中華の足跡・改

中国から帰り、北海道に暮らしつつ、台湾とつながる生活。

マジメな話からくだらないネタまで、国籍・ジャンル・多種多様。

いざ、情報発信~!


テーマ:

こうして、あっという間に最終月に突入。

はやいなあ、と、誰しもが思うことだろう。

でもたぶん、毎日が充実していればその分、時の流れも速く感じるものなんだろう。

・・・そう思いたい。


12月の回想といっても、今が12月だから、いってみれば現在進行形。

回想も何もないもんだ。

ま、続けてきた流れがあるから・・・。


12月に入って、仕事がなんだか急に忙しくなってきた。

2月に控えた雪祭りの影響が大きい。

それにあわせてツアーは増えるし、その分ホテルは取れにくくなるし、まあその他いろいろあって、いやにバタバタしてきた。

まあ別に、仕事が忙しい分には構わないけど。

ヒマ、という方がタチが悪いかもしれない。

特にウチのような小企業は。

せいぜい忙しく働いて、儲けないと。

まあどうせ、平日家に帰ってから特にすることがあるわけでもなし・・・。


ここ最近は、日本各地で寒波に見舞われていて、災害も起きているようだが、北海道は当然のように寒い。

既に白く染まった街は、きっと春までこのままなんだろう。

最高気温が1度とか2度くらいしかいかないから、雪が溶けないのだ。

溶けないならまだしも、あちこちで氷になると、歩きにくくてかなわない。

街を歩けば、あちこちで転倒者が。

俺も気をつけないと。



さて。

12夜連続放送の「回想・2005年」も、これで最終回を迎えた。

本当に――いろんなことが、あった。

そして――実におもしろい一年だった。

落ち込んだことよりも、楽しんだことの方が多く、

怒ったことよりも、笑ったことの方が多く、

失ったものよりも、得たものの方が多く、

人に迷惑をかけたことより、人の役に立ったことの方が多い。

そんな一年間。


他の方々は、どうだったでしょうか?

いい一年だった、という人は、そのままの流れで来年も突っ走りましょう!

イマイチだった、という人は、忘年会で全て水に流して、新たに走り出しましょう!

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
最近の画像つき記事  もっと見る >>

テーマ:

11月にして、初雪を体験できるとは思わなかった。

むろん、ここ北海道では、不思議な現象でもなんでもないが。

日一日と、気温が下がっていく。

長い季節が――冬が、やってきた。


11月の出来事といえば――まずは、ネットカフェ通い。

好きで通ったわけではないのだが。

日本でADSLを開通させるのに、こんなに時間がかかるとは、正直思わなかった。

申し込みから開通まで、約一ヵ月半。

本当にそんなに込んでるんだろうか・・・少々疑わしくもなるが、是非もない。


ネットカフェですることは、主にメールチェックと、ココの更新なのだが、無料じゃない以上、毎日通うわけにも行かない。

多少更新頻度が下がったのも仕方のないことか。

ただ、少しでも費用を抑えようと、いろいろと考えはした。

時間経過で課金されていくので、できるだけ短い時間で更新をすませる必要がでてくる。

当然、パソコンの前で考え込むのは時間の無駄だ。

ネタを考え、頭の中で文章を作ってから入店し、高速で入力。

――まずは、そういうパターンを作った。

ただ、もっと早くする方法はないか、とも考え――次にとった手段は、家のパソコンで文章だけ作成し、それをメモリーに保存し、それをネットカフェに持っていってコピペしてアップ、という手段だった。

これなら、1分ですむ。

その分、他のメールなどに時間を割ける。


こうして、入店後15分ですぐに105円払って出て行く、という流れが確立した。

だが、さすがにこういう客はめずらしいようで、なんだか店員には、コイツなにしに来てるんだ、という目で見られたが・・・もう行くこともないから、いいとしよう。


それからこの月は、札幌の数少ない友人との再会もあった。

今、この地で、友人と呼べるのは二人。

学部時代の友人と、以前湖南大学で仲良くなった中国人留学生。

11月は、仕事もそれほど忙しくなく、時間もあったので、それぞれと会って一緒に食事したりもした。

もちろん、楽しい時間を過ごさせてもらった。

本来なら、もっとちょくちょく会って遊んでもいいのだが――残念ながら、二人とも休日が土日じゃない上、それぞれに彼女もいるので、なかなか時間があわないのが現状だ。

ま、仕方がないが――それでも、今後も時々会って食事したりするだけでも、気分的にはだいぶ違う。

全く友人がいない状態というのも、少々・・・いや、相当問題がある。

いかにメールやチャットを活用しても、それだけではやはり足りないものもある。

実際に会うことは、だから、すごく心を湧き立たせるものなのだ。


AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

一般的に言って、10月というのは人気の高い――という表現も変だが――月ではなかろうか。

なんといっても、気候がいい。

暑くもなく寒くもなく、それでいて晴天が多い。

秋!

