鋭意編纂中です。コメントも大歓迎。
  • 10 May
    • ダーチャ・マライーニ

      「ダーチャ・マライーニのような小説を書いてよ」   と、彼女の台詞は続いた。この言葉も僕は記憶している。単に記憶しているだけではなく、ひとつの謎としていまも残っている。   彼女が言ったダーチャ・マライーニのような小説とは、一九六三年に発表してなにかの大きな賞を取った、『マレーズの時代』のことであるはずだ。マレーズは翻訳しにくい言葉だが、倦怠のほうへ傾いた気味のある不安感や不安定な気持ち、といった意味だ。 (中略)   『マレーズの時代』という小説は、土俗的な世界とすら言っていほどのローマで、土俗性そのもののような人間関係のなかで、さらなる土俗性の発露である恋愛の手練手管を、その微妙きわまりない細部まで本能のように身につけている若い女性が、その本能を発揮していくことのなかに時代のマレーズを感じる、とい うような小説だ。彼女の一人称で書かれている。  片岡義男「ペーパーバックの数が増えていく」より(スイッチ・オン・エキサイト/Excite Japan Co., Ltd/2006年) 

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  • 09 May
    • この、ギターの人

      「この人に会ってみたいわ」   いきなり、ヒトミさんは、僕にそう言った。 「はあ?」   僕は問いかえした。 「この人」   そうくりかえして、ヒトミさんは、天井のむこうのほうを指さした。そこには、人は誰もいなかった。 「どなたですか?」   僕は聞いた。 「この、ギターの人」 「あ」   と、僕は言い、そこからあとは言葉につまった。   さきほどから、店内には音楽が聞こえていた。いまヒトミさんが指さした方向の天井にスピーカーがあり、音楽はそこから聞こえていた。その音楽は、ジャズだった。 「この人に、会ってみたいわ」   ヒトミさんは、僕を見てそう言った。 「そうですか」 「どんな人かしら」 「ジャンゴ・ラインハート」といいます。しかしそれは通称で、本名はジャン・バプティスト・ラインハートといいます」 「知ってる人なの?」 「レコードでは知っていますけれど、会ったことはありません。もう、誰も、彼に会うことは出来ないのです」 「あら、どうして?」 「彼は、一九一〇年に、フランスとベルギーの国境近くで生まれた人です。そして、一九五三年に、亡くなっています」 「そうだったの」 「そうです」 「よく知ってるのね」 「たまたま」   と、僕は答えておいた。 (中略) 「素敵な人ね、このギターの人は」 「素晴らしいです」 「ヨーロッパの雰囲気は、確かに私も感じてたの」 「ジャンゴは、ジプシーでした。幌馬車に乗ってあちこち旅を続けながら、根なし草のような日々を送る、あの放浪のジプシーです」   ヒトミさんは、じっと僕を見た。 「いま聞こえているこの曲は、レコードで買えるのかしら」 「いまでも手に入りますよ」   店のなかに聞こえているジャンゴのLPは、フランスのヴィクターが作った、『ジャンゴロジー』というLPだった。そのLPのA、B両面が、そのまま流れていた。ついさっき、A面からB面にかわったところだ。 「これ、ジャズでしょう?」 「ジャズですけれど、スペインの影響を強く受けたギターのソロですし、フランスのエスプリが加わって、魅力は複雑です」 「コーヒーのお代わりは?」   ヒトミさんがきいてくれた。僕は首を振った。 「もう、充分です」   ヒトミさんは、ほんのりと微笑した。そして、 「ゆっくりしていって」   と、僕に言い残し、むこうの配膳カウンターのほうへ歩いていった。  『撮られる彼女たち』片岡義男著/光文社/1990年 撮られる彼女たち1,153円Amazon 撮られる彼女たち (光文社文庫)461円Amazon ジャンゴロジー~スペシャル・エディション(期間生産限定盤)1,080円Amazon 

