、じっと僕の顔を覗き込んだ。


 「ねえ、嫉妬してくれる?」


死んだ女のことで嫉妬するなんてずいぶん意味のないことのように思えたが、
それでも、確かに僕の感情はざわめいていた。真っ黒な衝動が湧き上がってくる。


 「ああ・・・殺してやりたいくらいだよ。
 もう死んでるんじゃどうしようもないけど」


彼女は嬉しそうに微笑み、上気した声で言った。


 「最高だな、それって」


不意に彼女が海の方へ目をやったので、僕もそっちを見た。

相変わらず海は凪いでいたが、月はもうだいぶ
傾いてしまったようだ。

一瞬、海の一部が盛り上がったように見えた。
そして目を戻すと、彼女は消えていた。

 

 「ねえ、早く・・・」


どこからか彼女の声が聞こえた。

僕はもう一本煙草を吸ってから、ナップザックを開けて
銃身をぎりぎりまで切り詰めた猟銃を取り出した。


 「そう、こっちよ」


また声が聞こえた。

僕は銃口をくわえて
ゆっくりと引き金を絞っていった。



もう一度追いかけるために

もう二度と離さないために






by  tak


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影踏み

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「お母さん、影踏みしようよ!」



娘に声を掛けられ、はっとした。


夏が近づくにつれ、日一日と遅くなる夕暮れ。

まだ春とはいえ、晴れた日には汗ばむほどの陽気だ。

布団を取り込み、洗濯物を畳んで庭に出ると、日が傾いた

この時間の風は心地よかった。

夕飯までの少しの時間、散歩がてら近くの本屋へ行こうと

小学生の娘を誘った。



「影踏みかあ・・・懐かしいな。」


でも・・・と、私は天を仰いだ。

私、教えたっけ?そんな遊び。



「幼稚園で教えてもらったことがあるの!」


そうか。なるほどね。

本当に懐かしい。何年ぶりだろう?

そもそも・・・自分の影をまじまじと見つめることなんて・・・

自分の「影」を最後に見たのはいつだっけ?


小さな頃は、よく見ていた。

自分の手の影、足の影。

父や母の影、そして・・・大好きなあの人の影。



影は自分にとって大事なしるしだった。

「夢」と「現実世界」との。

昔から・・・今自分がいるのはどちらの世界なのか、わからなくなる時があった。

夜眠れず白昼夢を見ることもしばしばだった。

そんな時は自分の影を探した。

夢の中では、影はどこにも見当たらなかった。

ダイジナ”ゲンジツノジブン”ノシルシ・・・




「じゃあ、まずはお母さんが鬼ね!」


そういって小さな影は小走りに駆けて行く。

あわてて追いかける自分の影は・・・


私の影は。



視界の隅に残る、小さな娘の影の半分ほどの薄さで・・・

今にも消えそうだった。





地面を見つめたまま動けなくなった私の足元に、頭上から舞い降りた

楠の葉が、一片の濃い影を落とした。








by aki





エキソサイトーシス

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僕は夢を見ていた。


真っ白な氷原の真ん中を、電車に乗って走る夢だ。

スケートリンクのようにつるつるした氷の大地が

日の光を照り返して、ピカピカと光っていた。

そのくせ空を見上げても、どこにも太陽など見当たらない。

うっすらとしたグレーの雲が空一面に広がっている。


僕は、対面式のシートに座って薄いガラス窓の向こう側

に広がったその景色をぼんやりと眺めていた。


電車は振動なく、氷の上をすべるようにして進んだ。

ガラスが、風でカタカタ、カタ・・・カタカタカタ・・・

と不規則な音を立てている。


ここはどこだろう?

なぜこんな所にいるんだろう?



