作文・読解力など国語力向上 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室のスタッフブログ!

作文・小論文・読解力など国語力UPのための塾。横浜市保土ヶ谷区にある学習塾ラーニング・ラボのスタッフブログです。教室での出来事、教育ニュース・新聞記事・書籍についてのコメント、当塾オリジナルの「基礎講座」で作成した生徒の作品なども発表します。

横浜の個別指導・グループ指導学習塾・作文教室 学習塾ラーニングラボ横浜天王町教室


「テストで点が取れるだけ」「入試で合格できるだけ」「偏差値が高いだけ」の学力に
未来はあるのでしょうか?

「自分で課題や目標を決めて、自分が考え、自分で答えを出す力」こそ、
これからの時代には特に必要な力です!

残念ながら、その力は今までのような「テストのためだけの学習」では身に付きません!



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シリーズ第3弾、解禁!!



と、おおげさにいってみましたが、
「学校や塾の先生にだめにされないための学び」
と題した動画の編集がただ3本で終わったので、
これがラストです。

ぜひ第1弾から見て頂けるとうれしいです。
つながっているので…。

 【過去記事】
  学校や塾の先生にだめにされないための学び①
  学校や塾の先生にだめにされないための学び②


記事に直接コメントくださったり、メッセージをくださった方、
本当にありがとうございます。


顔も知らないあなただけど、
やっぱり直接メッセージをもらえるとうれしいです。


「共感!」
「ごもっとも!」
「わかる~!!」


って言われると励まされます。

もちろん反論とか「それは○○じゃない!?」というご指摘も
うれしいです。

だって、「ことば」はその人の一部だから、
それを僕に目がけて届けようって思ってもらえたこと。

それ自体がとても有り難いことです。

もしかしたら直接顔を合わせることはないかもしれない人だけど、
「ことば」と言っても画面に表れた文字だけなんだけど、
それでも、その先に「あなた」がいるんだ、と思うと、
やっぱりうれしいですね。


そして、できれば、できればでいいのですが、
その「共感」を身近な誰かともシェアしてみてください。

特に、お子さまをお持ちの方、
教育とか保育とかに直接、間接問わず関わっている方、
ぜひそれぞれの価値観や教育観をいま一度見つめてほしいです。

オトナはもういいかもしれない。

でも、子どもはこれからなんですよ。

「先生」がこれまで自分が経験してきたことを、
ただ再生産するだけでは、時代に取り残されてしまうかもしれません。


けっこう責任重大ですよ。


それは、○○高校に入れなかったとか、
□□大学に入れなかったとか、
そんな単純な話ではありません。

もちろん、進路を切り開く際に出身大学が関係する場合はあります。

それによって閉ざされることはなくても、
かなり不利になる、などということはあるでしょう。

ふらっと入った大学では、
自分が興味を持った分野の研究をしている先生が
いなかったなどということもあるでしょう。

それでも、人生というレベルで見たとき、
もしかしたら、それらのことはほんのささいなことなのかもしれない。

いや、大事なことがきちんと大事にできてきた人にとっては、
周囲の環境によって人生が狂うなどという選択をしないのではないか、
とすら思うのです。

そんな風に歩めていけたら、どんなかたちであれ、
素敵な人生が歩めると僕は思うのですが。


あなたはどうですか?


つねに誰かに言われるまま、誰かや何かを過剰に意識して、
自分はあずかり知らぬところで自分のことが決まる。

そんな人生を積極的に歩みたいと思いますか?


結果そうした歩みをする時期などもあるでしょう。

人間、たった一人で生きていけるわけはないのですから。


でも、もしかしたら、子どものときに、
学生のうちに、きちんと「自分磨き」をしていれば、
たとえ、時代や環境が変わっても、
自分を持ち、強くかつしなやかに生きていける。


僕はそう信じて、
目の前の子がそうなれるように、
今日もほんのちょっとお手伝いをするだけ。




※ぜひご感想をお聞かせください。
 
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https://youtu.be/D2tn3Us7TQs




学校や塾の先生にダメにされないための学び
続編です。

言いたいことは割と↓こちら↓で言いつくした感があるので、
【過去記事】学校や塾の先生にダメにされないための学び①

合わせて見てもらえるとうれしいです。



昨日行った現場でも、

「先生、明日小テストあって、宿題もあるから、
 先にそれやっていい?」

「いいよ。やりな」

なんて一幕がありました。


明日はどうやら英語の新出単語のテストがあるのだとか。

宿題はそのための課題も兼ねていると。


よくよくその宿題を見てみると…



出たーーーーーーッ!!




英単語1つの付き10回以上書く」宿題。


やっぱり多いんですね。

たくさん書かせて提出ってだけの宿題。


まぁまだ英語学び始めの中学1年生ですから、
経験値を重ねる意味でも量をこなすのは重要。


そんなことは分かり切っていますが、
でも、だからこそちょっとは工夫できないものかね。


何とかの一つ覚えのように、
こちらが考えさせられるような、
ハッとするような考えられた宿題ってないものですかね。


案の定というかなんというか、
5回目あたりから完全にスペルがおかしくなり、
間違ったまま何回も練習してしまっているのが、
いくつもありました。

これ、ほんとにヤバイでしょ!?