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  • 08 May
    • 200年前のご先祖様

        僕の母親の父方を二百年ほどさかのぼると、そこにはひとりの物書きがいたという。これは確かな事実のようだ。二〇〇二年のいまから二百年前は一八〇二年 だ。歴史年表を見ると、伊能忠敬が元気で測量に歩いていたことがわかる。『東海道中膝栗毛』の初編がこの年に刊行されている。   僕のご先祖さまがなにを書いていたかまだ誰も知らないが、とにかく彼は僕にはとても読めないような毛筆の字で、一冊の本になるほどの文章を紙に書き、そ れを木版彫りの職人に彫ってもらっていた。その木版から紙に印刷したのは、そのあとの製本の作業も含めて、ご先祖自身だったのではないか。  何部くらい作ったのか。一冊がいくらだったのか。どのようにして売ったのか。買う人はどんな人だったのか。なにひとつわからないけれど、おぼろげな推測を楽しむなら、それはいくらでも自由だ。   誰もが買うものではなかったのではないか。ある程度以上に裕福な、しかも知的と言っていい階層の人たちが、買ったのではないか。たとえばご先祖は、金持 ちの名家を一軒ずつ訪ねては、新作を買ってもらっていたのではないか。近江八幡を中心に、旧家の蔵のなかを探したなら、一冊や二冊は見つかるような気もす る。読者対象はお寺だったかもしれない。あるいはまったく逆に、『東海道中膝栗毛』の亜流のそのまた亜流のような作品だったら、販路も読者もまるっきり 違ったはずだ。   彼は物書きに専念していたようだ。本業の仕事はしなくてもいい状況だったのだ。ついでだから書いておくと、母親の父方は、聖徳太子までさかのぼることの 出来る、近江八幡の数珠屋さんだ。きわめて実務的な人だった聖徳太子は、地場産業の振興を目標のひとつにし、僕の先祖には瓦あるいは数珠の製造業になるよ う勧めたという。先祖は数珠を選んだ。  片岡義男「仕事相手はいつもひとりの編集者」より(『季刊・本とコンピュータ』2002年秋号) 

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  • 07 May
    • 52番街のチャーリー・パーカー

      『52番街のチャーリー・パーカー』(ファ ンタジー・デビュー・シリーズ。リバティ=東芝LLR-8828)という私家録音盤のLPを聞いてみると、やはりほんとうにおどろかざるを得ない。ライ ナー・ノートにあるように、ごく普通のテープ・レコーダーをつかって録音された、一九四八年春のチャーリー・パーカーの演奏で、レコーディングの専門家が 機材や専門知識を駆使して録音されたものではないのだが、そのことがまたべつの面白い効果をあげている。どこか地下のクラブでパーカーたちの演奏がおこな われていて、そのサウンドが何枚ものドアや壁をこえて聞えてきているような効果があり、はじめのテーマのいちばん最初の音からすでに、パーカーは、聞く人 を驚愕させる。なんともいえない、すさまじく包容力の大きい、LOVINGな音なのだ。たいへんなスリルに興奮しながら聞いているうちに、このような音を出せるアルト奏者とは、いったいどんな人間なのだろうかという、大きな興味がかならず持ちあがってくる。  片岡義男「訳者あとがき」より(『チャーリー・パーカーの伝説』ロバート・ジョージ・ライズナー 著/片岡義男 訳/晶文社/1972年) チャーリー・パーカーの伝説 (晶文社クラシックス)3,888円Amazon Bird on 52nd Street1,291円Amazon 

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  • 06 May
    • 日米関係

      『「帝国アメリカ」に近すぎた国々  ラテンアメリカと日本』(石井陽一  扶桑社)という新書を読むと、ラテン・アメリ カの国々に対してアメリカがどんなことをしてきたか、その歴史の基本的な概要がよくわかると同時に、アメリカがやることに対して心の底から驚愕する。アメリカに対して、きわめて限定的な範囲内での、ひとつだけの価値しか持たない国々は、ほんの一例として、アメリカからこのような扱いを受ける。   日本はまだここまではいってない、と思いたいところだが、その日本はアメリカに対する態度として、「対等な日米関係」などと大人が本気で言っている。日米関係は国家間の問題としては軍事関係だ。そこでの対等は、おなじ程度の軍備と戦争能力であり、そうかい、それはひょっとして核武装のことかい、と常にアメリカに思わせるのが、対等という幼稚で無防備なひと言だ。   長く続いた追従の裏返しとしての、毅然たる態度、というような言いかたの、もっとも無難なヴァリエーションとして、対等という言葉を選んでいる人たちがいる。アメリカにとって、絶対に切り離すことの不可能な、複雑な価値の多面体になること以外に、日本にとってのアメリカとのつきあいかたはない。   片岡義男「歴史という過去が未来をつくる」より (『yom yom(ヨムヨム)』vol.12 2009年10月号/新潮社) 「帝国アメリカ」に近すぎた国々ラテンアメリカと日本 (扶桑社新書)778円Amazon 

