精神科における抽象的な表現について | kyupinの日記 気が向けば更新

精神科における抽象的な表現について

精神科では、しばしば「表情が硬い」という言葉が使われる。この場合、「表情が固い」とは言わない。

「表情が硬い」という表現は統合失調症に使われることが多いが、表情が硬い人が統合失調症かと言えば、そうではない。

緊張を強いられる環境では、たいていの人は多かれ少なかれ表情が硬くなるが、それは統合失調症の人の表情の硬さとは異なる。

写真など二次元的なものでは区別がつきにくいことはあるが、動画であれば一目瞭然かというとそうとも言えない。

過去ログのどこかに書いたような気がするが、外国で制作された統合失調症の患者のインタビュー集を看護学校の生徒に見せて講義をしたことがある。もう20年以上前である。その日、映像を観ていて最も疲労困憊したのは、教官の自分自身だった。

あの映像には不思議な負のエネルギーに満ちており、彼らが話している内容すらわからないのに疲労困憊するのである。その授業の最後に、まだ20歳くらいの看護学生さんに感想を聴くと、そう疲れるビデオではないという話だった。

あれは実に奇妙な体験であり、その日以降、そのビデオは使わないことにした。看護学生に対し教えている教材で疲労困憊していては本業の診察や治療に差し支える。またあのように疲れる教材をいつも使っていると、こちらが体を壊しそうである。

また、患者さんの症例検討会の手法を変えて、別室で教授が患者さんを診察し、医局員はほかの部屋でその診察の映像を観ていたことがあった。それまでは同じ部屋でたくさんの人たちの中で行われたので、当時としては珍しい検討会であった。

しかしそれだと臨場感がまるでなく、微妙な表情の動きなどが見てとれないのである。「これではあまり勉強にもならないですね。」といったところだった。最初の看護学生に紹介したビデオでは、不協和音というか、ノイズのようなエネルギーを浴びるのに、別室の症例検討会ではそうではない。これはちょうど逆の印象になっているが、未だにその明快な説明が自分でもつかない。

あるとき、ディスカバリーかナショジオか忘れたが、アメリカの刑務所に終身刑で入所している妄想を語る女性が出てきた。その女性は、明らかに統合失調症ではないのがわかったが、だからと言って、その女性が、その番組に出演している女優なのか、あるいは実際の囚人で妄想性障害の人なのかは不明だった。

つまり、統合失調症と妄想性障害は、ビデオでは判別がつくということなんだろうと思う。

今回のエントリは突然、思いついたトピックなので、この辺りで終わりにする。

プレコックス感は、「表情の硬さ」とはかなり異なる現象なんだと思う。表情の硬さも一部含まれていると思うが、方向性が違っているような・・

あのアメリカの刑務所に出てきた女性は表情は硬かったと思うよ。しかし、明らかに統合失調症とは違う。

プレコックス感は、受け手の立体的感覚の重積のようなもので表現されているからかもしれない。(あるいは時間も含めた4次元的な感覚の重積)

つまり単方向に放射されているものではなく、相互に交流していて初めて生じるものなのだろう。そう考えると、その部分だけだが、なんとなく説明がつく。

参考
アスペルガーと前頭前野