How do you feel ?

愛媛県松山市在住の箱庭&レイキセラピストの
日常の徒然と気づきの小箱・・・♪

暦の上では「春」ですね。

芽吹く勢いの中で

新しい流れが心地よく始まるときですね。


そのような

あたたかい

パワフルな流れの中で

お逢いし

魂と魂で

深くシェアできます「とき」を

楽しみにお待ちしています。


セッションメニューは  →  http://ameblo.jp/laluce128/entry-10961148182.html





土曜セッションは現在3月10日(土)以降お時間お取りできます。

  平日セッションはご希望されますお日にち・お時間をお取り致しますので

  お気軽にお問合せくださいませ。

学習セッションは現在3月末まで満席です。4月以降お時間お取りできますので

  お気軽にお問合せくださいませ。



ありがとうございます


愛と感謝とともに



セラピースペース ラ・ルーチェ(HIKARI)

                                       セラピスト   miyuki




















NEW !
テーマ:
人との境界ってどういうものなのでしょうね。

よくカウンセリングでも
境界が曖昧になったときに問題(のように思えるもの)が生じるといわれます。
スピリチュアルな分野では
目に見えない波動を感じていくだけに
境界を大切にすることにとても意識を向けていきます。

人と人は
境界をもちつつも
断ち切れているわけではなく
どこか繋がっているものですね。
繋がりながら
境界も大切に・・
しかも
その境界は瞬間瞬間に変動していく波動のようなものだとしたら
それをうまく掴んでいくことは
なかなかハイレベルなことなのかもしれないですね~。

そのような中で
心地好い境界を保つには
自分自身の心地好さを知ることが先決ですね。

心地好い
心地好くない

一見簡単そうだけど
意外と人との関わりの中で
知らず知らずに
自分の境界を飛び越え
相手の心地よい
心地好くないを軸に
自分の境界を作っていることもあったりしますね。
でもそういうとき
自分の境界も
そして真の意味では
相手の境界も大切にしていなかったりするのですね。

例えば、立場が逆の場合
自分の気を読まれて
相手が自分の意向に添うようにしているとき
そうはっきり感じなかったとしても
深いところではどこか本当ではないような
微かな違和感は感じるかもしれないですね。
或いは
相手の一見善意のエネルギーの前に納得するしかなく
しかし
どこか自分が自分を生きていないような空虚感を
感じるかもしれないですね。

いずれにしても
境界を大切にすることは
相手にとっても自分にとっても
心地好い関係を維持するのに欠かせないものですね。
しかし「心地好くない」があるから
心地好さが分かるわけで
ずーっと心地よく在り続けなければならないということでは
ないのだなとも思います。
例え知らず知らずに
侵入したり侵入されたりしていたとしても
違和感を感じることで
その波動を通して関係は変わっていくように思います。

しかし
もし変わることを怖れて
在る違和感をあえて感じないようにしているとしたら・・・。

十分怖れを抱え込み
怖れを手放せない自分を感じたら
きっとベストなタイミングで
それから手を放し
自分が真に望むものを手に取るような気がします。

怖れを手放して得る
未知の可能性を
いつからでも
生きていいのですね。















テーマ:
直観に委ねると
物事がスムーズに流れる心地よさと
その流れにのるという感じが
ごく自然な感覚になってきます。

自転車の補助輪を外し
漕ぎ出すコツを掴んだような
そんな感じです。

フラフラとハンドルをとられ
こけたら痛いから
補助輪は外せない!
という不安から
いつの間にか
いや、そんなんよく分からんけど
感覚的に大丈夫やろ~。
っていうか、意識する前にもう漕いでるし!