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  • 22 Apr
    • 個人的な出来心

      「おまえ、あの女にあったのか」 「女って?」 「扶美子だよ」 「ああ、会った」 「なぜ、俺に黙ってるんだ」 「個人的な出来心だったから」 (『俺のハートがNOと言う』角川文庫/1981年)

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  • 25 Feb
    • 大藪春彦

      なにかの雑誌に出ていた大藪春彦の短いエッセイを、大学の一年生くらいのときに読んだ。ストイシズム、ということについて、具体的に書いてあった。面白おかしく遊び暮らすことこそ最高だと考えていた僕にとっては大いにショックだった。 『大藪春彦の世界』(新評社、1976年)より

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  • 16 Feb
    • ハインツのトマト・ケチャップ

      ハンバーガーというものは、ケチャップをかけて食べるための「台」のようなものであり、ハンバーガーを食べるときの主たる目的は、ケチャップのボトルを何度も手にとっては、ドロリとケチャップをかけ、そのケチャップを楽しみ食べることにある。そしてそのときのケチャップは、ハインツのトマト・ケチャップでなくてはいけない。ほかのブランドのケチャップではいけない。ハインツ以外のケチャップを用いるのは、ものの道理に反した行為だ。 「ぼくならケチャップはハインツ」より (『紙のプールで泳ぐ』新潮社/1988年)

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  • 03 Feb
    • アンソニー・パーキンスが歌った『月影のなぎさ』

      僕がいまでも持っているアンソニー・パーキンスのこのLPは、一九八三年に日本で発売された国内盤だ。FM番組『きまぐれ飛行船』で『月影のなぎさ』をオン・エアしたくて、ひとまずはそれだけを目的にして、当時はどこにでもあったレコード店で購入した。そのことをはっきり記憶している。『月影のなぎさ』は、十七年続いたその番組で、少なくとも三度は、このLPからオン・エアした。 『フロム・マイ・ハート』と題されたこのLPは、一九五八年に録音されたものだという。ボーナス・ソングとしてB面の最後に、『月影のなぎさ』が加えてある。この『月影のなぎさ』は一九五七年の十二月に録音されたというから、ヒット・パレードに登場したのは次の年、一九五八年だった。そうか、あの頃だったか、いまから見るとそんなに遠いのか、と僕は思う。 「ジャケットを見せたい 曲も聴かせたい(第12回)」より (『Free & Easy』2014年3月号/イースト・コミュニケーションズ)

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  • 11 Jun
    • ハンク・スノウ

      スノウはギターの名手だった。ある時代のナッシュヴィルに集った数多くの練達のギター弾きたちのなかでも、群を抜いた名手のなかの名手のひとりだった。アーネスト・タブにくらべると、ハンク・スノウの場合、ギターはより強くより複雑に、彼の分身だった。 歌へ、そしてギターへと、ハンク・スノウを衝き動かしたエネルギーは、彼というひとりの人物にとって生きるエネルギーそのものの核心であり、歌うたびにそのエネルギーを存分に使いきるためには、歌をフィクションに到達させる必要があった。カントリー・ソングはそのほとんどが物語だが、単なるストーリーを越えたところへと昇華させる試みに、ハンク・スノウは成功した。歌というファンタジーを創出させるための、もうひとりのかけがえのない自分、それが彼にとってのギターだった。だから歌のうまさでは、スノウのほうが格段にうまい。自分の歌いかた、特に節回しに、スノウは自身を持っているしそれに陶酔してもいる。 ハンク・スノウのギターの腕前、つまりギターをとおしても歌うという、自分のなかにあるもうひとつの歌声としてのギターが、どのくらい素晴らしいものであるかは、彼のギター・アルバムを聴けばたちどころにわかる。彼が残した数多くの録音のなかで、じつに多くの場合、自分の歌声の一部分として、彼はギターで伴奏している。ハンク・スノウのLPを聴いて、僕をまず強くとらえたのは、彼が自ら弾くギターだった。 「歌と歌声を支えたギターという物語(「買わないことには始まらない」)」より (『ビートサウンド』2009年13号)