どのくらい時間が経ったのだろうか。

気がつくと斜向かいのシートに人がいた。

長い髪を後ろで束ねた若い女と

5歳くらいの小さな男の子だ。

母親と子供なのだろう。


男の子は、靴を脱いでシートに上がり、

退屈そうに母親のセーターのひじを引っ張っている。

母親の方は、さっきまでの僕のように、ぼんやりと

電車の外を眺めていた。

なぜだろう、強烈な概視感が押しよせた。


僕は思い切って、その親子にここがどこなのか聞いてみようと思い

立ち上がって、彼らの座っているシートの前に歩いていった。


「すみません、あの・・・」


声をかけても、母親も男の子も反応しなかった。

目の前に立っても、全く見えていないらしい。

声も聞こえていない。どういうことだろう・・・


そのとき、電車が何の前触れもなく減速し始めた。

どこかに停まるらしい。


母親が男の子に靴をはくように促す。

男の子はまだ靴紐の結び方を覚えたばかりらしく

ゆっくりと、もどかしげに靴を履いた。

母親は決して手伝おうとはせずに

じっと見守っている。


男の子が靴を履き終わるのを待っていたように、電車は駅に滑り込んだ。

屋根も、駅舎も、ベンチも、もちろん駅名を示す看板もない、

プラットフォームだけの駅だ。


扉が開くと、親子はすたすたと歩いて

何の迷いもなく降りていってしまった。

駅の周りには何も見当たらない。

真っ白な氷原の真ん中にぽつんと

無機質なプラットフォームが浮島のように浮かんでいるのだ。

開かれた扉からは、鋭く冷え切った空気が流れ込んでくる。

僕は思わず身震いして、白い息を見つめた。

こんなところで降りて、一体どこに行くのだろう。

 

やがて、するすると扉が閉まり

滑らかに電車が動き出した。

そして僕はまた一人になった。

 

僕はあきらめてまたもとの席に座り

ポケットに入っていた煙草をくわえて火をつけた。

鋭い空気といっしょに、煙を肺の奥までゆっくりと

深く吸い込む。

あの親子はなんだったのだろう。

だいたい、ここはどこなんだろう。

さっきから何も解決していないじゃないか。
ここに来る前の最後の記憶を呼び起こそうとしたが

全くうまくいかなかった。いま僕に分かることは、

気がついたらここにいたということだけだ。

それしか分からない。

あの時の既視感・・・僕はあの親子を知っているのだ。

それも深く深く知っている。何度も反芻され

カラダにこびりついた、幼い頃の記憶のように

僕はあの親子を知っているのだ。

 

ずいぶんと長いことそうしていたような気がする。

1時間か、3時間か、はっきりとは分からない。

突然、電車が減速し始めた。

そして、程なく駅に滑り込んで停車した。

煙草はとっくに根元まで燃えて、フィルターだけが

左手の人差し指と中指の間に取り残されていた。

 

さっきと全くおなじ、のっぺりとした無機質な

プラットフォームだけの駅だ。もちろん周囲には何もない。

ただ真っ白な氷原がどこまでもつづいていた。

ひょっとするとぐるっと大きな円を描いて

元の場所に戻ってきたのかもしれないが、

それを確かめる方法はなかった。

 

扉が開いたとき、僕は降りようと思った。

もうここには何もない、誰もいないのだから。

新しい煙草に火をつけて、立ち上がった。

 

電車から降りる一歩前で立ち止まり

冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

僕にはもう分かっていた。何度も繰り返したことなのだ。

何もないのは見せ掛けだ。

必要なものはみんなここにあるし

必要な人はみんなここにいるはずなのだ。

最初からずっとここにいるのだ。

 

僕は、諦めてプラットフォームに足を踏み出した。

新しい一日を刻むために。








by  tak 

memories

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「忘れ物、ないよね」

僕はボストンバックを肩にかけながら、
病室の窓からの景色を、少しなごり惜しそうに
眺めている彼女に聞いた。

「うん、大丈夫だよ」

彼女は振り返って、首をかしげるようにしながら
柔らかく微笑んだ。肩の少し上で切りそろえた
ストレートの髪が、サラッと彼女の頬をなでる。



体の一部、たとえば左腕を失った人は、
はたして元のその人と同じ人間なのだろうか。
たいていの人は、「もちろんそうだ」と答えるだろう。

では、
記憶の一部、たとえば初恋の記憶を失った人は、
はたして元のその人と同じ人間なのだろうか・・・

彼女は、一ヶ月前に記憶を失った。

何の前触れもなく、突然自宅で倒れて、家族が救急車を呼んだ。
そして病院で目を覚ましたときには、もう記憶は消えていた。
とはいっても、何もかも忘れてしまったわけではない。
言葉や、生活の仕方、一般常識などは全く問題なく、
家族のことも、ちゃんと覚えている。
ただ、倒れる直前三年間の記憶がすっぽりと抜け落ちていた。