時間も労力も使って、
勉強という良いことをしているという価値観の元、
ひたすらに行われているのが、これって。


悲劇。


いやいや、悲劇といって済む話ではない。



だから、受け入れてくれる人が少なくても、
でも、大事なことは大事って言えないのはおかしいですから、
言い続けようと思います。



勉強は価値あるものです。

人間、生まれてから死ぬまで、日々是勉強です。


でも、現在主流となってしまっているような、
「テストのための学習」=「テストが終わったら終わりになる勉強」
問題集やテストの解答欄を埋めるのがゴールとなった勉強。

これには価値はない!



ぜひご自分だけでも、時間もお金も労力も費やすことですから、
一度見直してみてください。

ちょっとした意識の変化で、ちょっとした行動の変化で、
生れる成果は大きく変わります。


何より今自分が行っていることが何の価値もないようなものでは、真剣に取り組むことなんて到底できない。

というより、逃げようとして当然です。

嫌いになって当たり前です。



さて、あなたはどうしますか?

それでも「テストのためだけの勉強」をしていきますか?




https://youtu.be/D2tn3Us7TQs
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https://youtu.be/22TuT-69C80




学校の勉強をすることを「悪いこと」と考える人はいないでしょう。

先生の言っていることは「正しいこと」だと考えている人が多いでしょう。


でも、本当にそうなのでしょうか?



もちろん勉強することは「良いこと」でしょう。

知らないよりは知っていた方が、
できないよりはできる方が良い。


でも、それはあくまでも「自分がより高いレベルにいく」ことが目的なはずです。





あなたは、あなたのお子様は、こんな風に勉強していませんか?


「先生に言われたから」
「宿題だから」
「テストがあるから」
「入試があるから」




もちろん、それらの現実に対応することは必要なことです。

それこそが「社会で生きる」ことでもあるからです。


ただし、これらが動機となった勉強は、例えば、

「先生に言われなくなったら」
「宿題がなければ」
「テストが終わったら」
「入試に出なければ」

やらないというものになってしまいます。




…あれ?


おかしくないですか?





多くの人が「勉強は大切なもの」と思っているのに、多くの人は、テストがなければ勉強しないのです。



分かっている人にとってはとても単純なことですが、

でも、多くの場合、それは学校や学校の先生の間でも、

勉強に関する大事な部分が、実は、見逃されてしまっています。


だから、多くの時間をかけて、たくさんの量の宿題をこなし、

先生の言われた通りにやっていても、いや、やっていた方が、

成果が出ない、ということになってしまうのです。





あなたの、あなたのお子様の先生は、こんな課題を出していませんか?


「新しい漢字をノートに1行びっしり練習してくる」

「新出の英単語を10回ずつ書いてくる」



もちろん、漢字などは特に「書いて覚える」というのが大切です。

ほとんど自分では勉強しない人には、
「宿題」という名のしばりを与えて勉強に向かわせる、
というのも、大事なことかもしれません。


しかし、やっぱりここでもきちんとゴールを見ておかないといけない。


ここでのゴールは、

「新しい漢字を覚える」

とか

「覚えた漢字を使える(活用できる)」

というものでしょう。


で、まずは覚えさせるために、
たくさん書いて覚えるというのが「良いこと」だという考えがあるから、
「1行練習」とか「10回書く」という課題が出されるのでしょう。


何と短絡的な、浅い考えなのだろう。



子どもたちはただその苦役のような作業を、

「宿題だから」
「テストがあるから」
「成績が悪くなるから」


という一心でがむしゃらにやります。

こうなると子ども達の目的は覚えることではなく、
「早く1行埋める」ということになってしまうのです。


こうした宿題を出す先生は知っておられるのだろうか。

子ども達は、3回目、3コ目くらいまでは、
意味のある練習になっているけど、
それ以降はただの惰性の作業にしてしまっていることを。


親御さんはぜひそうした課題が出ていた場合、
作業の様子、ノートなどを見てみて下さい。


注意していないと、多くの場合、
3コ目あたりから字は雑だし、
1画違ったり、1文字抜けていたり…

徐々に徐々に間違っていき、しまいには、
間違ったものをくり返し書いていたりします。



はっきり言います。

こんな勉強であればやる意味はない



今までは自分が直接見られる範囲の子どもたちには、
その親御さんにだけは、ちゃんと伝えよう、と思っていました。


でも、もう我慢なりません。



先の宿題の例はほんの一例にしか過ぎません。

一見それっぽいし、「良いこと」のように思えることも、
学校や先生という「権威」、昔からみんなやっているという「慣習」、
そんな枠組みを取っ払うと、実はけっこう無意味なことをさせられています。


もちろん、やる側の意識が違っていれば、
それだって意味のあるものにできます。


でも、それを先生が、勉強歴の浅い小中学生にやってはいけないと思う。


それならば、きちんと勉強のやり方、やる意味、を教えてあげないといけない。


その部分は伝えないのに、テストや成績をちらつかせて、
何の意味があるかよく分からない、
きっと先生自身だってツッコんだらよく分かっていない作業、
そんなことをやらせるのは完全にアンフェア―です。