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  • 05 Aug
    • あの夏が終わるわけない

      「いったいどこまで旅をするの?」 という彼女の質問を受けとめながら、僕は彼女の足もとを見ていた。細いヒールのある、淡くきれいなブルーの、夏のサンダル。かたちのいい脚ですっきりと軽やかに、僕のオートバイのかたわらに立っていた。夏の日の午後の陽ざしを斜めに受けとめていた。ヒールの影が歩道の上に早くも長くなっていた。僕はせかされた。切迫した気持ちとなった。早くここを離れないと、夏はどこかへいってしまう。 「どこまでいくつもりなの?」 少しだけ言葉を変えた彼女の質問に、 「夏が終わるところまで」 と、僕は答えた。 「あの夏が終わるわけない」より (『MOTO NAVI』no. 29 2007年8月号/二玄社)

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  • 03 Aug
    • 食堂とオートバイ

      『食堂とオートバイ』という本を作ろうとしていた頃をいま僕は思い出している。四十年はたっている。まだ僕が忙しくはなく、したがって相当に馬鹿げたアイディアでも、実行に移すことが出来た頃だ。食堂とオートバイとは、オートバイで日本のあちこちを旅している途中、屋号のなかに「食堂」というふたつの漢字が使ってある店を見つけたら、そこでオートバイを停め、道の反対側からその店の全景を真正面から写真に撮り、道を越えてその店に入り、テーブルにつき、料理を選んで注文し、料理が運ばれて来たらそれを写真に撮り、食べ終えてからおもむろに、店主とその奥さんを写真に撮り、一冊の本を作るんですけどそのなかに使っていいですか、と訊いて承諾を取りつける、というじつにクリエイティヴなアイディアのぜんたいだ。 オートバイによる旅の途中であること。屋号のなかに「食堂」のふた文字がかならずあること。その店でかならず食事をすること。本にするための承諾を得ること。こういった厳守すべき「こと」が二十とおりほどあったが、いまとなってほそのほとんどを思い出すことが出来ない。「食堂」の文字を屋号に持つ店が、たとえばどこかの街道沿いにたて続けにあったら、いったいどうすればいいのか。という問題をめぐって夕方から夜中まで議論が沸騰して結論は出ないまま、というようなことがしばしばあった。 ひとりで日本じゅうを巡るのであれば、ごくおおざっぱに走ったとしても、三段階に分けてそれぞれ半年ずつとして、一年六か月はかかるけれどそれでいいのか、という議論もあった。日本は海岸線の国だから、とにかく海沿いの道とそれに面した「食堂」は制覇しなければならない、という提案は全員が支持した。日本は名前の国だ、という提議もあった。名前の国だとは、カタギリやカタオカ、カタヤマ、カタクラ、カタセたちが日本じゅうにいるから、そのような名前に「食堂」のふた文字がつく店だけを取材の対象にしてはどうか、というアイディアも熱心な支持を集めた。ほとんどこれにきまりかけた、という記憶がある。 しかし『食堂とオートバイ』という本は実現しなかった。オートバイ雑誌の連載でどうか、というところまで下降して、そこで沙汰やみになった。僕がひとりで何年もかけて、という願望はいまも僕の内部のどこかにある。なぜ『食堂とオートバイ』なのだろうか。道に面して食堂のある景色ぜんたいが懐かしいんだよ、と言った男がいた。店の内部、そこで食べる食事、そして店主とその奥さん。初めての場所の初めての食堂でも、そこには懐かしさの要素がすべて完備されている、とその男は言った。 「そしてその他の物語(第18回)」より (『Free & Easy』2012年12月号)

