「数寄」について

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「数寄」「数寄屋」「数寄者」について考えてみました。


もともと「数寄」とは和歌や茶の湯、生け花など風流を好むことであった。


茶の流行とともに、別棟として造られた小規模な茶室を「数寄屋」と呼ぶようになった。また、茶室は茶を飲むこと以外に機能はなく、自由な意匠が可能であることから、「数寄屋」は「好みに任せて作った家」といった意味ももつようになった。

このころは、数寄とは「好き」だったのだと思う。自由奔放なイメージがある。

しかし、千利休の時代、茶人たちは格式ばった意匠や豪華な装飾をきらい、侘び寂の境地である素朴な茶室を好んだ。

特に三代目の宗坦は簡素な生活に徹し、侘びを極めた。

ここでは「好き」は侘び寂にかすんでしまう。

それを打破したのが利休の弟子で数寄者の「古田織部」やその弟子「小堀遠州」だった。利休が庭のしつらえを「渡り6分に景4分」としたのに対して織部は「渡り4分に景6分」とし、露地に自由な意匠を発揮させた。

また、露地だけでなく「数寄」の意匠は「織部焼」の緑の色づかいや織部灯籠にも象徴される。

そこには、本質をわきまえながらも、風流を好み、遊び心に満ち、自由な発想に基づく個性的、斬新なデザインがある。

侘び寂を受け入れながら、「数寄」の心を大事にした環境デザインをやりたいものだ。

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