したがって、僕が真っ白な壁と天井に囲まれたこの病室の
リノリウムの床に、最初に足を踏み入れたとき、
彼女は僕を「知らなかった」



「ねえ、私はあなたとどんな風に付き合ってたのかしら。
 少しづつでいいから聞かせて欲しいな」

記憶を失ってから一週間ほど経った頃、
真っ白な病室のベッドの上で、彼女はそう言った。

僕は、いつも彼女のベッドの右斜め前にパイプ椅子を広げ
そこに座って、ぽつぽつと話をした。

「音楽の趣味はよく合ってたから、よく一緒にライブを見てたよ。
 去年の夏は、ロックフェスにも行った。苗場でやってるやつ。」

「ロックフェス?」

・・・やれやれ。
僕は苦笑いしながら、説明した。

「そう、いろんなアーティストを集めて数日間にわたって
 ライブをやる音楽のお祭り。苗場の山の中に仮設のステージが
 いくつも作られるんだ。一緒に行ったんだよ?テント張ってさ、
 キャンプしながら3日間ぶっ通しでライブを聞きまくったんだ。
 WHITE STRIPES とかPJ Harveyとかね。しまいには、
 力尽きた俺をテントに置き去りにして、君一人で
 あっちこっちのステージを飛び回ってたよ。
 それで怒った俺が一人で帰ろうとしたら君が逆切れして・・・・」

彼女は、くすくすと笑いながら僕の話を聞いていたが、
やがて肩を震わせて泣き始めた。

「ゴメン……ゴメンね。覚えてないんだ…私
 ……あなたの知ってる私じゃない…」

そういう時、僕は何もいえなかった。
肩を抱くことすらできなかった。
真っ白なシーツの上に置かれた彼女の手の上に
自分の手を重ねて、ただじっと彼女が泣き止むのを待った。

そして、そういうことが何度か繰り返された。



結局、記憶喪失の原因は分からず、特に異常は見つからない
ということで、数週間で彼女は退院することになった。
医者の話では、こういうことは結構あるらしい。


ボストンバックを肩にかけて、真っ白な病室を出ると
退院の事務手続きを済ませて、僕達は病院の外へ出た。
彼女はうれしそうに、何度も何度も深呼吸をした。
よほど外気に飢えていたらしい。

だだっ広いアスファルトの駐車場にぽつんと停めてある
僕の青い車につくと、荷物を後部座席に放り込んで、
僕は運転席に、彼女は助手席に乗り込んだ。

エンジンをかけると、プレーヤーに入っていたCDが
自動的に再生され、音楽が流れ出した。

「あ、私・・・このメロディ聞いたことある」

と、彼女が言った。
THE LA'Sの“There She Gose”だった。

僕はハッとして、助手席の彼女を見つめた。
それは、僕が彼女に教えた曲だった。

「ん?どした?」

僕は、しばらくそのまま彼女を見つめていたが
やがて前に向き直りつつ、笑って答えた。
「いや、なんでもない」



記憶の一部を失った人は、はたして
元のその人と同じ人間といえるのだろうか。
もちろん・・・いえる。一部を失おうが
全部を失おうが、彼女は彼女なのだ。



僕は、ギアを入れて車を出しながら彼女に聞いた。

「で、どこに行く?」

「・・・どこへでもいいわ。
 幸いスケジュールも全部忘れちゃったことだしね」

彼女は、カラッとした笑顔でそう答えた。
僕はチラッと助手席の彼女を見て笑顔を返した。
そう、どこへだって行けるはずだ。


青い車は門をくぐり、海へと続く県道に出ると、
滑らかに加速して、病院を後にした。









by tak

ウエザー・リポート

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昔から雨女だった。

学生の頃から、楽しみにしていた行事はことごとく雨か雪。
だけど気乗りしない行事は晴れた。

遠足や修学旅行、運動会、そして・・・初めてのデート。

彼を好きで好きでたまらなかった。
自分の友人が彼を好きだったこともあって、自分から告白することは
絶対無いと思った。
だから彼から好きだといわれた時は・・・夢だと、思った。