きっとこの思いに共感して下さる方もいるでしょう。

もしかしたら僕が思っているより多くの人が同じように思っているかも知れません。


でも、多くの人は、先生が付ける「成績」のために、
それすら表に出せずにいるのかもしれない。

もしかしたら、いろんな変なことに気づいているけど、
でもどうしたらいいのかよく分からないという人もいるのかもしれない。


僕自身が直接顔を合わせ、声を届けられる範囲の人には、
受け止めてもらえるかどうかは別にして、伝えてきたつもりです。


少なくとも自分の手の届く範囲で、と思ってきました。



でも、もしかしたら、その範囲を広げることで、

日々の勉強が、
もっと意味のあるものに…
「自分のレベルアップ」にちゃんとつながるものに…
これからの人生を切り拓くための強い武器を手にするものに…



そのようにデキる人が増えるのではないかと思ったら、
「やらなきゃ!」って改めて思いました。



別に自分の正義をふりかざすつもりはありません。

これも一つの価値観です。


「それは違うでしょー」
って思う人もいることでしょう。


でも、少なくとも学校や先生、テストや入試などの、
「権威」のようなものを振りかざして強いる「勉強」なんかに、
僕の価値観は負けません。


だって、僕が考える「本当に意味のある勉強」は、
テストでだって、入試でだって、
学校や先生という価値観の中でだって、
十分に「優等生」にもなれてしまうものです。



別に特別な裏技を伝えようというわけでもありません。

なんなら、僕のお伝えすることの方が、
本来の「勉強のあるべき姿」だとさえ思っています。



「学校」とか「先生」という価値観を疑ったことがなく、
なんとなく「勉強は良いこと」と考えている方は、
ぜひ一度考えてみませんか?

実際のところ、

「なぜ勉強は良いことなのか?」
「なんで勉強するのか?」
「どうやって勉強するべきなのか?」


と。


その時にいま学校や先生から言われれていることが、
自分でも大事なことであったなら、
そのときは、学校や先生の言われた通りに行動するべきでしょう。

それで結果がなかなか出ないのであれば、
それはやり方が間違っているか、量が少ないか、
いずれにしても先生に言われた通りにできていないのでしょう。

きちんと相談するなりして結果につながる行動を取ってください。



ただし、なんとなく学校や先生の投げかけに「?」がついてしまったら、やっぱりそこはうやむやにせずきちんと考え抜いてください。

答えがなかなか出せずに苦しい思いをするかもしれません。

でも、そこから逃げてしまってはきっと良いことは何もないでしょう。


疑問を持ちながら、
良いか悪いかよくわからない作業を、
あと何年も何年もくり返すなんて…

考えただけでゾッとします。



コメントやメッセージをくだされば、
相談にならいくらでものります。

でも、答えを出すのはやはり自分。


その答えを出すひとつの参考資料にでもなればと、
動画を貼り付けます。


以前から親交のある前田塾の塾長先生との雑談を撮ったものです。

ぜひご覧ください。



https://youtu.be/22TuT-69C80

ご覧下さった方は感想を聞かせて頂ければうれしいです。

みなさんは、勉強をどうとらえているのでしょうか?

単純な疑問です。


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新年度、新学期になり、塾を利用しようと考えている方もいらっしゃると思います。

特に、中学校に入学したての方であれば、
定期試験、今後の高校入試などのことを考え、
これまで以上に学習についての不安も多いことだと思います。

春休みからすでに春期講習などを利用したりして、
塾を決めたという方もいらっしゃると思います。


どうやって塾を選びましたか?


紹介キャンペーンがあったから?
成績が良い人が通っている塾だから?




もちろんそういう選び方もひとつです。
それが良い結果をもたらす場合もあります。

しかし、きっかけはそうだとしても、
もっと考えるべきことがあるはずではないでしょうか。



成績の良い人の学習の方法が、
自分にとっても有効な方法なのでしょうか。


仕事柄、学習に課題を持たれている方、
塾を探している方にたくさんお会いします。

プライベートでも友人、知人から多くの相談を受けます。

きちんとお考えの方は、実はどういった選択をしても、
大きく失敗したり、後悔することは少ないような気がします。

しかし、決して少なくない数の人が、
塾業界の論理で完全な「お客様」となってしまっています。



より良い塾に通いたい。
より良い先生の指導を受けたい。

そのために必要なこととは…


塾選びで後悔したくない方
塾選びでもう失敗したくない方

ぜひご覧ください!





【4月12日追記】
※続編も公開されています。続きは↓こちら↓でご覧ください。
塾選びのポイント―後悔しないために知っておくべきこと

(外部サイト【前田塾公式ホームページ】にとびます)
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文部科学省が発表した2015年度の「英語教育実施状況調査」結果に注目!

すでに英語教育については、ずいぶん前から様々な議論がなされています。

文法中心の学習に偏った日本の英語教育は批判の的となり、
リスニングやスピーキングなど会話力を上げるべしという論調も強い。



この調査は、全国の中高生を対象としたもので、
「実用英語技能検定」いわゆる「英検」のレベルに沿った結果が
公表され、新聞報道でも一面をかざった。

高校3年生で「英検準2級程度」以上の英語力を持つ生徒は34.3%、
中学3年生で「英検3級程度」以上の英語力を持つ生徒は36.6%、
だという。



何ということだ。


もちろん、一応英検を基準に考えるとってことで、
全員が全員英検を受けているわけではないし、
都道府県あるいは市町村によっても
ある程度基準にゆれはあるのでしょう。

とはいえ、英検3級といえば、中学卒業程度。

早い人であれば中2の終わりとか、3年生の最初にはとってしまうレベル。

いやいや、そもそも高校入試を突破するレベルであれば、
英検3級はいけるでしょ、というかいっていないと、ね。



だから、結局そうなんですよね。


テストの点、成績など、
そのあたりの数字ばかりを気にしている。

そんな勉強ばかり。

入試も合格という「結果」が大事で、
(いやもちろん大事なんだけど)
そのプロセスや肝心の学習内容の点や、
その知識を自分の血肉化することには、
ほとんど関心が向けられない。

そんな勉強ばかり。

だから、何となく入試は突破して、
上位の学校に進学していっても、
実際にはあんまり実力が伴っていない、
なんてことがごく普通になっている。

英検3級程度の学習は済んでいるからこそ、
「高等学校」に進学できるはずなのに、
実態はそうはなっていないということ。


なんだか、とても不健全だと思うのですが、
みなさんはどう思いますか?