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  • 01 Dec
    • 南 佳孝さん

      その日の夜、ぼくは昼間のままの服装だった。服を着替えるだけの時間的なゆとりが、持てなかったからだ。 夜の7時だか7時30分だかに、南佳孝さんと雑誌のための対談をする約束があった。夜のこういった時期に、初対面の南さんと対談するというのに、ぼくは半袖ボタン・ダウンのマドラス・チェックのシャツを着たままだった。 半袖のシャツに居心地の悪さをすこし感じつつ、ぼくは夏の夜のなかを、約束の場所にむかった。 新宿の駅ビルはいまマイ・シティと呼ばれているが、そのマイ・シティのマイ・エレベーターでマイ八番街(ただの8階のこと)へあがっていき、マイ・プチモンドのマイ個室へいくと、南さんがもう来ていた。 夕食をとりながらテープレコーダーを友に、対談がはじまった。 半袖シャツの居心地の悪さのおかげで、はじめのうちうまく感じがつかめなかったが、すこし時間がたつと、すくなくともぼくとしてはかなり南佳孝さんというひとりの好青年をうまく感じとれるようになっていた。 話をしながらぼくがまず思ったことは、この青年は子供の頃はいい少年だったにちがいない、ということだった。 「生まれ育ったのは、どこですか」 と、ぼくは、きいてみた。 「東京の大田区です」 と、南さんは、こたえた。 うれしさのような気持をこめて、はにかんだような照れたみたいな不思議な微笑をうかべた彼は、 「田園調布ではないほうの大田区です」 と、つけ加えた。 「ははあ」 ぼくは、こたえた。すんなりと納得がいったからだ。1950年代後半から1960年代にかけてのアメリカのポップス、たとえばロッカバラードのようなものが日本で最初にとにかくなんとか根をおろしたと思える土地をひとつあげるなら、それは、田園調布ではないほうの大田区だ、という個人的な説をぼくは持っているからだ。 子供の頃に耳にして記憶に残っている音楽について語ってもらうと、ジョニー・レイの「雨に歩けば」とかマーティ・ロビンスの「白いスポーツコートにピンクのカーネーション」、スリム・ホイットマンの「ローズマリー」など、少年時代の基礎的なお勉強と言うべきアメリカン・ポピュラー・ミュージックをやはりとてもいいかたちでうけとめていたのだということが、すんなりとわかった。 「少年時代をすごしたところは、いまも好きですか」 「好きですね」 「どんなことを記憶してますか」 「雨の日にね」 「ええ」 「舗装した道路に水たまりができるでしょう」 「ええ」 「アスファルトの道路。当時はでこぼこがあって、水たまりがよくできたんですよ」 「知ってます」 「その水のうえに、油が薄く広がって浮いていて、斜めから見ると、きれいなブルーに光ったり、ピンクになったり紫色になったりするんです」 「ぼくもそういう水たまりは好きでした。いまでも好きです」 「そうですか。うれしいなあ」 水たまりも好きだが、それについて気持のよいストレートさで語る青年もぼくは好きだ。 さらにしばらく自分の町について話をしていくと、南さんは東京の、東京湾に近いあたり一帯が好きなのだ、ということがわかった。ぼくも、そうだ。東京湾および東京湾にそった京浜から京葉まで、ぼくは好きだ。 「ガス・タンクなんかも、いいなあ」 と、南さんは言った。 「なるほど」 「ガスタンクのある都会の風景って、不思議に安心するんですよね、見ていて」 原風景が自分にあたえてくれる心のやすらぎ、というやつだろう。 「新宿の西口のちかくに、いまは目立たないけど、ガス・タンクがあるんです。ビルのあいだに丸い大きな球のタンクがあるのって、いいですよね」 どんなふうにいいかは、おたがいによくわかる。 都会というものが持っているさまざまな面白さに関して、南佳孝さんの感覚は、いいぐあいにシャープな状態が保たれている、と言いきっていいと思う。彼に逢うまでは、いかにも流行の都会ふうだったらどうしようか、という不安がなくもなかったのだが、そういったいじけたところも、わかってないシティ・ボーイふうなところもまったくなくて、彼はぼくを安心させてくれた。自分をとりまいているいろんなことの判断に関して、この青年ならば、おさえるべきところはきちんとおさえてはずさないのではないか、という確信にちかいものが、いまぼくにはある。 「はじめて逢った日」より (『THE SCENE: YOSHITAKA MINAMI』April Music Inc./1981年) 南佳孝 オフィシャルホームページ