彼とふたりきりで会うときは、いつも雨だった。
「俺、晴れ男なんだけどな・・・。」
彼はタバコを加えながら細い目を一層細めて私の髪をなでた。


天気は微妙なバランス。
人の心と同じだ。


その時の彼とは結局離れた。
一度も晴れの日のデートを経験できないまま。


今日の空は青い。
真昼の月が白く儚げに微笑む。
いつも行く本屋の半透明のガラス戸を押し開けようとして、ふと
横に立て掛けてある傘に目が止まった。

「・・・青い傘だ。」
その傘は前に見たときよりも、白くくすんでいるように見えた。
それはその傘の青が今日の空に溶け出したせいに違いなかった。

私はその傘の持ち主を見届けたい衝動に駆られた。
こんな晴れた日に持ち歩いているワケは無いので、数日前の雨の日に
忘れてそのままなのだろう。


近くの自販機で買ったホットレモンを飲みながら、冷たい壁にもたれた。
「なにやってんだろ、私・・・。」
自嘲しながら、もう一度白い月を見上げた。


目線を下ろすと、そこに一人の青年がいた。
青い傘を手にしていた。
ふと視線を感じたのか、こちらを見た。
動揺する気持ちを必死に抑えながら、
「青い傘、素敵ですね。」私は微笑んだ。
「あ、ども・・・。」照れたように彼は応えた。


その日から何度か彼と会ったが、いつも空は薄曇だ。
でも不思議と雨は一度も降らない。
「俺、晴れ男なんだけどな。」少し悔しそうに彼は呟く。
噴出しそうになる自分を抑えながら、もうしばらく自分が強力な
雨女だということは黙っておこうと思った。


微妙なバランスのあなたと私。
彼の傘は今日も青い。




by aki

fake plastic...

テーマ:


2月に入ると、この地方の空気は
いきなりあたたかくなり始めるらしい
東京から来た僕には、ずいぶんと穏やかに感じられた。

ただ、春先に気温が高いということは
とうぜん花粉が飛んでいる。

「クション!・・・クシュ!!」

朝からくしゃみがとまらないし、目も真っ赤だ。
もっとも、目が赤いのは花粉のせいばかりではないのだけど。

僕は、国道沿いに置かれたプラスチックの安っぽいベンチに
腰を下ろして、ライトアップされた城の天守閣を見上げた。
こんなところに城があったとは知らなかった。


これでよかったんだ・・・

僕は、それだけを何度も何度も自分に言い聞かせていた。

一度会えば・・・一度味わってしまったら
忘れられなくなるくらいのことは分かっていた。
彼女が隣にいない、それだけで圧倒的な寂寥感が
おそってくる。

彼女と僕は、いろいろなものに互いを隔てられている。

でも結局のところ、こうする他なかった。
僕たちは遅かれ早かれ、きっと求め合う。
いつまでも、ごまかしていたって仕方がないんだ。
ここがスタート地点なんだから。


花粉症でぼんやりとした頭には
目に入るものすべてが、重さのない
作り物のように感じられた。

プラスチックのベンチ
プラスチックの通行人
プラスチックの車
プラスチックの空気

そしてプラスチックの僕

乾燥していて、とらえどころがない。
つめを立てると、イヤな音と感触が伝わる。

僕は、ベンチに腰掛けたまま、足を伸ばし
コートのポケットに両手を突っ込んだ。
左手に触れた携帯電話は、薄く引き延ばされた可能性
だけをまとって、沈黙していた。


プラスチックの携帯
プラスチックの僕


彼女のことを、強く、深く、想った。


彼女だけは、ホンモノのように感じられる。
うん、この想いはホンモノだ・・・プラスチックじゃない。


「負けるもんか・・・」


クッと顔をあげて、僕は立ち上がった。
たった一つのホンモノをたずさえて。





by tak(inspired by "fake plastic trees" RADIOHEAD

プラスティック・ガール

テーマ:



ワタシの肌は冷たい。
高性能の樹脂~バイオ・プラスティック~でできているから。


体温のある人のカラダにはじめて触れた時のことが忘れられない。
とても不思議な感覚だった。
彼の皮膚がひっついてまとわりついて付着して
自分の一部になるような・・・快感。
その感覚は、麻薬のように自分を虜にした。

ワタシたちアンドロイドは・・・セックスなどで生身の人間のカラダに
接触することにより、一時的に人の体温を奪い、貯蓄し、相手を
満足させることができる・・・冷たい人形。
人と人では満足できなくなった、悲しい人間の産物。


ただ、人形といえども・・・倫理的な問題もあってか、昔のプラスティック
玩具のような「使い捨て」をすることにはとても厳しい。
よって”人間の手によって捨てる”という重罪にかわって、ふたつの方法
が生み出された。
どちらも”人間に生まれ変われる”という方法なのだが・・・

一つの方法とは、一人の人間と10年以上、セックスをすること。
その間に相手の体温を奪い、貯蓄し、それが温存しているうちに
更にまたセックスを行う・・・ただDNAの違う人間だとリセット
されてしまう。