そう、秋だ。

スポーツとか読書とか食欲とか、いろんな修飾語がつくが――つまり、何をやってもいい季節なのだ。


そんな月だが、10月に入ったときは、俺は既に臨戦態勢に突入していた。

10月10日、体育の日・・・この日に、旅行業の国家試験が控えているのだ。


試験内容については以前詳しく話したから、ここでは割愛。


ちなみに、合格を義務付けられた裏事情(?)は、というと。


まず、今のウチの会社では、この資格を持っている人はいない。

だが、旅行会社の依頼のもとにホテルやバス、食事先等を手配する業者(ランドオペレーターともいう)には、この資格は必要ないのだ。

自分の会社でツアーを組んだり、一般客の要望に応えて旅程を作成したりと、そういう仕事をするときに、初めてこの資格が必要となる。

そういう場合は営業所に最低一人、有資格者が必要なのだ。


だから、現時点では、ウチの会社にこの資格が絶対必要だということはない。

ただ。

一つには、将来の発展を見越しての取得。

もう一つは、ちょっといやな話になるが――とある同業者からの中傷への対抗策、だったりする。

さっきも書いたとおり、法律的には今の業務にこの資格は必要ないが、そういう事情を、普通の人はたぶん知らない。

で、そこをついて、「HIC(ウチの会社)は無免許だ、違法だ」などとあちこちでいいふらしている人間がいるらしいのだ。

その人物とは、過去にいろいろあったらしいのだが・・・。


ともあれ、一企業としては、根拠のない風聞でも、無視するわけにはいかない。

イメージというのは恐ろしいものなのだ。

で、社長としては、一刻も早くその資格をもって、旅行業登録をしてしまいたかったと、そういうわけだ。


・・・と、そういう事情も聞かされていたから、なんとなく、合格が当然という前提が無理やり出来上がってしまっていた。

プレッシャーにつぶされるタイプでもないから、なんとかなったものの――落ちたらどうなっていたか、あまり想像したくないところだ・・・。


とりあえず、合格のためには勉強するしかない。

といっても、仕事をしながらの受験勉強というのもなかなかに厄介なもの。

中国にいるうちにもっとやっておけばよかった――などといまさら考えても、時既に遅し。

そもそも向こうにいるときだって暇というわけでもなかったし、勉強に集中できるような心理状態じゃなかったのも事実。

これはもう、仕方ない。


とにかく、試験まであと二週間というあたりから、非常事態宣言発令。

もともと夜はさっさと寝るタイプだったのだが、そうもいってられない。

最低でも夜3時までは勉強を続ける、と、まさに受験生のような二週間。


慣れないことをしたせいか、あちこちに疲労がたまったようで、試験後にはものもらいなどができてしまったが。


こういう大変なときに励みになるのが、実に月並みだが、他の人からの応援や激励だったりする。

大学受験のときも、クラスメートから湯島天神の鉛筆とか誕生日カードとかをもらって、随分と心理的に助けられたものだ。

今回もまあ似たようなもので――ま、一人北海道にいる身としては物を受け取るわけにもいかなかったが、その代わり、現代社会はメールやチャットなどの便利ツールがある。

それらを最大限活用しつつ、どうにか心理的均衡を保つ。


そして、結果――結果が出たのは11月だが――合格。


さて、10月は、野球ファンには目の離せない月でもある。

一年のシーズンの締めくくり、日本シリーズが待っている。


今シーズンは、まさにロッテの年だった。

プレーオフの恩恵にあずかったとはいえ、驚異的な強さと勢いで日本を制し、さらに今年からスタートしたアジアシリーズをも制圧し、初代アジアチャンピオンに輝いた。

ただ、まだまだ黄金時代の到来とか、そういう強さには足りない・・・と、俺は思う。

来年はまた、楽しくなりそうだ。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

だんだんと、日本の生活感覚が戻ってきた。

といっても、それほど戸惑ったりしたわけでもないのだが。

違和感がなかなか抜けなかったのは、やはり道路の横断だろうか。

赤信号だから止まるという、子供でも知っているルールを守ることに疑問を抱いてしまうのだから、妙な話である。

あとは、物価の違いだろうか・・・。

何でもかんでも、高く感じてしまう。

よせばいいのにそれを元に換算したりするから、さらに割高感がつのる。

さすがに最近ではそうでもなくなってきたが・・・。


日本のメリットは、やはり趣味の方面だ。