ということの間には
一体何があるのでしょうね。

いずれにしても
感覚的に大丈夫になるには
不安を手放す必要があるようです。

手放すというと
なんだか持っていたら悪いものから手を離せ~!
みたいな感じに聞こえがちですが
持っている過程では
それがとても大切で必要なものだったときもあるのですよね。

例えば
不安は自分を守るという役割をもっていたときもあります。
不安がブレーキとなって
安全やバランスをもたらす側面をもっていたときもあります。

しかし
人は一時にとどまらず常に変化しているのだから
その時に必要だった不安と
今必要なものはずいぶん違ってくるということがあります。
その時にはどうして必要だったのか
そして変化してきた今
そのエネルギーをどうして今まで変わらず携えてきたのか・・・

そこを深く感じていくと
自分だけに分かる何かがある。
答えは自分の中にあるのですね。

そんなとき
今の自分に合ったエネルギー調整が
自然に行われている不思議があるのかもしれません。
それが「手放す」ということかもしれません。
そして
不安の手放しと並行して安心というエネルギーが
満ちてくるのかもしれません。

それは
不安が無かったことになるのではなく
不安を感じ
不安が分かることで
その対となる安心が自然と見出されてくるということでしょうか。
どちらか一方だけを感じ続けるということは不可能ですね。
エネルギーを感じるとき
対になるものは
そのどちらかを感じるときになくてはならないものです。
どちらも在って初めて均衡が取れるものなのでしょうね。

対になるものを見出したら
後は
直観をアンテナにGOですね♪


テーマ:
寒い日が続きますね~。
先日はここ愛媛松山も雪が積もったくらい・・。

っで
その夜
節分ということで
豆まきをしててですね
自分のうちの玄関先で
思わず私
ずっこけました((((((ノ゚⊿゚)ノ

これがなかなか
豪快にこけてしまい
子どもならきっと綺麗にこけたとか言うのでしょうが
身体は正直というか
気持ちだけではついていかない何かがあるのか
足首を捻挫して
その場ですぐに立ち上がることができないほどでした(ノ_・。)

しかし
豆まきしててずっこけるなんて・・
と思いつつ、レイキをしていたのですが
この3日そして4日は
大きなエネルギーを感じるときだったような気がします。

そもそもエネルギー、波動というものは
いつもあるものだから
今日は大きいとかそうでもないというようなものではないのでしょうが
なぜ大きいと感じるのかは
エネルギーに動きがあるときにそう感じるのかもしれないですね。
まるで風の強さで空気の流れを様々に感じるように。
だとしたら
きっとエネルギーが大きく動いていたのかもしれないですね。

レイキをしてみて
自分の中心が上の方にあったことを感じました。
本来は丹田の辺りに感じ
しっかりグランディングすることで安定するのですが
自分の中に自分がいない状態になると
一気に「気」が上方に上がるような気がします。
生活やその流れに自分が牛耳られるような感じのとき
自分の中に自分が不在になり
ああして、こうして・・・と
頭の中の思考が忙しくなってしまうのです。
豆まきも
とりあえずちゃっちゃとしておかなければ!みたいな感覚に
いつの間にかなっていたのですね~。
見事に足元をすくわれました(;^_^A
大きくエネルギーが流れているときに
ちゃっちゃとできるようなことではなかったようです。

そんなことを感じながら
レイキをするという時間もまた
私にとって
自分に還る貴重な時間となりました。
レイキ、いいですね。
本来の自分を感じる
コンタクトを取る
そして
癒しをもたらす
素敵なツールの一つだと思います。

その時は
ひどく捻挫し
着の身着のままとりあえず横になるしかないくらいの状態でしたが、
翌朝になると
ゆっくりと歩けるほどに回復し
その後の生活に何の支障もありませんでした。
そして
そのゆっくりとした歩みのペースからも
どれだけ自分がハイペースで
上ずって生きていたかを
実感したところです。

ゆっくりと歩んでも
一日の中でできることは
ほとんど変わりありませんでした。
むしろ
ゆっくりの中で
一つ一つの実感がより濃く
また
自分の中も一つ一つに
丁寧に意識を向けられた満足感で満たされています。