すでに入試というものが意味のあるものとして、
機能していないってことにもなりかねない事態です。



もちろん、英検がすべてではないし、
英語で読み書きができ、
話したり聞いたりできるってことがすべてではない。


でも、これだけ英語教育ってのはふつうに浸透している。

それなら、もうちょっと工夫しないと、
入試やテストのための教科ってことに、
やっぱりなってしまう。


いつになったら、どういう風な結果がでてくれば、
この話題に変化がみられるようになるのでしょう。

きっと僕が中高生の頃からこんな話しているはず。


そろそろ、ね。

なんかしら変わろうよ。

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本日が入学式という方も多いのではないでしょうか。

進学ではなく、進級という方も今日から新学期を迎えていることでしょう。

入学おめでとうございます!
進級おめでとうございます!



さぁ、新たな生活のはじまりです。

新たな学校、新たなクラス、何かと新しいものずくし。

最初は緊張感でいっぱいでしょう。


新年度、新学期のはじまりですから、
気持ち新たにいろんなことにチャレンジしていってほしいと思います。


が、あまり頑張り過ぎて疲れちゃわないようにするのも大切です。


スタートは肝心。

でもあまりにもふだんと変え過ぎて、
心も体も付いてこないというのでは意味がない。

そういう人はたいてい「5月病」になっちゃいますよ。


だから、結局どんな時も、目の前のことに全力で取り組むこと、
これが一番。

めんどくさいって思うことも、
特に勉強のようなことはそうですが、
そういうことを丁寧にやり切れるかどうか、
そこにこそ自分の成長の鍵があります。


めんどくさいことをやりとげるから成長できるのです。

楽なことをやるだけでは人は変われません。
むしろ退化すらしてしまうでしょう。


だからといって、いきなり高すぎる目標をかかげて、
すぐに息が上がってしまうような計画を立てても、
それこそ3日坊主で終わってしまいます。

そんなの不健全です。

日々、その時々があなたの成長ポイントです。


どこかで瞬間的にだけ力を入れても、
その時は良いかもしれない。
でも、打ち上げ花火のように一瞬で消えては意味がないこともある。

だから、変に気負わずに行こう。

でも、大事なことは丁寧にコツコツと取り組むことを忘れずに。


そして、ぜひ本当にいろんなことにチャレンジしてみよう。


「自分なんて…」
「これは無理でしょ!?」
「こんなの意味ない」


なんて勝手に決めつけずに、やれそうなことは何でも。

もしかしたら自分には合わないと思っていたものが、
この先の人生を大きく変えるほど、
自分にとってかけがえのないものかもしれない。

だって、あなたいくつだよ!?

そんなに世の中のすべてのことをやりつくして、
知りつくしているわけではないでしょ!?

自分のこともそう。

大人だって、ふとした時に、
新たな自分を発見することがあるものです。


まだ学生のあなたなら、
きっともっともっとたくさんの自分にも出会えるでしょう。

まだ知らない未知の自分に出会うためには、
未知の何かに出会うしかない。

誰かや何かに出会うことでしか、人は自分を知ることはできません。


だから、この先自分がどうしたいか、どうしていくべきか、将来のことなんかをうっすらと考え始めているのであれば、なおさら、様々なことに挑戦し、まだ見ぬ自分を掘り起こしてみよう!


そんなことを全力でできるのは、もしかしたら今この瞬間だけかもしれない。


もちろん新しい生活というのは、楽しいこと、うれしいこと、喜ばしいことだけではないかもしれない。

ツラい、苦しい経験もいっぱいするかもしれない。

そういう場面に出くわす本人からすれば、
そんな経験いらないって思うかもしれない。

でも、そういう経験も自分が成長するうえでは欠かせないもの。

その場にいる時にはそんなゆとりないかもしれないけど、
でも、辛いな、苦しいなって思ったら、その時はこんな風にも思ってほしい。


あ、きっといま成長している最中なんだ


あなたの新生活が、あなたにたくさんの幸せと、実りをもたらしてくれますように!

そのためにも、あなた自身が励めッ!!