なんといっても、野球を見に行ける。

これは大きい。

その点では、札幌という場所は悪くない。

うまい具合に日本ハムが移転してきてくれたので、好きなパリーグの試合が見に行けるのだ。


さすがに平日は見に行けないか――とも思っていたのだが、「730(ななさんまる)チケット」というものがあることが発覚。

これは、ナイターがあるときに、7時半以降に入場すれば、外野席なら800円で入れるという割引チケット。

7時半からだと、試合はもう半分くらい終わってしまっているが、入場料も半分近くになっていることを考えれば悪くはない。

仕事が少ないときなら7時過ぎくらいには帰れるので、その後バイクを飛ばせばちょうど7時半くらいに札幌ドームにいける。

――それに気づいたのは残念ながらシーズンもほぼ終わりに近づいたころだった。

だが、来年こそは!


さて、それから。

この月は、まだ仕事もよくわかってないころだが、アイサツも兼ねての台湾出張があった。

社長の後ろにくっついてまわり、時々通訳したりする程度だったが。

それでもやっぱり、中国語圏に身を置くと、ちょっとばかりほっとした気分になるのも事実。

もっと仕事の経験をつんで一人前になれば、出張の機会も増えるはず――それもまた、楽しみだ。


出張中の台北で、友人と再会もした。

地元の友人で、中学高校と一緒で、大学に入った後もちょくちょく遊んだ仲だ。

大学院に進学後、いろいろあって院を中退し、台湾に留学した。

もう何年も台湾にいるから、当然中国語もうまい。

九月末に日本に帰国し、就職したから、俺の出張時期はそいつの帰国前で、ちょうどいいタイミングだった。

いろいろとおもしろい台湾ネタを仕入れることもできた。

ちなみにそいつは、今は東京で働いているが――国際結婚をもくろみつつ、遠距離恋愛中。

さてさて、どんな結末になるのやら・・・いささか興味深い。

国際結婚にしろ遠距離にしろ、簡単なものではないとは思うが、その二つの難関を乗り越え、数年間の交際の後、ついにゴールインを果たした友人を、俺は知っている。

その話を聞いた人は、みな一様に驚愕と尊敬の念を抱くようだが――つまりそれだけ難しいということだろう。


さあどんな結果になるか。

数年後が楽しみである。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

帰国目前、というこの時期は、以前のような不安定さは影をひそめてきた。

開き直り・・・ということもあったかもしれないが。

ともかく、残された日々を楽しく生きなくちゃ・・・と、どこかで決心したわけだ。


最後の一週間は、おかげでだいぶ楽しく過ごせた。

大切な友人たちとの、最後の晩餐を繰り返す。

まったく・・・俺は、友人に恵まれたものだ。


最後の――出立の日。

一人、朝の散歩に繰り出す。

そして、携帯電話を取り出して、保存してあった短信(メール)の数々を読み返す。

30通程度の保存能力しかない携帯なので、不要な短信はどんどん削除しなければならないのだが、個人的に大事な短信は、ずっと取ってあったのだ。

それを、何度か読み返して――ひとつずつ、消していった。

過去との決別、なんてかっこいいものではない。

散文的な事情から言えば、この携帯を友人に譲ることにしていたので、短信を残してはおけない、ということがあったのだが。


ひとつ、またひとつと、記憶が呼び覚まされ、そして消えてゆく。

今でも思い出し笑いしそうになる記憶。

ほっとするような微笑が浮かぶ記憶。

わずかに苦いものが混じる記憶。

思わず心をときめかせた記憶。

・・・短信が消えても、刻み込まれた記憶はきっと、消えない。

それなのに――。

どうしてだか、そのとき俺は、泣きそうになっていた。


――こうして俺は、思い出の詰まった中国大陸を離れた。



日本に戻ったら戻ったで、また慌しい生活がまっていた。

多少は実家でのんびりしたい気分ではあったが、就職先の会社からは、できる限り早く来てほしいとの要望があったので、あまりゆっくりもできない。

帰国して一週間後には、俺は北海道へと(正確には、フェリーに乗るために新潟へ)バイクを走らせていたのだった・・・。


以後、俺の生活の場は、北海道へと変わる。

同時に、学生から社会人へと身分も変わったわけだが――まあこれは、二度目ということもあるので、新卒のときとはまただいぶ気分が違うものだったが・・・。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