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  • 29 Nov
    • ハイビスカス・ジャム

      彼は、冷蔵庫のドアを開いた。 半透明のプラスチックの容器が、目の前にあった。容器のなかで冷えているのは水だということは、すぐにわかった。 その容器を持ってテーブルまで歩き、テーブルのうえにあったグラスのひとつに、冷えた水を注いだ。 時間をかけて、ていねいに、彼はその水を飲みほした。冷蔵庫までひきかえし、水の入った容器をなかにもどした。 手をはなすと、ドアは、自重によってひとりでに閉じた。 冷蔵庫の前から歩み去ろうとして、彼は、ふと足をとめた。 もう一度、冷蔵庫のドアを開いた。 たったいま自分がもとにもどした、冷えた水の容器のとなりに、白い小さな壺があった。彼は、その壺を見た。 手にとってみた。手ざわりの良い、陶器の壺だった。 ふたを、とった。なかにつまっているものを、彼は見た。ジャムだということは、すぐにわかった。真紅のジャムだった。 しばらく、彼は、そのジャムをながめた。 そして、なにを思ったか、右手の人さし指を、深々と、ジャムのなかに突き入れた。ゆっくり、その指を抜き取った。真紅のジャムが、人さし指ぜんたいにくっついてきた。 ジャムのついた指の先端を、彼は、口に入れた。ジャムを、なめた。指のつけ根まで口のなかにさしこみ、ジャムをなめた。ハイビスカスの花びらのジャムだった。 「ハイビスカス・ジャム」より (『夕陽に赤い帆』角川文庫/1981年)

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  • 16 Nov
    • ジョン・ニコルズ

      今日は日曜日だ。早朝の六時に起きた。明日は朝の六時に起きようときめて、昨夜は早くに寝たのだ。 起きたら、すでに雨が降っていた。春の、やさしくて静かな雨だ。 朝食のあと、香りの強いコーヒーを飲みながら、深くひさしの張り出した板張りのデッキのうえで、アメリカのアウトドア専門雑誌の半年分、六冊を、楽しんだ。アメリカから届くいろんな雑誌をすくなくとも半年分くらいはためておき、たとえば今日のようにゆっくりと時間をとって楽しむのが、ぼくにとっての雑誌の楽しみ方だ。雑誌だから、いろんな写真や記事がのっている。面白そうな記事をひろい読みし、素晴らしい写真をじっくりとながめたりすると、デッキの外の、樹の多い庭に降る雨が、いい相棒となってつきあってくれる。 (中略) 書評のページには、新刊本の案内が表紙の写真入りで、出ていた。ジョン・ニコルズという作家が文章を書き、自分で撮ったカラー写真をそえた本で、タイトルは『秋の最後の美しい日々』というのだ。ジョン・ニコルズは、『もし山が死ぬなら』という、おなじようなつくりの本で、ぼくは知っている。たいへんにいい本だった。この『秋の最後の美しい日々』も、さっそく注文することにしよう。『ウォールデン』をニュー・メキシコに置きかえたような、達者でリリカルな文章に、美しくよく出来たカラー写真がそえてあり、手ばなしでほめるほどではないが、かなりの出来ばえだと、書評には書いてある。 こんなふうに、気に入った雑誌の半年分をテーブルのうえに置き、コーヒーを飲みながら、ふと興味をひかれた記事を読みつつ写真をながめたりしていると、雨の日曜日の朝は、快適に時間が経過していく。 「雨の日曜日、午後六時から」より (『キャノン・アニュアル/CANON ANNUAL 1983」キャノン販売・キャノンクラブ/1983年6月発行 "The Last Beautiful Days of Autumn" by John Nichols "If Mountains Die: A New Mexico Memoir" by John Nichols

