忖度
テーマ:日々想う最近、新聞などで気になっていた「忖度」の意味。
政治などで小沢氏問題が取り上げられるようになった頃から、
「忖度」という言葉が、どうやら人の顔色を伺うような言葉に、
すり替わってしまったような気がする。
嫌な事だ・・・
私は「忖度」という言葉が、好きである。
それを「小沢一郎忖度政治」などとは、
使ってほしくないのである。
忖度とは、相手の心を推し量る、という意味を持つ。
しかし「顔色をうかがう」というニュアンスとはかけ離れた、
もっと慮りを持ったものだと思うのだ。
私は、人間力をベースにした企業人教育を使命としている。
企業人教育であるから、当然、結果を求め、
受講者を叱咤激励し、追い込み、進捗を管理し、鼓舞する。
しかし必ず、受講者の面々に言うのは、
「相手の気持ちを掴め」「相手の心を推し量れ」
「ともに闘う仲間と肚を割って話せ」
という、泥臭い事だ。
何も精神論や根性論を語るつもりはない。
研修とは科学である。
しかし人間のやる事だ。
心と心の通い合いで、プロセスもゴールも変わってくる。
研修の場で、「部下を叱れない上司」が増えている。
研修でも「誉める」事ばかりが取り上げられる。
誉める事に異を唱えるつもりは毛頭ない。
場合によっては効果的だ。
しかし、叱る事も、同じように、場合によっては効果的なのだ。
しかし、叱らない。
なぜか。
叱る前には、人間関係ができていなくてはならない。
叱った後には、信頼関係を取り戻さなくてはならない。
その事前・事後のケアが出来ない人間が増えているのだ。
「忖度」の話に戻ろう。
「忖度」とは、もっとウェットなものだと思う。
ある意味、面倒な人間関係が底辺にはある。
しかし、もっとポジティブな響きのはずだ。
決して、決して、「顔色をうかがう」というような、
軽いノリではないのである。
「忖度」が「顔色をうかがう」という意味に
すり替わってしまう時代。
私は、もっと人間の心情を、
受講者には丁寧に伝えていこうと思う。