気分的には、「あと一ヶ月ある」どころではなく、「もう一ヶ月しかない」という、なんとなく追い詰められたような心理状態だった。

考えるべきこともやるべきこともあいかわらずたくさんあって、それでも時は容赦なく流れ去っていって。

こうまで感情の起伏が激しかった月は、あまり記憶にないほどだった・・・。


7月に入ってすぐ、大学での授業が終了。

期末テストが始まった。

俺にとっては三度目の期末テストになるが、奨学金がかかっていた今までとは違うので、気分的にはだいぶ楽だった。

もちろん、班長としてはあまり恥ずかしい成績も取れないが、そこはそれ、今まで授業は一度もサボらなかったこともあり、なんとかかんとかそれなりの成績で乗り切れた。


授業もテストも終了、ということは、あとは自由時間が残るだけ。

やりたいことは、いくらでもあった。


とりあえず、外食が急に増えた。

ま、お別れ会とか、そういうものが多かったこともあるのだが。

日本料理、韓国料理などは、普段からちょくちょく利用はするが。

イタリア料理店でケーキ食べ放題に挑んだり、アルゼンチン料理屋のステージで踊ったりと、楽しい記憶も一緒に積み重ねられた。


それから、酷暑の中でのプールというのも、非常に気持ちのいいものだった。

実はこの夏まで、杭州ではプールに行ったことがなかったのだが・・・案外綺麗なものだったし、料金もそれほど高いわけではないし、もっと早くから知っていればよかった・・・とも思ったのだった。


小旅行にも、当然行ってきた。

黄山と泰山、この二つの山を制覇。

タイプは全く異なる山だけど、ともに中国国内では非常に有名な山である。

前々から行きたいと思ってたのが、ここにきてようやく実現できた。

その絶景に感動したのはいうまでもない。


泰山の方は、ソフトボールサークルの青島遠征とセットでいってきたものだ。

このソフトボールの青島チームとの対戦は、俺の最後の試合となったのだが、実におもしろかった。

それなりに活躍できたし、ファインプレー賞もいただいた。

最高の締めくくりである。


そのほかにも、友達と遊んだり、同居人とゲームで勝負したり、カラオケに行ったり・・・実に忙しかった。

本当は、10月に控えている旅行の試験の勉強をしなければならなかったのだが。

社長から送られてきたテキスト、法令集、過去問集など、合計14冊の本は、段ボール箱で眠り続け・・・いやまあ、もちろん少しは手をつけたけど・・・当初予定の5分の1も進まなかったのだった・・・。


こうやって、楽しい日々に包まれた、7月。

――が。

最後の月とは、すなわち別れの月。

光あればすなわち影あり。

輝きが強くあれば、影は濃さを増していく――。


この一年半の留学生活で、いったいどれだけの人と出会ったんだろう――と、考えてみる。

それはつまり、どれだけの人と別れを告げることになるんだろう――ということでもある。

無論、留学が終わったら、全ての関係が断ち切れる、などということではない。

だがそれでも、現実的には、今までのように時間を共有することはできない。

それは、仕方のないことでもある。

留学というものの、避けられない一面なのだ。

――以上は、あくまで一般論だ。

そして、人には往々にして特別な事情というものも存在し、また感情なんてものは理屈どおりにいくものでもない。

先月末あたりから、なにやら得体の知れない喪失感のようなものを心の隅に宿してしまった俺は、それがなんなのかよくわからないまま、短期間で変動する自分のバイオリズムをもてあましていた。

日中は、まだいい。

やるべきことは――主に遊ぶことだが――いくらでもあった。

だが、それがとぎれると、夢から覚めたように沈み込む自分がいた。

・・・こんなことは、今までになかった。

その戸惑いは、やがてある特定の感情へと収斂されていくのだが、ただ――俺に残された時間は、あまりにも少なかった。


帰国予定日は、8月7日。

無慈悲なカウントダウンが、始まっていた・・・。

いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)