僕もがんばるッ!!
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こんばんは。

今日は、横浜市内の多くの小中学生が終業式。

いよいよ待ちに待った春休みです。

そして、休みが明ければ進級。

新たな学年での新生活がはじまります。


ということは、成績表・あゆみが配布されたはずです。


さぁ、今年度はどんな活動をし、
どんな評価を担任の先生からもらったのでしょうか。

良かったものは継続して、
良くなかったものはどうすればいいのか、
春休みの間にぜひ振り返っておきましょう。


テストの場合も同じですが、成績表をもらうと、
最終的な評価(数字や記号)の部分のみを見る人がいます。

特に、大人はついついそうなりがちです。




もちろん結果は大事です。

しかし、結果の部分ばかりに注目し過ぎると、
肝心なことに目を向けられなくなるおそれがあります。

一向に自分の弱点が克服できない、とか、
むしろどんどん成績が下がってしまうことも。


最近は細かい観点別評価もあります。
それが何を元にしてつけられた評価かは、
実際には担当の先生しか分かり得ません。

それでも、テストや提出物(課題)などが、
その中心になっていることは間違いありません。

つまり、すべては自分自身の行いの結果なのです。


誰がどうみても文句のつけようがないくらい努力していて、
それなのに、誰がどうみても納得できない評価であれば、
それは担当の先生の見る目を疑うべきです。

しかし、自分の胸に手を当ててみたときに、
自分に全く否がなかったか、
胸を張っていえないというのであれば、
そここそが自分の改善ポイントであります。


もちろん評価はある程度正当にされていて、
でも、そのように評価することが良いのか悪いのか、
そういう議論もあるでしょう。

それは闘うべきところかもしれませんが、
すぐにどうこう変わるってことは現実的にはありません。

小中高生にとっては、学校は数年もすれば卒業する場所です。

その場所での評価が多くの場合次の学校への「切符」になっております。

だったら、本意ではなくても良い評価が得られるように行動するのは一つの処世術です。


もちろん、そんな本心ではないことに自分をかけられない、というのも一つの価値観です。

だから、学校の評価などをあまり気にせず、真に自分が目指すものに向かうという姿勢も素晴らしいものだと思います。


ただ、その時にひとつだけ心に留めておいてほしいことがあります。


自分で自分の道を切り開くというのは、生半可な気持ちでできることではありません。

テストで点数をとったり、良い成績を取ることなんて比べものにならないくらいの圧倒的な努力と、運が必要でしょう。

さらに、誰にも負けないくらい圧倒的な努力をしても、必ずしも良い結果が出ず、その努力が報われないこともしばしばなのです。


もちろん、それでも目指すからこそ自分の道なわけで、それを人は夢って呼ぶのです。


だから、そんな文字通り人生かけるような大事な出来事を、単に勉強や成績から逃げるための口実として使わないでくださいね。


よくこういう人がいるのです。


「学校の成績なんてどうでもいいし」
「俺は自分がやりたいことを好きなようにやっていくから」



もちろん、好きなことを好きなようにやっていくのは良いことだ。

でも、その道はいばらの道だってことを分かって、覚悟を決めて進まないといけない道。

それに比べれば学校の勉強なんて、ルールにしたがって、きちんと行動すれば必ず結果がついてくるものなんだ。

だから、勉強から逃げ「自分のやりたいこと」に安易に向かった人は、きっとその「自分のやりたいこと」なんて1ミリも達成できないだろう。

そんな甘いものじゃない。




「なんで勉強しなければいけないの?」
「なんでこんなことしなければいけないの?」


というような発言があるたびに、
僕はいつもこう言います。



「こんなこともできないで、何ができるの?」



もちろん、甘えからくる発言の場合という前提付きですが。

大変厳しい言い方かもしれませんが、
学校の勉強ってのは将来自分が達成したいことに比べれば、
圧倒的に簡単に結果が出るものです。

だから、勉強と向き合う中で自分を磨く訓練をしておけば、
それはきっと将来何かを達成するときの基盤となるはずです。

そのようにこそ勉強はすべきなのです。

だから、逆に、勉強さえしておけばいい、とか、
テストの結果、成績の数字だけを見て、
それが良ければそれでいい、なんて考えもちょっと違うと思います。






春休みなんてのは、あっという間に終わってしまいます。

一年の区切れ目ですから、ちょっと一息入れるのもいいでしょう。

ただし、気が付いたら明日から新学期じゃん、なんてことにはならないように。

新学期を迎える前にちゃんと自分の弱点を克服しておきましょう。


テストが終わったから終わり、成績出たからもう関係ない、なんて言っていたら、あとで痛い目を見ますよ。

学習はつながっています。

今できないものがあれば、次にまた同様の部分でつまづきます。


あとに課題を残せば残しただけ、何倍にも辛さが膨れ上がります。


今、ちょっとしたケアで済むうちに細々と修正しておきましょう。



何か不安なことがあれば遠慮なく相談して下さいね。





P.S.

それにしても花粉がヒドイ。
目がかゆくてかゆくて、
常に泣いている感じです。

あなたはどうですか?


なにか花粉症対策で有効な方法があれば、ぜひ教えてください。
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横浜市の学力・学習状況調査の結果が返却されたと、多くの生徒が結果を持ってきて見せてくれました。

かなりな数の子どもたちが「活用」部分での正答率が低いですね。

最近のテストの傾向ですが、国語などでも図表を用いた問題の出題が多く、まずは問題や資料を整理する力が求められています。

国語に関して言えば、従来は、いわゆる「読解問題」が中心で、漢字や文法(ことばのきまり)など以外は、ほとんどが長めの文章を読んでその内容に関する問題を解くというのが定番でした。

2000年あたりからOECD-PISAが実施され、平成19年からは全国でも学力・学習状況調査が行われています。

学力低下問題などもずいぶんと前から指摘されていますから、細かい調査は必要なのでしょう。


ただ、やはりテストからみには敏感に反応してしまいます。


以前から僕は勉強が「テストのための学習」になりすぎていないか、という問題意識を持っていて、そういった趣旨の発信を続けています。

大学院でも同テーマを中心に研究をしていたので、テストについてはいろいろと思うところがあるのです。


上にあげたOECD-PISAなどは国際的な学力調査で、このテストが注目されたのは2003年。
日本の成績、特に「読解力(正確にはReading-Literacy)」の順位が低下したとき。
「PISAショック」などといって社会的なニュースになりました。
それ以降は結果が新聞の一面をかざるほどにメジャーなニューストピックにもなっています。

