×

暮らすルーム

 曇り。今日も雨が降るらしい。まだほの暗い。


 わたしは、じぶんよりも年上の生徒さんや、お友達が多い。みなさん、素晴らしい方ばかりだ。年齢を言い訳にしないし、わたしより年上だという理由でえらそうにしたりしない。


 年上のみなさんとお付き合いをして思うことがある。それは考えや生き方を「変える」ということが、いかにたいへんかということである。語学ひとつとってみてもそうである。ほとんどの日本人は英語が話せない。それは、学校教育で「話す」トレーニングを受けていないからだ。わたしも、受けなかったし、それをいまさらどうこう言っても仕方がない。

 しかし、学校で一生懸命英語を勉強したのに話せない、それは仕方がない、と言われてそれをすんなり受け入れることができる人が、一体どこにいるだろうか。難解な英文を読ませられ、教師に当てられ、はじをかかされ、テストで悪い点をとり、叱られ、そんな「苦行」の果てに、「話せない」自分に直面する。それがほとんどの人の現実である。

 だから、勉強の仕方を変えましょう、英語に対するイメージを変えましょう。自分の発想を変えましょう、と言われても、そんな簡単には無理です、というのが本音だろう。おとなになってもスクールに来る人は、だいたいが真面目だ。その分一生懸命勉強してきた人たちだ。だから、「変える」ということはいままでの自分を「否定」するような、「なかった」ことにするような、そんな気がするだろう。そうだろうと思う。

 しかし、すごい人はいる。いままでの自分をためらわずに捨て、何度でも生まれ変わる人がいる。勇気がいる。知恵がいる。根性がいる。


 わたしは、どうだろうか。まだまだである。しかし、わたしは覆されたい。根底から揺さぶられたい。「わからない」の森を楽しみたい。「そこが違う」と言われたい。

 わたしはイダヒロユキ先生のおかげで、今それが出来ている。楽しい。イダヒロユキ先生に出会うまでは、じぶんが今までに付き合ってきた男のイメージで「男」を語っていたし、男と付き合うことは、なにかあきらめることのイメージしかなかった。あきらめたり、あゆみよったり、「分かってあげたり」するのは、女のほうだと。しかし、イダヒロユキ先生という少なくとも「一人」は、わたしの理解できる言葉を話す男性がいる。「一人」だとしても、ゼロよりはいい。わたしのそばにはまだだれひとりいないとしても、少なくとも大阪にいると思えばいい。それは大きな「揺さぶり」だった。


 わたしのコンプレックスは「女性であること」だった。学歴とか、家柄とか、外見とか、そういうのもなくはなかったけど、まずは「性別」だった。間違って生まれてきちゃったんじゃなかろうか、というのが、わたしがずっと思ってきたことだった。だから、男のひととうまくいかないんだ、と。

 イダ先生がいなかったら、わたしは「じぶん」を否定しながら、世の中に適応しようと、必死で「いい人」をやっていたかもしれない。そして、自分やまわりのひとを抑圧し続けていたかもしれない。お化粧し、ブラで胸の形を整え、足が痛くなる靴を履き、「モテ」本を読み、合コンに行きながら暮らしていたかもしれない。自分が不美人であることに真剣に悩み、整形手術を考えたかもしれない。


 揺さぶられて良かった。思い込みの檻から解放されてよかった。真の学問は、人間を解放する。決して抑圧するものではない。それも、イダ先生に、教わった。学びは喜びである。


2010-07-14 08:30:54
Theme: ブログ

Amebaおすすめキーワード