この感覚に戻っていくことが
私にとって
エネルギーの変わり目にもたらされたギフトだったのかもしれません。










テーマ:
過去は変わらないから・・。

20代の頃までの私がよく思っていたことです。
そして一般的に
葛藤を口にする場面でよく聞かれる言葉の一つでもあります。

そうですね。
過去の出来事は変わることも
消えてなくなることもないのかもしれません。

過去は変わらない。

そう呟きたくなるときの自分は
変わらない何かを
それでも変えたいと
強く願うときだったように思います。
そして
変わらないものを変えたいと強く思う
その混沌の内側から
誰か私を救い出してほしいという
叫びのような思いがあったように思います。

諦めや呟きには
その一見静かなエネルギーの奥に
可能性への渇望のような
大きなエネルギーが
渦巻いているものなのかもしれません。
どんなときも人は
それでも一歩前へ・・というような力を
心の奥底にもっているのかもしれません。

「過去」を話すとき
そして
今の自分がそこ(過去)をそのままに感じるとき
今まで闇や影のように
自分のこころを牛耳っていた過去に
光が差す瞬間です。
今の自分は
過去の延長を生きつつも
そのときの自分と同じではないのですね。

過去は変えられないかもしれない。
しかし
その最大の利点は
もう過去でしかないということ。
すでにもう体験し
それは「今」ではないということ。

見たくない番組(過去)を
今もなお延々と見続けなくてもいいのですね。
今はもう自分の意思で
チャンネルを変えてもいいし
消してもいいのですね。

それは過去をなかったことにするのではなく
自分の中の
あるいは
自分の軌跡の
在るべきところにそれ(過去)が在ることが
腑に落ちること。
過去に振り回される自分ではなく
自分が自分の人生の主導権(軸)をもつことのような気がします。
そのときには
変わらないと思っていた過去を
以前とはまるで違った人が見て感じているかのように
眺めている自分を感じられるのでしょう。

闇を闇として
そのままに感じ
表現したとき
いつの間にか
なぜか分からないけれど
気になっていたことがそれほど気にならなくなったり
自分を取り巻く様々なことが進み始めたような気持ちになります。
人生は
不思議で
面白いものですね。









テーマ:
私たちは日頃
目に見えない存在のようなものや
何かそういう次元から伝わるエネルギーのようなものを
自分に分かるかたちに変換し
直観やメッセージのようなかたちで
受け取っているのでしょうね。

ラジオのチューニングを合わすように
そこに波長を合わせれば
実に様々なものを受信しているのでしょうか。

どこにチューニングを合わせ
何を受信するのかは
自分が在る「今ここ」がそのポイント地点になるとしたら
一体自分が今どこに在るのかは
きっととても大切なのでしょうね。

ものすごくいい所にいるとか
そうじゃないからだめとかではなく
(いい悪いというものではないですもんね)
今この瞬間の自分を感じること
愛をもって感じること
そう在ること
なのですね。

先日、インコを虹の橋の向こうに送って
より強くその感覚が
私のこちら側に感じられるようになりました。
こちら側に感じられるようになったら
そう生きている日々を味わっています。

直観がクリアになり
困ることがなくなりました。
自然とうまく流れるようになり
委ねていて安心です。
必要なお知らせはちゃんとあるから
安心して生を楽しもう!
という感じです。
色々なことに神経をめぐらし
コントロールする必要がないので
とても軽やかで楽です。
それは
今この瞬間を
愛をもって感じること
そう在ることを
ことさら強く感じるようになったからだと思います。

自分は大切な存在だけれど
自分はより大きな測り知れない存在の一つでもあります。
自分を生きることを意識しながらも
自分の範疇を超えた部分は
より大きな流れや叡智に委ねるのが
制限を越えた可能性を生きられそうですね。
直観を大切に
今ここを生きるのに必要な何かを受け取りながら
無限の可能性を生きたいですね。
憧れのような遠く感じられたあちら側が
いつしかこちら側になるような。
それは大きなロマンに満ちたものかもしれないし
日常の中のささやかさの中にある測り知れない温かさかもしれないし
そのどちらもかもしれないし
もっとたくさんのことかもしれないし・・。

楽しみが生の中に無限に拡がっていきますね(^O^)

Amebaおすすめキーワード