その影響も受ける形で全国学力・学習状況調査が復活しました。

最近では、そうした新しい流れのテストが意識され、教室の中でも「活用」や「活動」などが重視される傾向にあります。

従来の知識暗記型の学習ではこれからの時代を生きる力としては不十分だという理由でしょう。


それ自体は何の異論もないのですが、一方でテストがあり過ぎはしないか、という印象を持っています。

もちろん学習状況を把握するにはこまめにテストをせざるを得ません。

しかし、そのテストも、単に成績を付けるためとか、テストがあるから勉強しろ、という扱われ方になってしまっては、いったい何のための勉強なのか、何のためのテストなのか、本来の目的がわからなくなってしまいます。


さらに、中学・高校の定期テストも同じですが、テストを実施したあとの指導者側の在り方は大いに問題があるように感じます。

定期テストだけでなく、夏休みの宿題とか課題提出についても、本当に意義のあるものになっているのか大いに疑問であります。

分かりやすい例でいえば、ノート提出。

近年、学習評価の仕方が変わり、いわゆる「関心・意欲・態度」の部分が重視されてきています。

その観点別評価の基準として、提出物やノート点などがあてられています。


それ自体はまぁ良いとしても、そのやり方ですよね。


どんなノートが良いのか、その子にとってどう使うのと学習効果があがるのか、そのあたりの本質的なことはさておき、形式的に、単に「見栄えが良い」とか、色が使われているとか、そんなレベルで評価がされているのだとしたら(現にそんな印象の先生もいます)、それって本当に意味があることなのでしょうか?

そうした肝心な指導とか、成長やレベルアップへの気付きを与えることなく、単に形式的にテストや提出をしていて、いったいどんな意味があるのでしょうか。

いやいや、それならそもそも先生の仕事って何なのでしょうか。


今回の学力調査も、もちろん生徒本人に対して「これからの学習に活かしましょう」ってことなんだろうけど、同時に指導者側に対しても、「これからの指導に活かしましょう」ってことであるはずです。

多くの場合、テストの結果は生徒が努力をしなかったと、本人の責任にされておわります。

もちろん、本人が努力すべきことです。

ただ、本人が間違った方向に努力していたり、先生の指導の在り方で正しく学習が進んでいなかったという場合は、どうなるのでしょうか。

それでも良くなかった結果はすべて「本人の努力が足りなかったせい」にしてしまって良いのでしょうか。


教育評価という観点で考えれば、テストは生徒だけでなく教員側の反省材料とすべきものです。

どうも日本の学校教育現場では、その点が軽く扱われている印象を受けてしまいます。


頑張っている先生、テスト結果をきちんと次回の授業に活かしている先生には、ごめんなさい。

でも、僕のところに来る生徒は、みんな言います。

「テストが終わったらその学習は終わり」としているのは、生徒だけではなく、先生も同じだと。


年間カリキュラムの問題や学校行事などの問題もありますから、そうそう一つのことに時間を費やせないという現実も分かります。

それなら、単に儀式化してしまっているテストはこの際やらないくらいの英断を求めます。

テストを受ける時間を学習に、生徒それぞれの課題・弱点克服の時間に使いましょうよ。



ま、それがおいそれとできないってことも分かるので、ちょっとむなしいですが… 苦笑


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テストの成績が気になる一方で、中高生の5割が「勉強しようという気持ちがわかない」 年齢が上がるにつれて「得意」が減る傾向も

ベネッセ教育総合研究所が3月14日、東京大学社会科学研究所と共同で実施した「子どもの生活と学びに関..........
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大変興味深い調査結果です。

とはいえ、すでにこのことはさまざまな調査で分かっていることであります。

文科省が毎年実施している「全国学力・学習状況調査」や国際学力調査であるOECD-PISAにおいても、日本の学生は端的に言って、「基礎的な能力は高いけど、学習意欲が低い」という結果が出ています。

これは多くの人が実際に見聞きし、実感されていることのようにも思います。


社会現象や教育問題は教員や関係者の経験則で語られることもあるのですが、この話題に関しては、もういくつもの調査で明らかにされているので、まず間違いのないことなのでしょう。

それが近々の調査でも明らかにされたのですから、やはり教育関係者を始め、子を持つ親御さんはより意識して教育を考えて頂きたいものです。



だって、学習意欲が低いのに能力は高いっていうのは、よくよく考えればたいへん不思議な現象ではないですか?

