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2006年04月26日(水)

相互理解という便利な言葉

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賑やかな会話の最中でも、それがフッと途切れる瞬間がある。

ダニーさんが僕に話しかけてきたのは、そんなタイミングだった。



「キャンドルの灯は私たちにとってとても意味のあるものなんだ。」


ダニーさんは決して咎めるような口調ではなく、そう言った。

ついさっきまでの陽気な雰囲気とは打って変わって、落ち着きはらったその物腰は優れた教育者のようでもある。


一瞬、何を言い出すのだろう、と戸惑ったのだけど、明らかにダニーさんの視線は僕に向けられている。

僕は少しだけテーブルに身を乗り出して、ダニーさんの方へ向き直った。



「さっき、タバコに火を点けた時のことだけど・・・」

ダニーさんは諭すように話はじめた。


キャンドルはカソリックにとって宗教的に非常に重要なものなんだ、そのともし火をぞんざいに扱うことはこの国において好ましい行為とは言えない、なぜならそんな光景を眼にすると私たちは悲しい気持ちになってしまうんだ・・・この先フィリピンでの旅を続けるならばこの事を忘れないでほしい・・・テツ、わかる?


ダニーさんの話は説教や警告というのとは程遠く、むしろ僕のことを慮ってくれているものだった。

今後行く先々で、僕の無知があらぬ誤解を生じさせないように、そんなダニーさんの気遣いを感じる。


「不快な思いをさせてごめん。」

僕は素直な気持ちで謝った。

知らなかった、という事よりも僕が普段から意識している“旅人としてのマナー”が全くの張りぼてだったような気がして、自分を恥じた。


「いいんだ、別にテツを責めるつもりなんてないんだよ。日本に行けば日本のルールがあるだろうし、それは私たちだって知らないんだから・・・あれっ、こんな例えであってるのかな?」

ダニーさんは笑った。


彼の笑顔は、もうこの件に関する話は終わったんだ、という僕へのメッセージのような気がした。

僕は、ありがとう、とだけ答えた。

傍ではもう別の話が始まっていた。



“日本に行けば日本のルールがあるだろう”、そうダニーさんは言った。

僕は自分の仕出かしてしまった行為の例えを探した。

信仰に関すること・・・

初詣でお寺に行ったとき、もうもうと立ち上る線香の煙を身体に引き寄せるように浴びせている光景をよく見かける。

僕も自然とやってしまう行為だ。


僕のミステイクを少々飛躍させて例えるなら、あの線香が立てられている大きなお鉢(?)にタバコの灰を落としたり吸殻を放り込んだりすることに近いのかもしれない。


そんな場面に遭遇した時、大方の日本人はどのような感情を抱くだろうか・・・

おそらく信仰の深さにかかわらず“なんてバチ当りで失礼なヤツなんだ”と憤りを感じるに違いない。

それが全く悪意もなくただ無知であるだけだとしても。



何だか自分へ向けてのエクスキューズのような例えになってしまったけれど、この出来事で僕は異国をお邪魔している者として、改めて身の引き締まる思いがした。

そして、僕の非に対するダニーさんの紳士的な態度には感謝しなければならないし、彼に学ぶべきところは大きい。


相互理解という言葉は確かに便利だけれど、実体験として落とし込まなければ意外とイメージし辛いのかもしれない。

世間に溢れるあらゆるトラブルを解くカギは、この辺りにあるのだろうか。



とっぷり日も暮れて、宴もたけなわだ。

ビーチにズラッと並んだテーブル、その上には暖かいキャンドルの光りが灯っている。

大好きな光景。


「じゃあ、行ってくるね。」

僕達は挨拶して席を立った。

これから、早朝のダイビングで一緒になったNさんと合流して台湾のことを教えてもらうのだ。


待ち合わせの場所は、ここから眼と鼻の先にあるリゾートのまん前のビーチ。


僕達は、今朝夜明け前と同じように冷たくなった砂浜をゆっくりと歩いた。














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