死産した意味を考える。 | 今を生きる~死産からのスタート。

今を生きる~死産からのスタート。

2011年11月28日。初めての子供を臨月で死産しました。
半年後、妊活開始。
2013年6月人工受精にて妊娠。
2014年3月戸籍上の長女を出産。
2015年7月数回の人工授精にて妊娠。
2016年4月(事実上)第3子を出産予定。

最近、健康の為歩いています。
ぼちぼち1時間くらい、距離にして約6キロです。

この歩く以外に何もすることがない一時間。
ついつい考えてしまうのは「どうして娘は死んでしまったんだろう。」と、いうこと。

何か、理由があったのか。
もしくは、ただの事故的に起こったことなのか。娘の死に意味はあったんだろうか?

おもわず考えてしまう。


妊娠3ヶ月の頃。
小さな子供を葬儀に出す夢を見た。
縁起でもないと思った。当時、切迫流産と言われていたから私の思い込みだと思った。だけど、その7ヵ月後、本当に娘の葬儀を出すことになってしまった。正夢になってしまった。


娘を妊娠中。
義母が脳梗塞で倒れました。現在はケアハウスで暮らしています。
脳梗塞が原因で、身体のバランスをとることが難しくなってしまい、歩行器なしでは歩けません。

去年、まさか嫁に来て一年で義母の介護が始まるのか!?と内心ひやひやしていました。覚悟はしていたものの目の前でコトが起こると焦るものです。

でも、話し合いの結果、「育児と介護は両立できないだろう」ということで義母にはケアハウスに入所してもらいました。(結果、ケアハウスの入所で本人も大満足だったけど・・・。)

多分、娘がおなかに居なかったら、今頃私は義父と義母の世話に明け暮れてノイローゼになってたと思う。

・・・もしかしたら、まだ来るのは早かったけど、私が大変な思いをするのを、娘が助けてくれたのかもしれない。そんな自分勝手なことも考える。


死産してすぐ、姉が離婚した。
不妊治療の末授かった娘(3歳)と生まれたばかりの息子(7ヶ月)。
離婚の手続きや不動産の手続き・・・あまりにも大変すぎて1ヵ月半、手伝いに行った。地元を離れることができて、私もいい気分転換になった。
事務手続きが得意な私は、姉の離婚手続きや子供の世話で大いに役立った。

すべてのことが終わって、姉が言った。
「あの子が生まれていたら、私はこれを全部一人でやらなくちゃいけなかったね。多分無理だわ・・・。」

死んでくれてありがとうという意味ではない。
だけど、娘が居なかったから、私が手伝いに来ることが出来たのは事実だ。


私をまだ母とは認めてくれなかったのか・・・。
未熟すぎたのか。


私の妊娠をいち早く当てた方が居る。
アメンバー記事では一度書いたことがあるけど・・・。

その方が「あさちゃんは、もう母親の顔になってるね。いつ妊娠してもおかしくないね。あとは、心と身体の準備が整ったらきっと赤ちゃんはくるよ。」と。

そう言ってくれた。

それでも、まだ理由を考えてる。
母親検定とやらがあれば、是非受けたい。一級合格したらもれなく妊娠できます。そんな検定あったらいいのに。


・・・本当はちゃんと分かってる。
理由なんてない。偶然、そして、突然娘は居なくなってしまった。
何人の産婦人科の先生に聞いても「その状況じゃ、事故のようなものだね。」という。

結果、今私はこうやって時間をもてあましてる。
子育てに費やすためだった時間を・・・。

そんなコトを考えてたら、あっという間に一時間が過ぎてしまう。力が入りすぎて思わず歩幅も広がる。

最後は、いつも思う。
「もう、考えるのはやめよう。」って。

そして、次、もう一度子供を抱けるときが来たら、そのときはその子になんて声を掛けてあげるんだろうって。

死産してすぐのときは「おかえり」って声を掛けてあげたいと思っていた。
でも、違う気もする。娘はもう居ないから。
どうやって声をかけてあげたら良いんだろう・・・。



そんなことを思いながら歩いている。

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