自分は深夜が好きです。

人の気配の少なくなるみんなが寝静まったちょうど今は午前3時。

こんな時は心が安らぎます。

仕事の前日は早寝しますが…

ところで何故もともと鬱々な自分がこの仕事についたのか?

きっかけはきっと母方の祖父にあるのだと思います。

自分の祖父は肺ガンで5年程前に亡くなりました。

自分は生まれてすぐから両親共働きなので母方の祖父母に預けられる事が多く

最初は電車で20分ほどのところに私たち家族は住んでいたので

電車で母親の実家のある駅に自分を連れて行き駅で祖母が自分をおぶって

母は仕事へ、祖母は一日中子守りをしていたそうです。

祖母曰く「不憫な子だ…」と思っていたそうです。

2歳で母方の祖父母の家のある近所に引っ越してきて

保育園へも祖父母が良く、迎えに来てくれていたことを今も覚えています。

その時自分はどうやら一人で待っている事が多いらしく

ますますかわいそうな子だと思ったと言っていました。

でも幼い頃の自分は両親が仕事が忙しかったり下の兄弟優先で自分が甘えられなくても

祖父母から無上の愛を受けていたと心から思います。

だから大きくなってもいつも気付くと近くにいてくれた祖父母の事が大好きでした。

それは今も変わりません。

そんな祖父が末期の肺ガンだと分かったのは10年くらい前でしょうか?

余命半年と言われましたが6年間生きてくれました。

近所に住んでいるにもかかわらずなかなか会いに行かない自分は

祖父が弱っていく姿を見たくなかったのでしょうか?

仕事が忙しかったのと気持ちにゆとりがなかったのも確かです。

でも会おうと思えばいつでも行けたはずです。

でも家にいる頃の祖父はベットで起き上がってとても元気そうでした。

祖父が死ぬわけないとどこかで思っていたのも確かです…

そして祖父が亡くなる1週間前病室で見た祖父は

自分が知っていたおじいちゃんではなくなっていました…

すっかり痩せ衰え意識もなくただ眠っているだけでした…

おじいちゃの手を握りながら話し掛けても答えは返ってきませんでした…

何で、もっと早く来なかったのだろう…

テニスを教えてくれたり一緒に近所のお寿司屋さんに食べに行ったり

おじいちゃんの大好きなラーメンを一緒に食べたり…

ものすごくかわいがってもらったのにおじいちゃんに何もしてあげられなかった…

その思いが強く心に残っていました。

そして臨終の時(夜の11時ごろだったと思います)病院に自分以外の家族は集まっていました。

自分は携帯が鳴っている事にも気付かず仕事の後の食事で相方とラーメンを食べていました。

そして家に帰ってくると

弟「なんで電話に気付かないんだよ!おじいちゃん死んじゃったよ!」

自分は唖然としました…

大好きなおじいちゃが亡くなる時自分はのんきに食事をしていた…

そして時はたち、前の職場を辞めた後何も考えていなかった自分は

ふと祖父の家に訪問入浴の人が来てくれていた話を思い出しました。

あばあちゃんが「魔法のように居間がお風呂になっておじいちゃんもとても喜んでいたのよ…」

ネットでいろいろ調べて行くとヘルパーという資格があり、

資格ををとるのにお金を助成してくれる制度があることを知りました。

よくわからなかったので、ハローワークに行き教えてもらおうと思ったら

訓練校というものがあって失業保険をもらいながら

半年間通えば資格を無料で取得する事が出来ることを知りました。

(この資格があればおばあちゃんの介護に絶対役立つ!

おばあちゃんこそは自分が面倒を見るのだ!と心から思いました。)

倍率は大体いつも10倍くらいだそうです。

狭き門だけどやってみる価値はあると思い

勉強できる期間は短かったのですが必死に試験勉強をし、

無事合格する事ができました。

そして悪魔のような半年間の訓練を受け、いざ就職となった時には

心がくたびれていました…

通い始めてすぐ授業中異様に眠くなるので内科に行き無呼吸症候群では?

と尋ねに行くと若くて標準の体格のあなたには当てはまりません

精神科の薬が影響しているのかもしれませんから

そちらの先生と相談してくださいと言われ、


精神科の先生と相談はしないで独断で薬を飲むのをやめ

『半年間気合と根性で乗り切ろう!』

と今思えば無謀な事だったのですが…

薬を飲むのをやめてしまったのですね…

(自分を診てくれている先生が火曜日の午後のみの先生であった事と

他の曜日の先生に診てもらうのは嫌だったという事もあるのですが…)

突然服薬を止めるのはよくないことは知っていたけどどうしても資格がほしかったのです。

そして切羽詰った気持ちになっていた自分には先生と相談する心のゆとりもなかったのでしょう…

そしてその心のゆがみがちょうど就職活動のときに一気に現れました。

学校の先生は就職率UPの為に

「国のお金を使って今までの授業を受けて来れたのに就職しないなんて許しません!!!」

自分は「国は今まで何もしてくれなかったのに初めて自分にしてくれた事がこれです。

もう何もかも嫌なので今は働きたくありません!!!」

と涙ながらに毎日のようにケンカになり、

(いつも元気で笑顔な自分が泣いている事にまわりの同級生はビックリしていましたが…)

結局補佐の先生の説得に根負けした自分は一度家に帰り、

近所の事業所に飛び込みで面接を受けに行きその場で即決でパートのヘルパーになりました。

卒業式の前日の事でした。

(後から聞いた話によるとどうやらその時の面接官は

自分をサービス提供責任者に将来的にするつもりでいたそうです。)

資格はヘルパー2級、1級、精神障害、難病患者、上級救命士とたっぷりとらせてもらっていたので…

しかしながらそとづらは良くとも内面はボロボロでしたのでいろいろ理由をつけて

最初は週2回の勤務で働く事にしました。

そして1年以上が経ちます。

学校を卒業した後、精神科の通院を再開し、

浮き沈みはありながらも最近ではだいぶ状態は落ち着いてきています。

(時々ものすごく具合が悪くなる事もありますが…

おばあちゃんは今年80歳。なのに自転車で元気に走り回ってとっても元気です。

具合が悪い事があれば近所に住んでいる自分たちがいつでもいける体制は整えてあります。

でもまだまだ介護の必要は全くなさそう…

確かに既往症はありますがそれでもものすごくビックリするぐらい元気です♪

長生きしてほしいけど必要になったらいつでも呼んでね♪

その為に色々な症例の人と関わり合って修行を積んでおきますから(^_-)-☆

そしてこうやって祖父母の愛情に包まれて育ったからこそ

お年より相手の仕事が好きなんでしょうね



追記 この記事にたどり着く方が多いようなのでよかったらこの記事も読んでみてください↓


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