日々、リーガルプラクティス。

企業法務、英文契約、アメリカ法の勉強を
中心として徒然なるままに綴る企業法務ブログです。
週末を中心に、不定期に更新。
現在、上場企業で法務を担当、
米国ロースクール(LL.M.)卒業し
CAL Bar Exam合格を目指しています。


テーマ:
ブログ「企業法務マンサバイバル」で、管理人のHashizumeさんが「コモンロー型法務への転換」と題した投稿をされています。それを読んで、ふと思い浮かんだことを。。。(確か前も同じようなトピックで同じように絡んだ気がしますが、、、)

自分も、米国法の勉強や実務を通じて、弁護士や法務担当者として努めるべきことの大枠は、日米間でも大差がない気がしております。ただやはり最も大きな違いは、陪審員制度から生じる努力すべき方向性の違いではないかと思っています(これも確か、以前同じような発言をした気がします)(なお、これは完全に私見です、あしからず。。。)。

米国の弁護士・企業内のインハウスロイヤー(米国では各州の弁護士倫理規定上、企業内であろうと、法律業務は有資格者しかしてはいけないことになっています。例として、Model Rules of Professional Conduct §5.3参照。)が常に気を向けているのは、やはりこの陪審員制度及び陪審員による心証形成に関してであるかと思います。当然、日本でも裁判官の心証形成を考えて弁護士の方は日々対応されているかと思いますが、成文法の国で、かつ裁判所の統一性のレベルが高い日本では、その心証による結果の相違の振れ幅は、米国の陪審員のそれと比べると、やはりだいぶ狭いと考えています。

そのため、米国のLitigation Lawyerたちは、適用されるCase Lawの調査は同じチームの弁護士やアソシエイト又はパラリーガルに任せ、日々黙々と陪審員の心証形成をいかによくして、またいかに相手方にとって自社がその観点から有利な立場にいるように見えるか、ということを意識しながら、どう好ましい和解案を獲得するかなどを考えている方が少なくないと思います。逆に陪審員が絡まない事例(独禁法関連等)となる場合には、過去の行政の判断過程や裁判所等の判断内容及びその理由の分析・検証などがより深くなされると思いますので、「何を深く分析・検証・検討する必要があるか」という判断をする場面でも、陪審員裁判制度が実務に大きな影響を与えているはずだと考えています。



裁判官の心証形成と陪審員の心証形成の違い


なお、米国の弁護士も当然、裁判官の心証形成も意識しているかと思いますが、例えば連邦裁判所の場合、ディスカバリーなどの全ての手続きが終わり、法廷での陪審員裁判が始まらないと、メインの裁判官は出てきません。例えばMotion to dismissやMotion for Summary Judgmentなどの各種申立に対する決定はメインの裁判官が行いますが、恐らくほとんど書面上で下される決定のはずです。それまでの両当事者との各種やり取り(Status hearingやDiscovery Schedule等)は、原則Magistrate Judgeが担当するはずで、逆にMagistrate Judgeは、陪審員裁判には一切関わりません。こうしないと、陪審員裁判の前にメインの裁判官の心証形成に影響を与え、米国連邦憲法修正第6条や7条で保証されている陪審員裁判を受ける権利の毀損に繋がるからだと思われます。

そして、陪審員裁判の前にメインの裁判官の判断で裁判の行方が大きく左右されるのは、Motion to dismiss、Motion for judgment on the pleading、Motion for summary JudgmentなどのDispositive Motion(請求棄却や判決など、裁判の結果に直結する申立)だと思います。そしてこの時の心証形成には、判例の影響はかなり大きくなるはずです。また和解に向けた調整をするのはMagistrate Judgeの役割で、Magistrate Judgeの判断はメインの裁判官の判断を予想するための最も大きな材料でもあるため、Magistrate Judgeの心証形成にも当然気を使いますが、これについても、判例の影響は大きいはずだと思います。

しかし一方で、陪審員の心証形成に関して、関連する判例を研究することにどういった意味があるのでしょうか。



陪審員裁判中における判例の影響度合いの(相対的)低さ~判例法の国における逆説性


陪審員裁判に判例がどう関わるかというと、実は最も大きなポイントは、裁判官が陪審員に与えるインストラクションだと思います。陪審員が判例を考えられるわけはないので、判例を踏まえて、裁判官が陪審員たちに説示(インストラクション)をしますが、ここに判例が大きく関わってきます。

例えば、通常民事訴訟では、争点となる事実の有無等の判断は、"Preponderance of Evidence Standard"で判断されます。つまり、原告側が証明したい事実がある可能性が、ない可能性よりも少しでも上回っていれば、その事実があると認定してよい、という説示を、裁判官が陪審員にするわけです(多分、陪審員が専用の部屋で評決を決めるために議論(Deliberation)する直前にこういった説示がなされることが多いかと思います)。