テーマ:

怒涛のような五月を終え、ようやくゆっくりできるかな・・・と思ったのもつかのま。

結局この月も、前月に勝るとも劣らない激動の月となった。


この月の上旬は、なんと言ってもアメリカ訪問、これにつきる。

詳細は『アメリカ紀行』のほうにいろいろと書いたからここでは省略するけど、とにかくもおもしろかった。

異なる文化に触れるということ、それだけでも海外旅行というものの価値はあると思うのだが・・・特に今回はただの旅行ではなくて、結婚式への参加だったからなおさらである。


杭州に戻り、すぐにまたイベントの企画に入った。

長々とやってきた交流会も、いよいよ最終段階。

これが最後のイベントだと思えば、自然と気合も乗ろうというものだ。


ちなみに、この交流会のイベントというもの。

俺の中での一貫したコンセプトは、「俺自身がまず楽しめて、そしてみんなが楽しめる」というもの。

そんな勝手なことを言ってられるのが、会長の数少ない特権である。

最後のイベントだとて、それは変わらない。

いろいろと考えた末、屋内でのゲーム大会ということになった。

そしてその中で、中国語劇と歌をいれて、当然のように俺も参加者に名を連ねた。

あまり豊富に時間があるとはいえない中で、急ピッチで準備は進む。

企画会議を重ね、劇の案を練り、歌の選曲もする。

日程と会場を決めて、各方面に宣伝活動。

ゲームの内容を考え、当日の流れを決めて、景品の買出しも必要だ。

脚本は、全部中国語ということもあったので、たぶん一番忙しい先生に丸投げ。

練習は、みんなの空き時間をなんとかあわせつつ・・・ほとんどが夜だったが。

それでも、深夜の稽古を終えて、何人かで屋台に繰り出して飲んだ酒は、ことのほかうまかったものだ。


そんなこんなで迎えた本番当日。

司会の段取りまで決める余裕はとてもなく、おおまかな流れだけ打ち合わせして、あとはアドリブでなんとかしましょう、と、肝心なところでいいかげんな司会二人。

それでもなんとか乗り切れたのは、去年のクリスマスパーティーでも共に司会をやった経験と、一年以上のつきあいでお互い呼吸が飲み込めていたからだろうか。


もちろん、肝心の出し物の方も大成功。

どうやら本番に強い人間が集まったらしく、今までの練習を含めても、最高の出来だったんじゃないか、と、個人的には思っているのだが――。

なにしろ、みんなで悩みつつ考えたオチが完璧に決まったので、その点はみんな大満足だった。


出し物もゲームも盛り上がって、なんとかこのイベントも終了。

で――気分的には、完全燃焼。

なんだかだいぶ、気が抜けてしまった。


この数日後には、通常の交流会の今期の活動も最終回を迎えた。

副会長たちのイキな計らいですばらしい記念品ももらって、気分はすっかり感傷モードに突入していった。


この当時の心理状態・・・。

今考えてみてもはっきりとは分析しきれないくらいだから、当時の俺の混乱状態がしのばれる。

四捨五入して言えば、「寂しさ」というカテゴリーに分類されるこの感情は、時と共に徐々に濾過されていき――それがはっきりとある形をとったときに、また俺はとんでもなく巨大な苦悩にさらされるのだが――それはまだ、先の話である・・・。


