単科精神科病院と地域社会 | kyupinの日記 気が向けば更新

単科精神科病院と地域社会

前回のエントリの元記事をタイトルを変更してアップする。今回も社会的な内容になっている。

現在、単科精神科病院では患者だけでなく看護職員の高齢化も著しい。職員も高齢化が進んでいるのである。

ところが、うちの病院ではプロフェッショナルな看護師が相対的に少なくスキルの高い看護師は貴重である。そのようなこともあり精神科経験が長く師長や主任ができる人は、定年が過ぎ延長雇用以降も給与及びボーナスが全く下がらない。そのようなローカルルールにしないと、素人集団になりかねないからである(笑)。これはずっと以前はそんな風ではなかったが、ある時、将来に不安を感じ理事長と協議して決めた。

リーダーができる看護師は、主治医から「昨日入院した○○という患者さんはどうですか?」と聴かれたとき、淀みなく簡潔に病状を報告できる(程度は必要)。

僕が最初にこの病院に来たとき、その能力がある人が非常に少ないことに呆れた。むしろ長く在籍する准看護師にその能力がある人たちがいた。これは、正看護師は他科で仕事をしていた中途入職者が比較的多いためで、精神科に慣れていないのである。

それでも、ほとんどの患者さんが安定していることも驚きだった。当時、既に寛解状態にあり、社会資源的な問題で退院できずにいた人たちが多かったのである。

現在、精神科病院関係者だと、病院の近隣の土地、一戸建て、アパートを容易に購入できない。グループホームを作っただだけで、夜などに地域住民を呼んで説明会をしなくてはならない。その現場は大変に紛糾するため、どんな状況なのか県の担当者に出席してもらっている(地域の状況がわかってもらえるように)

日本の一般の人々の精神障害者のスティグマの問題は、厚生労働省も実はわかっているのである。従って、たぶん退院の大きな障壁になっていることも同様に理解していると思われる。

その証拠に、精神科病院は著しく診療報酬は下げられているが、生かさず殺さずのレベルに留め、精神科病院がバタバタと閉鎖される状況には至っていない。厚生労働省は精神科病棟が著しく減少すると、それはそれで非常に困ることにおそらく気付いている。(日本人の国民性も勘案していると言う意味)

医療観察法ができた当時、医療観察法病棟は既存の公的精神科病院内に建てられたが、全国の病棟分布を見るとかなりいびつになっている。地域住民の反対運動の規模には地域差があるようで、到底、建設できない都道府県もある。(その都道府県で、保守・革新のどちらの政党が強いかも関係する)

とんでもない過疎地で、碌に人も住んでいない場所でもかなり反対運動が起こったと聴く。

従来、グループホームは病院内に建設できないルールになっていた。このルールだと、病院外の土地を購入して建設するか、アパートや一戸建てを買い上げてリノベーションを行うのが一般的である。病院の近郊の地主さんが病院関係者に土地や家屋を売らないのは、そこにグループホームや共同住居を建てられたらたまらないと考えているからである。

このようなことも考慮されて、厚生労働省のグループホームの建設場所の制約がやや緩くなってきており、病院の敷地内でもグループホームができるようなニュアンスになってきている。これはこれで複雑な問題も孕んでいると思う。

グループホームは積極的に建設できている病院とそうでない病院があり、今も不足している。うちの病院ではかなり遠方から見学に来院され入所された患者さんもいる。

この遠方から来るよくわからない患者さんが曲者で、長い入院期間を医師や職員が入院治療でその人の看護を経験していないと、どのような悪化のパターンなのか把握できない。このような人は、原則しばらく入院してもらうが、それでもわかないことが多い。既に落ち着いて転院しているからである。

見知らぬ土地で全く知らないような人たちに囲まれると、入院環境は保護的なのでそうでもないが、グループホームは、一般のアパートとたいして変わらないため、かなりストレスになるようである。このようなケースでは、被害妄想から包丁を持ち込み他患者を切り付けたと言う事件(もちろん措置入院。医療観察法以前)や、主治医を殴り、体の一部がちぎれた話などがある。殴っただけで体の一部がちぎれたとは、北斗の拳のケンシロウなみのパワーである。(このような事例は、事件化していないので犯罪統計には上がって来ないことにも注意)

緊張病性興奮状態では、なまじ加減しないのが良ろしくない。個人的な意見を言えば、長く診ていた主治医であれば、そこまでの事件は生じなかったような気が非常にする(これも措置入院)。

このようなことから、病院からやや距離があるグループホーム入所者は女性に限っている。(地域住民との話し合いで、それが落としどころになった。)

現在、全ベッドのうちある一定の割合の長期入院患者を退院させると、診療報酬でプレミアムがつくが、そのルールは既に遅すぎた。アパートやグループホームに退院できるような人たちは、既に退院していたからである。

グループホームに定着できる患者さんとそうではない患者さんは、たぶん絶対的な病状の重さが異なるんだと思う。

時間が経って、グループホームで生活できなくなり、再び長期入院になってしまう人たちがいる。彼らは、再び軽快しグループホームやアパートに復帰できる人もいるが、間違いなく生涯退院できないと思える人もいるのである。

これは、さまざまな「感覚の蓄積」が悪い方に導いたと思われるケースである。おそらく、その人はずっと平凡な入院生活をしていたなら、そこまでは悪化しなかったかもしれない。

それでもなお、その人の退院処遇が間違っていたとは言えない。国も可能な限り社会復帰の方針を推奨しているし、今は精神病院に生涯にわたり閉じ込めておくような精神医療ではないからである。

また、その人のquality of lifeの視点でも同じようなことが言えると思う。

それに対するたまに起こる重大な事件、これは国の施策によるコストだが、一般社会が背負わざるを得ないであろう。これは日本だけでなく、世界のほとんどの国々で結果的にそうなっている。

むしろ人口比で精神科病床の少ない西欧諸国では、日本より大きなコストを支払っているはずである。

重要なことは、重大犯罪がひょっとしたら起こるかもしれないが、それが明白ではない場合、予防的には精神科への非任意入院や警察の強い拘束が難しいことだと思う。それは数々のストーカー殺人事件の被害者及びその家族と警察との対応、その経過や結末を見てもわかる。

個々の精神障害者の人権を守ること、つまり開かれた社会を維持することは、無償ではないのである。


(おわり)