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    • ナイフ

      ナイフはいろんな美しさやさまざまな魅力を持っているが、その美しさや魅力のもっとも深いところにあるのは、よく出来たナイフを自分の手のなかに持った瞬間にふと感じる、うれしさの微妙に加わった懐かしい気持だと、ぼくは思う。この、うれしい懐かしさは、大昔の石器時代にまでさかのぼるのではないかと、ぼくはいつも思う。ものを鋭く切り裂く機能をなんとか自分のこの手に加えたいものだと、自分の全存在をかけて願った石器時代の人々は、石を削ってナイフを手に入れた。いいナイフが出来たとき、きっと彼らは、うれしかったにちがいない。そして、そのナイフを彼らが徹底的に使いこむ日常は、試練に満ちた困難な状況の連続だったはずだ。いまのぼくたちにそんな日常はもうないが、石器時代の懐かしい追憶は、こころのどこかにまだ残っているのではないだろうか。 「僕のナイフ感 ~ナイフの鋭くすっきりとした機能美を見ていると、懐かしい気持になってくる。」より (『KNIVES ナイフ・カタログ』モノ・マガジン7月号臨時増刊/ワールドフォトプレス/1983年7月3日発行

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  • 07 Nov
    • 佐藤秀明さん

      写真家の佐藤秀明さんと知り合って三十数年になる。友人関係はいまも変わることなく続いている。友人関係、と気楽に言うけれど、僕にとって佐藤さんは人生全般にかかわる優秀なお手本だ。こうでなくてはいけない、と佐藤さんを見ていて密かに教わったことの蓄積が、いまの僕の重要な部分を占めている。カラー・リヴァーサル・フィルムによる写真の撮りかたを教えてくれたのも、佐藤秀明さんだ。 「シヴォレー・インパラの真実」より (『群像』2012年9月号/講談社) 佐藤秀明 / 写真集「カイマナヒラ」

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  • 05 Nov
    • 3・11

      過去の日本が遠い想像世界に思えるのは、始まったばかりの日本があるからだ。きわめて危険な状態に放置されてきた原子力発電所が地震と津波で破壊され、その状況ぜんたいへの日本国家の対応のしかたを、とても文明国のものとは思えない、と欧米から言われた、グランド・ゼロの日本のただなかに自分はいるのだから。 「外から見た日本」より (『日経マガジン』No.102 2011年10月16日号/日本経済新聞社)

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  • 14 Aug
    • チャイコフスキー

      杉本は、クライスラーのエンジンを始動させた。ミラーで後方を確認し、発進した。 そして、走りはじめてすぐに、カー・ステレオのカセットの再生ボタンを押した。 リーダー・テープが再生ヘッドを通過しおえると、いきなり、シンフォニーが四つのスピーカーから大音量で車内に放たれた。 芙美子が、おどろいた。おどろきながらも、 「素敵」 と、言った。 長調による序奏主題がすぐに終ると、ピアノの第一主題がはじまった。 「素敵だわ」 芙美子が、くりかえした。 右手をのばした杉本は、音量をすこしだけ低く落とした。 「なんていう曲なの?」 「チャイコフスキー」 「聴いたことのある曲だわ」 「ピアノ協奏曲の第一番。Bフラット・マイナー」 「どうしたの?」 「カセットだよ」 「自分で買ったの?」 「会社の同僚が、くれた。馬鹿なロックよりずっといいだろう」 (『湾岸道路』片岡義男著/角川文庫/1984年)より 湾岸道路 (角川文庫 (5682)) [文庫] チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23

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  • 17 Jul
    • ガス・ステーションのブルース

      「さて。出発だ」 シートにほうり出してあった皮ジャンパーを、ライダーは着た。 オートバイにまたがって、ヘルメットをつけた。 「どこへいくの?」 と、彼女がきいた。 「どこへでも」 「え?」 「どこへでも」 「どういうこと?」 「どこへ行こうと、自由なんだ」 「うわあっ、いいんだ!」 怒鳴るように、彼女は言った。 「とりあえず、どこへいくの?」 「さあ」 と、ライダーは言った。そして、両手に手袋をつけながら、 「海のほうへいこうかな。海へ」 「口惜しい」 と、彼女が言った。 「みんな、どこかへ行っちゃう。私は、ここでガソリンを入れるだけ。こんなエロなミニ・スカートはかされて」 両足で地面を蹴りとばすように、彼女はコンクリートのうえで、ぴょんと飛びあがった。 「ガス・ステーションのブルース」より (『コーヒー もう一杯』角川文庫/1980年) コーヒーもう一杯 (1980年) (角川文庫) コーヒーもう一杯 (角川文庫 緑 371-12)

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