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

最後の学期も後半に差し掛かり、そのせいかどうか、ともかくやたら忙しい月だった。


重大イベントの一つは、親友の結婚式。

大学時代のサークルの友人だが、俺の男の友人連中の中では、結婚一番乗りだ。

もちろん結婚式は日本でやるのだが、俺も当然のように一時帰国して参加した。

むろん、バカばっかりの連中が集まって、何もしないはずがない。

式の余興については、2月から着々と企画が進行していたのだった。

その結果、数人で氣志團を歌って踊る、ということになった。

合同練習に参加できるはずもない俺は、プロモを見ながらひたすら部屋で練習を重ねる日々。

時には同居人に奇異な目で見られたり。

実際に歌ってみないと、と思って、アナログ録音したテープを持ってカラオケで練習したり。

・・・とまあ、数々の涙ぐましい(?)努力をしたわけだ。

他の連中も、普通に仕事しているサラリーマンだから、時間的に言えば留学生の俺よりもはるかにキツかったかもしれないが。

だからって放棄するような連中でもない。

結婚式当日は、友人の計らいで式のトリにまわされたが、見事に完成版を披露。

大歓声と笑いを勝ち取った。


さて、イベント、といえば、日中交流会方面。

この月は、二回の開催。

山登りと、日本文化発表会ともいうべきもの。

もっとも、当初は二つもやる予定はなかったから、準備の方で相当苦しむことにもなるのだが。

ま、自分も楽しめて他の人にも楽しみを提供できるなんて、そうそうできるものでもない――などといろいろと理屈をくっつけながら、仲間とワイワイ企画を進めた。

文化発表会といっても、はじめは一人の女の子に日本舞踊をやってもらおう、という冗談から始まったのだが。

それだけじゃ寂しいから、と、俺らも合唱でもやろうか、と、また冗談のようなものがくっついて。

・・・つまりは、冗談が冗談でなくなるのが、このときのメンバーの通癖とでもいうべきものか。

やるからには中途半端は大嫌い、というのも、俺の性格の一つ。

最後までバタバタしつつ、どうにか無事に二つのイベントを乗り切ったのだった。


そんなイベント目白押しの月の中にも、留学生として避けて通れない――こともないのだが、実は――HSKという試験が待っていた。

俺としては、別にこの試験結果が必要なわけでもなんでもないのだが、やはり一年の勉強の成果を数字として計っておきたい、という気持ちもあった。

挑むは、HSK高級。

むろん事前に問題集も購入したのだが――、一冊買って、その10分の1くらいしか使わなかった。

そんなわけで、ほとんどあきらめムードの中で受けた試験だったのだが、どうやら俺は、相当本番に強いタイプと見える。

あるいは、ここ一番でカンが冴える。

もしくは、日ごろの行いがよほどいいのだろうか。

本人が一番驚いたのだが、10級を取得したのだった。


性質の異なる三つのイベントと一つの試験が混ざり合ってアタマを悩ませてくれる中、肉体的に俺を苛んでくれたのが、急成長してきた親知らずだった。

徐々に痛みを増してきたのだが、ついに我慢の限界を突破。

中国で親知らずを引っこ抜くという、できればあまり体験したくなかったことをやるハメになった。

・・・ただ、今思えば、少なくとも技術的にはさほど問題がなかったような気がする。

標準を超えて巨大だった俺の親知らずをどうにか片付けてくれたのだが、施術中は全く痛みはなかったし、その夜の痛みもまあ薬無しで耐えられるものだった(というか、薬なんかくれなかったのだが・・・)。

抜く前に、いろんな人にさんざん脅されたので、ちょっとばかり拍子抜け。

まあ、痛くないのに越したことはない。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

テーマ:

杭州の春は、気温の乱高下が激しい。

暑くなったり寒くなったり、その変化に節操がないもんだから、体調を崩す人も多いわけだ。

――などとえらそうに語っていた俺自身が風邪なんぞひいてるから情けない話だが。

3月末から引きずっていた風邪も、一週間ほどでなんとか治癒。

花粉症のないさわやかな春の生活がようやくスタートした。


だが。

この4月に発生した、中国全土を揺るがしたいわゆる「反日デモ」のせいで、さわやかな気分など一瞬で霧散した。


表面上の発端は、日本の国連常任理事国入り反対と、歴史教科書問題。

韓国での、竹島問題にからむ反日運動とも、無関係ではなかったのだが。


ともかく、驚異的な経済発展の影ともいうべき様々な問題点が、膨大なマグマとなって沸騰しつつあるこの中国。早い段階でガス抜きをしておかないと、いずれとんでもない大災害となる――と、政府は判断したのだろう。

