前回、『英文解釈教室』が受験英語の考え方を根本から変えるほどのインパクトを持った参考書であると述べた。
それは過激なまでに英語を英語の順番で処理して読むということにこだわった点、そして、その処理を従来の学校文法の枠の中でなしとげた点にある。
もう1つ特筆すべきは網羅性である。
『英文解釈教室』以前のように、文法的に説明できない構文を「熟語」として丸暗記する方法で受験に出てくる英語をすべて網羅すると、膨大な時間がかかる。
それに対して、『英文解釈教室』はそれを熟語ではなく、英文の語の順番がなぜそのようになっているかを説明したので、暗記すべき事項をそれまでよりぐっと減らしたうえで、なおかつ、網羅性を拡げた。
したがって、『英文解釈教室』を1冊読めば、受験英語レベルで「全く見たことがない」という英文に出会わなくてすみ、持っている知識でなんとか意味がとれるようになる。
しかし、そのことをきわめたがために、犠牲にしなければならないものが2つある。
1つは、解説のむずかしさである。
従来のように(そして現在も主流であるが)、英文から一歩ひいて、「ここが主語、ここが動詞、ここは目的語で、この部分はこの前の名詞を修飾する」などと説明すると、日本人にはたいへん理解しやすい。
これは伊藤氏が「絵を見るように英語を読む」と批判したやり方である。『英文解釈教室』は英語を英語の順番で理解することにこだわっているために、そういった一歩ひいた解説を禁じ手にしている。
するとどうなるか。
あくまで解説は英語の順番にそってなされる。
「この部分は主語と考えられる。すると動詞はここのはずだ。しかし、別の可能性がある。なぜなら・・・・」といったような、選択肢から何か1つを選んでいくような解説にせざるをえない。『英文解釈教室』の場合、「まずこう考える」が、「こうなったら、前の考え方は訂正する」というやり方をとる。「可能性が大きい読み方」から「小さい読み方への修正」というかたちで一貫している。
『英文解釈教室』の(というより、伊藤和夫の)回りくどさと理解しづらさはここに発生する。伊藤氏が何をやりたいかわからない読者は「いいから早く正解を言え」といらだつ。
絵を見るときはどんな見方でもできる。離れて全体像を見てから、タイトルを見て、部分を見ても良いし、逆でもなんでもできる。
だが、ことばを読むときはそうであってはいけない。音楽を聞くように読まなければならない。音楽は、順番を変えたり逆に回したりすれば別の音楽になってしまう。英語を読むときは絵を見るようにではなく、音楽を聞くように読むべきだと伊藤氏は言う。
もう1つの欠点は網羅的なことから発生している。
『英文解釈教室』の目次を見てもらうとわかるが、章の順番は、英文において処理すべき順番に並んでいる。動詞のあとに名詞が来たら、まずそれが何であるかと考え、ほかにどんな選択肢があり、どういう場面でどう最初に決めたものを修正するかといった、まさにその順番に章の中の節が並んでいる。
見る人が見れば、その過激さと先進性はわかるはずだ。
だが、それを網羅的にやると、受験英語レベルではほとんど見ることがないような構文まで、ほかのよく出会う構文と同じレベルで学ばなければならなくなる。
原書を読んで一生に何回かしかでくわさないような特殊な構文とIt is ... for ~ to Vといった必ず見るような構文が同じ本の中でならんでしまうわけである。
極端な例であるが、『英文解釈教室』に一種のいびつさが本質的に含まれていることは否めない。
「伊藤和夫はむずかしい」と言われる場合、それには2つの意味がある。単純に例文とられている英文がむずかしいという意味と、難しい構文がどんどん出てきてむずかしいという意味がある。
前者のむずかしさは繰り返せばなんとかなる。それに対して、後者はいわば不必要にむずかしくしているという意味でのむずかしさであり、本質的なものである。
しかし、こういった短所を考慮しても、『英文解釈教室』がその完成度でトップにある名著であることはゆらがない。とくに英語を教えるひとには、これ以上の本はないはずである。
伊藤氏は、こういった『英文解釈教室』の短所を『ビジュアル英文解釈』という参考書で軽々と乗り越えてしまうのだが、それは別の機会にゆずりたい。
今となっては、『英文解釈教室』は思考するのが好きなおとなのため参考書である。これを当時は高校生ががんばって読んでいたわけだから、かつて日本人学生の読解力が高かったこともうなずける。
『英文解釈教室』はいまや大学受験生が読むこなすのはむずかしいかもしれないが、短期間で大人向けの英語を読めるようになりたいひとには、いまだに追いついた本がない価値の高い参考書であると言っていい。
(この項終わり)
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