そんな人が社会に出て、現在ようなの変化の早い、激しい社会の中で、どうやって活躍していくのでしょうか。




意欲が低いのであれば行動が伴わず、学力の形成だって上手くいかない…というのが自然な流れのような気もします。

しかし、日本の学生は「嫌々やっていて、それなりに力はつけている」という状態。


記事にもあるように学習意欲の低い学生もテストの成績は気になる、というのです。

「ここテストに出すぞー」
「ここテストに出るからしっかりやっておけ」


勉強の場面では、こうしたセリフをよく見聞きします。

もちろん僕自身も「テスト対策」を依頼される身ですから、そうした場面では「これはテストに出るから」という投げかけをすることがあります。


ただ、やはり日本においては、テストを過度に意識した勉強が学習のすべてになってしまってはいないか。
実は、それが今回の調査結果が示すような現象をもたらす要因になっていると思うのです。

僕はこれまでも同様の趣旨のことはくり返し語ってきましたし、ラーニング・ラボというのは、そんな問題意識から発信した学びの場の1つであります。



「学習意欲が低いのに学力はある」


テストというものが必要以上に強力な装置として子どもの学習に多大な影響力をもってしまっている。

だからこそ、テストへの意識は高い。

しかし、テストで良い成績を得る以外(以上)に学習をする目的意識はない。

ただし、テストで一定の成績を得ることをしているから、能力はそこそこ高い。


世界に目を向ければ、こんな摩訶不思議な状況は稀有な存在であり、ある意味贅沢な悩みとも言えます。

「勉強したくてもできない」

途上国などでは当たり前に存在する状況です。

でも、だからこそ彼らは非常に意欲が高く、学べる環境があればもの凄い勢いで学ぶ。

だから、意欲も能力も高い。


現在、東南アジア諸国などでは経済的は発展が目覚ましく、学習意欲が高く、よって能力の高い学生もたくさんいます。


日本はアジアの中ではいち早く先進国となり、経済的にも繁栄してきました。

が、もはやいまはその過去の遺産を継承し、何とか経済大国という立ち位置にいるという状態です。


このままではおそらく新興国にその地位を取って代わられるでしょう。

もちろん彼らをリードできる立場にいなければならないわけではありません。

別に世界No1、No2で在り続けることがすべてではありません。


しかし、自ら衰退の一途をたどるのを甘んじて受け入れるのは何となく違う、僕はそう思います。



だからこそ、彼らの勢いで相対的に順位などが変わったとしても、日本は日本でしっかり自分たちの立ち位置を見出し、発展していかなければなりません。

それは僕らが頑張るってことも大事ですが、これからの世代の子ども達にもそうした価値観を持ってもらい、皆が国や地域、世界というものを意識して働いていかなければならないことです。


だから、みなさん。

ちょっとテストとか入試みたいなもの中心に考えた教育を置いておきませんか?

いやいやそんなの急には無理だというのはわかっています。

だから、テストや入試みたいなものに振り回されず、大事な学習がきちんとできるようにしませんか?



このままの状態が進んで行けば、間違いなく日本の社会はぐだぐだになるでしょう。


すでにオックスフォード大学でAI(人工知能)などの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授が、10年後に消える仕事などを発表しています。
約47%の仕事が消滅するとか。

Googleの創業者でCEOのラリー・ペイジも人工知能の発達によって多くの人が今とは異なる仕事に就いていると語っています。

そうした大きな変化がすぐそこまで来ているのに、人間が学ぶことが旧来のままのテストにしばられたもので良いはずがない。


これまでのテストや入試で測られる力の大きな特徴は、情報の記憶量とその短時間での処理能力です。

近代社会を構築するために、日本は近代列強が持つような軍隊と工場が必要でした。
だからこそ、そのための素養を培うことを目的として近代学校が導入されました。

それは戦後にも継承され、日本においては「入学試験」が強い力を持った学校制度が教育の中心に置かれます。
だからこそ「学歴社会」や「学歴主義」などが誕生し、その弊害は1980年代あたりから顕在化しはじめました。

テストや入試は近代日本にとっては良い悪いは別にして必要不可欠なものであったともいえます。

しかし、今はもう、そこで求められる力は何の価値もなくなるかもしれないものなのです。

もちろん、まったく否定するつもりも、するべきものでもありません。

しかし、ギリギリなんとかそれを習得したところで、将来どうにもならないというほどのものなのだという認識は少なくとも持っておくべきです。


20年前であればそれだけで、ある意味安泰な人生が待っていたのでしょう。

学校の勉強を頑張って良い大学に入れば、それで人生上がりだったのでしょう。


でも、いまはもう無理です。


良い大学に入ったということだけではその先の長い人生目をつぶってても良い方に流れるなんて、そんな「幸せな」時代は幕を下ろしました。


だからお願いです。

ちゃんと勉強しましょ。

いや、学びましょ。



なぜ僕がこんなことをいうのか。

その理由はただ一つ。


僕自身が良い社会に生きて、良い人生を全うしたいから。

程度の差や内容の多少の違いはあれ、あなたも同じように考えてはいませんか?


人間は良くも悪くも一人では生きていけません。
多くの人やモノたちと直接、間接的につながって生きています。
生かされていると言っても良いでしょう。

だから、環境が、周囲の人やモノが、社会が世界がよろしくなければ、自分一人が頑張ったって、結果は良いものにはならないのです。

だから、僕は周りの人とともに良いものを目指したい。

「勉強したくない」
「メンドクサイことはしたくない」
「将来!?…特に何もない」


なんて寂しいことを平然と言ってのける子どもばかりが増えるような事態をなくしたい。

そのためにこそ僕は働いているつもりです。

もちろん微々たる力ですから、その思いを日々実現できているわけではありません。


だから、あなたにも協力して頂きたいのです。
だから、あなたにも目を覚まして頂きたいのです。
だから、あなたにもくり返しこうしてご提案しているのです。


みんなで一緒に頑張りませんか!?」と。



何か現状に閉塞感や不健全さ、危険性などを感じ取られた方は、ぜひ考えてみてください。
そして、その考えをぜひお聞かせください。

何かのヒントになればと、以下のようなカテゴリーをつくって気になる記事をストックしたり、情報をまとめています。

ぜひご覧ください。
「これからの時代を生きる力って何だ!?」


そして最後に、やっぱり多くの人に見てほしい。
きっと何かを感じてもらえるはずです。
至るところで引用していますが、しつこくもう一度ご紹介します。




※同様の趣旨でサイトをつくっています。よろしければぜひご覧ください。
 【偏差値が高いだけの受験学力バカにならない学習方法
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先日、こんな相談を受けました。

