妙な説得力
テーマ:ブログ2月13日
市場の魚屋さんで見つけた張り紙。
「バレンタインは・・・・・
やっぱりサーモン味噌漬け!!」
思わず買いそうになった(笑)
代わりに、可愛いカーネーションを、一輪。
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食といえば僕は無類の肉好きだが、野菜にだって思い出がある。
その筆頭は大根だ。僕にとって大根は平和主義の代名詞である。
震災以前の僕の最大の趣味は、畑作りだった。
文芸賞のお祝いに母からツツジを贈られ、
自分で庭に植えたのがきっかけだ。
土いじりが楽しく、調子に乗って色々な苗を買ってきては
広くもない畑スペースに植えていった。
脳裏にあったのは、絵本のような世界である。
花々や野菜たちが所狭しと並んで輝く、
素敵な宝箱の中身のごとき光景を期待した。
結果は、見るも恐ろしい大戦争であった。
植物も争うことを僕は初めて知った。
己の領地を広げるため、他の植物が苦手とする化学物質を放ったり、
ツタを絡ませて倒し、日光を奪ったりするのだ。
まずサツマイモが、スイカに駆逐された。
恐るべき勢いでツタが葉を絞め、枯らしたのである。
ブドウの木がレモンの木に絡みついた。ミントがカモミールをなぎ倒した。
トマトが養分を吸い尽くして枝豆を枯死させ、ペペロンチーノと熾烈に争った。
紅蓮の実をつける両者の間で、ベゴニアと茄子とチューリップが倒れた。
畑の主たる僕は戦慄するとともに植物の獰猛さに魅せられてしまった。
いったいどれが勝者になるか。
俄然、手に汗握りつつ適度に肥料を加えて注目した。
大勢はトマトにあった。なんと実の重みで枝を折るほど育った。
折れた枝は実ごと腐って肥料となる。トマト帝国の版図拡大の陰で、
トマト内身分制度が定められ、弱者が強者の肥料にされたのだ。
小都市国家のごとくスイカとペペロンチーノが抵抗したが、
夏が終わり、大きな実を残してスイカが枯れ、ついでペペロンチーノが生長を止めた。
タイマー設定でもしたかのような見事な自主衰退により、
次世代に場を譲るのだろう。
ついにトマトが勝った。
そう見えたとき、絡み合った何種類もの葉やツタの下で、
艶々とした葉が広がっているのに気づいて驚愕した。
いったい何者か。
植えたことすら忘れていた、大根だった。
20種類近くもの種が生存競争を繰り広げる真下で、泰然として争いに加わらず、
さながら永世中立国のように静かに粛々と、ぶっとい大根が育っていたのである。
トマトと大根。まさに炎と水ほども対照的な最終生存者だが、
共感すべきは大根であった。
この静かなる生命の強さこそ、日本の、和風の心意気であろう---
などと家族の食卓で熱弁を振るい、
トマトサラダと焼きサンマの大根おろし添えを賞味する、
忘れ難き食の思い出なのであった。
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朝日新聞別冊「be」より抜粋
まさに、生命の原点・・・・・・!
「適度に肥料を加えて」のくだりが、好きですねぇ。
1月24日
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僕は大の肉好きである。
先年の大晦日は仲間同士でステーキ祭と称し、
分厚い肉を焼きまくった。
肉に好き嫌いはなく、羊や山羊の独特の臭みも好きだ。
学生の頃は金がなく、
仲間とまずラーメンを食って腹ごしらえをしてのち、
焼き肉屋に繰り出したものである。
今は年齢のせいか大量に食べられないが、
やはり元気のもとは肉だと信じて疑わない。
そんな肉食万歳の自分が、一度だけ、
完全に肉が食えなくなったことがある。
10歳前後の頃のことだ。
当時、父の仕事の都合でネパールという国にいた。
ヒマラヤ山脈を擁し、インド、中国、パキスタンといった国々に挟まれた、
仏陀出生の地とされる国である。
とはいえ仏教徒は少なく、圧倒的にヒンドゥー教徒が大勢を占めていた。
そしてこのヒンドゥー教には、ダサインという祭がある。
その日、僕は朝から友人宅に遊びに行っていた。
なぜか庭に一頭の山羊がつながれており、
面白がって友人と一緒に草を与えてやったのを覚えている。
山羊が僕の手に鼻面を押しつけ、
熱心に草を食む姿が実に愛らしかった。
その数時間後、日本人とネパール人の大人たちが
山羊を裏庭に連れて行った。
一人が山羊の体を押さえつけ、
もう一人が独特の形状をしたククリ刀を振り下ろし、
山羊の首を一刀両断にした。
僕は不思議そうな顔をしたままの山羊の首を見つめ、
衝撃で呆然としていた。
山羊は手際よく解体され、やがて裂かれたはらわたから、
柔らかな緑のものが現れた。僕の手から食った草だった。
その祭礼の日、多くの山羊や水牛が神に捧げられる。
数え切れないほどの獣たちが街路に横たわり、
その血が街を清める。
僕はショックでしばらく肉が食えなくなり、
菜食主義者になるのだと親に言い張った。
だが肉の味を忘れられず、家族が食う肉が欲しくて仕方ない。
結局、「断肉」は数日だけで、僕は再び肉を口にした。
そうしながら、「命を食っている」という強烈な実感にうたれた。
ただ美味いだけでなく、命を譲ってもらっているのだと、
理屈ではなく、味覚で理解した。
肉食が一般的ではなかった日本では、こうした体験は希だろう。
「子供に食肉作りの現場を見学させては」などと発言すると、
仰天されることが多い。
せっかく命を譲ってもらっているのに、相手の顔も見ないなんて、
もったいない。
そう思うのである。
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朝日新聞別冊「be」より抜粋
やっぱり、外国行かな無理なんかなぁ。
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