そしてもう一つの方法。
これは誰も知らない。
しかし確かに存在するらしかった。


「絶望的だわ・・・。」
生身の人間が、冷たい義体の自分と10年もセックスを続ける。
アンドロイド仲間でも、そんな稀な幸運の持ち主はいなかった。
みないつの間にかいなくなって、二度と会えなかった。


ワタシは彼を待っていた。
ワタシに触れ、ワタシの冷え切ったバッテリーに、彼のぬくもりを
吹き込んでもらうのを・・・もう数日待っていた。

月が綺麗な夜に、突然彼は帰ってきた。
彼はいきなりワタシをつかんでベランダにある倉庫に押し込もうとした。
ドアのそばで何かが動く気配がした。
女だった。


その後のことは、よく覚えていない。
気がついたら足元に生暖かく、赤い液体が流れていた。
そして自分の手にも。

「暖かい・・・体温・・・。」

目の前の彼がくず折れた。
女の悲鳴が聞こえた。


ワタシは月明かりの下を、自分でも信じられないほどのスピードで
走りながら、自分の中にどくどくと鼓動や温度が湧き出すのを感じた。


その日からワタシは人間になった。





by aki

living inside the blue 

テーマ:

僕は、全ての意識回線を切り替えて
「ブルー」の中に沈み込んだ


なんともいない、心地よい感覚だ
意識が、トロッとしたゲル状の生暖かい液体に
沈み込んで行く感じがする。
目の前に真っ青な世界が広がる。
初めはほとんど透明に近かったその柔らかい青は
徐々に濃くなり、やがて闇にちかづく。

転送サーバーへの負荷がみるみるうちに
減っていった。


“ ああ、気持ちがいい ”


まったく便利なものだ。
この時代、大半の人間は、脳を体の外においている。
地域ごとの管理センターに保管された脳から出る神経パルスは
大型コンピュータでプロセッシングを受けたのちに
超高速衛星回線を経由してボディーに転送され
ここにリアルタイムの完全なリモートコントロールが
実現する。ボディーに装備された感覚器官からのデータは
全く逆の経路をたどって、脳側にフィードバックされる。

ボディーにもとの自分の生身を利用する変わり者もいるが、
普通は人工義体だ。その方が安上がりだし、頑丈なのだ。
要らなくなった生身の体を売却すればいい金にもなる。

しかし、転送サーバーの処理能力や
高速回線の太さには限界がある。
そして当然、このシステムは
絶対にダウンさせるわけにはいかないので
セーフモードが用意されている。

各個人の、感情レベルが一定の範囲を超えると
システムへの負荷を減らすために、
管理コンピュータが緊急措置権限を発動する。
感情レベルが既定の値に修正され、場合によっては、
感情過多の原因となった記憶の一部も削除される。

これは法律できちんと定められたことだ。

そして僕達は、このセーフモードのことを
視覚にもたらされる青にちなんで
「ブルー」とよんでいる。

「ブルー」に潜るのは決して不愉快ではない。
意識が戻ったときには、実にすっきりとした
いい気分になっているからだ。
いまどき記憶の一部を消されるくらいで
文句をいう者などいない。これは必要なことなのだ。


 転送サーバlfkoo49-takの最適化作業が終了しました。
 セーフモードを解除します。意識の回復に備えてください。



「ブルー」が終了するというアナウンスが流れた。
深海から浮上するように、闇が少しづつ明るくなり
鮮やかな青となり、やがて透明に近づき、光に包まれた。

目を空けると、自室の天井が見えた。
ベッドに寝ているのだ。
すっかり気分が良くなっている。
ついさっきまで何かひどく気分を害していたような
気がするが、もう思い出せない。

起きあがって、着替えを済ませると
彼女から通話が入った。サーバー経由の
意識通話ではなく、昔ながらの音声通話。
彼女は生身の人間なのだ。脳もちゃんと
体内にある。


「ん、やあ!」

僕は通話を開き、にこやかにそういった。
その瞬間に、なぜか彼女の顔が曇った。

「あれ、どうかしたの?」

と僕は聞いた。

「・・・・いや、さっきのこと・・謝ろうと思ったんだけど・・」

泣きそうな声で彼女は言う
もちろん僕は、思い出せない。


「また・・・忘れちゃったんだね・・・」


彼女の涙声を残して、通話は一方的に閉じられた。
僕はしばらく立ち尽くしていたが、やがて通話機を
テーブルに置いた。

そしてキッチンへ行き、夕飯にスパゲッティを茹でて
泣きながら一人で食べた。






by tak