小学校5年生。
私立中学受験を希望して、週に4~5日塾に通われている男の子。

代々医者の家系で、祖父が開院した個人クリニックを現在父を中心に切り盛りしている。
医師になって将来病院を継ぐのが彼の家族の願い。

彼自身、祖父や父が大好きで、何より医師の仕事にも興味がある。
だから、それは彼自身の願いでもある。

しかし、最近勉強が思うように結果が出ず、苦しんでいるとか。


いろいろとお話を聞いている時に、少々気になる発言があり、こんなことを考えました。



彼にとって、小さい頃から勉強に励むのは当たり前で、だからこそ彼の努力や日々の苦しみは、もしかしたらぞんざいに扱われているのかもしれない。

人間ですから、ましてや子どもですから、上手くいかない時だってある。

正しい方法で、高い志を持って行動していても、うまく成果が出ないことだってある。


もちろん、そこで諦めてしまってはそれで終わり。

しかし、諦めずに、その暗闇の中をもがき続けた先には、きっと希望の光が見える時がくる。


彼のように高い目標に向かって勉学に励んでいる人は世の中にたくさんいるだろう。

反面、それほどの思いはなく、特に疑いもせず、日々勉強している人もたくさんいるだろう。


ある年齢になれば、毎日学校に通い、ある年齢になれば、次の学校への入学試験を受け、さらに日々学校の通う。

20年近くそうした生活をしていくのが、現在の日本ではかなり当たり前なことである。


だから、日々学校に通い、勉強をし、受験で良い結果を出し、良い学校に進学すること…

それは「良いこと」だとされている。


でも、一体どれだけの人が勉強することの意味をきちんと理解しているのだろうか。

「勉強は子どもがより良い人生を歩むために不可欠なこと」といって子ども達に勉強させているオトナたちは、その「勉強」によって必要以上に苦しめられている子どもを見たときに、どう感じるのだろうか。

もちろん、私自身、学習は不可欠だと思う。

自分が、自分の考えで、自分の好きなように人生を歩みたい、そう思うのであれば、余計に学習することは避けては通れない。

ただし、ここでいう学習とは、単に教科の学習だけではない。


ややもすると多くのオトナは学校の、教科の勉強をすることを「善」とし、学校のテストや成績、受験の結果ばかりを注視する。

しかし、私たちは生れてこの方、教科の枠組みなんて関係のないところで、日々様々なことを学習しているのです。

なぜことさらに教科の学習ばかりが、テストの結果ばかりが注目されるのでしょうか。


その暗黙のうちに教科の勉強こそが重要な学習だというパラダイムがあるからこそ、テストの結果が、模試の結果が思わしくない時、教科の勉強に集中ができずにいるとき、こんな発言がでるのでしょう。

「この子はやればできる子なんです」

「あいつはやればできる子なのに…」


もちろん、これは勉強に限ったことではありません。
さらには、これは周囲の彼、彼女に対する期待の現れでもあります。


しかし、その発言が一体誰のためになるのでしょうか。

誰を救うのでしょうか。


苦痛の最中にある彼、彼女が、それによって自信を取り戻したり、気持ちが少し軽くなる、ということがないわけではないでしょう。

でも、上手くいかず、もがいている人間からすれば、この言葉は何の救いにもならないでしょう。

こんな風に思っても誰も彼、彼女を責められないでしょう。

「あんたに何が分かるんだよ!?」



周囲の期待や善意は、時にむき出しの凶器となって彼、彼女により重くのしかかります。

仮にその言葉を信じ、努力をしてみて、それでも上手くいかない事態に遭遇したとしたら、彼、彼女は一体どうなってしまうのでしょうか。


周囲のことばは彼、彼女を励まし、ブレイクスルーのきっかけとなるかもしれない。

その一方で、それが多分に諸刃の剣であることもまた自覚しておかなければならないでしょう。


以前、映画「ビリギャル」について記事を書きましたが「ビリギャル」の中にも、このような「うちの子やればできるんです」と発言する親が登場していました。
その時の塾の先生のリアクションにはたいへん共感を覚えます。

【過去記事】
 「ビリギャル」から教育を考える-親(大人)の役割ってなんだ?



何のために勉強をするのか?

いえ、何のために「教科の」勉強をするのか?


学習者の皆さんももちろんですが、それ以上に、良くも悪くも「教育を受けさせている」オトナたちは、この問に今一度自覚的になる必要があるのではないでしょうか。


「善い」とされることを強く求めることは、はたして「善」なのか。
では、その「善い」とされることに上手く向き合えていないのは「悪」なのか。



これは価値観の問題です。
もちろん、社会的な規範という問題も関わります。

しかし、そうあるべきかはそれぞれ個人や家庭の価値観によって選択できる、いや、選択すべきものです。

私には、私の考え、価値観があります。

それに基づいて日々、生徒たちとの学習をしています。



あなたはどう考えますか?



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