さして巧みでもないマスコミ統制と情報操作により、若者を中心とした自称愛国者どもが各地で暴発。

上海日本領事館が襲撃を受けたのをはじめ、各地で日系企業や日本資本が暴徒に襲われるという異常事態となった。


その動きは、とうとう杭州にも飛び火した。

4月16日、土曜日。

黄龍体育中心に集合したデモ隊は、市内の行進を開始。

デモ隊は数千人規模に膨れあがった。

そのデモ隊、午後になると、各グループに分散し、暴走を開始。

神田川ラーメンなど、実際は中国人が経営している日本料理店は、投石などを受けて大きな損害をこうむることになる。

さらに、市内においては、日本車があちこちで破壊される。いうまでもないが、ほとんどの車の所有者は中国人である。


さすがにこれはやりすぎだ、と思ったかどうか、政府側もデモの鎮圧に乗り出した。

各大学も、自学生に対し、デモへの参加を厳禁。

さらに、浙江大学でも、16日の破壊行動に参加した学生数名を退学処分にするなど、厳格な姿勢を示す。

その甲斐あってか、結果としてはその後は大きな混乱は見られなくなった。



これら一連の事件が、マクロの日中関係にマイナスの影響を及ぼしたのは、いうまでもないことだ。

今後への影響はもちろんのこと、中国の潜在的な反日意識を改めて見せ付けられたということもあり、俺も随分と暗澹たる気分にさせられた。


ただ、それでも。

それは、あくまでも一部の中国人に過ぎない――という事実を証明してくれるべく、デモ時に心配して電話をかけてくれた友人もいたし、反日行動を真っ向から否定する友人もいた。

行きつけの店の店員などは、日本人の俺をかえって慰めてくれたり、心配したりもしてくれた。

こういうときだからこそ、こういう中国人の存在は非常にありがたいものだ。


だから、俺は俺にできることをやる。

開催が危ぶまれたこの月の交流会企画・ボーリング大会だったが、絶対に中止にはしたくなかった。

他の主催スタッフの意見も同じだった。

そして、予定通りに開催されたそのイベントで、いつもと変わらないみんなの笑顔がはじけていた。

そう――これでよかったんだ。

今でも、そう思う。

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

テーマ:

冬も終わりを告げて、だんだんと春らしさが増してくる三月・・・だが、その初旬はまだまだ、寒い。

冬用コートなしでは散歩もできない。

そんな時期に、サークルの後輩が卒業旅行でやってきた。

案内をするのは、夏に友人がやってきて以来、二回目だ。

どちらもサークルでは相当仲がよかったけど、友人の男、というのと、後輩の女の子、というのでは、やっぱりちょっと扱いが変わってくる。

どっちも楽しいことには変わりはないが。


今回は、杭州を案内しただけではなく、一緒に桂林まで行ってきた。

桂林、そして陽朔は二回目になるけど、行くメンバーが異なれば楽しさも異なる。

新しい発見というのもある。

何より、二人に喜んでもらえたので、ガイドとしては大満足である。

こうやってその国のおもしろさを伝えられるのも、留学というものの大きなメリットなのだ。


さて、一方。

今学期も活動を開始した日中交流会。

手始めに、植物園の花見と西湖の散歩という無難なイベントからスタート。

毎期恒例の感もあるが、新入生が多いこの時期はやっぱりこのくらいがベターなんじゃなかろうか。

みんな新しい友達がほしがってる時期でもあるし・・・。


始動したばかりで気が早いかもしれなかったが、このころから俺はもう来期の後継者というものを気にするようになっていた。

イベント好きの物好きでそれなりに中国語ができて厄介ごとをしょいこめて人前を苦にしない・・・という人間がそうたくさんいるわけもない、と思っていたからなのだが。

ところがところが。

そういう人間が、あっさりと見つかった。

うれしい誤算というべきか。

・・・ただ、嬉しくもない誤算もあって。

もう少し、気を使うべきだった――その子が女の子だった、ということに・・・。


さて、交流会から離れて。

この月の半ばに、けっこうな量の翻訳のバイトが舞い込んできたのだった。

俺が訳した文章がそのまま雑誌になってANAやらJALやらで配られるというのだから、なんというかこう・・・こんなんでいいのかいな、という気分もあったのだが。

なにしろ、時間が足りなかった。

俺にこの話を持ってきてくれた人も、徹夜徹夜で自分の分を必死にこなしていたが、とにかくこの仕事の依頼人が翻訳という仕事をよほどナメているとしか思えないようなスケジュールだった。

ま、それなりの報酬はもらったし、今となってはいい経験になったけど・・・。



それと、この月の終盤。

俺にとってはありえない非常事態が起きた。

――風邪をひいてしまった。

しかもこれがしぶといもので、一晩寝ればなおるはずが、一週間くらい高熱が続き。

一番ひどいときは、下沙でのバイト中に体の震えがとまらなくなって、30分ほどはやく授業を切り上げて早退という情けない体たらく。

最後は薬に頼ることになってしまった。

うーむ・・・着実に、衰えてきてるんだろうか・・・。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。