しかし、例えば名誉毀損(Defamation)の事例で、役人とか著名な人に関する発言とか記事やはたまた社会的関心に関わる発言や記事が、事実と異なり、それによって被害を受けた人がいる場合、当該被害が回復できるためには、表現の自由との関係で、発言者に意図的な害意(Actual Malice)があることを、被害者である原告側が"Preponderance of Evidence Standard"ではなく、"Clear and Convincing Evidence"(Preponderance of Evidenceよりもより蓋然性が高いことが求められるが、刑事事件の証明で求められる"Beyond Reasonable Doubt"蓋然性よりは低くてよい)で証明しないといけない、という確固たる判例があります(New York Times Co. v. Sullivan, 376 U.S. 254 (1964))。ですので、そういった事例では、裁判官が陪審員にそのような説示が出されますが、そんなクリアな基準ではないので、結局明快に陪審員の心を捉えることができるかがポイントとなります。この基準を満たした事実認定が出されることが難しいことを理解して、新聞社は、役人や著名人に関する報道は、ある程度強気になっていると思いますし、逆に原告側の弁護士は、まさにそこをついて、色々な事実や新聞社側の姿勢を陪審員に見せようとするわけです。そういった意味で判例を研究はしますが、正直、陪審員の心証形成に直接的に判例が関わるか、というと、日本より相対的にその度合いは低いのではないでしょうか。


これ以外に、判例が陪審員裁判中に大きく影響するとすれば、証拠の取り扱いに関してでしょうか(刑事事件でより問題となるかと思いますが)。陪審員裁判では、陪審員が提示された証拠をそのまま鵜呑みにすると、誤った事実認定がなされる恐れがあるケースがあるので、一定の証拠は裁判官によって陪審員裁判前(例:Motion in Limineによる証拠提出の差止)や陪審員裁判中に除外されるように、連邦法及び各州の証拠法にてこれらのルールが成文化されていますが、ここに対する判例の役割も相当大きいものとなります。ここは主に裁判官が判断する事項のためです。例えば、刑事事件で被告人のAとBが殺人の容疑で共犯だと検察から主張されている中で、Aが「あれはBがやった」という証言を法廷外でした場合、この証言に証拠能力はあるでしょうか。「法廷外での発言を当該事実を認定するために証拠として提出した場合には証拠能力がない」とするHearsay Ruleの例外として(説明は省略)、証拠能力が認められそうですが、、合衆国憲法修正第6条で認められている「自己に不利な証人と対審する権利」の要請から、当該証人が法廷に出頭して法廷で証言しない限り、その法廷外の発言の証拠能力を認めない、という判例で確立されたルールがあります。根拠法は合衆国憲法修正第6条(及び民事訴訟手続規則の403条等)ですが、これが確立されたのは、判例によります(Bruton v. United States, 391 U.S. 123 (1968))。このような意味で、証拠法とその関連判例の研究は重要ではあるかと思いますが、民事訴訟の場合はその重要性が若干落ち、その分、陪審員が提出された証拠や各当事者の証言からそのまま事実認定をすることが増えるので、陪審員の心証形成がますます重要になるかと。

もちろん、上記のような事項以外でも陪審員裁判中でも判例が大きく影響する場合もある(例:ディスカバリールール違反の制裁に対する判例と陪審員説示)ので、一概には言えませんが、やはり日本のそれと比べると、陪審員裁判に突入すれば、米国において判例の相対的な重要性は低いと個人的には考えています。そういった意味で、判例法の国でありながら、実は他のコモンローの国に比べて、判例の重要性が相対的に低くなるのが、コモンロー米国法の逆説性なところでしょうか。



だから米国の証拠法や訴訟手続法の勉強にこだわる


そういった観点からすると、弁護士や企業法務が行う努力の大枠は日米間で変わらないとしても、米国法に関連して本当に微妙な事案で物事を判断するには、陪審員裁判に特有な証拠法とか訴訟手続法を理解していないと、先行的な対応はできないのではないか、という気がしております(だからデポジションの話題も過去に取り上げてみたのですが。。。あ、そういえば、当該シリーズの最後の投稿を忘れていました。。。近日投稿します。)。ですので、そういった陪審員裁判を意識した観点(逆に陪審員裁判にならない行政事例も当然意識する)で、企業法務担当者も弁護士任せにせずに、事例に応じて自社の弁護士に情報を与えるべきだとも思っています。

更に、判例の勉強において結構重要だと思うのは、例えば自社が検討している法的課題が仮に裁判までいった場合、争点となる事項が"Matter of law"か"Matter of fact"のいずれかで、裁判官の判断となるか、陪審員の判断となるかが変わるので、自社が問題としている課題や争点が判例上、"Matter of law"か"Matter of fact"のいずれの事項と判断されるのか、こういったことを判例で研究することも実務的には大事な気もしております。

なので、自分は米国の証拠法とか民事訴訟法を勉強するのが好きですし、きちんと学んでおかないと損ではないか、と思っています。民法やその他の法律で各国における相違がだんだんと小さくなってくる(?)なか、そしてビジネスの更なる複雑化とグローバル化によってより細かい事実認定が重要となってくるなかで、今後米国や海外の法律を勉強するにあたっては、このあたりの分野がより重要になってくるのではないか、そいういった気が、単なる予測ですが、しております。

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